「新世界訳聖書」は学問的か

学問的に正直な聖書学者は「新世界訳聖書」を容認しない。翻訳の土台が、霊媒に
頼っていたり、文法的に一貫性がなかったり不正確であったりする。また、
ものみの塔の教理を擁護する意訳である。

ものみの塔と聖書引用の歴史
・地獄を否定する18世紀以降のグリースバッハのテキストを用いる。
・1926年 キリストを神と認めずギリシャ語の出来ないユニテリアンに
 よって翻訳されたエンファティック・ダイアグロットをものみの塔で印刷する。

・1950年当時「新世界訳聖書」は「可能な限り字義どおりに翻訳した」と
述べている。New World Translation 1950年版 9頁。

・「ものみの塔」誌1956年2月15日号英文110-111頁に、翻訳の際に霊媒に頼ったと
いう元司祭であるヨハネス・グレーベルを引用。
・1962年「言葉-ヨハネによればだれ」英文5頁でヨハネ1:1の「ことばは神の
ようなもの」(Word was a god)の支持のためにヨハネス・グレーベルを引用。

・1965年「全ての事柄を確かめよ」英文489頁でヨハネ1:1の「ことばは神の
ようなもの」(Word was a god)の支持のためにヨハネス・グレーベルを引用。

・1969年「聖書理解の助け」英文1134頁にてマタイ27:52-53の支持のために
  ヨハネス・グレーベルを引用。
・1969年「聖書理解の助け」英文1669頁にてヨハネ1:1の「ことばは神の
ようなもの」(Word was a god)の支持のためにヨハネス・グレーベルを引用。

・1975年10月15日号「ものみの塔」誌英文合本版640頁英文にて
 マタイ27:52-53の支持のためにヨハネス・グレーベルを引用。

・1976年4月15日号「ものみの塔」誌英文合本版231頁にて
  支持のためにヨハネス・グレーベルを引用。

・1983年4月1日号「ものみの塔」誌31頁英文にて読者からの質問で
「近年、ものみの塔誌において元司祭ヨハネス・グレーベルの翻訳が
用いられなくなったのはなぜですか」との記事を掲載。

 一連の流れについてはJWICに載っているのでここ
をご覧下さい。追加考察についてはここです。

利用できるものは、霊媒であろうと何でも利用しようとする態度は、ものみの塔の
体質を表している。

新世界訳聖書の翻訳土台の変更
1983年発行「聖書全体は霊感を受けたもので有益です」(以下「霊感」と略す。)
では、新世界訳の最も近い位置に図示されているのは
エンファティック・ダイアグロット訳である。


「霊感」1983年版

ものみの塔は、この翻訳を「霊感」1983年版322頁で学問的な訳として
紹介している。この翻訳者は、ギリシャ語学者ではなく語学力は
英語しか用いることの出来ない人物によって翻訳されたものである。


「霊感」1983年版 322頁


キリストを神と認めない土壌に育ったユニテリアンの翻訳した
エンファティック・ダイアグロットは、ものみの塔にとって
都合が良かったといえる。

 しかし、時代と共に上記の翻訳も組織の拡大と共に多くの質問や疑問には
耐えられない翻訳となった。そこでものみの塔は、組織の教理を裏付ける
独自の聖書を出版する必要があった。
1990年版「霊感」では「新世界訳聖書」はウェスト・コットとホートの
ギリシャ語本文からの流れとする。


1990年版「霊感」

 しかし、どのように翻訳すれば三位一体論者でありキリストが神であることを
主張するウェスト・コットとホートの底本から反三位一体論やキリストが神である
ことを否定する翻訳が出来上がるのか。不思議でならない。近年、ものみの塔は
「ウェスト・コットとホートによる底本だけでなく、他の翻訳も参考にされました。」
と発表しているが、どの底本を参考にしているのかは、明らかにしてはいない。
参考「論じる」245-6頁。

 エホバの証人の用いる論法で「他の翻訳にもこう訳しているので新世界訳は
間違いとは言えないようです」などと言う事がある。この考え方自体が
新世界訳が、ギリシャ語底本に基づいていないことを露呈している。

