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1999年 2000年 2001年 2002年
だから言ったじゃないか。「読むな!」というのに、警告を無視して読んだ人がいた。そして7日後に亡くなった。その断末魔の念の逆照射で僕まで原因不明の高熱が出て、5日間寝込んだ。5日間、床の中で祈り、神と対話し、やっとのことで死の淵から生還した。たわむれにあんな文章など書くもんじゃないと深刻に反省した。
悪い言葉、不吉な言葉、呪いの言葉は発してはダメなんですよ。その言葉は即、パワーになって実現する。又、自分に撥ね返ってくる。昔、祭壇に護摩を焚き、相手を呪詛して殺そうとした人は、その呪詛のエネルギーが自分にも撥ね返り、死んでいる。丑の刻参りをし、藁人形に釘を打つのも同じだ。呪いで相手が死ぬかもしれないが自分も死ぬ。
昔、日本人全員が〈呪詛〉を信じていた時は、その信じる気持ちが全国に充ちていて、呪いで人は簡単に殺せた。だから、呪い殺そうとした人間は殺人罪で捕まったのだ。当然の話だ。これからだって分からない。皆が信じるようになったら、日本は再び「恨みの念」で誰もが人を殺せるようになる。政府や警察もあわてて「呪詛防止法」を作るだろうし、民間IC企業も、「念波防止器」を必死になって開発するだろう。その念の基盤になるのは「言葉」だ。言葉が強くなったものが念だ。「念仏」とは仏を思い、信じることだ。言葉の力を信じ、強く思うこと。それが念だ。だから、いい言葉を発し、念ずべきだ。
二ール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』(サンマーク出版)の中でも、こんなことが書かれている。〈あなたがたの三つの要素は、実際には三つのエネルギーである。それを思考、言葉、行為と呼んでもいい。この三つがあわさって結果が生じる。 創造のプロセスは思考から始まる。考え、概念、ヴィジョンだ。あなたが生きているのにはすべて、かつて誰かの思考から始まっている。それ以外のものは存在しない。 つぎに言葉がくる。あなたが言うことはすべて、考えたことの表れである。言葉は創造につながり、創造のエネルギーを宇宙に放出する。言葉は思考より大きな衝撃を与えて宇宙をゆるがす(変化させ、改め、影響を及ぼす)。 つぎに行為がくる。行為は動いている言葉である。言葉は考えたことの表れである。考えるとは思いをかたちづくること、思いはエネルギーの集まりである。力は実在の要素である。要素は神の分子で、すべては成分であり、あらゆるものの実体である。 はじまりは神で、終わりは行為である。〉
確かに、「行為は動いている言葉」ですね。又、こうも言ってます。
〈あなたが世界で見るものはすべて、あなたの考えの結果だ〉
〈神は創造者だ。 あなたがたは三つが一体になった存在だ。その三つをどう呼んでもいい。父と子と聖霊でもいいし、精神と身体と愛でもいいし、超意識と意識と無意識でもいい。創造とはその三つの部分から生ずるプロセスである。言い換えれば、あなたがたの創造には三つの階段がある。創造の道具は思考・言葉・行為だ〉繰り返しになるかもしれないが、この三つについて、更にこう説明している。こっちの方が、より分かりやすい。
〈すべての創造は思考から始まる(「父から生じる」)。すべての創造はつぎに言葉になる。(「求めなさい、そうすれば与えられるだろう。話しなさい、そうすれば成就できるだろう」)。すべての創造は行為によって成就される(「言葉はひととなって、わたしたちの間に住まわれた」)〉
「創造の道具は思考・言葉、行為だ」というのは真実だ。当たっている。これを読んで世の中のことが全て分かった。…そう言ったんですよ、格闘家の須藤元気選手が。元気選手は今、最も注目されている格闘家だ。それで、『ゴング格闘技』でインタビューした。そしたら、のっけから、『神との対話』の話になった。僕は無知だから知らなかった。阿呆だったから、「精神世界の本なんて…」と馬鹿にしていた。「格闘家がそんな本を読んじゃいけないよ。危ないよ」と(心の中で)思った。
