新世界訳の評判


新世界訳の‘Word was a god’の翻訳についての主な聖書学者の見解

新世界訳聖書の翻訳‥‥‥"...the Word was a god."(「言葉は神であった」)について。

ジュリアス・マンティ博士

(証人の{校正者補足:1969年版}『王国行間逐語訳』1158, 1159頁に引用されている博士の証言)「ショッキングな誤訳である」。「時代遅れで間違いである」。「"the Word was a god." (「ことばは神であった」)とヨハネ 1:1を翻訳するのは学問を知らないし, 合理的でもない」。

プリンストン大学のブルース・メッツガー博士 『新約の言語と文献』の教授。

「恐ろしい誤訳だ」。「間違いだ。有害であり, 非難すべきだ」。「もし, エホバの証人がまじめにこの翻訳を選ぶなら, エホバの証人は多神教である」。

チューリッヒのサムエル・ミコラスキ博士

「(冠詞を使っていない)この無冠詞の構造は, 英語で不定冠詞"a" が含蓄しているものを意味しない。その聖句を"the Word was a god と訳すとは空恐ろしい」。

ポートランドのカウフマン博士

エホバの証人の人々がギリシア語文法の基礎的な学説に底知れず無知であることは, ヨハネ 1:1の誤訳で証明している。

ラ・ミランダのフェインバーグ博士

「エホバの証人のヨハネ 1:1の訳は, だれであれ立派なギリシア語学者には支持されないと, 私は保証できる」。

グラスゴー大学のウィリアム・バークレー博士

「このセクトによる故意の真理の歪曲は, 彼らの新約聖書に見られる。ヨハネ 1:1は, "...the Word was a god."「ことばは神であった」と訳される‥‥‥文法的に不可能な翻訳だ。このように新約聖書を翻訳できるセクトは知的な不正直者だということが十分すぎるほどはっきりしている」。

マンチェスタ−大学のF・F・ブルース博士

「そして"the Word was God"の句にある「神」の定冠詞の省略は異邦人の素人の文法学者が作った。そうした省略は, 述語構造にある名詞に共通している‥‥‥全体としてa god を弁護する余地はない」(F・F・ブルース博士とウィリアム・バークレー博士は指導的な英国のギリシア語学者と見なされている)。

シカゴ大学のアーネスト・コルウェル博士

「述語である主格が動詞が続くとき冠詞を持つ。動詞に先立つ場合, 冠詞が付かない。ヨハネ 20:28にあるトマスの「私の主, 私の神」の告白でその最高潮に達する福音の導入としてはそれがおかしいとは見なされない」(訳者注:ギリシア語テキストは, 『王国行間逐語訳』ではθεοσ ην ο λογοσ)。

ハイデルベルク・カレッジのフィリップ・ハーナー博士

「冠詞の無い述語に先立つ動詞は, たぶんロゴスがa god であったり, なんらかの神的存在(THEOS の一般的な範ちゅうに属するがHO THEOSとは遠い存在)を意味するのかもしれない。ヨハネが実際に用いている形式では, THEOS という言葉は強調するために始まりの位置にある」(訳者注:ギリシア語テキストは, 『王国行間逐語訳』ではθεοσ ην ο  λογοσ)。

カリフォルニア州立大学のジョンソン博士

「何であれ, THEOS EN HO LOGOS を"the Word was a god"と翻訳することは正当化されない。間接的な叙述で記述している使徒 28:6と文法的に平行してはいない。ヨハネ 1:1は, 直接的である。私はクリスチャンでも三位一体論者でもない」。

米国聖書協会の翻訳部門の責任者, ユーゲン・A・ニド博士

「ヨハネ 1:1については, 新世界訳聖書がギリシア語の文法をまじめに選ばない者が明らかにしたという単なる理由で当然, 紛糾があるらしいのだ」

ウエストコット博士

(彼らのギリシア語テキスト(英語欄でない)は『王国行間逐語訳』で用いられている人物)。 「ヨハネ 4:24にあるように, 初めにはっきりと述語(God )が存在する。必ずしも冠詞がなくともよい。下司な種類の考えがないと, 語句の形式による示唆を受ける。それはあっさりと「ことば」の真の神性を肯定する。三番目の節で, "the Word"は"God" と宣言させられ, 神性の調和に含まれる。

