塔1997年5月15日

今回は, 「ものみの塔」誌1997年5月15日号に絞り論考します。

6頁「したがって,死者は何かを行ったり感じたりすることはできないと言うことになります。もはや何らかの考えを持つことも, 何かを思い出すこともありません。詩編作者はこう述べています。『高貴な者にも, 地の人の子にも信頼を置いてはならない。 彼らに救いはない。その霊は出ていき, 彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる。』」

ノート:ものみの塔協会は, 聖書の「地の人の子にも信頼を置いてはならない(詩篇 146:3-4)」と述べている命令に対して塔79年6月1日第1頁-12頁に渡って「目に見える組織に信仰を置く」事を勧めています。エホバの証人は, 組織信仰している事になります。また人が死ぬとき「夢と目標」が終わると言えます。

ルカ 12:18-20「そして言った。『こうしよう。あの倉をとりこわしてもっと大きいのを建て, 穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして自分のたましいにこう言おう[たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ, 安心して食べて飲んで, 楽しめ]』しかし神は, 彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは,今夜お前から取り去られる。そうしたらお前が用意した物は,いったいだれのものになるのか』

ルカ 16:22-24「さて, この貧乏人は死んで, 御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られたその金持ちは, ハデスで苦しみながら目を上げるとアブラハムがはるかかなたに見えた。しかもそのふところにラザロがいた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように, ラザロをよこして下さい。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』」

6頁「死んだとき, 魂は別の体に移るのではなく, 死ぬのだという事を, 聖書ははっきりと教えています。『罪を犯している魂−それが死ぬのである。』と聖書は強い調子で述べています。(エゼキエル 18:4, 20。使徒 3:23。啓示 16:3)このように, 霊魂不滅の教理-輪廻の理論の土台そのもの-を裏づけている箇所は聖書のどこにもありません。」

ノート:霊魂不滅の教理は, 輪廻思想の土台ではありません。輪廻思想は仏教から発しており紀元前600年頃の『ウパニシャッド』という文献によりインド一般に説かれました。

コリント第二 5:1「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても, 神の下さる建物があることを, 私たちは知っています。それは人の手によらない, 天にある永遠の家です。」

また聖書は, 死後も霊は存在することを示しています。

伝道 12:7「そのとき, 塵はかつてそうであったように地に帰り, 霊もこれをお与えになった[まことの]神のもとに帰る。」新世界訳

伝道 3:19,21「人間の子らに関しても終局があり, 獣に関しても終局があり, これらは同じ終局を迎えるからである。一方が死ぬように他方も死ぬ。皆ただ一つの霊を持っており , したがって人が獣に勝るところは何もない。・・人間の子らの霊は上に上っていくのか, また獣の霊は地に下っていくのか。」新世界訳

ルカ 8:52,55「『なかなくてもよい。彼女は死んだのではない, 眠っているのです』。 すると, 彼女の霊は戻り, 彼女はたちどころに起きあがったのである」。新世界訳

黙示録 14:11「そして彼らの苦しみの煙は, 永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者, まただれでも獣の名の刻印を受ける者は, 昼も夜も休みを得ない。」

7頁「『死んだ者は自分の罪から放免されている』と聖書は述べています。(ローマ 6:7,23)」したがって, 罪の結果が死後の生活に繰り返されることはありません。」

ノート:死んだ体は, アダム以来の罪の報いを受けており, もはや肉体において死ぬことはありません。

訂正:人々はその生涯において自分の行いについて裁かれます。

黙示録 20:12「・・・自分の行いに応じてさばかれた」。

啓示 20:12「そして, 死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により, その行いにしたがってさばかれた」。新世界訳

8頁「またエホバ神は, 愛に富んでおられます。(ヨハネ第一 4:8)ですから, 神はご自分の完全な記憶を, かつて悪いことをした死者を罰するためにではなく, 生前に持っていた人格のままパラダイスの地へ生き返らせるためにお用いになることができます。」(強調は引用者による)

