思い出編

・共学

中学の時、祖父の家で学校の話をしていると、
祖父「何だ今は中学は共学か」
祖母「やですよ、おじいさん今時当たり前じゃないですか。でもクラスは別でしょ。」

(クラスも同じです)(でも高校で共学なのに、クラスが別々の学校があった。今は完全な共学、女子校まで共学になっている。)

・へび

福島県のS市にて、家にへびが入って来た。母親はただ騒ぐだけだったが、ちょうど遊びに来ていた祖母が手でつかんで外に投げた。

(さすが満州引き揚げ者)

・こうもり

中学の裏が山だった。(というより山の中腹にあった)夕方暗くなると、鳥のようなものがたくさん飛んでいた。こうもりだった。

(でも京都でも家の前で見た)

・リンゴ

こどものころよくリンゴ狩りにいった。また近所にリンゴの木もあった。落ちたリンゴは食べていいと言われていた。だから、今はリンゴがあまり好きではない。

(食べ過ぎて飽きた)(馬も食べる)

・柿

柿の木は近所の家にあった。渋柿だが、いつももらって来て、焼酎で渋を抜いて食べていた。だから、甘柿があまり好きではない。

(だから焼酎は飲める)

・犬

小学校の時、犬を飼っていた。秋田犬とスピッツの雑種で、近所からもらってきた。黒色の牝で名前はクロだった。当然外で飼っていた。妻の実家も犬を飼っていた。血統書付きで室内で飼っていた。

(やっぱり犬にも寒い岩手県)(小型の室内犬だからと妻は言うが)

・我慢強い

子供の頃、風呂場には水道が無かった。水を入れる時はホースで台所からひいていた。しかし、入る時はホースは外れている。熱い時はタライで水をうめていた。面倒だった。

(だから熱い風呂でも我慢できた)

・トイレ

トイレは大小でわかれており、紙は黒チリと呼ばれるものだった。新聞紙を使っていた家もあった。また、電灯は暗く、時々かまどうまが出た。手を洗う水は少ししか出なかった。外では換気のための円筒があり、その先がクルクル回っていた。

(勿論汲み取り)

・習い事

私の母は、人口3万のド田舎から、200万の都会への引越しが決まったら、お茶とお花を習い始めた。

・校則

中学校の校則には、下校後外出する時は制帽を被ることになっていた。またマフラーは前で結ばないこととなっていた。どうやら首を絞められないようにらしい。
高校の時、下駄は学校指定のものを履くこととなっていた。高下駄は禁止、下駄で自転車に乗ることも禁止だった。でも下駄は雨の日に滑るし、片側だけ変に減るから好きではなかった。

(というより自転車に乗りづらかった)(だから禁止になっていた)

・スキー

子供の頃、父親が仕事を休んで仙台まで、スキーを買いにいった。

(田舎では売っているところがない。)(浜だったので雪があまり降らない)

・歯型

私の左胸、右腕には歯型が残っている。

(勿論、相手は馬である。)

・じゃんけん(じっけ)

福島県の浜通りのS市ではじゃんけんの掛け声は「じゃんけんほかほか、北海道」だった。あいこの場合、「北海道には熊が居る。」「熊がいるから、おっかない。」「おっかないからどうしよう。」に続く。
しかし、県北の福島市は「じっけった」と短い。

(距離はわずかに50km) (名古屋は、いんちゃん、ほい)

・中学浪人

福島県は昔、中学浪人が一番多い県だった。(今もそうかもしれない)
中学浪人とは中学卒業後、高校受験のため、予備校に通うこと。しかし大学受験では高校浪人とは言わない。むしろ大学浪人か?
ともかく、私の高校ではクラスに10人居た。これでも、県で一番多くはない。また浪人すると年齢制限で野球とか試合に二年までしか出れない。
浪人が多いということは、中学先輩、高校同級、大学後輩ということが、よくある。(高校は男子校)
大学2年の時、その1年生に私は敬語を使っていた。(先輩なのだから)でも、その彼の同級生の1年にタメ口聞かれる筋合いはなかった。(あんたは後輩)

・中学浪人2

たぶん、県で一番多い地区はいわき市だと思う。(ということは全国一?)
「B高、B女以外は人にあらず」と言われている。(両校とも公立、男子高校と女子高校)(私立の進学校が無いため公立を選ぶ)
話はまた福島市に戻るが、県が中学浪人対策もあったかどうか知らないが、公立高校を作った。(しかもそこそこの進学校にするつもりで)
その年の浪人は逆に増えた。

(安全策をとったつもりが)

・私は誰?

