「王国宣教」03年2月号を検証する

「王国宣教」03年2月号を検証する

2003年2月24日に始まる神権宣教学校では教えない、ものみの塔に対する
正しい理解を深めましょう。

週毎の聖書通読
11 王国は1914年に天において設立されていません。その証拠に1914年の
計算の土台であるエルサレム陥落を紀元前607年とする考古学者、神学者は
一人もいません。「洞察」や「霊感」からも正しいエルサレム陥落の紀元前
586-7年の20年の空白期間を証明することが出来ます。
イスラエル大使館の公的見解とものみの塔の見解では、20年の差があります。
 ものみの塔は、クロス王の勅令の紀元前539年は考古学から認め、紀元前587年
のエルサレム陥落を示す20万以上の粘土板の考古学上の証拠は認めようとしません。

 「洞察」の前身に当たる「聖書理解の助け」の著者であり、かつて、統治体の
メンバーであったレイモンド・フランツは数年の調査の上、
「エルサレム陥落が紀元前607年であるという証拠は一つも見つけることが
出来なかった。全ての証拠は、紀元前586-587年であった。」と告白しています。
「ただ、私に出来ることは紀元前586-587年エルサレム陥落説に疑問をもたせる
内容を書くことであった。」と述べています。

12 マタイ11章24節に書かれているソドムとゴモラの人々の復活に関して
ものみの塔は、コロコロと見解を変えています。
(1)「ソドムの人々は復活させられるでしょう」塔1879年7月1日号8頁
(2)「ソドムの人々は復活させられないでしょう」塔52年6月1日号338頁
(3)「ソドムの人々は復活させられるでしょう」塔65年8月1日号479頁
(4)「ソドムの人々は復活させられないでしょう」塔88年6月1日号31頁
(5)「ソドムの人々は復活させられるでしょう」「楽園」初期版179頁
(6)「ソドムの人々は復活させられないでしょう」「楽園」後期版179頁
(7)「ソドムとゴモラの人々は滅ぼされた。しかし、それらの人々の
 復活は、不可能ではない」「洞察」第二巻985頁(英文)
(8)「ソドムとゴモラの人々の復活はありえない」「洞察」第二巻83-4頁

1926年当時は、「ソドムとゴモラの人々は復活しない」という見解で
1952年になると「ソドムとゴモラの人々は復活する」という見解です。
そして1988年年末になると「ソドムとゴモラの人々は復活しないでしょう。」と
最初の教えに戻っています。つまり、ものみの塔は、「新しい光」として
紹介していますが、元の教えに戻っており決して聖書理解に於いて進歩して
いるのではなく同じ所をぐるぐると回っている進歩無き団体なのです。
1988年発行の「洞察」の英語版と邦訳版でも解釈が違います。
「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の1988年以前の初期版と
以後の後期版でも相違が見られます。関心のある方は、両方集めてみてください。

13 忠実で思慮深い奴隷について
時系列的にものみの塔の見解を見ていきましょう。

(1)「ものみの塔」誌1916年12月1日号(復刻版では5998ページ)「数千の読者達は
ラッセルが忠実で思慮深い奴隷であると信じた。」と述べられています。
(2)「聖書研究第四巻」613頁では「忠実で思慮深い奴隷とは一人である。」と
述べています。
(3)ラッセルの遺稿とされる1917年発行「聖書研究第七巻」第422頁では
「忠実で思慮深い奴隷とはチャールズ・テーゼ・ラッセルである」と述べています。
「そんな古い資料は持っていないので信用できない」という方のために
比較的入手しやすい資料からもラッセルが忠実で思慮深い奴隷として
受け入れられたことを示すことが出来る。
「エホバの証人-神の王国をふれ告げる人々」第143頁「ラッセル兄弟の妻
はラッセル自身が忠実にして智き僕であるという考えを言い表しました。忠実なる
僕の実体に関して述べた見解は約30年間聖書研究者たちの間で一般に受け入
れられるようになりました」と述べている。同時に同書の645頁を
見ると妻マリヤ・ラッセルは「ものみの塔」誌の共同編集者であり定期寄稿者で
あったことが述べられている。

