灰野さん語録

このページは雑誌等に掲載された 灰野さんの数々の名言を集めたものです。

1993年4月26日「朝日新聞夕刊」(御提供はびわさん)

「百人の客がいたら、九十五人が『やめろ』というでしょう。
『人が殺されているという通報があった』と、演奏中に警官が飛び込んできたこともありました。
しかし百人のうち五人は、僕の音楽で幸せにしている確信がある」


五人というのは、いくらなんでも灰野さん、謙虚過ぎるのではないですか?
私は八人はいると確信している。(それ、変わんないよ)

「僕にとって、音楽にミストーンはない。どんな音も排除したくない。
全ての音を許したい。曲を守りたくないから、同じ演奏は二度としない。
どの音楽的ルーツにも属さない、常軌を逸した音を出したいんです」


常軌を逸してるのは、はたして音だけか?

1983年頃「月刊RABBITS」十月号(御提供はhyonさん)

「例えば、僕なんか10年前と同じのが聴きにきたのが居る訳ね。
そしたら『5年聴きたくない』って言うもん(笑)。『困るんだけどね』って言う。」


経済ですか。やっぱり切実な問題ですよね。

「僕がもしね、大統領か天皇になったとしたらほとんど消すからね。
勝手に思ってこれは青少年に良くないなと思うものはね。」


ヤバイなー。私なんか真っ先に消されそうだ。というか消される人多そう。高中正義とか。

「小さい頃、動物園の園長になりたかった。」


カバ園長?

1996年「DOLL」1月号

「僕、カオスUKが日本に来た1回目(85年)に行ったもん。
パンク小僧をかき分けながら、一番前で観たもの(笑)。目黒の鹿鳴館で。
僕はハードコア、このバンドにしか興味がないから。昔から」


しかし灰野さん、一番前好きだなー。レジデンツにブルーチアーの時もそうだったらしいし。
やっぱり身長の問題ですかね。物理的な。

(74年から77年の頃について)「それは音楽をやってない・・・・音楽家じゃないものに
なろうかなという気を起こしていたとき。僧侶になろうと思っていたから(笑)。
僕が考えていたのは、宗教を持たない意味での僧侶だからね。伝道して歩くみたいな」


それも良かったかもしれませんね。コンコンと玄関を叩く音がして「なんだよー、また青汁の
勧誘か?」とドアを開けたら、伝道師の灰野さんが・・・・。
30分程すったもんだやって結局、小冊子(なにやら詩集らしきもの)を買わされていた・・・
なんてことにはならなくて良かったです。

「そりゃあ簡単じゃない?人のために役立てたい、その言葉ひとつだよ。
だから音楽をやっていたって、いつも言っているけど治療になればいいなと思っている
訳じゃない?人が・・・・良くなって欲しいんだから、その一つの道をお坊さんとかに・・・。
誰だってそうじゃない?何か役に立ちたいと思っているわけじゃない?ほとんどが」


ほんとそうです。私もそう思います。このページだって・・・・。役に立っているのかなー?

1996年「ギター・マガジン」3月号

「(一番最初に買った民族楽器について)よくわかんないけどモロッコの楽器。
(バックが)亀の甲羅なんだ。今買うといろいろと規制があるのかもしれない。
モロッコすごく好きなんだ。あと、ハーディ−・ガーディ−という楽器を僕は20年
ずっと探してて、やっと去年それを手に入れたんだ。」


モロッコすごく好き、のくだりにハッとしました。モロッコ。モロッコと言えば・・・。
いや、そんなはずはないだろー(とかぶりを振る)。

「そう、だから僕はマント着てジャケット写真撮るのはやめようって言ったの(笑)。
まったく中世になっちゃうじゃない。で、エレクトリックでちょっとあれと違うから。
どうせならロックン・ローラーって感じにしようってね(笑)。」