ところが読んでみたら、違ってた。これは、いわゆる宗教ではない。自分の「内在の神」との対話だ。もっとはっきり言えば、本物の自分との対話だ。そして、「強者の哲学」なのだ。だから強い人が読むと、確信をもって、とんどん強くなる。他の「精神世界オタク」の人達が読むのと元気選手が読むのとでは全然違うのだ。行為が大きく違ってくる。
須藤元気選手に話を聞きたいと思ったのには訳がある。彼は1999年にアメリカから「逆輸入レスラー」として日本のリングに登場した。パンクラスが初舞台だった。「アメリカから来た」というから、もしかして日系二世かと思ったら違う。東京生まれの日本人だった。それに「元気」も本名だった。小山ゆうの「がんばれ元気」という漫画があったよね。ボクシング漫画だ。お父さんが、あれが好きで「元気」という名前をつけた。小山ゆうは他に「おれは直角」という剣道漫画がある。最近では「あずみ」という女忍者の漫画がある。攫われ、忍者集団の中で厳しい訓練をされる女の子の物語だ。
北朝鮮に行った「よど号」グループの田中義三さんの娘も「あずみ」という名前だ。同じ環境ではないが、北のあずみさんはこの漫画に興味を持った。それで支援者が全巻そろえて送ってあげた。「うん、私と同じだ」と思ったのかどうか、ともかく熱心に読んでいたそうな。
そうだ。須藤元気さんの弟は「直角」という。妹は「あずみ」と言う。多分そうじゃないかなと思ったが、聞くのを忘れた。今度会った時に聞いてみよう。
元気選手の試合は実にスピーディだし、トリッキーだ。どんな技が飛び出すか分からない。華がある。パンクラスやK1ワールド・MAX…などに出ている。そしてUFCジャパン王者でもある。彼のファイトは実に小気味がいい。アメリカで練習し、「逆輸入レスラー」として日本のマットに上がる。これは彼が数年前から考えた戦略だった。99年、初めてパンクラスのリングに上がった時は、ド派手な入場パフォーマンスで観客の度肝を抜いた。「おっ、こいつは一体何だ!」と誰もが思った。そのトリッキーな動き、スピード、技の組立てに驚いた。そしてアッという間に勝った。
3年前の、このデビュー戦を振り返って、「あの時は勝負を賭けてました。奇襲で勝とうと思ってました。“桶狭間の戦い”でした」と言う。なるほど桶狭間か、と思った。歴史好きだし、勉強家なんだ。
高田馬場の「ルノアール」で何回か会ったことがある。いつも一人で、本を読んでいる。格闘家にしては珍しい。高田馬場だから、きっと正道会館に練習に行き、その帰りなのだろう。熱心に読んでいる。声をかけちゃいけないような雰囲気だ。
「この選手は他の人とは違う。勉強家だし、頭がいい。それに研究熱心だ。それが試合内容にも出ている」と僕は思った。会ってみて、その感を強くした。いや、はるかに思った以上だった。アランの「幸福論」をはじめ、哲学書は随分と読んでいるという。又、村上春樹と司馬遼太郎も好きで、ほとんど読んでるという。村上の『海辺のカフカ』は発売当日に買って読破したという。
「哲学とか精神世界の本も好きで、片っぱしから読んでます」と言う。「例えばどんなの?」と聞いたら、ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』が特にいいという。そして、人間の創造的エネルギーは「思考・言葉・行為」だ、というところに一番感銘を受けたという。
これは「心・技・体」と言い換えてもいいと思います、という。彼のファイト・スタイルというか、技の組立ても「思考・言葉・行為」となっているのだろう。研究熱心な彼のことだ。一日中、練習してるのかと思った。たまに本を読むことはあっても、そんなことばかりでは、プロの格闘家としてやっていけない。昔、ある相撲とりは、「本を読むと立ち会いが遅くなる」と言っていた。インテリになって、いろいろ考えると、相撲への集中力、ここ一番の力が出ないというのだ。ウーン、それはあるかもしれないな、と思った。
