
3月14日(土)
(さようなら Uno)
走行距離こそ短いものの8ヶ月間、我々の足となってくれた Unoとも別れる日がやって来た。4本しかないウインタータイヤ(フィンランドではスパイクタイヤのことです)の内1本がパンクし、3本のウインタータイヤと1本のサマータイヤで走ることになった冬期も、なんとか故障することもなく走ってくれた。暖かい秘密基地(地下駐車場)での宿泊が良かったのか、ヘルヴァンタのスキー場へと下る急坂でこけることもなく、零下15℃の屋外での駐車後にも再起動してくれた(勇気がなくて最長4時間くらいしか駐車しなかったが)。特に冬期は、ヘルヴァンタ外で行われるホッケーの試合や週末のスキー(といってもヘルヴァンタのスキ−場はアパートから4kmくらいしか離れていないが)の足となり活躍、3月に入ってからは、アパートからヘルヴァンタ郵便局まで、荷物の運び役として大任を果してくれた。とても84年製(考えてみれば14年前の製造で、私が就職後に始めて購入した日産マーチよりも年輩)の車とは思えない大活躍であった。
譲渡価格:1500マルッカ(約3万7千円、たぶん、購入後に修理/交換した部品の金額と同じくらい。これまで支払った自動車保険代よりかなり安い)はマウンテンバイク並みなるも、とにかく購入者が見つかり(年式が余りに古いので、通常の中古車販売店では相手にされず、一時はUnoを背負って帰国することまで覚悟した(とうのは冗談)のだが、最終的な購入者は個人の中古車仲介業者のようである。たぶん、お金を持たない学生諸君らを相手に、また8000マルッカくらいで転売するのであろう。何しろ、Unoは必要な修理を行い、エンジン始動に少々時間がかかる以外に、調子の悪いところがほとんどないのだから(リアワイパーが動かない、燃料ゲージが後半しか動かない、ウオッシャー液が出ない、後部座席の扉が一枚開かない等の細かい不具合はあっても愛嬌である)、滞在期間が残っているのであれば手放すことはなかったであろう。購入者は、もちろん、これらの状況を全部承知の上で、キルップトリで掘り出し物を見つけた買い物客のように喜んでくれた。)、春からはまた、新しい主人を乗せてフィンランドの大地を元気に走り回るのであろう。「いつまでも、お元気で」とつい口から溢れるが、少し、寂しい気分でもある。
(サルカニンニエミへ) (販売店に一人残る Uno)
(3月のフィンランド)
3月に入ってからは好天が続き、今まで遠い旅に出ていたお日さまが帰って来たような雰囲気である。夏のフィンランドも過ごしやすいが、私は、まだ良質の雪がたっぷり残り、白銀の世界が光で溢れる今の時期が一番美しいように思う。フィンランドを訪れるなら3月を薦めたい(4月のラップランドは、さらに良いかも知れないが)。この明るさで、まわりの人々も快活さを取り戻して来た。マラさんは、この春(もちろん、我々の帰国後)に行われるサンバ・カーニバルの準備に余念がない。日没時間は日に日に伸びており、この日も夕日はテ−ッカリン通りを越えて北側に回り込み、西の空に留まっている。アイスリンクの照明が点灯したのは、練習を終えた午後6時半すぎである。木曜日は智のアイスホッケーの(最後の)練習があった。チームメイトの集合写真を撮らせてもらったが、ヘルメットを取ると本当に可愛らしい少年達である。日本に連れて帰れば女の子で通用する子も2、3人ではない。プロテクターで身を固め、氷上の格闘技をめざす少年達とは思えない。
(明るい朝) (いつもの小道) (道路延長により開けた展望)
Uno と別れてから、帰国荷物は郵便局までソリで運ぶことになる。雪と氷の国ならではの運送手段といえよう。今まで、勇気がないからか、その必要がないからか避けていた、アハヴェニス湖横断に挑戦した。見れば、すでに氷の上に積もった雪を踏み固めた小道が何本も湖を横切っており、岸辺にはスキーのトラックができている。秋には、まだ固まらない氷を踏み割って溺れた人もいたという話も聞いたし、この湖は流入する地下水流の流れが強く、小さいわりには凍り難い湖だとも説明されていたが、これだけ日常的に使われている今なら大丈夫だろう。お日さまは帰って来たとはいえ、このところ夜は十数℃、昼でも5℃(もちろんマイナス)と気温は安定しており、スケートリンクの氷も固くしまっている。
(湖上の小道) (荷物はソリで運ぶ) (夕日はまだ空に)
(それからそれから)
我々のタンペレ滞在もあと数日、帰国予定の火曜日はタクシーを呼んで、大学経由でタンペレ/ピルッカラ空港へ向かい、ヘルシンキの街を再度見ることもなく日本へ向かう。春の気配は濃厚であるが、雪融けを待つことなくこの地を去ることになる。ヘルシンキ/ヴァンタ−空港は別にして、我々がフィンランドを、ましてや、ヴァンタ−空港から200km 弱離れたタンペレを再訪することは、まずないだろうと考えると、周りの風景が見なれた日常から異国のそれに変わる、寂しいような、しかしわくわくするような不思議な気分である。
現地からの「タンペレ通信」は、これでおしまい。以降は、帰国後の報告となろう。
(アハヴェニス湖)
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