それならポマードで固めてリーゼントにしなきゃ。

「僕なんかはライヴ聴いてくれればわかると思うんだけど、すごくハードだから
自分をなごましてくれる音楽聴いてないと、頭パンクするから。それは事実。」


そういえば、やんきーの方々も夜は爆音轟かしてても家では「恋人たちのための
ラブ・バラード集」とかいうCD聴いてたりするもんなー。それでバランスとるですね。

1996年頃「大食(タージー)」第2号

ついにきました。この灰野さんの語録をやろうと思ったのはこの雑誌のインタビューを
読んだからです。とにかくちょっと長めに行きます。

「えーと、ご出身は・・・・・」

灰野「おいおい(笑)それは皆怒るかもしれないよ。みんな知ってるもん、たぶん。」

「えー、うそー、どこですか。」

灰「生まれは千葉。」

「じゃあ、もう関東周辺というか・・・・」

灰「うん、皆知ってるよ、多分、今回君が僕のこと知らないから選ばれたんだと思う。
とんでもないこと聞くだろうと期待して(笑)」

「昨日の話で皆と違うことをするのが好きな子供だったとおっしゃってましたが。」

灰「好きじゃない、自然にね。」

「で、そういった子供に対して御両親の反応は。」

灰「んー、幼稚園の時はほっておいてくれた。」

「学校に呼び出されたりとかしなかったんですか。」

灰「全然。何故かねぇ、自分の記憶に残っているのは、園長先生にすごく気に入られてて、
幼稚園だから担任というのか、その先生にも気に入られてて、子供のことだからはっきり
覚えてないけど・・・・・・。・・・・・・笑うなよ。」

「えっ」

灰「笑うなよ、僕はね、幼稚園のころ天才と呼ばれてたの(笑)」

「え、なんでですか。」

灰「知らない、絵とか・・・・・違ったみたい。」

「ハーなるほど。」

どーですか、これ。さらに・・・・。

「じゃあ、涙が出ちゃう時ってどんな時ですか?」

灰「・・・・・・・今は、映画とか見てる時だな。」

「どんな映画ですか?」

灰「普通の、多分なんでもない映画。今では自分でもびっくりするけど、最後のエンディングの・・・」

「やらせとかに・・・・」

灰「そうそうそう(笑)。」

「はまったりして・・・」

灰「そうそうそうそう、まったくそう(笑)。その映画を見る時に、「こんなのどうせおもしろくない」
って観かたしてたときと、「どうせなら二時間楽しく過ごそう」っていう身を捨てたような観かたがね、
それがエンディングになったときに感動して涙を流す時があるよ。」

どんなのだろう。まさか、「タイタニック」とか?

灰「人が怒りを持ってた時なんか相手のことなんか考えられないはずだから、僕だって
こう言ってて現実的に何か起きたら「この野郎」ってそういうパワーは絶対失いたくないと思うし。
馬鹿馬鹿しいことかもしれないけど、未だにこう、仲間とかといて、「山の手線が遅れます」
とかで「くそー!」って言ってるのは僕だよ(笑)。「バッカ野郎値上げばかりしやがって、
なんでちゃんと来ないんだ」(笑)それで、ああ、まだ立ち向かうパワーがあるんだって
自分で嬉しくなったりする。自分が、グンと前に行く力が無くなった時ってどんどん老化して
いくと思うから。」

「まだ熱い、と。」

灰「まだ、なんてものじゃないと思うね。」

これですよ、これ。灰野さんのパワーの源。では最後に。

「日常はいやじゃないんですか?」

灰「いやじゃない。・・・・・・いやな時期はあった。すごくあった。そのう、表現者って
いうのはねぇ、その、幻想的に、神秘的に(笑)」

それが崩れたこのインタビューでした。


1996年「スタジオ・ヴォイス」10月号

「もう25年くらいミュージシャンとしてやってきたわけだけど、音楽だけで
食べられるようになったのは、4年くらい前からだね。
でもその間、食えないからやめたいと思ったことは一度もなかった。」


そうなのか。しかしその間の21年間。まさかずっと飲まず、食わずで・・・。仙人みたいに・・・。
ってそんなわけないですね。

「今、灰野敬二を面白いと思わないとバカにされる、みたいな風潮があって、それは
とてもじゃないけど耐えられない。
昔から僕の音楽をずっと聴いてくれてた人が”今やってること面白いですね”って
言ってくれれば”ありがとう”って素直に言えるじゃない?
でも情報の真ん中にいて、乗り遅れちゃいけないみたいな感じで接している人が
多いんじゃないかな〜」