訂正:不義は神の国に入れません。

コリント第一 6:9-10「あなたがたは, 正しくない者は神の国を相続できないことを, 知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者, 偶像を礼拝する者, 姦淫をする者, 男娼となる者, 男色をする者, 盗む者, 貪欲な者, 酒に酔う者, そしる者, 略奪する者はみな, 神の国を相続することができません。」

罪に満ちた人格では, 神の国に入れません。

コリント第一 15:51-53「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなくみな変えられるのです。 終わりのラッパとともに, たちまち, 一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると, 死者は朽ちないものによみがえり, 私たちは変えられるのです。朽ちるものは, 必ず朽ちないものを着なければならず, 死ぬものは, 必ず不死を着なければならないからです。」

11頁「1914年に主の日が始まって以来, ヨハネの見た幻の多くが成就してきました。(啓示 1:10)変ぼうによって予表された, イエスが『父の栄光のうちに到来する』ことについてはどうでしょうか。この幻は, 神の天の王国が1914年に誕生したときから成就し始めました。」

訂正: イエスは, 患難前に戻られるのであって1914年若しくはそれ以前に戻られることはありません。

マタイ 24:29-30「だが, これらの日の苦難に続いてすぐに, 太陽は暗くなり, 月は光を放たず, 星は天から落ち, 天の万象は揺り動かされます。そのとき, 人の子のしるしが天に現されます。すると地上のあらゆる種族は, 悲しみながら, 人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて, 天の雲に乗ってくるのを見るのです。」

11頁「9 その変ぼうの幻の中にいたのはイエスだけではありませんでした。モーセとエリヤの姿もありました。(マタイ 17:2,3)その二人は文字どおりそこにいたのでしょうか。いいえ。その両人とも亡くなって久しく, 塵の中に眠って, 復活を待っていました。(伝道の書 9:5, 10。ヘブライ 11:35)イエスが天の栄光のうちに到来する時, この二人も共に現れるのでしょうか。そうではありません。モーセもエリヤも, 人間に天への希望が差し伸べられる以前に生きた人だからです。」

訂正:イエスとモーセとエリヤが話し合っている場面は, 文字通りであり実際に起こりました。

マタイ 17:3「しかもモーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか」

彼らは話し合っている時点で天にいるので モーセとエリヤはイエスと共に地に戻ります。

黙示録 11:11-12「しかし, 三日半の後神から出たいのちの息が, 彼らに入り彼らが足で立ち上がったので, それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。そのときふたりは, 天から大きな声がして『ここに上れ』と言うのを聞いた。そこで彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。」

11-12頁「さらに, 啓示11章の文脈の中で, モーセとエリヤは, 終わりの時の油注がれた残りの者を予表しています。どうしてそれがわかるでしょうか。ここで, 啓示 11章1節から6節を見て下さい。3節には, 『わたしは, わたしの二人の証人に, 粗布を 着て千二百六十日のあいだ預言させる』と記されています。この預言は, 第一次世界大戦中, 油注がれたクリスチャンの残りの者に成就しました。」

訂正:「油注がれたクリスチャン」は預言しなかったか若しくは, 粗布を着ました。

黙示録 11:3「それから, わたしがわたしの二人の証人に許すと彼らは粗布を着て千二百六十日の間預言する。」

「油注がれたクリスチャン」は, イエス・キリスト共に立っていませんでした。

黙示録 11:4「彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木また二つの燭台である。」

「油注がれたクリスチャン」は彼らの敵を火によって滅ぼしません。

黙示録 11:5「彼らに害を加えようとする者があれば, 火が彼らの口から出て敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があればこの様に殺される。」

12頁「このすべては神のイスラエルを思い起こさせるのではないでしょうか。確かにそうです。イエスは忠実な追随者たちにこう告げました。『それゆえ, 行ってすべての国の人々を弟子とし, 父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し, わたしがあなた方に命令しておいた事柄すべてを守り行うように教えなさい。そして, 見よ, わたしは事物の体制の時までいつの日もあなた方とともにいるのです』。(マタイ 28:19,20)この言葉に従って, 油注がれたクリスチャンは, 西暦33年のペンテコステから今日に至るまで, エホバの代弁者として仕えてきました。」