母は私のことを昔からちゃん付けで呼んでいた。中学位では結構恥ずかしかったが、そのうち慣れてしまい、どうでもよくなった。流石に結婚してからは、妻の手前、ちゃん付けではなく、さん付けで呼ぼうとした。しかし慣れないせいか、よく自分の弟(私の叔父)の名前と間違う。

(最初のひらがな1文字だけが同じ)

・入院

学生の頃の話、先輩が怪我をした。下宿で一人のため医者が、大変だから、ちょっと入院していきなさいと言った。怪我の部分以外は元気だし、食事は付いているし、大変居心地が良かったらしい。その上、保険も出て金銭的にも得をした。

(それ以来、ちょっとした怪我でもすぐ入院するようになった。)

・血だらまっかの部屋

学生の頃の話。部室に行くと、なかが血だらけだった。また猫が、雀でも捕まえたかと思ったが、ちょっと血が多かった。日誌に血文字で指がモゲタので病院に行きますと書いてあった

(挟まれて指が取れたらしい。それを病院に持っていったが付かなかった。)
(指がちょっと短くはなったが、爪はある。)

・手を挙げて横断歩道を渡りましょう(栗毛の牡馬)

ちょっと昔、川のそばに馬小屋があったので、川原でよく、馬を見た。ある時、いつものように、馬が草を食べていた。そして、子供たちが、回りを囲んでいた。ここまでは、普段と同じだが、馬のそばに、いつもの大人はいなかった。

(馬が一人で来たらしい。途中に車が通る舗装された道路があるが、ちゃんと左右を確認し、渡ったらしい。)
(今は馬小屋はなくなってしまった。)

・こんばんわ(黒鹿毛の馬)

こげ茶色の毛色を黒鹿毛(くろかげ)という。真っ黒な毛色は青毛だが、黒っぽくみえる馬のほとんどが黒鹿毛である。
ある夜、なにかの拍子で馬小屋から出た黒鹿毛の馬が居た。夜様子を見に来た人が、入口のところでヌボーと立っている馬とぶつかった。

(暗くて見えなかった)(逃げずに、ずっと居たらしい)

またある日の昼間、馬を放してある柵の出入口が開いていた。別の馬を小屋に戻して、開けたままだった。その黒鹿毛の馬は出入口のところで、じっと待っていた。

(人間に連れられなければ、帰れないらしい。)

・モヒカン(鹿毛の馬)

茶色の毛色は鹿毛(かげ)という。ある時、タテガミが伸びてきたので、短く切った。それはモヒカンだった。

(近所の子供たちには受けていた)

・馬車馬

競馬場には馬車を引くための馬が居た。グライスデール種とかいうデカイ馬だった。ある時、運動をさせるために、高校生が乗っていた。鞍をつける腹帯はギリギリだし、乗る時は、高い踏み台を使っていた。振動が大きく、動きは鈍く、非常に乗りにくそうだった。そして、コーナーに来ても曲がらない。

(柵にぶつかりそうになって止まった。)

・葦毛の馬

白い毛色は葦毛(あしげ)という。若いうちは、黒っぽい灰色で、歳とともに白くなる。葦毛の馬は小さい頃は、他の馬から、毛色が違うので仲間はずれにされ易い。だから、性格がおとなしいか荒々しいかの両極端に分かれるらしい。
競馬場にも葦毛の馬が二頭居た。レース開催時の誘導馬として使っていた。一頭は性格は暴れん坊の方だった。それでも、上手い人が乗ればなんとかなったが、もう一頭は普段はおとなしいのに、牝馬を見たら駄目だった。立ち上がって襲いかかろうと暴れてどうしようもなかった。無論、去勢はしていた。

(そして、しばらくの間、誘導馬が黒鹿毛になった。)(プロでも匙を投げた)

・合格発表

田舎では公立高校の合格発表は新聞の別刷りで入ってくる。写真も載るがこれは、たいてい女子校が写る。そして、次の日、新聞にクラスの同級生が写って居た。

(女子校なのに男子が3人も)

・桜散る

競馬場の近くの肉屋は競馬が開催されると、さくら肉ありますの貼り紙が出る。

(無論、競走馬ではない。サラブレットはおいしくない)

・僕たちの将来

私の出た高校は中学校と細い道を1本隔てただけだった。ただ、中学は山の中腹のため校舎までの距離はあった。(プール、校庭、校舎と3段になっている)大学もそこから、自転車ですぐのところだった。
(つまり、通学路が同じだった。)

ただ、高校3年の時、高校と大学の間に予備校が出来た。そして、大学は1年後に郊外(山の方に)移転が決まっていた。
(もし受験に失敗すれば、予備校はあるが、その先の大学が逃げていくことになる)

