なぜ石塚か


私のヴェルディ観戦歴は浅く、最初に観たのは1998年9月5日の対浦和レッズ戦だった。その時までの私のサッカー観戦歴はというと、日本代表のホームゲームを数試合観戦したことがある程度で、Jリーグの試合を観戦することは初めての体験であった。それに私は特にヴェルディが特に贔屓のチームというわけでもなかった。ではなぜその試合を観戦したのか、というと単純にヒマだったからに過ぎない。当時、私は試合が行われた国立競技場からバスで15分の場所に住んでいて、思い立ったらすぐに観戦できる距離にあったのだ。私の観戦スタンスはもろに冗談半分の冷やかしであった。小野伸二を観たと言えば話のネタになりそうだ、などと思っていた。そして私が腰掛けたのはヴェルディ側のシートだった。それも一番空いてそうな自由席を探していたらそこに辿り着いたというだけのことに過ぎない。しかし、試合のメンバーがアナウンスされた時、私はちょっとした驚きを感じた。サブに『あの男』が名を連ねているのである。私は『あの男』のちょっとしたファンであったが、1997年にコンサドーレにレンタルされてからは目立った活躍があるわけでもなく、当時『あの男』がどのような状況にあるのかということはほとんど知らなかった。しかし新聞、雑誌を見る限りでは試合にもほとんど出場していないようなので、状況はあまり好ましいものではなかったのだろう。そのような不安定な状況にあった『あの男』を気まぐれに赴いたJリーグ初観戦で観ることができたというのはかなりラッキーなことなのだと思う。

試合のほうはというと、前半20分くらいまでは両者互角の展開であったが、それ以後徐々に浦和のペースとなっていった。ヴェルディにはミスが目立った。細部はもう覚えていないが、全体的に運動量が少なく、それほどスゴイとは思わなかった小野伸二には自由にパスを出させてしまっていたし、スピード豊かな2トップにヴェルディのDFラインはついていくのがやっと、というような状態だった。ヴェルディ的には『さむい試合』であったといえると思う。ラモス、カズ、柱谷、らのビッグネームの動きにも輝きは見られなかった。Jリーグ発足当時には憎らしい程強かったあのヴェルディが、信じられない程弱かったあの浦和レッズにいいようにヤラれているのを観るにつけ、やはり隔世の感があった。時代の移り変わりというものを考えないわけにはいかなかった。だが『あの男』は変わっていなかった。インプレッシブなプレーヤーのままだった。

石塚啓次という名前は石塚啓次と名乗るサッカー選手、という以外にも様々な意味を持つ、と私は解釈している。それは日本の中盤選手にありがちな技術はあるが勝利への貢献度、執着に欠けるプレーヤーの象徴であり、また技術に長けるが故、プロ以前の年代において承認されまくり大人への接し方が分からぬうちにプロ選手となってしまった「態度が悪い」選手の象徴である。他にもあると思うが総じてネガティブな意味を持っている。ボールを持てばセンス抜群の惚れ惚れするようなボールタッチをするにも関わらず、それを勝利へと結び付けることのできない、『不毛のテクニシャン』。レギュラーポジションを獲得した1999年でさえ、そういったイメージを払拭しきれないでいたのだから、ほとんど試合に出ていなかった1998年ではなおさらである。そして『不毛のテクニシャン』の行く先は決まっている。人知れず消えていくのである。消えていかなくてもいつの間にか『普通の選手』になっている。なぜか? それはサッカー評論の世界でも大きな謎である。若年層からの自らのテクニックに対する自信が慢心を生んだのか、あるいはテクニックに長けていたがゆえプロに入るまでにアスリートとしての基本的な資質の強化を見過ごされてきたのか、それともモダンサッカーにおいて、もはやテクニックに傾倒したプレーヤーは必要とされないのか、納得できる一般論は今のところない。いずれにしろサッカーの世界では頻出の語りのテーマなのである。