その内、中学、高校あたりでも「今、灰野敬二を聴いてないとイジメられる」なんてなって、
PTAあたりでも問題として取り上げられたりする、そんな時代が来るかもしれません。

「結局、僕の音楽を好きだって言ってくれる人は昔と同じだし、僕のやってることも
根本的には、昔から全く変わってない。
僕は、崩れないし動かない、それでいてしなやかに変わってきたつもりだよ。
僕にはこういうやり方しかできない。」


そしてこれからも「しなやかに歌って」(by山口百恵)欲しい。

1995年「etcetera」VOL1

「僕が弾いていて三上さんが途中でいきなり静かになったら、”おー、やばいな”
って思う時もあるし、やばくたってここは行くべきだと思えば出て行っちゃうし。
それはもう、皆そうだと思う。こう、弾きたい時にトシがドシンッと演られたらクソーと
思うけど、でもそれだよなって言うね。」


「やべー」、「くそー」・・・灰野さんバサラの時そんな事、考えて演奏してたのか。

「ちょっと危ない発言していいかなぁ?
やっぱり洗脳したい。洗脳っていう言葉は今いわれている意味じゃないとしても、
洗脳を知らない内にしたいんだと思う、僕達は。いいものを洗脳したいという言い方をするね。」


いつか出るとは思っていたが、ついに出たな、洗脳発言。

「普段なんにも話しないもん。それこそ三上さんの娘さんがどうしたとか。うちの猫が 何したとか、トシが引っ越したとかね(笑)」


私も灰野さんとうちのウサギがどうしたとか話してみたいです。

「多分僕はどうのこうの言ってもロックンローラーじゃないかな、と自分では思っているから。
自分で思いたいのかもしれない。もしも人が僕のこと何?って、そうじゃないでしょ
こうじゃないでしょあーだこーだグチャグチャ言われて最終的に困った時にロックンローラー
って自分のこと言いたいから。」


あー私もそれはずっと前から思っていました。灰野さんはロックンローラー。完全無欠の
ロックンローラー。(byアラジン)

1994年「マーキー」VOL057

「例えば、音楽家は音が至高と思っていて、詩人は言葉が至高のものと思っている。
それが争うっていうんじゃなくて対立してる状態、音楽家が(もしかすると音より言葉の方が
素晴らしいんじゃないか)って最初に恐さを持ってしまった時のいい意味での緊張感で
対立になったもの。」


うーん、灰野さんのインタビュー読んでいると、こういう灰野さん特有の言い方というのが
あって悩んでしまいます。そう、例えるなら掛布の野球解説聞いているようなそんな感じ。

「僕はこうなりたくてなった訳じゃなくて、時々投げ出したくなるような重いものがある訳で、
もう自分がやりたいとかやりたくないとかじゃない、そうなってしまう訳。しょうがないんだよ。」


このページも正にそれ。

1994年「G-Scope」VOL11

「恐そうな顔するのは、他のメンバーが間違った時でしょう。
演奏中に自分以外の音を聴かないで、一人勝手に音を出すと僕はすごく怒る。
ドラムの小杉君なんか、何回、お客さんの見てる前で僕の飛び蹴りくらったか判らない。
不失者で間違っていいのは僕だけ(笑)。
でも恐いと厳しいのは違うんだよ。僕は良い指揮者でありたいだけなんだ。
一歩、誤ると独裁者になってしまう危険性はあるけどね。」


怒鳴ってるのは何回か見たけど、飛び蹴りは見たことないなー。それは是非見てみたかったなー。

1993年「ギターマガジン」9月号

「カントリー・ブルースていうのは僕は露骨に言うけど、ロバート・ジョンソンはそうだと
思ってないから。僕の中にあるカントリー・ブルースは言葉を誤解されると面倒臭いけど、
ジャストで弾くやつはカントリー・ブルースだと思っていない。
”あれっウラ、オモテどっちなの?”っていう風な状態の方が好き。ジョン・リー、みたいなのとかね。」


そうなのか。これロバート・ジョンソンはダメって事なのかな。私は単純に「クロスロード・ブルース」
の声、聴くと「スゲェ」とか思いますがもっと深く音楽聴かないとダメですね。