・組織票

高校の時の話。FM放送(田舎なのでNHKしかない)のローカルの時間帯にリクエスト番組があった。クラスに、そこに葉書を出しまくっている男が居た。たまには読まれるが、それでは満足できないらしく、周りに呼びかけ、組織票で自分の思った曲を上位にした。最初の頃はわりと普通の曲だったが、そのうち変わった曲へと向いていった。

(そして、三波春夫の「ちゃんちきおけさ」が1位になった。)
(後に彼はNHKに呼び出され、特別番組に出演した。その後ハガキを出さなくなった。)

・雨・・・

学生の頃、朝練があった。屋外なので、雨の日は中止になる。朝、外が雨なら、もう一度寝る事ができる。最初の内は外に出て、確認していたが、だんだん布団の中でも音だけで判断できるようになった。

(しまいには、雨の音がすれば、無意識の内に起きない様になった。)(でも、雪の日は練習を強行していた。)

・此処じゃない何処かへ(実家は)

北海道出身のある人が、久々に実家に帰ると、家は引っ越していた。

(本人は何も聞いていなかった。)(忘れられていた。)

・正露丸

学生の頃、試合で合宿した。当然、自炊だが、人数が少ないので、隣の県の大学と合同で行うことにした。隣の県なのにそこの大学の部員はほとんどが、うちの県出身で、高校の時から知っている。(一緒に練習した。)

ある日の食事でおかずを残す人が多かった。私はせっかく作ったものを残すなんてなんて、ぜいたくだと思いながら全部食べた。食事後、それを作った1年生(女子)に呼ばれ正露を渡された。

(材料が痛んでいると思ったが、他の大学の4年生(女子の主将)にまだ大丈夫と言われたらしい)
(4年生は神様だから、逆らえなかった。でも私も4年だった。)

・朝焼け

学生の頃、春の合宿での出来事。合宿といえば夜はコンパである。春なので花見コンパを公園でした。(もう葉桜だったが)酒は充分用意したつもりだが、足りなくなって追加した。その辺りから記憶が飛んでおり、なんか、新入生が一升瓶持っていたが、誰も無理に飲ませていないので大丈夫かと思っていた。それより、帰りに道路で寝ようとする人が居て大変だった。
合宿なので、朝練をする。次の朝の起こし係は私で、まず、新人の部屋をノックした。(狭いが個室)居ないので、もう起きて練習に出たか、さすが感心な新入生と思い、次々と起こしていった。最後は主将の部屋だった。勿論主将が寝坊するはずもなく、居なかった。なんか髪の毛が酒臭い、太陽が眩しいと思いながら、練習場に行くと二人は居なかった。

(夜、救急車で運ばれた。)(新入生は酒屋の息子だったのに。)(主将は病院に付き添いである。)

・ふらふら

学生の頃の話。春は花見、夏は花火、秋は芋煮会、冬は鍋で酒を飲む。秋の芋煮会は川原で豚肉と里芋と野菜を煮る。川原へはリヤカーに荷物(材料、鍋等)を積んで行く。昔は一升瓶のワインとかもあった。そして昼間の酒はよく酔う。帰りは必ずリヤカーに乗るものが出る。

(リヤカーも上級生優先だが、たいてい下級生が潰れて、上級生が引っ張っている。)

・冬の合宿

冬は新人戦にそなえて合宿する。朝、暗いうちから練習し、それから、大学へ行き授業を受けることが出来る。合宿なので、練習以外は夕食と寝るのは一緒だが、後は自由である。

(昼間は家で寝ていた)

・北海道日帰り

学生の頃、地区大会の打ち合わせで、札幌に行った。東北・北海道で北日本地区だった。(大学の数が少ない)打ち合わせは日曜日の昼間なので、土曜日の夜7時頃福島出発、新幹線で盛岡、東北本線に乗り換え、青森は12時頃着。青函連絡船で函館へ、札幌は朝着く。時間が空くので、名画館で映画を見てから、地下鉄で大学に行く。打ち合わせ終了後、当然、ジンギスカンでビールを飲む。夜8時過ぎには札幌を出て、月曜日の朝ようやく福島に着く。

(月曜日の朝練は休んでもよいことになっている)(出てもいいが、時間がギリギリである)

・駅弁

学生の頃、帯広から、函館に向かう汽車の中で、同じ駅弁を2回食べた事がある。

(朝出て、福島に帰ってきたのは、翌日の朝。)
(そしてそのまま大学へ行った。)(試験問題を発表するので。)

