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がんばるな!?新左翼 2. 後世に遺そう「新左翼」文化
乃木坂うづき
前回は革労協の内ゲバについて書いた。「革労協」といっても、左翼運動に関心のない方には、中核、革マル、赤軍に比べれば、イマイチ知名度が低いかも知れない。
正式名称は、社会党社会主義青年同盟解放派=革命的労働者協会という。左翼業界では、「革労協」よりは「解放派」や「青解(アオカイ)」の方が通りがいい。敵対する革マルは「青虫」という蔑称を使っている。
他のセクトが、共産党から分裂したり(共産同、構造改革派、日共分派)、元共産党員が創設(革共同)したように、主に共産党を出自としているから、社会党を出身母体としている点が異質である。もっとも、革共同や共産同の一部が、社会党への加入戦術をとった結果成立した党派であるから、純粋に社会党生え抜きで構成されているわけではない。トレードマークは青ヘル(赤ヘルだった時期もあるが)である。
結成当初は、その出自から社民的色合いを残していた。レーニン主義ではなく、ローザ・ルクセンブルク主義を理論的基盤としていて、他党派から「ド社民」と揶揄されることもあった。
そんな同派が、いまや最過激派に位置されるまでになってしまったのである。他にも「過激派」と呼ばれる組織は数々ある。中核派もゲリラ活動は今も行っているが、散発的であるし、署名運動や選挙活動に軸足を置いた大衆路線に傾いている。革マル派はもともと組織温存を最重要課題にしているので、警察無線の傍受はしても、派手な対権力闘争はやらない。第四インターは女性問題その他で四分五裂した。かつて皇居へロケット弾を発射した戦旗共産同は、「パラダイム・チェンジ」の号令の下、「BUND」と改称して市民サークル風になってしまった。つまり革労協だけが突出する形で残ってしまったのである。 ただ最過激派になった原因はそれだけではないと思われる。
77年2月11日に最高指導者の笠原正義が革マル派に殺害された。トップを失って以降、81年の「労対派」との分裂に続き、永井派や関西グループとの内紛を繰り返してゆく。人数は先細りするものの、より先鋭化していくのである。 分裂に分裂を重ねる内に、武闘派的な部分が濃縮されて臨界状態になったのだろう。そしてついに去年、狭間嘉明の現代者グループと山田茂樹の赤砦社グループに分裂したのである。 かつては中核・革マルに次ぐ大勢力を誇った時期もあった。活動家は数千人を数えていただろう。それが最近行われた集会では、両派とも主催者発表でさえ、百数十人足らずになっていた。だが勢力の凋落とは裏腹に、凄惨な抗争は激化している。かつて赤軍派が大菩薩峠での大量逮捕の後に、追いつめられ一層過激化したことを想起させられる。
ただし、あの頃の赤軍派は皆若かった。北朝鮮へアラブへと飛び立ち、連合赤軍を結成して銃撃戦もできた。だが今の革労協は違う。おっさんおばさんばかりである。中には若者もいるが、主力は団塊の世代である。明治大学を拠点に構えてはいるが、20歳前後の学生がいったい何人いるだろうか。いい歳こいた活動家を入学させたり、生協職員を動員して、員数合わせをしているのは間違い無いと思われる。除籍されるまでおよそ8年間を大学で過ごし、また別の大学に再入学し、それを繰り返している人間もいるだろう。そのたび、出身高校に内申書をとりにいって呆れられているのだろうか。もう死ぬまで学生やってなさい。
前回に書いた内ゲバとみられる刺殺事件でも、死亡したのは50代、重傷を負った女性は40代、刺した犯人も50代くらいだと報道されていた。「東洋経済」という経済誌に、中核派から48歳で年寄り扱いを受けて追い出され、一念発起して医大に入り現在研修医になった人の記事が載っていたが、いまとなれば48歳なら新左翼ではまだ若い方である。新人が入ってこないから、30代40代になっても下級活動家の地位にとどまったままになる。ずっと「笑点」で座布団運びをやっている山田くんのようなもんだ。
もうおっさんおばさんにハードな活動を強いるのは酷ではないか。といっても、このまま消滅してしまうのでは、ギャラリーとしてはつまらない。せっかく築いた「新左翼文化」ではないか。世界に名を轟かせた"ZENGAKUREN"である。ロバート・ケネディの葬儀に、アメリカ人学生が例のゲバスタイルで登場したこともあるのだ。世界遺産に指定してもいいだろう。ヘルメットにマスク、あの「形」だけでも伝統芸として遺しておきたいものである。1 2 3 4