邦男さんの実兄「K1氏」登場!


−母親から見ると、ボクは“召し使い”、 邦男は“王子様”ですね。

 「休業中やろ!」とのそしりにもめげず、邦男さんのお兄様(!)の独占インタビューを敢行した赤坂です。いやー、某AERAの「現代の肖像」もびっくりって感じですね。受験勉強のよい息抜きになりました。
 ま、能書きはともかくご覧くださいませ。

−まずは、自己紹介をお願いします。

 塔島ひろみ著「鈴木の人」(洋泉社、1500円)の中で、「鈴木座談会」に出席した鈴木邦男が、なんと!
「兄貴は鈴木○○っていうんですよ、名前じゃないですょ、そうなると。可哀想に」と言っています。

 バッカヤロー!

(いきなりの逆ギレにびびる赤坂。お兄様の本名を知りたい方はこの本をゲットしてください)
 
 ぼくの名前は、「K1かんちゃん」です。
 ぼくは、(400年前の伊達正宗と同じように)山形県米沢市の生まれですぐに仙台へ来ました。
 おやじは税務官僚で、“高等小学校卒”でしたが国税局やあちこちの税務署長をやっていて、“法人税の鬼”と、怖れられていたそうです。

 −おおお、法人税の鬼・・・。おうちでも正座をくずさなかったというお父様ですね。

 そのため、ぼくは社会人になるまで転校につぐ転校...が十数回。 転校先では、なぜか、成績がよかったので、おきまりの“いじめ”にあい、いつも悪ガキと大喧嘩になり、なんとか勝ちすすみました。
 学校を出てからは、技術系ビジネスマンとして、マジメひとすじに日本の経済的繁栄のため、ひたすら働いてきました。日本人が、今やゼイタクに暮らせるのはぼくのせいかも知れないと、悩んでいます。

−お悩みにならなくても^^;
 でも、お兄様のような”企業戦士”が日本の高度成長を支えてこられたのは事実ですよね。お兄様たちが身を粉にして働いている間、火炎瓶投げてた方もいらしゃると。人生いろいろですね。
 外見は似てらっしゃいますか? 性格は似てらっしゃらない気がしますが^^;

 う〜ん。 ぼくは長兄のK1、邦男はK2、末弟はK3。頭文字がみんなKなんです。邦男とK3は、二歳違いでダンゴ。 ぼくは邦男より八歳上なので大分違うと思うけどね。算数の問題みたいだな...。
 外見...?  最近邦男がぼくに似てきたよ! と言われて、ショック。
 ぼくは、父親似でややハナすじ通った(元)イイ男。
 邦男は、母親似でドングリ鼻だが、女にもてるヒドイ男。
 性格...?  ぼくは、あんなにズボラじゃありませんよ。 でも、あんなに沢山、物は書けないな〜。
 でも日本の経済に関しては、ぼくの方が数段上の“論客”ですよ。レベルがちがう! と、力んでもみても意味ないか?

−生活を考えれば、経済のほうがいいですよね、ナショナリズムより。いろいろですねえ(こればっか)。
 お兄様と邦男さんの親族の中での位置付けは?

ぼくは、実直なビジネスマン。
邦男は、ふまじめなワガママン。

 ●いい歳しても〜う!

−お兄様やお母様は邦男さんのことをどう思っていらっしゃいますか?

 母親から見ると、ぼくは“召し使い”、 邦男は“王子様”ですね。
 邦男が年に1回帰仙する時は、母に命じられてぼくが「邦男の部屋」の大掃除をさせられます。ぼくも、妻も、親戚もみ〜んな、

“ いつまで一人で、勝手きままに遊んでいるんだ! いい歳しても〜う...”と、叫んでいます。

 「 実は、この人が彼女です。 この子は僕の子供です...」とか言ってく るのを待っています。

−「2000年代には結婚したい」とおっしゃってましたよ。
 早くその日が来るといいですね。今後、邦男さんにどうしてほしいですか?

