
エスピリット.サント州 人口280万人 大ヴィトリア圏 人口120万人 内 ヴィトリア市 28万人

成り立ち
1500年 ポルトガルのカブラル船団が 現在のバイア州の南部(当ヴィトリア市より 北500km位)に始めて到達し これを ブラジル発見の日としておりますが その後 1531年 別の船団が この地周辺に 上陸しその根拠地をかまえたのが始まり その後 インヂィオの襲撃を避けるため 島部である現在の
ヴィトリア島に 移動したもので 市制日は 1551年9月8日です、 インヂィオの襲撃戦に最終的に勝利した事を記念して Vitoria(勝利)と名づけたと言う事です。以後 カピタニア制度(ブラジルにおけるポルトガルの植民政策)の元で地域の植民の中心地として発展して来ました、1800年代 ブラジルでコーヒー栽培が始まると いち早く エスピリット サント州でも 栽培が行なわれその出荷港として 又 背後に控える 海岸山脈の豊富で良質な マカナイバ と言われる 家具用木材 などが ヨーロッパに輸出され珍重されたそうです。
コーヒー栽培はその後 1900年代初期 サンパウロ州、パラナ州で 大規模栽培が始まり ほとんどの初期日本移民はこれに従事して来ましたが、1970年以後の 何度かの冷害で 栽培地が 温暖である ミナス ジェライス州、エスピリット サント州に 再度移動し 現在 エスピリット サント州は 第二の生産を誇り、その大部分は ヴィトリア港から 出荷されたいます。
カンブリ海岸
元来このあたり一帯は 小高い岩山と マンググローブの湿地帯で構成されていて平地が少なかったので 1800年半ばから 湿地帯や海の遠浅部を盛んに干拓、造成して 商業地や住宅地を確保してきたものです。
この海岸は元々波打ち際に道路が建設され 護岸のために沖合より 砂をポンプで積み上げ造成した海岸です、津波や 台風による高潮の心配がありませんので野暮ったい テトラポットやコンクリートの堤防などはありません。

埋め立て地区の海岸部とプライア デ カント地区
この海岸も1970年代に埋め立てし 近年整備されました。背後は近代商業地区及び高級住宅街となり 近年発展著しい 一帯です。

その他 比較的小さい 自然の海岸もたくさんあります


テルセイラ ポンチ(第三の橋)と言われる海橋です、下を 数万トン級の船が通過するため 最高部は80mと聞いています、ブラジルが経済困難な頃 建設を始めたので 完成まで15年近くかかったと記憶しています。
エスピリット.サント州の海岸は アルゼンチン寒流が 大陸に一番接近する地帯で 気候も良く カジキマグロ釣りの世界大会も行われるほど 良い漁場となっています。 海岸では キス 岩場では チヌ が釣れるそうです。
ヴィトリア市からテルセイラ・ポンチ(ヴィトリア市とヴィラ・ヴェーリャ市を結ぶ橋)を渡ってヴィラ・ヴェーリャ市に向かうと、右上側にコンベント・ダ・ペーニャ教会を見ることが出来ます。この教会は1500年の半ばに建立され、4月がお祭りです。この教会からのヴィトリア市の景色です。この写真は左側から右側に続いています。