「うーん、僕の場合例えばファズも全開にしてマーシャルのボリュームを全部回し切って、それで
大音量で鳴らした直後にアンプも全部オフにした静寂の中でそれこそピアニッシモで思いっきり
弱くポロッとピッキングするとかね(笑)そういうのが好きなの。」


なんという極端な。やっぱ灰野さんクールです。

1993年「G-Modern」第三号

「僕はあんまり楽しくないけど、ここでボーッと何もしないで一日いるでしょ?
沈んで行っちゃうもん、ズドーって。それは悪いものではない。沈むっていうのは。
イメージとしては、このベッドの中に自分の体がズドーって入っていくけど、実はどんどん
覚醒していくから。
ただ、その時には他が見えなくなるから恐い。」


灰野さん、普段家で何にもしないで一日中ボケラーってしてる事多そうですね。寝るのはベッドか。

「普通皆が観光旅行じゃないけど、なんかこううらやましがるとこってあるでしょう。
でも僕は歩いてても何の実感も無い。確かに、あっ教会がある、教会だなぁっていう
感じでそれを見るけど、どこに行っても自分がはっきりしているから、他関係無い訳よ。」


これじゃあ、旅行行っても楽しくないですね。

1993年「G-Modern」第二号

(外国のライブで主催者に対して)「出てこいコノヤローって日本語で(笑)。
脅しだよもうほとんど(笑)。
〜もう英語も日本語も無いよ(笑)。もうビックビクしてたもんな。
で途中で田中君がシマーとか言ったのね。で、シマのシャツ着てる奴とかいう連絡がピーンと来た訳。
で僕はどいつだーって言ってステージをかけおりていってねー。
片っ端からおまえか、コノヤロー、こっちこい、って。だから凄かったよ(笑)。
もう何発殴りそうになったかわからないもん。」


外国での武勇伝。しかし灰野さん、ケンカつよいのかなー。渋谷とかでライブやる時は行き帰りで
変なのにからまれないかもう心配で・・・・。

(オンリーワンズのカバーについて)「だからね、あの、ぴったりするのは、あのオンリーワンズ
の歌詞で、−あぁおれはついてない、やっぱりついてない−ていう(笑)。
あれだけがすごく好きで、そこは練習でしこたま歌ったけどね。」


これ何ていう曲だろう。ライブでやんないのかなー。

「でもかっこいい奴は、かっこいい奴だよ。かっこいい奴は、まぁ、かわんないよ。
僕なんか自分自身も言ってるけど、変わりようが無いから、初めっからそうなの。
ただみんなが、悪いけど見方がだめで、まだ愚かだった訳よ。
で、まだ愚かさに気付けば救いがある。次に行けるんだもん。」


出た、灰野節。

1993年「ゴア」6月号

「僕にとって「酔う」ということは、まだまだ表現しきれていないという事です。
僕は演奏中は本当に祈っていますので、醒めています。」


確かにクールですね、灰野さんは。暴れた後でもすぐにフッと我に帰る感じ。

(「裸のラリーズ」と比較される事は?)
「もうひとつ、自分だけではないバンドがあったという事に関しては、ちょっとした
安堵感を覚えられます。」


このインタビュ−結構「えっ」、っていうような素朴な質問していて驚きます。例えば、

(灰野さんはベジタリアンだとお聞きしました。どういうきっかけでベジタリアンに
なられたのでしょう?)
「きっかけというよりも、問題は「意識」、何を意識しているかだと思います。」


そして極め付け、

(エアロビクスとか水泳とか、体を動かされる事はお好きですか?)
「はい。でも、具体的なスポーツというのは特にやっていないのです。
筋肉のみを使うというレベルに於いてはあまり興味がもてませんので。」


しかし、よくエアロビなんてきけたなー。

1992年「ミュージック・マガジン」5月号

「ある時(ニューミージック・マガジン)から電話が来て、日本のロックバンドの
特集がしたいって言う。
僕は、下らん、興味ないって言って、、電話切っちゃった。
そうしたら、あとで、日本の24のロック・バンドとかなんとか、数が中途半端な
記事が載ったんだよね。」


