
5月24日(日)
(遠い国)
帰国後、2ヶ月が過ぎた。タンペレ滞在は、他人事というか遠い昔のようで、とても2ヶ月前までの自分達のこととは思えない。帰国初日の夜は、(屋内が)寒くて布団の中でガタガタ震えながら眠ったのだが、その印象もとうに薄れた。時差ボケは軽かった。朝起きることは楽ではなかったが、もともと目覚まし時計がなければ起きられないのだから、同じことである。子供達は、元のクラスに復帰し、私も新学期の準備に忙殺された。新学期が始まると、職場での忙しさは完全な日本のペース、週日は子供達と顔を会さない日々が続く。
この2ヶ月、フィンランドが遠い国であることを再確認した。新聞紙上で探しても、フィンランドの文字にお目にかかることは無く、周囲の人々に話をするときは、フィンランドの位置から説明を始めなければならない。何しろ、ノルウエー、スウエーデンとの位置関係を正確に知っている人は、稀である。新聞紙上で、わずかに、北米ホッケーリーグのプレーオフが小さな記事になっている(テーム・セランネのマイティ・ダックスは出ていないが、セランネがMVPの候補三人の中にノミネートされたとあった)ことを見つけたのが、わずかに、回り回ってフィンランドとの唯一の接点だろうか。帰国後も語学テープを聴き続け、ようやく、フィンランド語の単語が少し引っかかるようになってきた感じがするのだが、果たして今後、生のフィンランド語を再び聞く機会があるのだろうか。
(アイス・ホッケー)
帰国後、家内が調べたところによると、愛知県内(名古屋)にも2、3の少年アイス・ホッケーチームがあり、小学生も練習をしているとのこと。5月9日には愛知青少年公園のスケートリンクで星ヶ丘 vs.名古屋サウスの親善試合があり、家族で見にいった。小学生のチームは4〜6年の混成チーム、3年生以下の低学年グループも試合の合間に、ゲーム形式の練習を行った。
名古屋サウスの練習場は笠寺の富士スポーツセンター、我が町からでは電車で1時間強、車では(渋滞のため)2時間近くかかる。どれだけ練習ができるか分からないし、いつまで続けられるか分からないが、チームに加えてもらうことにした。記念のつもりで、フィンランドから送ったホッケー用品を、再び使えるとは予想していなかった。
(フィンランドへの思い)
我々が10ヶ月を過ごしたフィンランドへの思いは、少々複雑である。当地で生活して日本より好ましいと思ったことも多くは、この地の特徴、すなわち、極地に近い北の辺境に位置する厳しい気象条件や、単純平均でも日本の1/20、山地の多い日本の地形を考慮すればたぶん2桁は少ない人口密度から来ていると考えられることが多いように思えるからである。例えば、多くの日本人がフィンランド人のライフスタイルをよしとして、湖畔(は無理でも田舎の)の小屋で週末を過ごすようなことを始めたとしよう。町から郊外に向かう道路という道路は毎週のように渋滞することは明らかであり、結局、週末を自然の中で何もせずに過ごす前に疲れ切ってしまうだろう。
しかし、日本の人口が今の分布のまま1/20になったとしたらどうだろう。東京は依然60万人を擁しヘルシンキに並ぶ大都市であるが、名古屋市は10万人とタンペレより小規模の、豊田、岡崎市は1万五千人の小さな町に、蒲郡は4千人の村になる。生活環境が一変するであろうことは容易に想像できる。全ての鉄道は採算が合わず、都電、新幹線を除いて廃止となり、東京ー名古屋間の鉄道輸送は、毎時間1本で所要時間3時間、都電は路面電車になる。豊田高専は学生数50名教員4名の規模では運営できず、全国の高専が3校に統合され、東京の書店(1軒のみ)まで出かけないと専門書を店頭で見ることはできなくなる。
現在の日本の多くの特徴は、経済的な豊かさを含めて、その膨大な人口(密度)を出発点としている。我々がフィンランド人とは別の理想や夢を持って進まなければならないことも、明らかであろう。個人的に、そのような日本を脱出することは可能であるが、日本の状態が変わるわけではない。
人口密度の低いフィンランドから見みると、日本の過密状態は、生き物(としての人間)が生活する環境として素敵だとは思えない。農家の庭で放し飼いにされている鶏が、日本の養鶏場の鶏を羨ましいと思わないのと同様である。たとえ、養鶏場が冷暖房完備で、高価な飼料を規則的にもらえるとしても。「都会のねずみと田舎のねずみ」の話は、田舎のねずみが田舎のすばらしさを実感して終わりとなるが、田舎から帰った都会のねずみは、どうしたのだろう。彼も都会を捨てて、田舎に移住しただろうか、それとも、都会に残って悪戦苦闘を再開したのだろうか。これから先は、どうも、自分で考えるしかなさそうである。
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