開設 1998.3.07 勇君の部屋ご意見箱更新日 2003.08.11更新

勇君の部屋〜痴呆症になった柴犬のお話です

ようこそ勇君(ゆうくん)の部屋へ・・ここは犬や猫を飼う皆さんに、 痴呆症の事を知っていただくために開いたお部屋です・・まだまだ未熟なホームページですが、 皆さんからの情報も取り入れ少しずつ大きくしていきたいと思っています・・痴呆症に付いて、高齢犬に付いてご意見のある皆さん、 是非、勇君の部屋にお便りをください。

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ご意見箱 勇君の部屋ご意見箱

獣医さんのアドバイス、皆さんから寄せられたお便りをご紹介。老犬・痴呆症の犬たちの介護記録、体験談、使っている介護グッズ、介護方法などを掲載しています。

ありがとう、皆さん 勇君のその後 〜 ありがとう、皆さん 〜

その後の介護の日々を綴った「愛犬最新情報」へもこちらから入れます。

写真館 勇君の写真館 〜 1998.5.26開設

はじめまして、ぼく、ゆうくんです。

作者注:勇君の部屋「はじめに」から「最後に」は1998年3月7日にUPした内容をそのまま掲載しています。

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私の手元には今3頭の犬がいます。17歳の柴犬・勇若号(オス)、15歳の紀州犬の雑種・チロ(メス)、12歳のシェルティ・愛(メス)で、それぞれ不思議な縁で出会った私のかわいい宝物です。年齢をご覧になればお分かりになるように、3頭とも高齢犬です。チロは心臓が少し弱くなっておりますが、それ以外は特に病気もなく、愛は若い子に負けないくらい元気で過ごしています。

これから皆さんに聞いていただくのは、柴犬勇君(ゆうくん)のお話です。

勇君は17歳になる老犬です。2年ほど前、勇君が15歳になった頃から耳が遠くなっている事に気付きました。そして、この頃から一日中眠っている事が多くなりました。犬の15歳は人間の年で言えば、70歳、80歳に相当する頃です。体力の衰えは致し方のない事と、体の弱ってきた勇君と接してきました。 しかし私は、勇君の身に起こっているある重要な変化のその正体に、長い間気付かずにいたのです。

ここからは、痴呆症になった勇君の事を皆さんに知っていただく事で皆さんのパートナー達が万一勇君と同じ状態になったときに少しでもお役に立てるようにと、未熟な飼い主である私の体験をお話するものです。

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柴犬勇君は、ある日突然やってきました。私の父の知人宅で生まれた何頭かの子犬の中で、父が一番気に入った犬でした。
17年前のある春の日の昼下がり、父は何の予告もなく、勇君を乗せた車を家の前に止め、勇君を抱いて玄関を開けました。

「どうしたの?その犬・・」と驚く私に、父は、

「ここで飼うんだ。」と一言。

生まれて約1ヶ月、その子犬は父に抱かれたまま、きょとんとした 瞳で私をじっと見詰めていました。その犬がやがて多くの喜びと幸せを運んでくれる事になろうとは、その時の私には 少しも想像することは出来ませんでした。

この日から勇君は私の家族になったのです。

勇君は非常におとなしい、繊細で賢い犬でした。自分が主と認めたもの以外の人間からは決して食餌を受け入れる事がなく、従順で、忠実で、リードをつけずに(本当はいけない事ですよね。)自転車で散歩するときもしっかり私に付いてきて、お店に寄って私が買い物をする間「ここで待っていてね」と一言言えば、私が戻るまで黙ってじっと座って(リードをつけていないのですよ。)待っている犬でした。

一方で、陽気で無邪気で、とても好奇心が強く、私が連れて行くお散歩の中で新しい何かを発見すると「これは何?これは何?」と興味を示し、新しい場所、新しいものに接することをとても楽しみ、喜びを体いっぱいで表現しては飼い主を満足させる犬でもありました。そんな勇君により多くの経験をさせてあげたくて、私は彼と様々な場所へ出掛けたものでした。

私はお手とお座り以外、勇君に特に教えた事はありません。しかし、勇君は人の言葉をよく聞き分け、今この状況で飼主が望んでいるのはこういう事だろうと自分で判断するような犬でした。ですから私は勇君に手を焼いたと言う記憶は全くありませんし、酷く叱った事もありませんでした。

うっとりするほど良い犬だ、私はずっとそう思ってきました。特に、後に飼う事となった2頭の犬達が来てからは勇君の賢さを実感させられる事が多かったように思います。

勇君が子犬の頃、猫を数匹飼っていましたが、勇君とこの猫達は一緒にお昼寝をしたり、じゃれあったり、見ている者を思わず笑顔にしてくれるような仲の良さでした。特に、子猫と一緒のお散歩中、大事な子猫を人に盗られてなるものかと(?)子猫の首の後ろをやさしく咥え、どこへ連れて行くのかと見ていると、せっせと空き地の隅に穴を掘り、そこへ子猫を埋めようとしたときには大笑いさせられました。そんなお茶目な一面も私には嬉しく思えました。

食べちゃいたいほどかわいいんだもの

勇君と過ごす時間は非常に温かく、発見に満ちた喜びの多い時間でした。

やがて私も仕事を持ち、忙しい毎日を送るようになり、勇君との十分な時間をなかなか持てない日々が続きました。彼の耳が遠くなった事も、それがいつからなのか、確かな事が分からない、というのが本当のところです。私が気付かぬ間に勇君は、少しずつ、確実に、老いを迎えていたのです。

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皆さんは、犬が年を重ねるとどんな症状が現れてくるか、見たり、聞いたりした経験をお持ちですか?