かつての灰野さんらしいエピソード。24って確かに中途半端だな。

(灰野さんとフレッド・フリスとのコンサートについてのレヴューで「フリスは知的な
職業音楽家であり、灰野は白痴的な素人」「情念をただひたすらアンフォルメルに垂れ流していた」
と書かれた事に対して)「あれは、僕よりも、僕の周りが怒っていた。」


しかしこの評論家よくいったなー。今じゃ無理。灰野さんを批判する事はある種タブーみたいに
なってる。でもこれは灰野さんも相当怒ったんじゃないかなー。

1991年CD「阿部薫ソロ・ライヴ・アット騒VOL6」(後に「阿部薫1949−1978」に転載)

「いつかしっぺ返し食らわせてやろう、いつか会うだろうと思ってた。
なんたって僕と誕生日同じだからね、三つくらい向こうが上だけど。」


これによって灰野さんのお誕生日が判明。5月3日です。

「フリーコンサートの時も一緒に演ったけど、つまらない演奏だったと思うね。
みんな半分酔っ払ってるしね。酔っ払い大嫌いだから。
なんかだらしなーい感じだった。」


いちお「だらしなーい感じ・・・」とは原文のままです。

(右翼と機動隊の乱入で中止になったコンサートについて)「それはお客さんいっぱい来たよ。
六本木のでっかい小屋に人いっぱい。いっぱい来て中止。
でも俺はギターソロを確か十分演ったぞ。みんなビビって演らないって言ったけど、冗談じゃない、
ここまで来て演らないってのはなんだ、って確かやったよ僕は。」


よく演ったなー。いいぞ、灰野さん。

「死ぬ4日くらい前かな、家に電話かかってきて、このことは誰も知らないことなんだけど、
ほんとは僕と彼は純ロックバンドやるはずだったの。彼が死んだ後も鈴木いずみが言ってたから
本気で演る気だったって。」


これ実現してたらどういう事になってたんだろう。なにか日本のロックの歴史も変わっていたのでは
ないだろか。

1991年「Gramophone」2号

「なぜかオノヨーコには興味がなかった。
なぜか、たぶんある部分でその時代では近くて危険を感じたんだと思う」


これは灰野さんの最大級の誉め言葉ですね。私も灰野さんは別として、オノヨーコは世界を
代表する日本のアーティストだと思います。

「スタジオでやってたんだけど、ビートルズの曲をアレンジしてやってた。
ビートルズの曲とか言っても、普通皆が聴くようなんじゃなくて「Tomorrow Never Knows」とか。
〜「Tomorrow Never Knows」は人前でやった。」


それメチャクチャ聴きたい。

(レジデンツのライブに行った事を聞かれて)「いや、あれは目玉が出るって言うから。
目玉を見に行ったの。(笑)面白かったよ。
うん。何か変なヴォーカリゼーションあったね。ぼくはもう始めっから音楽がどうこうより
目玉を見ればいいと思ってたから。一番まえにいたんじゃないかなー。」


そんなにまでして見たい目玉とは・・・。

(東北で三上寛さん達とライブした時のことについて)「で、演奏する前とかやっぱり
僕だけ違うから。だってあれどんな出演者かって言ってないよね。」
「知らないですけど」
「小室 等氏と、なんだっけ、伊奈かっぺい氏。」


しかし、なんつーとりあわせや。

「そうして一曲終わったらばもうシーンとしているのね」

と おっしゃってますが、そりゃ、そうだ。

「とても批判的だけど井上陽水氏とか(笑)あんなのが頂点になっちゃダメなんだよ。(笑)
本当に頭よければいいよ。本当に頭良ければっていうのはボブ・ディランはやっぱり凄いわけよ。
格が違うくらい凄いわけ。で、ジョン・レノンもやっぱり凄いじゃない。ああいうのがヘッドに
なればいいけど。
だって日本は比較したら悪いけど井上陽水氏と矢沢永吉氏でしょ。(笑)」


このインタビューは灰野さんとても饒舌です。灰野さんの口から今まで聞いた事のない人名が
出てきます。個人的にはジョン・レノンは嬉しかったけど。

「僕は終わった後、楽屋なんか全部ちゃんと片づけさせるから。
それをチェックしないと出ないから。帰る時に。
そしたら(あっ、このバンドはなんだか知らないけど音は全然好きじゃないけど
でもちゃんとしているなぁ)とその人の中でちょっと考えるわけよ。
ああいうちゃんとしている人達がやる音楽だからひょっとしたら自分がちゃんと聴けて
ないんじゃないかってね。」