・ソファー

都会に住んでいた時、フローリングの部屋があったので、そこに応接セットを置いていた。田舎へ帰ってきて、家は狭くなったが、長いソファーだけは畳の部屋に置いてあった。そして、その部屋には食器棚、サイドボード、和ダンス、洋ダンス、TV、仏壇、三面鏡、クーラー(昔の縦形)、テーブル、カラーBOX他があった。さすがに狭いので、何年か後にソファーは余所へ持っていった。そして、その場所にはタンスが2本ある。

(今はクーラーがエアコンになったが、小さな食器棚、サイドボードが増えていた)
(どこで寝ている?)(隣の部屋はもっとすごい)

・お仕事

学生の頃、競馬場でバイトした事がある。補充要員の為、いろんな事をやった。その中に放馬止めがある。ゲートの後ろで、黄色いテープを持って馬が逃げないようにする。1日、せいぜい12回働いて、後はバスで待機という結構楽な仕事である。しかも後ろは毎回テープを広げるが、ゲート前の50m、200mはほとんど出番がない。ある時、馬が暴れてゲートを抜け出たことがあった。ようやく前の組の出番だったが、50mの組はテープがからまって、広げる事ができなかった。

(私ではありませんが、先輩です。)
(めったにない機会なのだから、ちゃんと仕事しましょう。)(馬は200mの組が止めた。)

・大晦日

大学は自宅から通っていた。だから、大晦日の夜は当然、部室に泊まった。そこで帰省しない部員たちで鍋をつつく。元旦は初練習だという事になっているが、誰も来ないし、自分たちは飲み過ぎて寝ている。そして、元旦からコンビニに食料を買いに行く。

(開いてて良かったである。)(当時は元旦はさすがに9時開店だった。)
(それが、3年続いた。)

・結婚式場にて

結婚式当日、家を一緒に出掛けた。(もう、籍は入っているし、一緒に暮らしていた。)また新郎は暇なので受付をしていた。

(久しぶりに会う恩師が、新郎が受付にいるのでびっくりしていた。)
(そして、式場のホテルはつぶれたが、夫婦はまだ別れていない。)

・大学受験

東京の大学を受ける時、高校の友人と同じホテルに泊まっていた。そして、何校も受けて、入学したのは二人とも同じ田舎の大学だった。

(東京での受験はほとんど無意味だった)

・学業に専念

学生の時の話。私の居た部(一応は運動部)は練習はきつくなく、上級生もやさしいが、拘束時間は長い。つまり休みがない。ある時、新入部員が辞めると言ってきた。理由は学業に専念したいからだという。そして、その後、彼は運動系の同好会に入った。

(そこは女子部員が多い。)
(そして同好会の責任者は私の友人なので、情報が全て入ってきた)
(彼は学業には専念できなかったようである。)

・必修科目

学生の時の話。専門の必修科目は1年から授業をとることが出来る。ある科目の授業にでると、3年生の先輩が居た。そして、試験の前に、5年生の先輩からノート貸してくれと言われた。そして、私は、翌年もまた、その授業を受ける事が出来た。

(その年の単位を取れた学生は1/4だった。)

・必修科目2

その科目(政治経済)の試験は1発勝負で、追試も無かった。次の年は前期、後期と2回試験があった。そして、前期の問題は「100円でポテトチップスは買えるが、ポテトチップスで100円が買えない理由を述べよ」だった。
そして、教授は前期試験の後、この試験は無かったことにしますと言った。

(ほとんど合格点に達しなかったらしい。)
(後期試験は簡単な問題にしてもらった。)(来年はもっと厳しい教授が担当するので)

・選択科目

学生の時の話。2〜3年は専門の講座別の選択科目の単位をとらなければならない。例えば経済史では日本経済史、西洋経済史のどちらかを選択するというように。しかし、現実には二つの科目が交互に開講されるため、選択の余地はない。

(まして、落としたら二度と取る事はできない。)

・合格発表

大学の合格発表はテレビが来る。そこで、胴上げの絵が欲しいというので、寮生を中心に集合がかかる。勿論上げる要員としてである。勿論、胴上げの練習はする。無論、テレビ局は知っているので、番組では流れない。

(しかし、新聞はその練習の方が載った。)

・すずめばちの巣

学生の時、部室にすずめばちの巣が出来た。慣れてしまえば、それ程恐くもなかったというより、触りたくもなかっただけだが。ある日、部室に行くと、先輩が「今日片付けるから」と言って、合羽にヘルメット、殺虫剤を持って巣に向かって行った。そして私の役目は、巣を取って燃やす事になった。

(無事済んだから、いいようなものの)(事前に準備をさせて下さい。)


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