医療技術が発達し、各種の予防薬の開発が進められ、犬の健康に関する情報が豊富に提供されるようになった現在では犬達が長生きする事の出来る環境が整っています。それでも今現在、17歳、18歳といった年齢を迎えた犬を飼っていらっしゃる方、そんな年齢の犬を見た事のある方は少ないというのが現状でしょう。

病気をせず内臓の疾患がなく健康に育った犬でも、ある程度の高齢に達すると老いによるさまざまな体力の衰えが見えてきます。足腰が弱くなり歩行困難になる、耳が遠くなる、白内障等の目の障害が起こる、歯が抜けていくなどの症状が挙げられるでしょう。そして犬も人と同じで、物事を判断する能力、理解する能力が鈍ってくるといった衰えが現れてくる事もあるのです。

高齢になった犬がすべて皆同じように衰えるという事はないでしょうし、その犬によって老いの迎え方は異なるでしょう。例えば私の犬達は、白内障にはなっていません。白内障もそうですが、老いのさまざまな症状には、ある程度飼主が気を付けてやる事で防ぐ事、進行を遅らせる事の出来るものもあります。犬達が高齢に差し掛かって私は、老犬を飼うに当たって気を付けなくてはならない事とはどんなものであるのか、犬に関する雑誌等を読むときには注意して目を通すようにしていました。その中に、犬がボケてしまう事がある、という記述も確かにありました。

「犬がボケてしまう?」

しかし、その事に関して詳細な説明がなされたものを読んだ事、そんなワンちゃんを飼っている方のお話を聞いた事のない私にはその言葉の意味を本当に理解する事はありませんでした。

犬の痴呆症に関する研究は獣医学界でもあまり進んではいないようです。ある獣医さんによれば「現在のところ痴呆症の犬達に医者がしてやれる事はあまりない」のだそうです。

では、犬の痴呆症とは具体的にはどんな状態を言うのでしょうか。これまで私が耳にした様々な症状を挙げてみましょう。

徘徊。人の痴呆症にもある症状です。目的があるのかないのか、とにかくふらふらと歩き回ります。たいていの犬は歩行困難になっていますので、よたよたとバランスを崩しながら歩き回り、様々な障害物に体をぶつけてしまいます。グルグルとコマのように回っては倒れ、そうかと思うと、狭い家具の間に、外にいる犬なら門扉の間などに挟まって身動きの取れない状態になってしまいます。それでも動こうとするので犬達は体中に傷を作ってしまいます。リードで縛られたままの犬の場合、自分で自分の首を締め付け、呼吸が出来なくなっても締め付けるので、そのため生命の危険が及ぶ事もあるのです。痴呆症の研究をなさっているある先生は、これを防ぐためには柔らかい浴室用のマットを何枚もつなげて丸くしたところに犬を入れ、自由に歩かせてやれるスペースを用意することが有効だと言っています。

お散歩をするときにも十分注意しなくてはなりません。うっかりリードを放して糞の処理をしている間にふらふらと道路に出てしまいます。危険を予測する能力が全く失われ、この行動が自分の身を危険にさらすことになると言う判断が出来なくなっているのです。

異常な食欲。これも人の痴呆症にある症状ですが、この症状が出るワンちゃんもいます。これに付いては詳しくお話する事が出来るだけの知識が私にはありませんが、下痢などするようであれば介護はますます困難になりますので、飼主がコントロールするしかないのだと思います。

長時間吠え続ける。不安を訴えているのでしょうか、一日中鳴き続けることがあります。この症状は当初、我がまま・甘えがひどくなったと感じさせる程度のものですが、症状が進んでいくと、たいていの飼い主さんには手におえないという状態になります。飼い主が抱いてやっても、側にいても鳴き止まなくなるのです。対策があるとすれば、鎮静剤や睡眠薬を与えることしかありません。しかし、薬を与え続けることは死期を早めることにもなるそうです。私は、勇君のこの症状にとても悩まされました。詳しくはまたお話ししたいと思います。

排泄コントロールの低下。糞尿の垂れ流しです。これは痴呆の症状というよりも高齢犬の全てに現われるものです。高齢になると排尿が頻繁になってきます。一日7〜8回もおしっこをするようになることもあります。犬は自分ではきちんと排泄したいのですが、立つ事もままならぬ状態の犬では寝たままの状態で排泄してしまう事になります。排泄を飼主に知らせるだけの意識があれば鳴いて知らせてくれますが、やがて本当に死期が近づいてくれば、それも出来ないほどに衰える状態になるのです。痴呆特有の症状としては、それまで排泄の躾を受けていた犬でも特定のトイレで排泄することや、ここでは排泄してはならないということが分からなくて、どこでも、いつでも排泄してしまうようになるということでしょうか。

以上が、私がこれまで経験し、あるいは耳にした犬の痴呆の症例です。

では、勇君の身に起こった事、その具体的なお話をしていきましょう。実際、勇君が獣医学的に痴呆症といえる状態だったのか、これは先生方でも判断の難しいところのようです。そして、真に痴呆症だった場合、痴呆症が回復するという事が有り得るのか、それも今の研究では答えの出ないものなのかも知れません。しかし、確かにこの一、ニ年ほどの間、勇君には痴呆と思われる困難な症状が出ていました。そしてその症状がおさまっていくまでのお話をしたいと思います。

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勇君は15歳を過ぎた頃から、一日の大半を眠って過ごす事が多くなりました。お散歩は体力維持のため欠かせないものですが、 一方で体力を消耗させるような運動を控え、食欲があまりないと思えば、獣医さんの指導に従って食欲をそそるにおいの食餌 (肉をバターでいためて、ドッグフードに混ぜたものなど)を与えるといった事を繰り返しながら、日々を過ごしていました。 後ろ足の老化は目に見えて進んできました。時折、足を引きずって歩く事もありました。神経が衰えて体のバランスがうまく取れず、 ふらふらと歩き、時には側溝に落ちてしまう事もよくありました。そして、いつもというわけではありませんでしたが、特に朝は、 目を覚ますとゆっくり立ち上がり、そのままおしっこをしてしまいます。体が目に見えて弱くなった頃からは、室内で生活させていたので その処理は手間のかかるものになってしまいました。