うーん、意外な発言ですね。さらに、

「それはある意味でさっき言っている僕の罠なの。罠を仕掛けて帰るの。
まぁ、それは人間関係ではとてもかったるい思いをしているから良い関係にしようってふうに
なったわけ。」


なるほどねー。
1990年「rhizome」第2号

「これは大笑いしていいけど、不失者のレコードはね、これほどコマーシャルに作った
レコードはないのね。自分自身の気持ちの中で、よくぞ作ったと思ってる。
だから普段、ライブに来ている人は、もう怒っているよね。」


オコッテナイゾー。あれは大好きなアルバムですよ、灰野さん。

「この話をしようか。キング・クリムゾン対談。噂聞いてる?
僕がキング・クリムゾンが一番ロックをダメにしたバンドだと言っているという。
トーゼン好きでしょ?(以下、キング・クリムゾン批判が延々と続く)」


そうか、噂にまでなっていたのか。でもこの灰野さんの論旨すごく納得できる。
インタビューの人はクリムゾンどうも好きみたいで弁護しているのだが、「いい音楽をもっと
聴きなさい。」と灰野さんに諭されていた。しかしやっぱり灰野さん、言い過ぎたと感じたのか
もうその話はとっくに終わったのに「キング・クリムゾン好き?すごく好き?」と話を蒸し返していた。

「問題なのはその人の意識。単純だよ。誰にでも優しくなればいいんだよ。
本当にそれだけだと思う。あとは機嫌の悪い時に人に対して優しくなれるか。
これが次のレヴェルだね(笑)。」


これは全ての人の永遠の課題ですね。

1987年「銀星倶楽部」6号

「僕はミュージシャンというのは他の表現者に比べてすごく寂しがり屋だと思う。
〜寂しがり屋イコール友達が欲しい訳でしょう。一人よりはいっぱい欲しいじゃない。
〜友達というか、宇宙と友達になりたいから。」


宇宙と友達か・・・。私もなりたい。

「やっぱし宇宙が泣いているから、なんとかその悲鳴を聞かないためにはどうしたらいいんだと
いうあるかけらがあって、そいつが僕で。
それはじゃあどこからどうして聞こえているのかなと探り出した時に音楽をやろうと思ったんだ。」


そうか、その悲鳴を消すためにあんな大きな音が必要なのですね。納得。

「やはり僕はボーカリストなんだ。
ギターは後から始めたものであり、僕の場合はとにかくボーカルだった。
ボーカルでハードになんて何すればいいかというと、でかい声を出せばいい。とても単純な事。」


これはすごいよくわかる。でもただでかければいいってもんでもないと思う。
それじゃあ学校の応援団が偉くなってしまう。でかい声で叫んだ時、それがちゃんと音楽に
なってないとね。灰野さんの叫びは芸術です。

1983年「Amalgam 」#11(御提供・コメントはubudさん)

「(理論の話で)僕らロストアラーフの頃ね、10年前にトコトコって来て、何か言われたら、
何にも答えられなかったもの。」


うーん正直者。

「僕は一生、売れるものは出来ないね。ごめんなさい。」


これはピナコテカの佐藤さんが相手だからですな。今なら、ピナコテカ再興して灰野さんの
アルバム出したら恩返しできるのにね。

「そしとね・・・。そしとじゃないよ。ハハハハ・・・。始まりました言語障害!
そうすっとね、あの、笑うなあ!」


・・・壊れちゃってます。

「最近僕、この部屋のドアのところに言葉を書こうと思ってるのね。
   ---- 私と仲良くなると不幸になる  しかし充実する ----」


・・・おいおい、佐藤さん怒るぞ(笑)。

1981年「フールズメイト」12月号

(レコード「私だけ」について)「人間は大嫌いだ。人間臭いといわれるのも嫌だ。
だからこのレコードにも、人間の名前は一人も書かなかったんだ。」


いきなりこんな事言われたインタビュアーの立場は・・・。

「でも僕はみんな好き。小さな虫も壁も砂糖もあらゆるものみんな好きなんだ。
人間という存在は大嫌いだけど、人という生き物は大好きだ。」


どっちなんだ、いったい。

(結成間も無い不失者について)「このバンドは僕のバックバンドじゃない。
僕はそのバンドの4分の1でしかない。ソロはもうやりたくない。そう言い切れない状況に
なるかもしれないけれど出来る限りやりたくない。」