 地獄を否定しているグリースバッハのテキストもギリシャ語底本に基づいている
のではなく、近年のものである。

元主催監督である岩村氏も自書「神のみ名はエホバか」の中で新世界訳が
「寄せ木」的聖書であることを認めている。
 全く同感である。例えば、新世界訳のルカ23:43の翻訳の主張の土台が
無いかと言えば、無いこともない。しかし、それはギリシャ語底本に
基づくものではなく、あくまでも英訳である。

例えとして相応しいかどうか分からないが、こんな例はどうだろう。
金貨を売買する人たちの間でGOLDということばは、無垢の金を
指し、GOLDENという言葉が「金メッキ」が常識として理解されているとしよう。

Aさんがネットオークションで「このコインはGOLDです。」と商品説明を
書いてBさんが落札。Bさんに届いたのは、金無垢のコインでなく
金メッキの商品であった。当然、Bさんは、Aさんに抗議。
そこでAさんは、「OO英和辞典のGOLDという所を調べてください。
第一義的には、純金のという意味もありますが第六番目には金メッキという意味も
ありますよ」と反論。「だから、私の商品説明には、立派な根拠があるんです」と
力説。落札したBさんは「商品についてよく質問しなかった私も悪いですが
一般的にGOLDといったら純金を指すでしょう。」と反論。
 
 それに対して出品者のAさんは「オリンピックで金メダルのことを
GOLD MEDALといいますがあれは、実際は金無垢ではなく金メッキで
出来ているのをご存知ですか」と切り返し譲ろうとしない。

ものみの塔の新世界訳も同様に組織に都合の良い「定説」を
繰り返しているに過ぎない。


例えば, 
「あれは何ですか」。「あれはエアコンです」
「いや, ごめんなさいラジオでした」。「またまたごめんなさい
あれは冷蔵庫でした」。「再々ごめんなさいテレビでした。」

最終的な答えが「エアコンとテレビとラジオと冷蔵庫を装備した
重機でした。」ですから, 「私たちの主張が間違っているわけではない」と
強弁するだろうか。



 ものみの塔は、自分たちにとって都合の良い記事等を目ざとく見つけ
裏づけなどのために用いる。誠に感心するばかりである。

ものみの塔が「王国行間逐語訳聖書」の底本として用いている
ウェスト・コットはヨハネ1:1をWord was a god と訳すべきでないと述べている。

新世界訳が学問的でないことはヨハネ8章58節に関する見解を
見れば明快である。

ものみの塔は、イエス・キリストと父なる神との同質性を否定するためと
イエス・キリストがエホバ神により創造された「被造物である」という立場を
固守するために
エゴエイミーを、わざわざI have beenと訳出しているのである。
イエスが, 被造物であるかは, 紙面を別にしたいと思う。

1950年当時はエゴエイミーを完了不定時制としている。
下は1950年版の見開き



1950年版 perfect indefinite tense 完了不定時制
しかし、ギリシャ語の時制に完了不定時制という時制は存在しない。
忠実で思慮深い奴隷といわれる統治体の提供する霊的食物には多くの
霊的毒物が入っていることを明確にしている。
「ものみの塔」誌1957年版2月15日号126頁(英文)「歴史的現在」 と解釈。
1963年版「新世界訳」聖書3108頁「完了時制直説法」と解釈。 1969年版 王国行間逐語訳聖書467頁 perfect tense 完了時制との見解に変更。 1971年版 perfect tense indicative 完了時制直説法との1963年の解釈に逆戻り。
「ものみの塔」誌1974年9月1日号527頁(英文)では「歴史的現在」と1957年の見解に逆戻り。
1985年版 王国行間逐語訳聖書 451頁  properly translated by the perfect indicative完了直説法によって正確に 翻訳されたと述べる。 1985年版 参照資料付き聖書1774頁 「直説法完了形に訳するのが適切です。」 と述べる。
ものみの塔の霊的理解は, 進んでいるのか。否, 舵を失った船が同じ所を旋回するようにぐるぐると
回っているに過ぎない。
実にものみの塔は、6回以上もこのヨハネ8章58節の解釈について 変更しているのである。

さて「霊感」の中で翻訳の土台を見直したという翌年も「新世界訳」の訳文は 入れ替えられていない。以上の事からもギリシャ語学者達が、「新世界訳」が 文法的に不正直であり不正確な翻訳として一般人に推薦していない理由がわかるだろう。
真理を求めるエホバの証人が、真のキリスト教に出会うことを祈る。  1260日の解釈