こういった症状は、高齢犬を飼った事のある方なら、皆さんが経験していらっしゃるものだと思います。

勇君の状態が急におかしくなったのは、一年半前の夏だった様に思います。 

最初の変化は、とにかく、私の姿が見えないと、大きな声で吠えることでした。

散歩から帰って足を洗うためにその準備をする間、玄関につないで待たせているほんの数分の間でも、ギャン、ギャンと吠えるようになりました。私がすぐ戻る事など分かるはずなのにと思って、うるさく吠える勇君に、黙りなさい、と耳の遠い勇君にも聞こえるように大きな声で叱り付けてみても、鳴きやみません。

私が出かけようとすると吠え始め、なだめてもすかしても吠えるので、もうそのまま出てしまうのですが、外出からの帰り、家の近く200〜300mのところまで来ると、家の中で吠え続ける勇君の声が聞こえてくるのです。外出時間が2時間だろうと8時間だろうと、いつも同じです。まさか、ずっと吠え続けているのだろうか?それとも私が帰宅する気配を察して吠え始めるのだろうか?

耳の遠い勇君です。そうでなくても200mも離れている私の足音を聞きつけて吠え始めるなんて考えにくく、そこで私は両隣がお留守の時、 試しに家の外で聞いてみる事にしたのですが、2時間はずっと吠え続けていました。私も疲れて中に入ってしまって、それ以上の時間は確認していませんが、勇君がどれほどの時間吠え続けているのか、老犬勇君と私の事を思ってくれているお隣の方は「気にならないわよ」と言ってくださるばかりで、本当のところは分かりませんでした。

これは異常だ、そう思いました。しかし、どこか痛むところがある様子でもなく、特に体調に異状を来たしているというものでもありません。

私がお風呂に入っている間、ずっと吠えています。洗濯物を干している間も吠えています。勇君が吠え出すと私はすぐに抱いてやり、おしっこかもしれないと外へ出してもやるのですが、そうではないときの方が多く、私が側にいても、抱いてやってもおさまらず吠え続けることもあり、夜中だろうと朝方だろうとお構いなしに吠え始めるので私はその度に起きて、勇君を抱き、外へ出てみたりという事を繰り返す毎日が続くようになりました。

言い忘れていましたが、実は勇君が15歳を迎えた頃から、家は私一人になっていました。犬3頭と、人一人の家なのです。家人が他にいなくなってから、私はそれまでの生活を変えざるを得なくなりました。それまでは平日は仕事のため、朝6:30に家を出て、深夜1:00に帰宅するというハードな状況だったのですが、これでは犬に食餌をやり散歩をさせる時間を取ると睡眠時間はほとんどありません。自分自身の体調が悪くなった事もあるのですが、私は仕事を辞め派遣会社に登録をし、単発の仕事を受けるようになっていました。

何しろ犬の世話をする者が他にいないのですから、勇君がこんな状態になってから、やがて私は外出もままならぬという心境になっていきました。

こんな風に勇君が吠えるのは、いったい何を要求してのことなのか、私には分からなくなっていました。

初めは私が側にいればおとなしくしてくれたので、側にいて姿が確認できさえすれば安心するのだろうと思っていました。

ところが次第に私がいようと、抱いてやろうと、鳴きやまなくなってきたのです。

時間構わず吠える勇君に、ご近所の皆さんから苦情が来た事は一度もありません。皆さんにお会いするたび、ご迷惑をかけて申し訳ありません、と謝るのですが、その度に皆さんは

「そんなに気にすることないのよ、夜は家の中にいたらそれ程聞こえないし、昼は留守のお宅もあるのだから、気にせず出掛けていらっしゃい。そうしないとあなたがまいっちゃうわよ。」

と言ってくださるのです。逆に励まされて、私は皆さんが実は我慢してくれている事に思いを至しました。

勇君の奇妙な行動はこの他にも現れてきました。ある日、ギャンギャンギャン、と異常な声で鳴いているので、慌ててリビングとキッチン を見渡しましたが、姿が見えません。声を頼りに探して見に行くと、冷蔵庫と壁の間、わずか12p ほどの隙間に入り込んで、身動きが取れず、苦しがっていたのでした。引っ張り出そうとしたのですがなかなか出してやれません。どうしてこんなところに入り込んだのだろうか・・そう思いながら、やっとの事で勇君を引き出し、抱いてやると、急に安心したのか何事もなかったかのように落ち着いてしまいました。その時は、私も思わず後から笑ってしまう程度のことですみましたが、肝を冷やした事もありました。

その日は家に戻ると勇君が鳴いていません。あら、おとなしくしている・・なんて思いながらリビングに入ると、勇君はダイニングチェアーの、金属製の脚の部分にもたれかかる様にして立っています。背後から抱き上げようとしたら、勇君が椅子から離れないのです。
気が付くと、勇君は椅子の上に置いてあるミニホットカーペットのコードに首を絡ませています。しかも、コードはギュウギュウに締め付けられ、何と、勇君は口から泡を吹いて気を失っているではありませんか!  どきどきしながら震える手で絡まったコードを何とか外し、「勇君!勇君!」と声をかけました。目を開けた勇君はぼんやりしたままです。どうしよう、どうしよう、と思いながら、勇君を寝かせ、気付け薬でもないのですが、ビーフジャーキーを鼻の近くに持っていき、どう反応するかしら、と見ていると、勇君は、はっと気が付いたように目を大きく見開き、ビーフジャーキーにかじりついたのです。それから間を置かず普通の状態に戻り、私は胸をなで下ろしました。帰宅がもう少し遅かったら、どうなっていただろう、そう思うと身の縮む思いをしました。

外出から戻って家の中が勇君のおしっこやウンチで汚れていても、そんな事はもう気にならなくなっていましたが、こんな事があると外出する事が恐くなり、どうしても外出しなければならない用事がある時は常に勇君の事が気になって燕のように家に舞い戻る私でした。