ここまで言っといて、「自分の名前の次にバンドの事が知らされるのは絶対に我慢できない」
とバンド名は書かないでくれと言う灰野さん。厳しいです。

1981年「宝島」8月号

「今でも最高に好きなのがサード・イアー・バンド。
ブルー・チアーは最高のハード・ロックバンドだ。
ギタリストではシド・バレット、ドラムではマックス・ローチ。
チャーリー・パーカーやジョン・ケージも認めている。」


マックス・ローチというのが意外な感じがします。ケージと敬二・・・。

「言っておくけど、俺はドラッグなんて一度もやったことがない。
俺は絶対に気持ち良くなりたくはないんだ。
音そのものが自分自身であるために自分をがんじがらめにしてるんだ。
安易なパターンに乗ってやってるロックを俺は否定する。
俺は今のロックはどうしようもない事を証明するために演奏し続ける。」


今のインタビューは自分の事をほとんど僕と言ってますが、ここでは徹底して俺。
かっちょいい、灰野さん。

「昔はバカ野郎どうして聴きに来たんだ!って思ってたけど
今は多くの人に聞いて欲しい。
今は本当は愛したいから相手に対して劣等感を与えないように喋っているんだ。」


しかし、謙虚なのか傲慢なのかわからんな。
というか、このインタビュアー(鳥居賀句)のことよっぽどキニクワナイノカナー。

1981年「DOLL」4号

「僕はいつでもバンドという形でやりたかった。
お互いに妥協しあってではなくて、本音と本音、本気と本気をぶつけ合った上でのバンド。
今僕が一人でギターを持って歌っているのはそういうメンバーが居ないからだよ。
僕は十年待ってる。それでもまだ居ないんだよ。」


灰野さん、なんだか寂しそう。それにしても十年か。

「早くバンドを作りたい。言っておくけど僕はもう輝きたもくない。
キラメキたくもない。ただ驚いていたい。
ショックを受けていたいのさ。」


こう言えるのは灰野さんしかいないだろう。

「本気でやった時はどれほど苦しいものなのかを味わって欲しい。
文句を言う前に僕は言いたいね。
十年本気でやってオレのところまで来てみろと。」


これも灰野さんにしか言えんな。十年というのがキーワードですな。

1981年「マーキームーン」VOL.6

「僕はいつも言うのはね(人間で終わる気がない)からね。これははっきりしている。
悲しいことだけれどジム・モリソン=ジャニス・ジョプリン=ジミ・ヘンドリックス、
彼らは彼らの本気っていうのは死ぬことだったと思うんだよね。
でも僕の本気って言うのは死ぬことじゃあない。人間なんてやめてしまうことだ。」


これははっきりしている、なんてそんな言い切らなくても・・・・。

「人間にはね、でも人間人間っていうけれどね、越えられない壁があるなら人間であることを
やめればいいんだ。それをしない奴等はバカだっていうんだ。人間であることがね、
なぜ嫌いかっていうとあるものに助けを求めるからだ。(おれは人間だからどうしていいか
わからない、神様助けて)って言葉をはくからだ。あまったれるんじゃないって言いたいね。
逆に人間くさくても変に大きく見せない奴は好きだけれどね。そういった意味で
ベルベットなんかよりマーク・ボランの見せ方の方がずっと好きだ。
人間であることを武器にしているからね。そうではなくて人間であることをイヤだイヤだ
といってる奴等は大マヌケだ。人間でなくなるってことはね。自分で自分を救えることだ。」


とにかくこのインタビュ−は灰野「人間やめる宣言」に終始している。このあとでも
「絶対に止めるつもりでいる」と念をおすほど。

「知性のある奴っていうのはろくな奴がいない。」


これで何人の人が救われることか。