訂正:真のクリスチャンは, 「地上のパラダイス」ではなく「イエス・キリスト」を宣べ伝えます。

使徒 1:8「しかし聖霊があなたがたの上に臨まれるとき, あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム, ユダヤ, サマリヤの全土, および地の果てまでわたしの証人となります。」

コリント第一 1:23「しかし, 私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」

一世紀のクリスチャンは, イエス・キリストのみ名を呼び求めていました。

コリント第一 1:2「コリントにある神の教会へ。すなわち, 私たちの主イエス・キリスト のみ名を, 至る所で呼び求めているすべての人々と共に, 聖徒として召され, キリスト・イエスにあって聖なる者とされた方々へ。主は, 私たちの主であるとともに, そのすべての人々の主です。」 使徒 7:59も参照のこと。

14頁「イエスの油注がれた兄弟たちと残りの者は, 地上の歩みを終えると, イエスと共になって栄光にあずかります。(ローマ 2:6, 7。コリント第一 15:53。テサロニケ第一 4:14, 17)こうして, 天の王国にあって不滅の王また祭司となります。そしてイエスと共に『鉄の杖で民を牧し, 粘土の器のように打ち砕き』ます。(啓示 2:27, 20:4-6。詩編 110:2, 5,6)」

訂正:イエスだけが陶器のように不義を粉々に砕かれます。

詩篇 2:8-9「わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え, 地をその果てまで, あなたの所有として与える。あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き, 焼き物の器のように粉々にする。」

イザヤ 63:3「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに, わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼らを踏み, 憤って彼らを踏みにじった。それで彼らの血のしたたりが, わたしの衣にふりかかり, わたしの着物をすっかり汚してしまった。」

黙示録 19:15「この方の口からは諸国民の民を打つために, 鋭い剣が出ていた。この方は, 鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた, 万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」

※酒ぶねを踏まれるのは, イエス・キリストであり鉄の杖で民を牧されるのもイエス・キリストです。

15頁「西暦一世紀より後, 本物のクリスチャン(イエスが『小麦』と呼んだ人々)がサタンのまいた背教の『雑草』に押しのけられるのに従って, この集める業の勢いは衰えました。しかし『終わりの時』が近づくにつれて, 1919年には, イエスの全ての持ち物をつかさどらせるよう任命されました。−マタイ 13:24-30, 36-43; 24:45-47。ダニエル 12:4。 ノート:真のクリスチャンはイエス・キリストへ信仰を通して神の本当のイスラエルです。 ガラテヤ 3:7「ですから, 信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。」

ガラテヤ 3:26「あなた方はみな, キリスト・イエスに対する信仰によって神の子供です。」

※144000人だけが, 神の子供になるのではありません。

ガラテヤ 6:16「どうか, この基準従って歩む人々, すなわち神のイスラエルの上に 平安とあわれみがありますように」

15頁「西暦33年以降, 12使徒が, 権威を持つ中心的な統治体の働きをしました。 その様な立場の者として, 使徒たちは恐れることなく証の業に率先しました。 (使徒 4:33, 35, 37; 5:18, 29)」

ノート:信頼の置ける統治体は, ペテロに従って間違いました。

ガラテヤ 2:11-16「ところが, ケパがアンテオケに来たとき, 彼に非難すべきことがあったので, 私は面と向かって抗議しました。なぜなら, 彼は, ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに, その人々が来ると, 割礼派の人々を恐れて, だんだんと異邦人から身を引き, 離れて行ったからです。そして, ほかのユダヤ人たちも, 彼といっしょに本心を偽った行動をとり, バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。しかし, 彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て, 私はみなの面前でケパにこう言いました。『あなたは, 自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず, 異邦人のように生活していたのに, どうして異邦人に対して, ユダヤ人の生活を強いるのですか。 私たちは, 生まれながらのユダヤ人であって, 異邦人のような罪人ではありません。 しかし, 人は律法の行ないによっては義と認められず, ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる, ということを知ったからこそ, 私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは, 律法の行ないによってではなく, キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら, 律法の行ないによって義と認められる者はひとりもいないからです。」