1260日の解釈

1260日の解釈

「神のみ言葉はすべて霊感を受けて書き記されましたから(テモ二 3:16),
霊の教えが収められているのは, そのみ言葉だけです。

ですから, クリスチャンは, 神のみ言葉と矛盾する教えには一切注意を
向けるべきではありません。
」『洞察』第一巻476頁。


出版物(発行年) 1260日の期間 解釈内容
「シオンのものみの塔」1881年12月号7頁 西暦538−1798年 ローマ法皇の支配から1260年間
「シオンのものみの塔」1889年1-2月4頁,
『御国の来たらんことを』1891年版第28, 40, 58, 63-9頁。
西暦539−1799年 ローマ法皇の権力支配から1799年迄,
ナポレオンの生涯と合致
『終了した秘義』1917年版173頁 西暦539-1799年 同上
『神の立琴』1921-1926年版英文230-231, 234頁 同上 東ゴート族の崩壊を西暦539年として適用*1
『神の立琴』1928年前期版英文234-236頁 同上 同上
『神の立琴』1928年後期版英文235-237頁 同上 同上
『光』第一巻1930年英文199頁 1914年11月7日−1918年5月7日 協会が反対者により侮辱・蹂躙された。
過ぎ去ってから適用。
『奉仕者になる資格』1955年版英文312頁 1914年の秋から1918年の春 粗布を着る。
『御心が地になるように』英語版1958年,
邦版1963年版183, 327頁
1914年11月7日−1918年5月7日 協会が反対者により侮辱・蹂躙された。
過ぎ去ってから適用。
『その時神の秘義は終了する』1976年289頁 1914年10月4/5日−1918年3月26/27日 第一次世界大戦の始まりから
異邦人諸国民により
「油注がれた残りの者」が踏みにじられた。
『来るべきわたしたちの世界
政府−神の王国』1977年版英文131頁
1914年12月28日−1918年6月21日 1918年6月21日にラザフォードと
7人の役員が投獄された。
キリスト教会の指導者により踏みにじられた。
『啓示の書−その最高潮の
時は近い!』1988年版164頁
第一次世界大戦が始まって1918年初頭 第一次世界大戦の始まりから異邦人諸国民により
「油注がれた残りの者」が踏みにじられた。
『ものみの塔』1993年11月1日10-11頁 1914年12月−1918年6月21日 1918年6月21日にラザフォードと
7人の役員が投獄された。
キリスト教会の指導者により踏みにじられた。


箴言 4:18 「義人の道は, あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを
増して真昼となる。」(新改訳)
新世界訳では, この箇所をこう読む。「しかし, 義なる者たちの道筋は,
日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増してゆく輝く光のようだ」。
証人は, 何年にもわたる教団の数多くの教義変更を正当化するため,
この聖句を使うように教えられる。



日付を預言している手段・方法としてのエジプトの大ピラミッドと
過去の組織の関わりについて尋ねられると, 典型的な証人はこう答えるだろう。

「光はますます輝きを増したのだから, 私達は, もはや, その様に信じていません」。


あるいは, 1970年代初めになぜ喫煙者が突然バプテスマの希望者から外されたかを問われた時, エホバの証人はこう答える。

私達は, その問題に新しい光を受けました」。
教団指導者が頼りなく, あるいは人間の間違いやすさの証拠として
そうした変更を考えるよりも,
寧ろ, 成員は神が, 組織を支配・管理していて, その変更は絶えることのない
原理に立つ神との活発な関係を
証明していると結論づける。

「キリスト教会は暗闇の中にいるが, エホバは証人にもっと輝きを増し続ける光の中にいる」。
ある証人は, こう説明するだろう。
実際, エホバの証人は大会で告げられたり, 新しい出版物で伝えられる教義の変更に熱狂するし,
なんらかの「新しい真理」を売り物にしない新しい書籍や大会は, 証人にとっての失望の的となる。

今日のバプテスト派やルター派は100年前のバプテスト派やルター派と同じ信仰を受けているからといって,
伝統的なクリスチャンは本当は暗黒にいるのか。
私達が神からの「新しい光」を見逃しているからといって, 私達は暗黒にいるのか。それが本当に箴言 4:18が言っていることか。