家具と家具の間に挟まれるというのは一時期は毎日の事で、炬燵とソファの間に頭を突っ込んでは動けなくなってヒンヒン泣き出したり、おまけにそのままおしっこをしてしまったり、こんな事の繰り返しで、のちにこれが徘徊という痴呆の症状の一つだと分かってからは結構笑って済ませてしまうようになりましたが、初めは何故こんな事をするのか、しかも時には自分の生命に危険が及ぶほどの行為を何故繰り返すのか、その理由が分からぬまま、体が弱っているから仕方ない、ちょっと我がままになって甘えているのかもしれない、私に構って欲しいのかもしれない、と思いながら、とにかく勇君の後を追いかけていました。

勇君の表情はすっかり乏しくなり、今何がしたいのか、何をして欲しいのか、それを読み取る事は非常に困難になっていました。もともとおとなしい犬で、激しく要求をする事がなく、いつも飼主からの働き掛けを待って良い子にしているような勇君でしたので、それだけに私は体の変化以外には勇君が変わってしまったと思うことがなかったのですが、ここに至って勇君が変だと感じるようになりました。何をしてあげても勇君から返って来るものがなく、勇君は私を困らせる事ばかり繰り返します。危険を回避できない勇君から目が離せない様になり、自分の事が全く出来ない、睡眠時間もろくに取れない状況の中、また勇君が吠え始めると頭がおかしくなるかと思うほど苛々して、勇君を黙らせたくて、怒鳴りつけ、お尻をいやというほどたたいてしまう事もありました。でも、鳴きやまないのです。

・・この子は私の言う事を聞いてくれない、私もこの子の言いたい事を理解できない、そう思いながら勇君を感情的に叱り付ける事への自己嫌悪はますます私を追い詰めていきました。

こんな状態が半年は続いたでしょうか、睡眠不足は恒常的に続き、ご近所の事を考えると神経が休まる事のない日々でした。

自分自身を押し殺して、ただひたすら勇君の介護をし、おしっこやウンチで汚れた布団やタオルを洗濯し、床、絨毯を掃除し、他の2頭の犬達の世話をして、突然吠え出す勇君をなだめるために真夜中に何度も起きては勇君を抱きました。24時間戦争のようでした。機械のように目の前の仕事を片付け、一日を終える私の心は、気付かぬうちに乾いていったのかも知れません。

・・どうしたらいいのだろう?この子は、私はどうなるのだろう?そんな事を何度も考えて、精神的にも肉体的にも疲れ果てた私は、いっそ、この子を殺して自分も死んでしまおうかしら、などとふと、心に思うような事さえありました。正直言って自分自身の限界を感じた時期でした。

こんな日々の中、97年の暮れを迎え、お正月を自宅から車で1時間ほどの親戚の家で過ごす事になりました。 たまには勇君の介護から開放されたい、そう思っていました。お誘いを受けて私は本当に久しぶりに外出らしい外出をすることに決めました。マンションにお邪魔するため、勇君とチロちゃんをその親戚の家の近くにある動物病院に預け、室内での排泄を躾してある愛ちゃんだけは連れて行く事にしたのです。実は、この病院には、以前一度、この半年前に勇君を預けた事がありました。ある試験を受けるためどうしても勉強に集中したくて身内の者に預かってもらおうとしたのですが、勇君の状態に付いて何も話していなかったために預かる方も持てあましてしまい、勇君はその病院に預けられる事になったのです。その時はきちんと食餌もしていたとの事でしたし、帰って来たときもとても落ち着いていました。ですから、私としてもあんな事になるなんて、考えもしなかったのです。

98年1月3日、勇君とチロちゃんを迎えに行きました。気になっていたので予定より早く迎えに行ったのです。

支払いを済ませた後、連れてこられた勇君に私は息を呑みました。

顔中あちこちに深い傷があり、特に目の下は肉がそげ落ちてまだ血がにじんでいます。左肩の骨の少し下、横腹の部分は5㎠程の範囲で毛が抜けていて、中央には何か尖った物でえぐり取ったような深い傷があり、傷口からは出血し、膿が出ています。どの足の裏も肉球が所々はげており、やはり血が出ています。焦点の定まらないうつろな目をして、喉をつぶしたような枯れた声でウォン、ウォン・・と吠え、まるでこの世で一番恐ろしいものを見たかとでも言うような、あるいは、気がふれているのかと思わせるほどの様子でした。

「どうしたの、勇君、勇君、」と声をかけるのですが、勇君はただ、ウォン、ウォン・・と吠え続けるばかりです。何があったのか、喧嘩でもしたのか、と訊ねる私に、病院の男性スタッフ( 医者かどうか、分かりませんでした )は、いえ・・と口を濁し、それ以上何も話しません。先ほど宿泊代の支払いを受けた女性スタッフは、後ろを向いたままこちらを見ようともしません。しばらく勇君の様子を心配してあちこちを見ていたのですが、その間中彼らは気まずそうに、でも何も話そうとせずその場に立ったままでした。車で私と犬達を自宅まで送るため一緒に迎えに来ていた身内の者が、とにかく早く帰ろう、いつもの獣医さんに見てもらおう、と私をうながしたので私は混乱したまま勇君を抱いて外に出ました。

抱き上げると勇君はすぐにおしっこを漏らしてしまい、ばたばたと暴れ始めました。声が枯れているのに鳴き続けています。
「大丈夫だよ、もう大丈夫だよ 」と私が必死に声をかけても恐怖に錯乱したような鳴声で鳴くのです。おそらく何も食べていなかったのでしょう、ぎすぎすに痩せています。いったい何があったのか、近くにいることは分かっていただろうに、病院は何故連絡してくれなかったのか、私が愛ちゃんとのんびり過ごしている間にも勇君はきっと私を求めてずっと鳴き続けていたに違いない、などと混乱した頭の中で様々な事を考えて勇君を抱きしめていると、涙がぽろぽろとこぼれてきました。・・と、勇君は急におとなしくなり死んだように眠り込んでしまいました。

