チャリダー

チャリダーの定義は何なのかはわからない。 ライダーというバイクでツーリングする者がいるが、それの自転車バージョンということだ。 チャリ+ライダー=チャリダーということである。 要するに自転車で旅をする者という意味であると思う。 ちなみにレーパン着たりしてレースをする人間はチャリダーではない。 あれは旅というカテゴリには入らずあくまでも自転車競技という枠内に該当する。 レーサー若しくはサイクリストという表現が適当であろう。

「チャリダーの行動力」 チャリダーの行動力はすごいと思う。それは旅に関する強い執着、意気込み。それは半端ではない。 普通だったらお金がかかるとか危険だとか労力がいるとか、ある一定の制約がかかってくるのだが チャリダーに関してはそういった事柄も好きだという気持ちで払拭される。 そういった中では仕事や勉強なども二の次である。 まず自転車旅行のことが念頭にあってその為に仕事、勉強はどうするか?である。 優先順位の何よりも上である。 夢に生きてロマンに生きるこれぞ人生。。現実は後からついてくる(?)

「記録よりも記憶」 チャリダーは自分なりの美学を重んじる。 この距離を何秒で走破したとか客観的な記録はない。自分で目標を立てて自分で達成して 自己満足する。これは人に賞賛されるようなものではないであろう。ただ人に褒められたくて やるわけでもないので別に良い。 ここでこういう出会いがあってこういうエピソードがあった。 それを自分の中のメモリーに残して置くのである。それがチャリダーの記録(記憶)になる。

「チャリダーの一人旅」 チャリダーは一人旅が多い。その理由としては自転車旅行そのものが周りに影響されることのない 自分自身の時間や美学を楽しむ意味あいが強い為だと思われる。 私の大学のサークルにチャリダーと呼べる人は少なからずいるものであるが、 殆どが合い解することはない。旅仲間でさえ自分の旅構成を犯される要因になるからだ。 意見が違うと必ず妥協が生まれる。妥協は自己想像を狂わす。 すべてを自分自身で作り上げたいチャリダーは相容れることが容易ではないのだ。 逆にチャリダーでない人間と旅をすることが出来るかといえばそうとも言えない。 非チャリダーは前述の行動力がない為、それを実行に移すことが難しい。 それ故にチャリダーは孤独になることが多い。 ただしその一人旅であることに寂しさを覚えることはない。 逆にこの見知らぬ土地にいる自分一人という開放感に酔いしれるのである。 チャリダーの本当の醍醐味は一人旅にあると思う。

「嫌われるチャリダー」 チャリダーという言葉を嫌っている人間もいる。 チャリという言葉はご存知のとおり自転車のことであるが、どうもママチャリ(シティサイクル) を連想させるようで、それを好ましく思わない人がいる。 恐らく自転車に強い愛着を持つ者でレーサーとかに多いのではないだろうか? チャリダーを好んで使っているのは、自転車そのものより旅が好きな人であると思う。 そこには自転車に対するプライドよりも自分に対するプライドが高いのではないだろうか。 チャリダーという自分自身に酔いしれているというか。 私もこの言葉はあまり他言はしないことにはしている。



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