『あの男』、石塚啓次がピッチサイドに姿を現したのは後半も30分を過ぎたあたりであった。が、すでに浦和に3点も入れられた後であり、試合もほぼ一方的なものとなりつつあったので采配的には遅きに失した感があった。左サイドで消極的なパス回しに徹していた山口貴之との交代であった。声援はなかった。石塚は2トップのすぐ下、中央にポジションを取った。堂々たるその立ち姿、風格に私の期待はにわかに高まった。初めてのボールタッチ、左サイドからパスを受けた石塚はダイレクトで前方にいたカズへスルーパスを送った。最高のパスだった。フォーム、軌道の美しさもさることながら、ボールを受けた選手にシュートか、あるいはセンタリングかという2つのポジティブな選択肢を与える難易度の高いパスだった。だがカズは追いつけなかった。カズが嫌いなわけではないが、明らかにカズのミスであったと思う。なぜならカズはその前の段階でDFのマークを外す動きを意図的に行っており、石塚のスル−パスを予期していたのだが、パスが出た直後に自分の意図とは違うということを表現するかのように走ることをやめてしまったからである。しかしゴール裏から見ていた私にはわかった。点をとりにいくことを前提とするならば、パスを出すところはそこにしかなかったのである。石塚のパスが正解だったのである。そしてカズはボールに追い付くために走らねばならなかったのである。当時のチームの状況など今となってはどうでもいいことだが、どこか石塚は浮いてしまってるかのようだった。

そして私が驚嘆したのが次に石塚がみせたプレーである。後方からの浮き玉のロングパスが石塚めがけて放たれた。もちろん2トップ下の中央に構える石塚の背後には激しいマークがついている。が、石塚はかなり勢いのあった後方からのロングパスを難無く足下でピタリと止め、激しいマークをものともせずに、一瞬のスピードで反転し、前方でスタートを切っていた薮田に浮き玉でスル−パスを送った。それはGKとDFラインの間に落ちていく、まさにそこしかないというパスであった。スピードに自信のある薮田は難無くDFをかわし追い付き、ボレーシュートを放ったがシュートは枠を大きく外れた。が、私には薮田のシュートは問題ではなかった。石塚のプレーですでに相当な衝撃を受けていたからである。トラップ、反転、スル−パスという3つの難易度の高いプレーの連続に酔いしれずにはいられなかった。そして(恐らく)石井俊也の激しいマークがついていたことを忘れてはならない。

その他にもいくつかチャンスをつくりながらも、得点に至ることはなく試合は3−0のまま終了した。シュートチャンスも1回あった。しかしパスかシュートか迷ってしまったのか、あっさりGKにキャッチされている。その時に飛んだ野次を私は今だに忘れていない。「何だよ、その中途半端なのは。」どこからともなくそんな罵声が飛んでいた。言うまでもないが、およそ1年後の1999年の天皇杯準決勝における石塚の2点目のゴールとはあまりにもかけ離れた姿である。そして試合後の彼は何かを避けるように足早にロッカールームへと消えた。強く印象に残る15分間だった。サッカーにおけるテクニシャンの優位性を改めて感じた。と、同時に得体の知れないもどかしさのようなものも感じた。そして私は小野伸二のことなどすっかり忘れて石塚のプレーを何度も頭の中でリプレーしながら家路についた。

このことから、石塚は小野よりも凄いなどというつもりはない。が、あの日の石塚が輝いていたのもまた事実である。そして、1999年のヴェルディ川崎のベストゴールは何といっても天皇杯準決勝の対サンフレッチェ広島戦における2点目の石塚のゴールである。生観戦したわけではないので滅多なことは言えないが、私が強く感じたのは石塚のサッカーマンとしてのプライドである。「こんなヘタクソなやつらにナメられて堪るか」、そんな彼の気持ちがブラウン管を通しても伝わってきた。そう、石塚は現在進行形で成長しているのである。途中交代で巧さだけを印象づけてピッチを去っていくプレーヤーから、スタメンを張り、得点でチームを引っ張っていくプレーヤーになったのである。石塚というプレーヤーの面白さとは、単に彼のテクニックの素晴らしさにとどまらない。消えゆく運命にあった『不毛のテクニシャン』がいかに自己を取り戻し、そして自分の望むものを掴みとっていくか、それを見届ける愉しみでもある。

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