お正月で本当は休診だった、いつもの係り付けの獣医さんに診ていただきました。

多分狭いケージの中で暴れまわって、この全ての傷を作ったのだろうと思われました。おそらく暮れからお正月という時期で、ほとんどの時間、誰も勇君を見るものが無かったのだろうと先生はおっしゃいました。点滴を打ちお薬をいただき落ち着いたものの、あの病院に預けるまではふらふらとでも立って歩けた勇君が、もう立ち上がる事が出来ないほどに体力を失なっていました。このまま死んでしまうかもしれない・・・そんな考えが浮かぶほどの状態でした。

「預ける前の状態に戻るでしょうか?」という私の質問に少し間を置いて先生は

「何とも言えませんけれど・・飼主さんがとにかく側にいてあげたら、きっと良くなりますよ。」と答えてくれました。

家に戻った勇君は3時間ほどでしょうか、ぐっすりと眠りました。目を覚まし、ウォンウォンと鳴いたので、いつもの缶入りフードを レンジで温め食べさせてみる事にしました。そして勇君は体を私に支えられながら、ガツガツとフードを平らげたのです。

こんなに衰弱しているのに、勇君の食欲に私は驚かされました。立つ事も出来ないくせに、ご飯を食べる勢いといったら若い頃にも無かったような貪欲さで、病院から帰ったその日からずっと、バクバクとご飯を食べてくれました。(これは痴呆の症状である異常な食欲というほどのものではなく、もともと小食でお上品にパクパクと食べ物を口に入れていた勇君が、他の2頭並みになったという程度のものでした。)排便もいつも通り、健康そのものです。その様子を聞いた獣医さんは「ああ大丈夫、食べるということはこの子自身にまだまだ生きる力があるということですよ」と言ってくださいました。・・・なんだか、あんなに悲愴な気持ちで心配し、勇君を預けた自分を責めては落ち込んだ私でしたが、勇君の食欲を見ていると妙におかしくて、あら、この子ったら「食べるぞ、まだまだ生きるぞ」という気迫があるじゃないのと、勇君の底力にほれぼれしてしまいました。こんなになっても生きようとしている、その姿に力強さを感じたのです。

私は自分がちょっと楽をしたいと思って勇君を人任せにした事を深く反省していました。勇君はもう長くはない。自分が後悔しない様に、他の全てを捨ててもこの子の最期の時間をずっと一緒にいてやらなくては・・そう思うようになっていました。でも、エネルギーのある前向きな選択というよりも、なんだか思考回路のパンクの末にずるっとこぼれ落ちた答え、という感じでした。それまでいくつかの資格を取ろうと週に2日通っていた学校も無期休学する事に決めました。仕事もしばらくはしない事にしました。数日の間でも、勇君にあれだけのケガをさせてしまう程の恐怖と孤独を与えてしまったことへの痛切な痛みが私の心を勇君の事に集中させたのです。自分の人生なんて今はどうでもいいや・・そんな気持ちになっていました。

それから、まさしく言葉通りの24時間介護がしばらく続きました。

 

・・・あの賢かった勇君がどうしてこんな風に私を困らせるのか?関心を引きたくて、わざと奇妙な行動をとるのだろうか?もしかすると何か私を怨んでこんな風に無表情に私を拒絶しているのだろうか?そんな考えが頭に浮かぶことがありました。変わってしまった勇君を見ているだけで切なくなってしまうのです。何かとんでもない病気だろうか?それとも体のどこかがひどく痛むのだろうか?

「不安なのですよ、とにかく抱いてあげてください。」お医者様はそう言いました。体が衰え、自分の身に起こっている老いというこの現実に混乱を覚え、その不安から常に私を求め鳴き続けているのだろう、というのです。しかし獣医さんから、勇君は痴呆であろう、という言葉は聞けませんでした。先生には勇君の状態に付いて痴呆だという認識があったのかもしれません。後で気付いた事ですが、回復する可能性の少ない痴呆だという事を医者が告げれば、動揺した飼主が慌てて安楽死を希望するということもあるわけで、私の精神状態が不安定なあの時に「痴呆です、有効な治療法は現在のところありません」などと絶望的な言葉を聞かされなくて本当によかったと思うのです。勇君を診てくれた先生は最後に 「飼主さんがやってあげられるなら、とにかく介護してあげて欲しいのです。」とおっしゃいました。

生きていてこの子は幸せなのだろうか?勇君を見ているとそんな事を考えさせられました。

でもそんな日々の中でも、たまにおしっこを上手に出来て、うんと誉めてやると嬉しそうに笑っている(?)勇君、おいしいものを食べさせた後 満足そうにしている勇君、歩けなくなったけれどもベビーカーに乗せてお散歩するとき気持ち良さそうに目を細めている勇君を見ると、愛しさが込み上げてきて、最後までがんばってみよう、と思い直すのです。

私が30分でもそばにいない間に、立ち上がることの出来ない勇君は寝たままの状態で暴れまわり、肉球の傷を更に深くし、戻った時には絨毯が血で真っ赤になっていることもしばしばで、また遠吠えも一向におさまらず、結局私はお医者様に鎮静剤の処方をしていただきました。睡眠薬と言ってもいいかもしれません。ただし、このお薬は犬の体力を消耗させるため、頻繁には使う事の出来ないものでした。

98年1月の勇若号

動物病院で傷だらけに・・・

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インターネットを始めて様々なホームページを検索していく中で、老犬との暮らしをつづったページがあることに気付きました。
16歳、17歳の犬達と暮らす飼い主さんの体験談の中に、徘徊が始まった、という一文があったのです。

「徘徊?これは、痴呆の症状じゃないか・・」

その時、まるで今まで解けなかった問題が一気に理解出来たとでも言うような感覚で、勇君の一連の奇妙な状態は痴呆が原因だったのか、という考えが頭に浮かびました。

以前どこかで耳にした「うちの犬、ボケちゃって」という言葉、そして目にした、「犬がボケる」という活字が思い出されました。

勇君の症状は痴呆に違いない、私はそう思いました。

そこで私はやはりインターネット上の、獣医師さんが主催するホームページを開き、そこで今の勇君の状態は痴呆症であるのか、犬の痴呆症に関する情報はどうすれば手に入れられるのかを訊ねてみました。そこから、何人かの方が勇君と全く同じ愛犬の異常な変化にとても困惑し、獣医さんに救いを求めて相談していた事を知りました。

