「地方自治法に基づいて、大 宮市の独立は可能」

旧大宮市の分離独立を実現するための法的手続きについて
さいたま市議会で政策局長が説明しました

大宮と与野、浦和が合併し、さいたま市が成立しましたが、一緒に合併するはずだった上尾、伊奈は加わらず、新都心への市役所建設は立ち消えとなり、開発予 算や公共施設などは浦和に集中し、病院や保健所までも次々と浦和の方へ移されて、かつて「県下最大の商業都市」と呼ばれた大宮は、あたかも浦和の植民地と 化してしまいました。「合併前の大宮市に戻してほしい」という住民の声も少なくありません。

そこで私は07年12月11日の一般質問でこの問題を取り上げたところ、小林政策局長は「地方自治法の規定に基づいて、旧大宮市の分離は可能」と発表しまし た。

大宮だけで住民投票を行い、市議会と県議会の 承認で独立は可能

一般質問の冒頭で、私はまず「なぜ大宮のいいところを浦和が取り上げるのか。もし病院がなくなったら、浦和の方なんかへ行くことはできない。こ れからどうなるか心配。大宮が浦和から抜け出せたらいいのですが…」という植竹団地の方からの手紙と、「現在のさいたま市政に不満というより怒りを感じて います。さいたま市解体の運動を起こしたらどうでしょう。地名がなくなった不満、区名への不満、浦和中心への不満、不満が渦巻いています」という深作の方 から届いた手紙を紹介しました。

続いて「お隣、上尾市長に『大宮は真っ暗やみだ』と言わしめた現在の市政のもとで、大宮住民の間では『もとに戻そう大宮市!』という声が、星火燎原のごとく広がりつつあり ます」と前置きし、具体的な質問に入りました。

吉田一郎 旧大宮市が分離独立することは法的に可 能か。もし可能ならば、分離独立の法的手続きはどのようなものか?

小林政策局長 地方自治法では、第7条で市町村の 廃置分合が規定されており、市町村の合体、編入、分割、分離については、この規定に基づき行われる。
具体的な手続きとしては、分離について市議会の議決を経た後、知事にその旨を申請し、知事は申請に基づき、県議会の議決を経て総務大臣に届け出ることと なっている。

吉田一郎 戦後、市町村が分離独立した具体例は?

小林政策局長 主な事例としては、昭和24年に山 口県山口市から分離した小郡町、昭和25年に川口市から分離した鳩ヶ谷町、同じく昭和25年に神奈川県横須賀市から分離した逗子町、昭和26年に富山県高 岡市から分離した新湊町などがある。

吉田一郎 住民投票を実施して分離したケースはあ るのか。あるのなら、分離前の市町村全体で実施したのか、分離する一部の地域だけで実施したのか?

小林政策局長 川口市から分離した鳩ヶ谷町では、 鳩ヶ谷地区の住民を対象とした住民投票を実施した。

 
「大宮独立」を求める市民からの手紙の束を片手に質問す る亡命市役所代表(=吉田一郎)に対し、
旧大宮市の分離独立を実現するための法的手続きについて説明する小林政 策局長

こ ちらで示したように法的手続きでは、合併よりも分離のほうが容易です。実際に、市町村の合併に至るまでは何年間もの協議が必要ですが、分離した ケースでは多くが1年以内に手続きが完了しています。

また、3市が合併した後、合併特例債を使用しましたが、分離独立 したら返済する必要があるのかを岡田財政局長に問いただしたところ、「特段の定めもなく、総務省の見解も示されていない」との答弁でした。

さいたま市が07年6月に実施した市民意識調査によれば、市へのその他の要望で、「住民税が高い」に次ぐ第2位は「浦和重点の市政の改善を」でした。(08年6月に実施した市民意識調 査では、「住民税が高い」を上回って第1位に!)

しかし、3市合併時に合併協定書に明記された「新都心周辺への市役所建設」は事実上立ち消えになっています。2月議会では「協定書に盛り込まれ た市庁舎建設基金を創設しないのか」という自民党の代表質問(清水賢一氏)に対して、相川市長は「区役所の建て替えも含めた基金なら検討する」と逃げ、今 後もずっと浦和中心の市政運営を続ける姿勢を明確にしました。

また浦和の議員からは、「市職員に浦和方式遵守の研修を徹底すべき」という要求も出ました。

合併時の約束が反故にされた以上、私たちの街・大宮を守るためには、大宮市の復活も選択肢の1つです。

市町村の分離独立は、戦後全国で70ヵ所も

市町村の分離独立は、全国的に珍しくはありません。戦後に限っても、これまでに70ヵ所で市町村の分離が行われ、92の自治体が新たに成立し ました市が分離した例では、沖縄県美里村から石川市が独立した例があります(分離と同時に市制施行)。

戦後の市町村の分離独立は、多くが昭和20年代から30年代にかけてでした。当時は全国的に「昭和の大合併」が進められていましたが、国策によ る上からの押し付け合併に、住民の間で不満が広がり、分離独立へと至ったのです。

現在の「平成の大合併」でも、青森市と合併した旧浪岡町や、 安中市(群馬県)と合併した旧 松井田町では、分離独立の運動が起きています。

鳩ヶ谷は昭和15年に川口市と合併しました。これは川口を軍需産業の拠点として強化するための国策で、住民の意向はまったく無視でした。
 
そこで戦後、鳩ヶ谷独立を求める署名運動が起こり、有権者6704人のうち3655人が応じましたが、川口市議会は「無効な署名が多い」「時勢の推移に逆 行」と独立を拒否。しかし住民投票を実施したところ、56・9%が独立賛成と いう結果が出て、分離独立を認めざるを得なくなり、25年11月に鳩ヶ谷町(現在は市)が復活しました。公共資産の分割は、独立後に協議が行われ、1年半 後に県知事の立会いの下で調印に至りました。

また埼玉県では、昭和19年に4町村の合併で成立した志紀町が、分離派の町長が当選して23年に再び4分割され、志木町と宗岡村(現在の志木 市)、内間木村(朝霞市)、水谷村(富士見市)がそれぞれ独立するなど、戦後6個所で自治体の分離・分割がありました。




『吉田一郎市政レポート』
2008年2月特別号より


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