「一日のスケジュールはどうなってんの?練習づけで、あとはガツガツ食って、たっぷり眠るんですか」と聞いた。普通、格闘家だったら、そうしてる。でも彼は普通の格闘家ではない。僕は聞いたことを後悔した。そしてアッと驚いた。
元気選手は言ったのだ。「午前中は勉強です。午後は取材を受けたり、人と会ったりです。夜が練習です」。
ヒャー凄いと思った。「午前中は勉強」にはビックリした。早く起きて、家か図書館で本を読む。そしてメモをとる。又、自分の思ったことを書く。マハトマ・ガンジーや、マルチン・ルーサー・キング、石原莞爾なども好きでよく読んでいるという。僕なんかよりもずっと勉強家だ。〈物書き〉を商売にしてる人だって、こんなには勉強してない。これを読んでる君達だってそうだろう。一日を三つに分けて、その一つが勉強だなんて、そんな人はいない。それを毎日続けているのだ。
この話を聞きながら、「あっ、これはウォルシュだな」と思った。創造するエネルギーの「思考・言葉・行為」にピッタリ当てはまる。これを読んで一日三分割のスケジュールを考えたのかもしれない。いやいや、たまたま行なったことが〈神〉の意志に合致したのだろう。
午前中は本を読んだり、メモをとったりするという。これはウォルシュのいう「思考」だ。哲学や歴史物を読んでいる時に、自分が格闘家としてやろうとしてることが分かる。又、新しい技のヒントも浮かぶかもしれない。ともかく、そんなことを思索し、哲学する。
午後は人に会って、それを「言葉」にする。言葉にすることによって、考えはより確実なものになる。夜は「行為」だ。「思考」し、「言葉」にしたものを練習の中で出す。こんな技はどうだ、これはどうだと体が動いて証明する。
「思い出した。実は、西田幾多郎も同じような“一日三分割”のスケジュールで生活してたんですよ」と僕は元気選手に教えてあげた。西田幾多郎。(1870〜1945)哲学者。石川県生まれ。京大教授。西洋哲学の伝統と対決しつつ、禅などの東洋思想を統合、これを「場所」「絶対無」「絶対矛盾的自己同一」などの理論で表現する宗教的色彩の強い思弁哲学を説いた。著「善の研究」「思索と体験」など。(三省堂『辞林21』より)
僕らの大学の頃は思想全集が随分と刊行されていて、西田の本も何冊か読んだ。その中で、誰かが解説していた。西田は一日中、ほとんど家にいて〈哲学〉していた。今の哲学者のように、呼ばれて、ちゃらちゃらと出かけていき講演したり、テレビに出たりしない。哲学者なんだからまじめに哲学する。午前中は思索、午後は読書、夜は執筆だ。これも驚いた。一日を三つに分けて哲学し、それを毎日続ける。ここにも驚いたが、午前中の〈思索〉には驚いた。僕らだって、たまには思索する。でも、それは本を読んでいて、ふっと考えるとか。人の話を聞いて、あるいは映画を見て考えつくとか。ともかく、何かを媒体として思索している。午前中一杯、つまり6時間位、丸々、純粋に思索するなんてとても考えられない。僕らが真似したら、30分だって出来ない。すぐ眠ってしまうだろう。ともかく、読書、執筆とは別に、純粋な〈思索〉の時間があったのでビックリしたのだ。
そして今、これを思い出しながら、あっ、これもウォルシュの言う「思考・言葉・行為」だな、と思った。偉い人というのは、自然に神の意志に沿った生活をしてるんだ。おいらも学ぼう。 元気さんと話していると、まるで大学の先生に話を聞いてるようだ。哲学、歴史だけではない。僕の〈本業〉のナショナリズム論についても教えられた。
