ものみの塔2000年3月15日号

今回は、ものみの塔誌2000年3月15日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


3頁「同じく神の憐れみを受けた別人は…」

訂正:クリスチャンは既に、神からの恵み、憐れみ、平安を受け取っています。

ヨハネ第二1:3「真理と愛のうちに、御父と御父の御子イエス・キリストから来る恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。」


4頁「イエスは, アダムの罪深い家族を設ける権利を放棄しました。自らの家族を設ける権利を放棄しました。自らの完全な人間としての命を犠牲にすることによって, イエスはアダムから出た人類すべてを買い戻し, 自分自身の家族として迎え入れ, その「とこしえの父」となりました。」

訂正:永遠のみ父であるイエスは、決して創造されませんでした。神の属性を保持していることを示しています。

イザヤ9:6「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」


6頁「公僕である方がいるのです」

訂正:神は公僕ではなく、永遠の命の創造者です。

ヘブル5:9-11「完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。」


6頁「イエスは, 人間として, 空腹, 渇き, 疲れ, 苦もん, 痛み, そして死を経験されました。イエスが堪え忍んだストレスや圧力は, 苦悩する人類のために大祭司として仕える上で, かけがえのない備えとなりました。」

訂正:イエス・キリストは、クリスチャンにとって大祭司なる方です。

ヘブル3:1-2「そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。 モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。」


7頁「イエスは, 悔い改めている罪人にどのように安らぎをもたらすのでしょうか。神のみ旨にかなう事を行おうとする各自の誠実な努力に喜びを見いだせるよう, その人を助けることによってです。」

訂正:信仰の告白による永遠の命は、決して努力と混合されません。

ローマ10:8-9「では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」


12頁「現代において, 真の光がかすかにさし始めたのは, クリスチャンの男女からなる一グループが聖書を真剣に研究することになった19世紀最後の四半世紀のことでした。このグループは, 聖書研究の実際的な方法を編み出しました。一人が疑問点を提起すると, 関係する聖句すべてをみんなで分析します。」

訂正:大ピラミッドの研究は、 聖書の研究ではありません。「ものみの塔」誌2000年1月1日号9頁をよく読みましょう。

「ものみの塔」誌2000年1月1日9頁「1886年にC・T・ラッセルが「世々に渉る神の経綸」と呼ばれるようになった書籍を刊行したとき, その本には, 人類が経た幾つかの時代をエジプトの大ピラミッドと関連づけた表が掲載されていました。ファラオ・クフのこの記念碑は, イザヤ19章19, 20節で述べられている柱であると考えられていました。」


12-13頁「ある聖句と別の聖句が矛盾するように思える場合, これら誠実なクリスチャンは二つの聖句の調和を図るようにつとめました。聖書研究生(エホバの証人は当時この名称で知られていた)は, 当時の宗教指導者とは, 異なり, 伝承や, 人間の作った教義ではなく, 聖書を導きてとすることを決意していました。」

訂正:聖書研究生たちは、大ピラミッドを調べて、人造の教義を進展させました。

「ものみの塔」誌2000年1月1日号9頁「一例として, 当時の理解では, その大ピラミッドの内部, ある通路の長さ, マタイ24章21節の「大患難」の始まる時を指し示しているとされました。聖書研究生の中に, 自分たちが天に行く日はいつなのかといったことを見定めようとし, そのピラミッドの各部の寸法を測ることに夢中になった人たちも現にいました。」

追加:夢中になっていたのは、初代会長ラッセル自身です。詳しくは、ここ をご覧下さい。


13頁「聖書研究者の中で際立っていたのは, チャールズ・テイズ・ラッセルです。ラッセルは, 聖書研究に役立つ手引き書として, 「聖書研究」(英語)全六巻を執筆しました。」

訂正:C・T・ラッセルは、聖書の代わりに自らの著作である「聖書研究シリーズ」を学ぶように求めました。「ものみの塔」誌1910年9月15日号298-299頁「一方、私たちが聖書の1頁を読まなくても、「聖書研究」を読むならば、‘光’(補足:「聖書研究」双書)を持っているゆえに二年後には、光の中にいる。」


27頁「悪魔サタンは, ヨブも試みられる状況に置かれれば神を呪う, と主張しました。エホバがこの挑戦に応じられたので, サタンは直ちにヨブに災いをもたらしました。」
訂正:ヨブは、神の守りの中におり、サタンにつくかエホバにつくかという挑戦ではありませんでした。神の許しなしには、サタンは何もできません。ものみの塔協会の主張する宇宙論争など最初から存在しません。また、「憎むべき敵は、地上から一掃される」と言う考えは、結局の所、エロスの愛の範疇の粋を出ません。神の愛は、敵のためにも命を捨てます。

ヨハネ15:13「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

ローマ5:6-11「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。  しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。」


27頁「エリフは, 『かつてヨブが, 「私は確かに正しい。しかし神が私の裁きを押しやられた」といった』ことに気づいたのです。」

訂正:エリフは、偽りの仮定をしました。神は、エリフを重要視されていません。

ヨブ記36:11「もし彼らが聞き入れて仕えるなら、彼らはその日々をしあわせのうちに全うし、その年々を楽しく過ごす。」

ヨブ記38:1-2「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか」


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