全くそんなことはない。イエス・キリストは「すべての人を照らすそのまことの光」である(ヨハネ 1:9)。
キリストに来る者は光の中にいる。それよりも輝く光はどこにあるのか。箴言 4:18の文脈は, 「悪者どもの道」(14節)と義なる者の輝きを増す光と対照をなす。


「悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない」(19節)。
義なる者がまっすぐにするための‘新しい光’を受けるまで邪悪な指示につまずくことを表わしていない。
もし, ‘新しい光’が古い教えに矛盾するなら, ‘古い光’は実際には,
暗やみだったはずだ。
ものみの塔教団がまだ幼児期にあって, 独自の教義につぎあてをあて始めるまでには
まだだいぶ時間があったとき, 創始者C・T・ラッセルは, 後に離れることになる
アドベンティスト派の一つの流れとしての際立つ実践を指摘した。彼は明言している。


「私達がある人に疑いも持たずに従うなら, 私達と違ってくるだろう。
疑いなく, 人間の考えはほかとは矛盾するだろうし, 一年か二年か六年前には正しかったものが今
や暗やみと関係することだろう。しかし, 神と共にいれば, 移りゆく様はなく, 変化する陰もない。


そして真理とともにある。神から来る知識も光も, その作者に似るに, ちがいない。
新しい真理の考えは, 決して前の真理と矛盾しないだろう。『新しい光』は決してそれ以前の『光』を絶やさない。
それに付け加えるのだ。」(『シオンのものみの塔』1881年2月3頁)。


しかし, 時代が進むと, ラッセルの新しい教団は, 以前のものみの塔の教えと矛盾する「新しい真理」を紹介することによって,

あの特徴的なパターンの中に堕落した。


しかし, 箴言 4:18のエホバの証人の誤用に反対するもっとも確かな証拠は,
おそらく以前に否定した考え方に何度も戻る組織の中に見つかる。
たとえばローマ 13:1「上位の権威」は, まず政府と教えられ,
その後, これを偽りの教義として否定し, 「上位の権威」を 神とキリストであるとした。


さらに後になってこの世の政府と再定義した。
その活発な信者に対し, その全員が「聖職者」であると組織が教え,
そしてこれを1970年代半ばに否定し,
それに代わり, 油そそがれた指導者だけが聖職者だと教え,
1980年代初期に活発なエホバの証人は, 聖職者だと宣言して回復させた。


行ったり来たりの同じ様な変更は, マタイ 24:45の「忠実で思慮深い奴隷」の同定に関する教団の教義の中にも起こった。
初めにその「奴隷」は, 集団的にクリスチャン会衆だと言われ, そしてC・T・ラッセル個人になり後に再び,
集合的な会衆全体となった。
とんぼ返りをする, 行ったり来たりのものみの塔の教えは, ソドムの人々が復活するかどうかの問題が
もっと徹底している。1879年, 公式に肯定し1952年に否定し, 1965年に再び肯定し, さらにもう一度, 1988年に否定した。(「Watchtower」 1879年7月8頁, 1952年1月1日338頁,1965年8月1 日479頁,1988年6月1日31頁 )。


これらの各号で‘ますます光が増す’のではなく, エホバの証人の光は, 点滅を繰り返してきた(前方の危険な交通を, 警告する高速道路の信号灯のようだ)。
実際, すべての人は, ものみの塔の道が「義なる人の道」(箴言 4:18)ではないとする警告を選ぶだろう。
滅びに至る広い道の数多くの通行車線の一つにもっとよく似ている(マタイ 7:13)。
エホバの証人組織が数年にわたって経験した数多くの教義の変更は, 実際に聖書に述べられている。
それは, 箴言 4:18ではない。新世界訳の適切な聖句はエフェソス 4:14である。
「人の悪巧みや, 人を欺く悪賢い策略により, 教えの風に吹き回されたり, 波に持てあそばれたりすることがなく」。


「ものみの塔」誌1995年7月1日6頁は「真理は変化しない」と述べている。
ものみの塔は, ‘真理’を宣べ伝えて来たのだろうか,
それとも‘単なる人間の解釈’を宣べ伝えてきたのだろうか。‘新しい光’がなぜ‘古い光’に, 何度も戻っているのだろうか。
組織の中に真理はあるのだろうか。

*1は, 歴史的事実は西暦539年ではなく, 西暦555年である。(『ジャポニカ万有百科事典』第9巻514頁)

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