「あの映画に出てから、急にナショナリズムについて考えるようになったんです」と言う。「あの映画」とは今、大ヒット上映中の映画「兇気の桜」だ。三人の右翼青年のお話だ。「同期の桜」をパロって「兇気の桜」だ。なかなか、シリアスで思想的な映画だ。三人は右翼団体「ニュー・トウジョー」をつくり、渋谷で暴れ回る。その〈兇気〉を描いている。窪塚洋介、RIKIYA、そして元気さん。この三人が主演だ。
「楯の会」を思わせるような白い格好いい制服で暴れ回る。元気さんは、ラストで、二人と別れ暴力団系右翼に入り、そこで右翼の戦闘服を着る。それも又、似合っている。「お前らも右翼だろう」と言われ、「違うっす。自分らはナショナリストっす」と言うシーンなんかがある。新右翼的だ。
元気さんにインタビューしてる時、「一水会はどんなことをやってんですか。興味ありますね」と逆取材された。それで、いろいろ説明してあげた。たまたま、『ダカーポ』を持っていたので、あげた。〈右翼特集〉の載ってる号だ。一水会の入会試験問題も出ている。かなり難解だ。「でも元気さんなら合格できますよ」と言ってやった。
「なぜ、ナショナリズムは暴走するのか。なぜ戦争はなくならないのか考えたんですよ」と元気さんは言う。「格闘家が思い悩むのは変でしょうが、気になって仕方なかったんです」。まじめな人なんだ。そして、去年の9月11日のアメリカの同時多発テロの時はショックを受けたという。「かわいそうだ」「何とひどいことか」と思った。でも、それだけではない。格闘家であることが虚しくなった。恥ずかしくなった。こんな世界の悲劇・危機に対して何も出来ない。いや、争いや、憎しみの心を助長しているのではないか。そんな自虐的な気分になった。
知らない人間と闘い、血を流し、人々の〈闘争心〉〈憎悪〉に火をつけているのではないか。こんな罪作りなことを自分達、格闘家はやっているのではないか。そう考えて悩んだという。
そして、「格闘家をやめよう!」と本当に思ったという。エッと驚いた。そんなことを考えて悩んでる格闘家なんていないよ。まるでこれじゃ宗教家じゃないか、聖人じゃないか。実際、ウォルシュやキング牧師、ガンジーの本をむさぼり読んだ。そして今は、何とか、心の平安を得た。ルールのある闘いをし、人々に見てもらう。このことにより、人々の闘争心や憎悪の心も発散し、昇華させることが出来る。いや、出来るかもしれない。そう思った。
又、この現実を逃げて、格闘家をやめて、「争いはやめなさい」と言っても、「弱者の説教」になってしまう。誰も聞いてくれない。発言の場もない。だから、リングの上では勝ちつづけ、そこから「世界平和」を訴える。他国のことを考えないからナショナリズムは暴走するのだ、と言う。
だから、試合の後には、リング上から「We are all one(世界は一つ)」という横幕を掲げてアピールしている。あっあれがそうなのかと分かった。試合のあとに確かにやっている。でも、「闘魂」とか「大和魂」なんて書いたTシャツを観客席に投げ入れるのと同じパフォーマンスかと思っていた。違うんだ。こんな深い思想的意味があったのだ。
「マハトマ・ガンジーはこう言ってるんですよ」と元気さんは教えてくれた。〈勇気のない奴は、やられてもそのままだ。勇気の少しある奴は、やられたらやり返す。本当に勇気のある奴はやられてもやり返さないで、しかも屈しない。そして、相手に非を認めさせる〉
なるほどと思った。なるほどと思うのは元気さんが言うからだ。「強い格闘家」が言うから説得力がある。弱っちい、その辺のオタクがいっても何の説得力もない。「格闘家だから発言を聞いてくれる」のだ。それは元気選手が一番よく知っていることだ。彼は、「世界平和のために闘っている」。いやもっと別の表現をすれば、「闘いをなくすために闘っている」。
石原莞爾かもしれないな、彼は、と思った。石原は満州事変を引き起こした軍人だ。
石原莞爾(いしはら・かんじ)。1889〜1949。山形県生まれ。関東軍参謀として満州事変を引き起こし、満州国創設を推進したが、のち、東条英機と対立し、1941年(昭和16)予備役。東亜連盟の指導者。(『辞林21』より)