グリスバッハ博士

(彼のギリシア語テキスト(英語欄でない)は『エンファティツック・ダイアグロットに使われている)「キリストの真の神性を支持する聖書の証し及び論考はおびただしく, かつ明瞭である。聖書の神の権威の認めるところにより, また, 翻訳の公平なルールを重んじて, どうしてこの教義が人々の間で疑って考えられているか, 私にはとても想像できない。

ヨハネ1:1から3の箇所は, すべての例外に対し, 明瞭であり, 最上のものである。注釈したり, 批判しようとする努力もせずに真理の擁護者の手からむしり取られているかも知れない。エホバの証人へ:私どもはこの優れたギリシア語学者をあっさりと無視するのですか。そしてものみの塔の人造の教義に頑強にこだわるのですか。ギリシア語文法を話す教育をだれ一人として持たなかったのですか。

次は, 「エホバの証人への質問『誰が真理を愛するか』(テサロニケ第二 2:10)」から選んだ。

初めに言葉があった。

しかし, なぜ言葉は誤って引用されたのか。ヨハネ 1:1

このテキスト「言葉は神であった」は, エホバの証人の四人の会長たちにとって, 悩みの種であった。C・T・ラッセルは1876年, N・H・バーバー(アドバンティスト)からウィルソンの『エンファティック・ダイアグロット』を紹介されたとき, 安堵感を持った。ウィルソンは一度もカレッジで聖書のギリシア語を学んではいなかった。ウィルソンはジョン・トーマス(偽預言者であり, クリステードリフィアンの創始者)の追従者であった。トーマスもウィルソンも"THE WORD WAS GOD"とは信じてはいなかった。まったく訳文のないトーマスの本の逐語欄でウィルソンはtheos の下に"a god" と書いた。

しかし, theos の訳には"the LOGOS was God" と書いた。F・W・フランズ(エホバの証人の四代目会長, 既に死去)は, ダイアグロットに物足りなさを思い知らされ, 『新世界訳聖書』と呼ばれる自前の聖書を訳すことに決めた。

フランズは一度も聖書のギリシア語やコイネーギリシア語を研究しなかった。フランズはどこのカレッジも卒業してはいなかったし, 主張するようなにセシルローズのスカラーシップも受けてはいなかった。フランズはその聖句を"The Word was a god"と訳す。彼の『王国行間逐語訳』では, "god was the Word"と訳す。そうした翻訳は別の神を創造する。「私たちには一つの神がいる」。

F・W・フランズは, それを支持する翻訳本を見つけた。ヨハネス・グレーバーによる『新約』である(『全ての事柄を確かめよ』1965年版489頁)。ヨハネス・グレーバーとは誰か。別な本『神の霊的世界との交信』の著者でもある。その300頁でグレーバーはこう書いている。「神の霊が霊媒を介して人間に語る霊的な集会で, 私は自分で確信した後(彼らは古代のクリスチャン共同体に話しかけているのだから, 初めの考えはキリストに関するそれらの問題に十分な教化を乞うことであった。キリストとは誰か。

私の望みは叶えられた。些細な細かい点にまで, その知識は私の魂のもっとも高価な所有物となる。さらに, 私はキリストを考える真理を繰り返さなければならない。イエスの生涯, イエスの贖罪のわざ。彼らが教えた霊から私に伝えられたからだ」。霊は語った。「そのとき, すなわちキリストは神が創った最高の霊であり, 直接創造された単一の者であったと伝えられた時, キリスト自身は神ではない。多くの偽預言者が世を去ったからだ」ヨハネ第一 4:1。

グレーベルの翻訳は悪魔の世界から直接伝えられたものだ。それはものみの塔出版物の中に引用されている(『聖書理解の助け』1134頁を見よ)。

ものみの塔の『聖書全体は神の霊感を受けたもので有益です』327頁にはこうある。「ヘブライ語とギリシア語の学者アレキサンダー・トーマスが新世界訳聖書の批判の中で語ったことに注意しなさい」。「翻訳は明らかに, 熟達した。そして賢明な学者の作品である」。

『ディファレンシエーター』誌(識別する者の意)1952年4月号この文章はものみの塔のもう一つ別の嘘偽である。晩年のアレキサンダー・トーマスはギリシア語聖書の学者でも, ヘブライ語の学者でもなかった。彼の共著の編集者, イングルウッドのフランク・ネイス・ポホーラック博士によれば, 事実上, 彼は学校でギリシア語やヘブライ語を正式に学んだことさえなかった。トーマス氏はスコットランドの銀行に雇われていて, イエスが神だとは信じてはいなかった。

