ものみの塔2000年6月1日号

今回は、ものみの塔誌2000年6月1日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


5頁「「人間の偉大な時代」(Great Ages of Man)という百科全書は、教会と国家のこの統合のため、「クリスチャンに対する迫害の最後の大波が過ぎ去ってわずか80年後の西暦紀元385年には、教会全体が異端者の処刑に着手し、僧職者は皇帝にほぼ等しい権力を振るった」と述べています。」

訂正:多くの牧師は、アゥグスティヌスのように苦難に耐えて欲しいと願っています。

The Imitation of Christ., 第19章5節「…苦しみと悲しみは、魂の健康のためである。」


5頁「ですから、創造されたものとして、イエスは率直に、「父は私よりも偉大な方です」と述べました。」

訂正:イエス・キリストは、決して創造されませんでした。永遠の昔から存在です。イエスは、「父は、私よりも能力に於いて偉大です」と述べられませんでした。

ミカ5:2「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」


5頁「しかし3世紀までに、幾人かの影響力のある僧職者たちは、異教ギリシャの哲学者プラトンが説いた三位一体の教えに傾倒し、三位一体の教説に合うよう神についての見方を作り変えるようになっていました。その後、幾世紀かの間に、この教理は、聖書に反してイエスをエホバと同等の地位に高め、神の聖霊つまり活動力を人格的なものに仕立てました。」

訂正:プラトンは、決して「神は父であり御子であり聖霊である」と教えませんでした。

『フンクとワグナル辞典』第21巻73頁。「…彼は、西暦529年にビザンチン皇帝Justinian I世によって閉じられるまで異教の教えを退けた。」


5頁「しかし、三位一体の教義で最初に呼ばれてしかるべきなのは、まさしくこの定式である。使徒後教父の間には、こうした思考法もしくは観点にわずかでも近づくような事柄とされるものは一つもない。」

訂正:ペテロは、ものみの塔の冒涜を退けます。

ペテロ第一1:1-2「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」


5頁「今日、人間には肉体の死後も生き続ける不滅の魂があると一般に考えられています。しかし、これも後代に付け加えられた教会の教えであることをご存じでしたか。」

訂正:ヨハネは、ものみの塔の冒涜を退けます。

黙示録6:9-10「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」」


5頁「イエスは、死んだ者には「何の意識もなく」、いわば眠った状態であるという聖書の真理を、そのとおりに認めていることを示しました。(伝道者9:5, ヨハネ11:11-13)」

訂正:イエス・キリストは、ものみの塔の冒涜を退けられます。

ルカ16:22-23「さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。」


5頁「ラザロが死から目ざめた時、不滅の魂が天上の至福から肉体に引き戻されたわけではありません。−ヨハネ11:39,43,44。」

訂正:ものみの塔は、聖書に何が起こったかを見失っています。

ヨハネ11:4「イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」」

ノート:神は、だれにもご自身の栄光を分け与えられません。

イザヤ42:8「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」


5頁「では、霊魂不滅説は、どこから来ているのでしょうか。この概念は「聖書的な啓示というより、ギリシャの哲学に負うところが大きい」と『ウェストミンスター・クリスチャン神学事』(英語)は述べています。」

訂正:ものみの塔は、アリストテレスに完全に同調しています。

『フンクとワグナル辞典』(英語)第20巻356頁。「…アリストテレスの言う魂とは、事実上の肉体であり人間であり地球上の他の種類よりも高い形態の魂であり、朽ちていく種類の中で最も高等なものである。」


6頁「地獄のとこしえの責め苦という教えは、人を神に引き寄せると本当に思われますか。決してそうではないでしょう。公正で愛に富む人々にとって、これは嫌悪を感じさせる考えです。」

訂正:自然な人間の感情は、地獄の教えを受け入れられません。「愛ある神がどうして、とこしえの責め苦を…」と考えることでしょう。しかし、ヨハネは、ものみの塔の冒涜を退けます。

黙示録20:10「そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」


6頁「悲しむべきことに、今でも「時代の優勢なイデオロギー」のほうが支配的になる傾向があります。例えば、多くの教会が、さまざまな問題に関する立場を変えてきたことは、周知の事実です。」

訂正:ものみの塔は、「新しい光」という名の下に、恐ろしいほど多くの教理的な変遷を繰り返してきました。

「ものみの塔」誌2000年1月1日号10頁を読みましょう。箴言4章18節を引用し、教理的変遷を、「新しい光」として正当化しています。ここもお読み下さい。


7頁「イエスは、クリスチャンととなえる多数の人となんと対照的なのでしょう。実際、聖書はこう予言していました。…」

訂正:ものみの塔は、人を裁くことを否定しつつ積極的にキリスト教会を誹謗・中傷しています。

下の記事もお読み下さい。

12頁「しかし。神の道徳的規準を堅く守るとは、他の人をすぐに裁くようになるという意味ではありません。」


12頁「そして、永遠の命を目ざしつつわたしたちの主イエス・キリストの憐れみをまちなさい」と述べています。(ユダ3, 4, 8, 9-21)彼らは、救いが得られるという希望により、道徳的に清くあるための戦いを続けるよう力づけました。」

訂正:真のクリスチャンは、神の愛によって習慣的な罪から守られます。

ユダ1:24-25「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。」


19頁「間もなく、ある日、まさに適切な時に、イエスはこの体制に神の裁きを執行するために来られます。その時に生じる大いなる事柄は、そのあと宇宙の歴史に記されますが、エホバの忠実な僕たちはその最中にも、とこしえの救いを望み見ながらエホバに仕えていることでしょう。」

訂正:真のクリスチャンは、イエス・キリストが罪の和解と成られることによって救われました。

コリント第一 1:18「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」


By Rance.

メインページに帰る。

この記事の, 著作権はIkerumizunokaiに帰属します。どの様な方法であれ, 無断転載を 一切禁止します。Copyright (C) 2000 by Ikerumizunokai All rights reserved.

This article or parts thereof may not be reproduced in any form without permission.