彼は軍人であると共に、熱烈な日蓮宗の信者だった。「国柱会」という過激な教団の信者だった。ここには詩人・作家の宮沢賢治もいた。軍人としての石原は戦争のプロだ。宗教者としての石原は戦争をやめさせ、戦争のない社会を来たらせようとする。自らが矛盾的な存在だ。それを彼は「戦争による戦争の絶滅」「世界最終戦」という形でアウフヘーベン(止揚)する。すなわち、戦争のない絶対平和の世界をつくる。そのための最後の戦争をやる。それが〈世界最終戦〉だ。著書には『世界最終戦論』『国際政治学』などがある。元気選手の試みも、これと似ていると思った。
元気選手に話を聞いたのは渋谷センター街にある「ルノアール」だった。彼は「昆布茶(おかき付き)570円」を注文した。(つう)だ。さすが、ルノアーラーだ。ルノアーラー、ルノアーリストは皆、この「昆布茶」を注文する。頭脳を刺激し、思索するには最もいい飲物だからだ。(ファルコン注:ルノアール以外で昆布茶扱ってるところってないですもんねー)
「そういえば、この前、馬場のルノアールで読書してたけど、あれは何の本だったの?」と聞いた。あの時は、邪魔になると思い、聞かなかったのだ。
「あっ、司馬遼太郎の『世に棲む日日』です。吉田松陰と高杉晋作の話ですが、本当にいいですね。こんな凄い日本人がいたのかと思うと誇りです。それに、松陰や高杉のような気迫をもってたら、今、何だってできる。そう思いますね。僕の格闘技をやる上での原動力ですよ」という。司馬遼太郎は全部読んでるという。その中でも、特に好きなのは『竜馬がゆく』と『世に棲む日日』だと言う。
竜馬はいいよね、と、しばし竜馬論に華がさいた。元気さんのインタビューは『ゴング格闘技』の03年1月号に載る。今月の23日に発売になる号だ。今は12月号が出ているが、そこでも何と「竜馬論」をやっている。空手の大道塾塾長の東孝さんに話を聞いたのだが、〈原点〉は『竜馬がゆく』で、何と5回も読み返したという。そして、高校時代には、「楯の会」に入りたくて三島由紀夫に手紙を出したという。じゃ、僕らと同じ運動をやってたかもしれない。ところが、「高校生はダメだ」と断られた。それで自衛隊に入り、そして早大に。自衛隊の時に、マンガ「空手バカ一代」に出会い、極真会館に入り、全日本で優勝、20年前に「大道塾」を設立。そして、投げ、寝技のある空手の試合「北斗旗」大会を主宰している。
だから、今出ている『ゴング格闘技』も見てほしいね。期せずして、12月号、1月号と2号続けて「竜馬論」になった。
竜馬といえば、「かわい気」のある若者で、誰からも愛されたと司馬は書いている。女性にも、もてた。東さんや元気さんも、きっとそうだろう。藤原紀香や小池栄子は格闘家との〈密会〉を写真週刊誌にスッパ抜かれてたな。藤原はシューティングの選手で、小池は坂田亘という総合格闘家だ。元気さんも、ぜひ巨乳女と浮き名を流してほしい。昔は、(お笑い)タレントが女にもてたが、今は格闘家だ。何なら、「小池栄子杯」とか、「釈由美子杯」「MEGUMI杯」「赤坂細子杯」あるいは「叶姉妹争奪戦」をやったらいい。優勝したら巨乳がもらえる。夢があっていいじゃないか。元気さんも巨乳獲得を目指して頑張ってほしい。We are all one だ。
いや、元気さんは「闘う聖人」だ。そんな俗っぽいことには興味がないのかもしれない。これは失礼なことを書いちゃった。じゃ、次回も竜馬論をやろうかな。
〈お知らせ〉「月刊TIMES」(12月号)の巻頭で30枚(8ページ)の論文を書きました。「日航『よど号』グループによる拉致事件の真実」です。塩見さんの告発や、「よど号」グループの反論などで激論が闘わされておりますが、ここでは僕なりの見方、推論を書いてみました。「TIMES」は大きな書店にはありますが、ない時は本社03(5269)8461に。定価530円です。