ギリシア語学者はヨハネ 1:1のエホバの証人の翻訳をなんと考えているのか。

マンティ博士

ヨハネ 1:1のものみの塔の翻訳を「ひどく誤解を招く翻訳」と考える。"the Word was a god." (「ことばは神であった」)とヨハネ 1:1を訳すのは学問を知らないし, 合理的でもない。「私の知る限り, この世界の学者のすべては, エホバの証人がやったような翻訳はしなかった」

ウリンストン神学セミナーの『新約の言語と文献』の教授, ブルース・メッツガー博士はこう語っている。

「この聖句でさらに有害なことに, 次の脚注‥‥‥"A god" を付して, "and the Word was a god." と訳すことだ。"the God" と対照的に‥‥‥」。「エホバの証人がまじめにこの翻訳を選ぶなら, エホバの証人は多神教だと, きわめて素直に言わざるを得ない。神の恵みのこの時代にあって, 有効な新しく付け加えられた考えにおいて, そうした表現は, 古代イスラエル人が陥りがちな異教徒, 多神教の間違いよりもはるかに叱責すべきものである。

しかし, しっかりした事実の重要性からして, そうした翻訳はぞっとするような誤訳だ」 「今日の神学」1953年4月グリスバッハ博士「キリストの真の神性を支持する聖書の証し及び論考はおびただしく, かつ明瞭である。聖書の神の権威の認めるところ により, また, 翻訳の公平なルールを重んじて, どうしてこの教義が人々の間で疑って考えられているか, 私にはとても想像できない。ヨハネ 1:1から3の箇所は, すべての例外に対し, 明瞭であり, 最上のものである。注釈したり, 批判しようとする努力もせずに真理の擁護者の手からむしり取られているかも知れない。

ユーゲン・A・ニド博士(よいたよりの聖書の米国聖書協会の翻訳部門の責任者)

「ヨハネ 1:1については, 新世界訳聖書がギリシア語の文法をまじめに選ばない者が明らかにしたという単なる理由で当然, 紛糾があるらしいのだ」

バークレ−博士(グラスゴー大学)

「このセクトによる故意の真理の歪曲は, 彼らの新約聖書に見られる。ヨハネ 1:1は, "...the Word was a god."「ことばは神であった」と訳される‥‥‥文法的に不可能な翻訳 だ。このように新訳聖書を翻訳できるセクトは知的な不正直者だということがありあまるほどはっきりしている」。「解説の時代」1953年10月

ウエストコット博士

(彼のギリシア語テキスト(英語欄でない)は『王国行間逐語訳』で用いられている)。 「ヨハネ 4:24にあるように, 初めにはっきりと述語(God )が存在する。必ずしも冠詞がなくともよい。下司な種類の考えがないと, 語句の形式による示唆を受ける。それはあっさりと「ことば」の真の神性を肯定する。三番目の節で, "the Word"は"God" と宣言させられ, 神性の調和に含まれる。

コールウェル博士(シカゴ大学)

「述語である主格が動詞が続くとき冠詞を持つ。動詞に先立つ場合, 冠詞が付かない。ヨハネ 20:28にあるトマスの「私の主, 私の神」の告白でその最高潮に達する福音の導入としてはそれがおかしいとは見なされない」(訳者注:ギリシア語テキストは, 『王国行間逐語訳』ではθεοσ ην ο λογοσ)。

F・F・ブルース博士(マンチェスター大学)

「そして"the Word was God"の句にある「神」の定冠詞の省略は異邦人の素人の文法学者が作った。そうした省略は, 述語構造にある名詞に共通している‥‥‥全体としてa god を弁護する余地はない」

ポール・カウフマン博士(オレゴン州ポートランド)

エホバの証人の人々がギリシア語文法の基礎的な学説に底知れず無知であることは, ヨハネ 1:1の誤訳で証明している。

カリフォルニア州ラ・ミランダのチャールズ・フェインバーグ博士

「エホバの証人のヨハネ 1:1の訳は, だれであれ立派なギリシア語学者には支持されないと, 私は保証できる」。

ハーリー・スターツ博士(ビオラ・カレッジでのギリシア語の教授であり, 言語部門の議長)

「そして, 新世界訳聖書の翻訳, "the Word was a god"は逐語的ではないが, 文法的ではなく, 偏よった翻訳である。英語での逐語的な翻訳は, "the Word was God"よりほかにない。「聖書の収集家」1971年7月−12月号12頁)

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