吠え続けること、うろうろと歩き回り狭いところに入り込み自分で自分を傷つけてしまうこと、コミュニケーションが全く取れない状態と なり、今のあの子は私の知っているあの子とは全く別の犬になってしまっている、と飼い主さんが思っていること、 そういった訴えのすべてが私の経験したことと全く同じだったのです。

勇君の身に起こっている奇妙な出来事は、その行動を勇君自身意識して行っているものではない事はもちろん、勇君一頭だけに起こっている特殊な状況ではないのだという事を知って、これが、この勇君の状態こそが、老いるという事なのか、生き物が生きるという事の最期にやってくる自然の姿なのか、という思いが突然 私を包みました。その時、私の中にあった勇君に対する 憐れみの気持ちが薄れ、むしろ生き抜こうとするその姿に尊敬にも似た気持ちが湧いて来るのを感じたのでした。

目の前で老いていく愛犬をただ憐れみ、どうしてこんな事に、と、それまでの私は思っていました。

子犬の頃から見てきた勇君が変わっていく、その現実を近視眼的にしか見ていなかった私の視野が急に広がりを持ったのです。

また、痴呆の犬を抱えたご家族が、精神的にも肉体的にもボロボロになるほどに疲れ果て、ご苦労を重ねた事を知り、 私と同じような状況を体験なさった方々がいらっしゃるという事実に、不思議なほどの安らぎを感じました。

勇君と過ごす時間の中に喜びにも似た充実を感じるようになったのはこの頃からではないでしょうか。

その頃私は勇君に、時折鎮静剤を与えていましたが、そのお陰でしょうか、勇君の状態が少しずつ落ち着いて来ていました。介護に体も慣れ、もう長くはないだろう勇君のために最期の時間を精一杯愛してやらねばという思いで、とにかく犬のお世話だけに集中していたのですが、ネット上で知り合った犬を愛する多くの方からの励ましを受け、精神的にも安定し、落ち着いて勇君に接する事が出来るようにもなっていました。孤独の中にいた私は、多くの人たちの声に支えられ、また、少しずつ愛犬の今の状態を理解し、彼の老いを素直に受け容れる事が出来るようになって迷いが吹っ切れ、今の勇君に対する愛情を強く感じるようになりました。

とにかく一日中、勇君が寝ている時間以外はそばに付いている様にして、勇君が何をしても、よしよし、と頭を撫でて優しく声をかける ようにしました。部屋の中でおしっこやウンチをしても誉めてやりました。耳が遠いからとあまり声をかけることもなくなっていたのですが、聞こえていなくてもいい、理解してくれていなくてもいい、それでも毎日勇君に話しかける時間を多く持つようになりました。

それから程無く、不思議な事に、勇君が少しずつ、少しずつ、感情を取り戻し、その目の輝きが戻って来たのです。

立てなくなってから常に介添えを必要としていた勇君ですが、介添えのたびに、例えば食餌の時や排泄の時、私に身を委ねようとする勇君の脚を立たせ、しっかり自分で立つのよ、と体勢を整えるということを繰り返してきました。そして、あんなにふらふらしていた体をしっかり支えられるようになり、一人で食餌をとる事まで出来るようになったのです。立っている状態が可能になると、勇君は自分で立ち上がろうとするようになりました。独りで立てるのだということが分かって、それがよほど嬉しかったのでしょう、倒れても、倒れても何度も立ち上がって、脚を一歩、一歩、前に出そうとします。歩こう、歩こうとするのです。

初めて数歩ばかり歩けた時、勇君は何とも言えぬ良い顔をしていました。

私の心が変化するのと同時に、勇君の状態が奇跡のように回復していきました。お医者様も勇君があれから1ヶ月も経たないうちに、ここまで回復するとは、と驚いていらっしゃいました。

「がんばってください、という事は簡単です。でもそれを実際やるという事は難しい。それをなさる飼い主さんたちを私は尊敬します。結局、飼い主さんに全てがかかっているのです。」

先生はそうおっしゃいました。

ある日の朝、隣で寝ていた勇君がゆっくりと起き出し、ふらふらと歩き出したのを見て、私もその後を追って行きました。朝の5時だか、6時だか、そんな時間だったと思います。

おしっこかな?いや、そうでもなさそうだ、と勇君を抱き上げ、しばらくの間2人で座ったまま、私は勇君を見つめ、 勇君は私をじっと見つめていました。その時私は、17年前父に抱かれた勇君と初めて会った日の事を思い出していました。勇君の瞳は、あのときの瞳と同じ輝きを持っていました。勇君は変わってなんかいない、勇君は勇君じゃないか、あのときからずっと私のそばにいてくれた勇君なんだ・・そんな気持ちが込み上げてきて胸が熱くなりました。勇君はそんな私の顔を無邪気に見つめたまま、なんだか微笑みかけてくれているように思えました。

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今勇君は長い距離を歩く事は出来ませんが、独りで立ち、少しずつ歩いては、お散歩を楽しむ事が出来るようになりました。3頭連れてのお散歩はベビーカー持参です。勇君はこれに乗って、気持ちよさそうに景色を眺めたり、居眠りをしたりしています。

お部屋の中にいる時は、うろうろ歩いてはあっちで眠り、こっちで眠り、私がパソコンに向かっていると、いつのまにか足元に来て寝ています。3時間以上続けて眠るという事はあまりありません。

排泄も、介添えなしでする事が出来るようになりました。ウンチは1日に1回〜2回(大抵は朝1回です)、健康ウンチをします。おしっこの方は朝6時から夕方6時までの間に2回〜3回、夕方6時から朝6時の間に5回〜6回します。夜の方が排泄は頻繁で、午後8時くらいからは1、2時間おきほどの間隔でおしっこのサインです。