17頁「9 1975年から見ると, これらの18人のうち幾人もの人が地上の歩みを終えました。それらの人は, 世を征服して『イエスと共にその天の座に座して』います。(啓示 3:21)こうした理由や他の理由で, 統治体の成員は, 1994年に加えられた一人も含めて現在10名です。そのほとんどは, かなりの年齢に達しています。」

ノート:かつての統治体のメンバー「レイモンド・フランズ」は1981年に除名されました。

15頁「しかし徐々にもう一つのグループが姿を現すようになり, 1935年に, このグループは啓示7章の『大群衆』であることが確認されました。知的な希望を持つこれらの人々は, エホバがキリストにおいて集めることを意図しておられる『地にあるもの』の一部を成しています。(エフェソス 1:10)また, 羊の囲いに関するイエスのたとえ話の 『ほかの羊』の一部でもあります。(ヨハネ 10:16)」

訂正:大群衆は, 天的な希望を持っています。

啓示 7:9-10「これらのことの後, わたしが見ると, 見よ, すべての国民と部族と民と国語の中から来た, だれも数えつくすことのできない大群衆が白くて長い衣を着て, み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には, やしの枝があった。そして大声でこう叫びつづける。『救いは, み座に座っておられるわたしの神と, 子羊とに[よります]』」『新世界訳』聖書。

エペソ 1:3「わたしたちの主イエス・キリストの神また父がほめたたえられますように 。[神]はわたしたちを, キリストとの結びつきのもとに, 天の場所において, 霊のあらゆる祝福をもって祝福して下さったからです。」新世界訳。

ヨハネ 10:16「わたしには, この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも 導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い, 一つの群れ, ひとりの牧者と なるのです。」

19頁「それに, エホバは神のイスラエルにこう語りかけてこう言われました。『よそからの者たちが実際に立って, あなた方の羊の群を牧し, 異国の者たちは, あなた方の羊の群れを牧し, 異国の者たちはあなた方, エホバの祭司と呼ばれ, わたしたちの神の奉仕者と言われるであろう』。(イザヤ 61:5,6)『よそからの者たち』また『異国の者たち』とは, ほかの羊のことです。これらの人々は, 様々な責任をゆだねられて, ますます多くの業を担うようになってきました。それは, 年老いる油注がれた残りの者が地上の歩みを終え, 完全な意味で天的な『エホバの祭司』として仕えるために去って行き, 『わたしたちの神の奉仕者』としてエホバの威光のみ座の回りに立つようになるからです。」

訂正:『よそからの者』や『異国の者たち』は, 油注がれた異邦人です。

イザヤ 61:9「彼らの子孫は国々のうちで彼らのすえは国々の民の間で知れ渡る。彼らをみる者はみな彼らが主に祝福された子孫であることを認める。」

使徒 10:45「割礼を受けている信者で, ペテロといっしょに来た人達は, 異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。」

19頁「その『ものみの塔』誌は, 『イエスはその人々のことを[ほかの羊]と呼ばれた』と述べていました。」

訂正:「他の羊」は, 相続人の仲間です。

エペソ 3:6「その奥義とは, 福音により, キリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり, 共に一つの体に連なり, ともに約束にあずかる者ということです。」

エフェソス 3:6「・・・同じ体の成員・・・」新世界訳

19頁「『終わりの時』に関するイエスの大預言の中で予告された事柄は, 1914年以来生じており, この世界の滅びの近いことを示しています。」

ノート:1914年の計算は, 間違ったエルサレム陥落の年代を基準にしています。

文責:F

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