 仙台の家には店が空いているので、そこで古本屋でもやったら?
 家の中には、ぎょうさん本があるし、しばらくは仕入れもする必要がないし...。床が抜けないように、ぼくが見張ってます。30年も「大右翼」をやっているんだから、金もたまっていると思ったら、ナニ? 借金だって。 冗談じゃない! 
 歳も歳だし、早く「元右翼」だぞ!と脅かして、老後のための資金を集めろよ。もし集まらないときは、とりまきの皆さん、責任を持って面倒を見て下さい。オネガイです。
 涙が出てきそうだ...。
 最近のハヤリを考えれば、「suzuki.com(スズキ ドット コム) 」を設立して、「言論の場」のレンタル業を始めたら...?

−あ、それ邦男さんには何のことかわからないと思います(苦笑)。
 お兄様と邦男さんはどんなコドモだったんでしょうか?

 ぼくは、“皇国少年”...だった。
 福島県に住んでいて、毎日のように米軍機からの爆撃。小学生でも、鉄カブトにゲートル姿での通学途中、米艦載機からの機銃掃射も受けた。
 時々、日本刀を振り回してストレス発散。 近くにいた叔父は、爆死。実戦経験のない自衛隊よりも、弾の下をくぐった。
 その頃(昭和18年)に生まれたのが、邦男。
 家の周りの塀に、「こちらには妊産婦がいるので、静かにして下さい。」と、貼り紙。 それでも家の前では、「竹槍主婦連」が小声で、エィエィと、人間串刺しの訓練。
 邦男は、たしかタケノコが嫌いなはずだが....。

 えっ? 邦男のドコモ...じゃなくて、コドモの頃? う〜ん、あまり記憶に残るものがないが、ひねくれたところもなく、いつもニコニコ(ニヤニヤ)して、よだれをたらしていたかな...?

 ●家出も邦男と一緒だった・・・

−いつもニヤニヤ…なんとなく想像つきますねー(苦笑)。
 少年時代の「これだけは忘れられない家庭内の事件」とかあります?

  
 ぼくは、いつも邦男とK3の養育係で忙しかった。
 ぼくが10歳の頃、母と喧嘩?して、雪の日に“家出”をしたが、その時もぼくの背中には邦男がのっかっていた。
 なんでオレの家出にまで、こいつが一緒なんだ...と、涙が出た。
 邦男! 兄貴の恩は、地球よりも重いんだぞ!!

−恩って・・・いうんですか、そういうの(段々図々しくなってくる赤坂)。
 ところで弟さんが「容疑者」になったと知ったとき、どう思いましたか?

 えっ、そんな事があったんですか?
 やはり、三億円事件ですか? もしそうなら家捜しをしなきゃ....。
 前にも言いましたが、ぼくはひたすら国民の繁栄のために、日米を股にかけて働いていたので、邦男の事などにかまっている暇は無く、殆ど何も知りませんでした。 
 でも、お巡りさん達が親戚中を訪問していたとか、ご苦労様ですね。
 いろいろあったようで、父は寿命が10年縮まったと言って、88歳でなくなりました。

−それって大往生ではないんですか(笑い)?
 邦男さんがマジメにやってたら、東北のきんさんだったんでせうか?
 ・・・では最後の質問です。
  邦男さんは「ある縁でサンケイに入社した」そうですが、「ある縁」とは?

 伝聞によれば....
 邦男が、早稲田の大学院生の頃、過激派右翼をやっていて(もとはと言えば、その気にさせた)生長の家本部から追放されて、都落ちをし(がらにもなく)ある画廊に勤めて、東北中に絵を配達していました。
 その時在仙で、生長の家のある“正義派”大先生が、「それはないんじゃないの。あれだけ、日本国や生長の家のために頑張ってきた奴を見殺しにするのか!」と、本部にねじこみました。
 それで、当時生長の家から自民党の国会議員になった方のお世話もあり、産経新聞社に入ったようです。

 実は親からせかされて、ぼくの勤務していた会社の社長に頼んで、系列のテレビ会社への就職も内諾をとっていたが、本人からふられてしまいました。
 もし...、入っていれば某テレビ会社の副社長になって、大金持ちになっていたかも知れないのに...!

−でもやっぱり、一水会作ったんじゃないんでせうか?
 お忙しいところ、ありがとうございました。