11月29日号

無責任連載 市民運動家通信その4   
                <国民・住民投票を活かす会>青山敬子

米軍基地問題はまず安保を問うべき

 ご承知のように米軍の普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題でまたまた名護市が移設先候補に浮上してきました。一昨年の住民投票で基地はいらない! と決めたばっかりなのに・・・。
 というわけで、昨年12月の討論会の模様をお伝えするつもりでしたが、急遽、「なぜ安保を国民投票にかけるのか」を基本的なところから主張したいと思います。
 関係ないけど、11月にK−1のアンディ・フグさんがトレーニングに来てた豊見城村(とみぐすくそん)も宜野湾に近いです。親しみわいた?

 近年、住民投票が注目を集めてます。
1995年以降だけでも新潟県巻町にはじまり、全国9カ所で実施されており、各地で実施を求める運動は当会で把握しているだけでも40件近いです。
 住民投票は、各自治体で個別の課題について地域住民の意思を問うもので、地方分権を進めるうえで重要な手法といえます(ただし、これまでは残念ながら定住外国人は排除されてきたので、厳密には「地域住民」とはいえないのですが)。
 住民投票を経験した地域の人々の多くは、案件について真剣に考え、議論する機会をもてたことが大きな利益になったと話しています。
 実施された住民投票のほとんどが、産廃処分場や原発など迷惑施設の建設の是非をテーマにしてたわけですが、なぜ、その施設が不要なのか、あるいは必要なのか、不要ならば、どうすればよいのかということを、住民が勉強し、議論することで大きく変わっていったそうです。

 けれども、米軍基地問題は、原発や産廃とは少し違います。
 国策という点では原発も同じですが、基地は沖縄と本土の一部に集中しており、本土の人々の関心も低いのではないでしょうか。
 これまで日本政府は、沖縄と本土の一部に基地の負担を押し付けてきました。 しかし、最も責任があるのは、現在の政府をつくり、基地と無関係に生活する多数派の「私たち」なのではないでしょうか。
 防衛という国の根幹に関わる問題を全国民で考えるために、日米安全保障条約を国民投票にかけることを提案したいと思います。

国民・住民投票は衆愚政治か

 「国民投票? ヒマなことやってるね」 ある有名な“左翼”の運動家にいわれたことがあります。
 「みんなで議論して投票すればいいじゃないですかぁ」「ムリムリ、そんなこと。これから反戦デモだけど、一緒に行く?」「…」
 東京でぬくぬくと暮らしてきた私は、安保も天皇制もあまり関係なかったんですが、20歳頃から出会った運動家たちにモロに影響を受け、反戦・反天皇制集会に行ったり、本を読んだりし始めて、一端のサヨク娘をきどってました。 スズキクニオなんか大嫌いでしたが、今はHPに投稿しちゃったりして、主体性があるような、ないような。でも、そういうヤバめの自分もちょっと好きですね。
 安保反対運動とかを約10年しか見ていなくて、偉そうなことはいえないんですけど、どの集会やデモに行ってもメンバーはほぼ同じ。最近はむしろ減っていたりするんですよ。高齢化は進んでるし。
 「わからない人はわからなくていい。自分たちだけでやる」という内輪受けを感じることがよくありましたね。運動として広げていくには、やはり全国民に問いかけるべきではないかと生意気にも思ってました。
 国民投票運動をヒマなことだといった運動家が特に悪い例というわけではなく、全国民に問うのはまずいという人は多いです。
 また、一昨年の久間章生防衛庁長官(当時)の発言を例に出すまでもなく、住民投票(おそらく国民投票も)は間接民主主義を否定し、衆愚政治へと導くものだとする考えも根強いです。
 でも、そうでしょうか。
 本来、民主主義とは、議会ではなく市民一人一人のためのものです。現在の間接民主主義は、効率に配慮した次善策であり、直接民主主義が大原則ですよね。国や地域の未来にかかわる大事な案件については改めて民意を問うことで、間接民主主義が補強されると思います。
 また、国民・住民投票は世界各地で行われており、諸外国に比べて日本に住む人が特に衆愚であるとか、劣っているということもないですよね。右翼の人もそういいますよね、きっと。
 もっとも、「国会がだめだから国民投票を」というような議論では多くの人の賛同は得られないとは思います。
 住民投票や国民投票を行なおうという場合、「負けたらどうするのか」が必ず問題になります。これは、案件に反対の人も賛成の人も同じです。
 しかし、「負けない」ように努力することは必要ですが、住民(国民)投票実施の意義は、投票する=選択するために、情報を収集し、多くの人が議論をすることだと思います。
 安保の是非を職場や学校で議論したことのある人は、どのくらいいらっしゃいますでしょうか。
 安保が必要だと思う人と、不要だと思う人が、真剣に話し合う機会があったでしょうか。また、どれほどの人が米軍基地を抱える町の被害を知っているのだろうか。
 無関心こそ、衆愚政治を生み出す土壌です。