(4)「神の立琴」1921年版239頁では「疑いなくチャールズ・テーゼ・ラッセルが
忠実で思慮深い奴隷である」ことが述べられています。この主張は1927年版まで
書かれており1928年版からは、削除されています。1916年に死去したラッセルの
組織的後継者になったラザフォードは、「忠実で思慮深い奴隷は死んだのだから、
この世で正しい聖書理解をしてくれる人がいない」というラッセル傾倒派との
決別を図り徐々にラッセルを批判するようになります。「彼らは聖書を研究するのみで
伝道に熱心ではなかった」と非難。二代目会長ラザフォードは、ラッセルに
注がれていた神格化と権威を受け取るために「忠実で思慮深い奴隷は、一人では
なく一つの級であった」と解釈を変更して、組織の実権を掌握します。

(5)1974年になると「神の千年王国は近づいた」347-8頁で「ラッセルは決して忠実で
思慮深い奴隷として主張していない」などと言うようになります。

(6)多くのカルト教団がするように、ものみの塔協会は、組織中枢部を神格化し、
「忠実で思慮深い奴隷」の権威を認めるように促します。
「ものみの塔」誌1991年10月1日号20頁「クリスチャンは、忠実で思慮深い
奴隷の権威を認めるべきである」旨が述べられています。

(7)多くのカルトがするようにものみの塔は、一般信者を幼稚化します。
疑問を持ったとしても「あなたは真理をどこで学びましたか」とか
「どれほど聖書を学んだとしても真理は自分だけでは決して学べなかったという
事実を直視しましょう」(塔90年12月1日号19頁)と述べます。
信者の幼稚化の一つとして「何十年も聖書を研究している人でも組織の導きが
無ければハンドルの無い車に乗ると同じ」(塔85年3月15日12頁)と述べています。
 独自に聖書研究を研究し、「組織よりも私のほうが聖書に詳しい」という
理解を持たせないために「忠実で思慮深い奴隷を無視するなら、聖霊は
注がれない」(塔87年7月15日号19頁)と述べています。

 ものみの塔協会が「この組織を離れても聖書に忠実に従っていれば聖霊は、
どこに於いても注がれ、神との交わりを自由に持つことが出来ます。」と
公に見解を示せば、忠実で思慮深い奴隷の権威は地に落ち、中央集権的
宗教政策は、功を奏しません。
 ものみの塔が、聖霊を人格的なものとして認めないのは、聖霊を
単なる感化力としての聖書理解に立っているからだけではありません。
 まず聖霊を非人格的な存在として扱うことにより、エホバの証人個人が
聖霊との直接的体験を持たないようにさせないためだとも考えられます。

 ものみの塔の解釈によると忠実で思慮深い奴隷の代表者が統治体である
はずべきなのに、いつのまにか「大群衆からの援助者」を容認するようになりました。
「忠実で思慮深い奴隷」とされる144,000人が締め切られたのはおよそ
1935年だと主張してきたのにいつのまにか1940年以降に生まれた
人物も「忠実で思慮深い奴隷」の代表者である統治体のメンバーとして
用いるようになりました。高齢化に伴い1914の出来事を
見た世代がいなくなりつつあるための政策なのです。

14 正しい答えは、「王国宣教」の中にありません。
マタイ13章47-50節に描かれているのは、イエス・キリストを知った
ことに満足せず主に知られるものとなるために不義を離れなければ
ならないことを示しています。福音宣教という網は、人をえり好みせず
あらゆる人をすなどり、最終的に選ばれるのは収穫の主である神に
自分を注ぎだすことを表しています。

発表
2月は「エホバに近づきなさい」という書籍が配布されます。3月は
「知識」の本を配布します。4月と5月は「ものみの塔」と「目ざめよ!」
 を配布します。

巡回監督は「闇の世からの救出」という公開講演を行ないます。
教勢も2001年10月奉仕報告の218,539人から一年後の
2002年10月度217,020人と八千万時間以上、野外宣教に
費やしましたが、減少経過を見せています。


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