そして、あんなに吠え続けた事が嘘のように、全く吠えなくなりました。

今勇君が鳴くのは、おしっことウンチのサインのときくらいです。「ワン!!」と一声、そして私が抱いて外に出してやると 体のバランスをゆっくりと安定させ、前足がぬれない様に片方をちょっと宙に浮かせ、おしっこをします。私が抱き上げて、上手におしっこが出来たねと、頭を撫でてうんと誉めてあげると満足そうに目を細めて笑っています。排泄はサインが出なくても、勇君がくるくるお部屋を回り出したり一定の時間が経過したら出してやるようにして、我慢させたり、家の中でおもらしをすることのないように気を配っています。勇君はおもらししたくないと思っているのです。たまにはおもらしするときもあります。明け方です。午前3時とか、5時、朝までに一度はおしっこで起こされるのですが、一緒のお布団で寝ている勇君が隣でヒンヒンと鳴いているのに気付きながら、なかなか私が起きられないこともあって、そんなとき勇君は私に抱かれたまま、おもらしをしてしまいます。悪いのは私なのですが、勇君はおもらしをしてしまうと、その後、悲しそうな高く細い声でギャン、ギャン、ギャン、と鳴いてしまいます。私は「よしよし、いいのよ、おしっこが出てよかったね。」と優しく語り掛けながら、勇君を抱いてやります。濡れたタオルなどを換えて、きれいなお布団に寝せてやり、腕枕をしてやると勇君は安心したように目を閉じて、寝息を立てるのです。

そうです、私は今、勇君が何を感じて、何を要求しているのかが分かるようになってきたのです。

勇君が「ワン!!」という前に、望んでいること、例えばウンチが出そう、ベビーカーから降りたいよ、体がぬれて気持ち悪いからきれいにして、お布団がおしっこで濡れちゃった、換えてちょうだい、そういったことに私が対応して、勇君の目を見ながら「さあ、ウンチしようね。」とか、きれいなお布団で寝ようね。」などとゆっくり話し掛けると、勇君はじっと私の目を見つめて、安心したような表情をしてくれます。

このところ、全くお薬を飲ませていません。勇君は今、痴呆症の犬ではなく、ちょっと足腰の弱い、普通の老犬なのです。もちろん、私が長時間の外出を続けるようになったらどうなるのか分かりませんが、今は30分、1時間ほどの外出なら、おとなしく待っていてくれているようなのです。夢のようです。

徘徊と、遠吠えと、糞尿の垂れ流しと、死んだような勇君の目が、私を悩ませたあの時期が、まるで嘘のように消えてしまいました。 信じられないような気持ちです。

私は今、勇君が幸せを感じてくれている、と実感しています。毎日のお散歩の中で、多くの方々がベビーカーに乗った犬に興味を引かれてか、声をかけてくれます。一日に3人から10人の方ですが、毎日、声をかけてくださる方がない日はありません。犬を連れていなければ一生言葉を交わす事もない、名も知らぬ人々です。そのほとんどの人が、この子は幸せね、と言ってくださいます。確かに、こうして見ず知らずの方々に励まされる勇君は幸せな犬だなあ、と思います。一人一人の方が勇君に、がんばってね、と声をかけるとき、勇君は何とも言えぬ、満足そうな顔をしています。最近の勇君はいつもそんな風に満ち足りた表情をしています。

私は勇君がその最期の時間を安心して過ごせるように、穏やかでゆっくりとした時間を与えてあげたい、そう思っています。私はもっと早くから、犬とのかかわり方を、飼い主としての考え方を、これまでとは違ったものにしなければならなかったのです。老いを迎え、変わっていくことに動揺していたのは、飼い主の私だけではなく、勇君自身こそ、そうだったはずです。自分の体が衰えていく事に恐怖や不安を感じていた勇君の心はとても不安定だったに違いありません。立つことも出来なくなった時、お部屋の中でおしっこやウンチをしてしまったことを誉めてあげて、頭を撫でながら「いいんだよ。良かったね、おしっこが出たね、いいウンチが出たね。」と言ってあげた後の勇君のあの安らかな表情は何を意味していたのでしょうか。飼い主が老いた自分の姿をそのまま受け入れてくれたこと、自分自身を否定されることがないということに対する安堵の気持ちを表していたのではないかと、私には思えるのです。

勇君の体調は回復の一途というものではなく、一進一退を繰り返しているというのが本当のところです。日によっては後ろ足がどうしても立たない時もあります。やはり勇君は17歳の老犬には違いありません。この先、勇君がどんな状態になるのか、それは知る由もありませんが、今を神様が与えてくれたチャンスだと思って、勇君との日々を過ごしていくつもりです。

 

最後に  

あれはいつ頃だったのでしょうか?勇君が15歳になる前か、後か、よく覚えてはいません。今思うと、あれは痴呆の兆候だったのかと思うのです。痴呆とは行かないまでも、老いの顕著な兆候と言うべきものかもしれません。

お散歩を終えて家に戻ってくると、勇君が一軒手前の、よそのお家の庭に入ろうとしたのです。

私が住んでいる家は、8軒ほどの家が並んだ分譲住宅の一軒で、庭に入る門がみな同じように作られています。家を間違える、そんな事が何回かありました。この頃は、そんな勇君が愉快に思えて、あら、この子も年を取ったわね、といった印象を持っただけでした。

また、こんな事もありました。勇君は飼主以外の人間からの食餌を受け入れる事はなく、また落ちているものを食べるという事も全くない犬でした。やはり15歳くらいのときだったと思いますが、お散歩の途中、勇君が道端に落ちている食べ物、それが何だったのかよく分かりませんでしたが、それをいきなりパクリと口に入れてしまったのです。次第に勇君の体力の衰えが顕著になっていた頃で、この時には何というか、ちょっとしたショックを受けました。あら?変だな、という感じです。

あの頃にもっと深く、犬が老いを迎えるということに関して十分な勉強をしておけば、少しずつ老化していき、毎日の生活の中ではその変化をなかなか捉えられない老犬に、もっと上手に対応してやる事が出来たのではないかと思うのです。

ただ、高齢犬に関する情報はなかなか手に入るものではありません。高齢犬の様々な症例を詳しく紹介する文献も、一般の人がそう簡単に目にするところには無いようです。

確かに犬の痴呆という症例は少なく、そもそも痴呆に至るまで長生きする犬の数が少なかった訳ですから、その研究があまり行われていないことから、情報がほとんどないという現状は致し方のないことかもしれません。しかも痴呆は他の病気と違って、回復することの期待が持ちにくい、老いという生き物の受け容れざるを得ない運命であるとすれば、医療に頼って解決する類のものではないということも言えます。しかし、治せないならそれでもいい、けれど、高齢犬の症状に付いてもっと深く、当たり前のように知ることが出来たなら、例えば病院での指導、雑誌等のメディアによる情報提供が十分に行われていたなら、多くの飼い主さんたちが苦しんだ日々を変えていただろうと思わざるを得ません。

私は勇君に現れる様々な症状の一つ一つに驚かされ、困惑し、動揺しました。

この事は痴呆の愛犬を抱えた飼い主さんたちが皆、経験する事なのです。

私の場合、困って、困って、どうしようもないほどの毎日を過ごした後で、ようやくいくつかの情報に触れる事が出来たのですが、もし、前もって多くの情報を手に入れる事が出来ていたらと、今、強くそう思います。

そしてまた、犬を人に置き換えて考えてやる事がもっと早く出来たなら、と思います。

どんな動物でも、人でもそうでしょう、自分の体力が衰え、耳が聞こえなくなるなど、以前の自分と違う事に気付いたとき、どうしようもない不安を感じるのではないでしょうか。自信を無くし、心のバランスが崩れてくるというのは、動物にもあることなのではないかと今、私は思うのです。

犬を人と同じように語る事は、正しくないかもしれません。ただ、私の経験から、そう思わざるを得ないという事なのです。私が勇君の状態を自分の解釈で理解し、対応を変える事が勇君の回復を導いた一つの要因であると確信しているからです。

赤ちゃんの頃から見てきた勇君です、その愛犬に私自身がまだ経験していない老いと、あるいは死に対する恐怖や不安が巣食っているなんて、なかなか思いやってやる事が出来ませんでした。私がその事に気付いたのは、勇君の心のバランスが崩れ、私を悩ませる様々な症状が出て、このことに私自身、精神的にも肉体的にも疲れ切った日々の中でのことでした。

痴呆症の犬の介護を経験した事のある者なら、その介護の日々がどれほど飼い主の心と体をボロボロにしていくものかを知っています。そう、言ってみれば、毎日が地獄、あるいは戦場です。

ですから、それぞれの飼い主さんたちが愛犬のために出した答えならそれは正しい事なのだと私は思います。愛犬が痴呆になった、さてどうするかは個々の飼い主さんが決める事です。それぞれの状況、環境は様々です。けれども後々までも自分自身が後悔する事の無い選択をするためには、事前に多くの正しい知識、様々な症例、体験談を知って、納得の行くまで冷静に考える時間を十分に持つことが重要だと私は考えます。

ある飼い主さんは、医師に「治すということは出来ません。痴呆症なのです。薬を与えればおとなしくさせることは出来ますが、死期を早めることになります。」と説明され、痴呆の症状が出てから短期間の間に安楽死を選択しました。医療関係者はたいてい、痴呆の治療は困難で、それはお別れの準備であって、治すことなど出来ないものだと言うようです。事実であることは確かですが、それがすべてだと説明されてしまったら飼い主は絶望するしかありません。当事者ではない彼らの中には、愛犬が痴呆になってしまった飼い主に何をどう語れば良いかということまでは十分に勉強していない方もいるようです。実際にご自分の愛犬が痴呆症になった方、またこの問題に深く関心を持っている方は別として、多くの医療関係者は痴呆症になった愛犬の姿に飼い主がどれほどのショックを受けるか、それがどれほど飼い主の心を痛める事であるのかをなかなか察してくれないようです。単に病気になったという場合とは異なる、複雑な苦しみを私たちは経験するのです。長い年月をともに過ごした愛犬とそんな形で突然の別れを迎えたその方は、もう二度と犬は飼いたくないという思いを抱いていらっしゃいます。その心の傷は、簡単には消えないでしょう。

私自身、もうこれ以上勇君に苦しい思いをさせたくないという段階に来たときは、安楽死も考えねばならないのかもしれないと思っています。しかし、出来るなら少しでも長い時間、愛犬とともに過ごしたいのです。そのために、これからも勉強していかなくてはならないのだ、と思うのです。

私がこのお話を皆さんに聞いていただこうと思ったのは、私の体験を知っていただくことが皆さんの愛犬達が老いを迎えたときに、ほんの少しでもお役に立てるような情報の一つにでもなればと考えたからです。私の体験は痴呆の犬に対する介護とは・・という問題に対する答えになるものではありません。あくまでも、ある高齢犬、勇若号の身に起こった痴呆と思われる症状とそれが解消していくまでの一つの事例を挙げたに過ぎません。

痴呆の症状が出るワンちゃんはそれ程多くないのかもしれません。老いの形は様々です。でも、病気をすることなく、内臓の疾患もなく長生きをしていけば、どんな形であれ、愛犬達は老いていきます。前もって何らかの情報を得ていれば、その時が来たとき、私が重ねた失敗を皆さんはする事が無いでしょう。

また勇君のお話をさせていただける機会があれば、皆さんに聞いていただきたいと思います。

拙い文章を最後までお読みくださった皆様に感謝し、私を成長させてくれる愛犬達に感謝しながら、このお話を終えたいと思います。ありがとうございました。

皆様の声を集めてこのページをふくらませていきたいと思います。ご意見ご感想をお待ちしております。

1998年3月7日

参考URL(ホームページのアドレス)

電脳動物病院 Cyber Vet http://www.asahi-net.or.jp/~fi7r-okd/ryo1.htm

獣医師広報板 http://www.vets.ne.jp

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