ものみの塔2000年6月15日号

今回は、ものみの塔誌2000年6月15日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


7頁「大患難を生き残るために求められる条件の一つは・・・」

訂正:真のクリスチャンは、大患難の後に殺されます。

ダニエル7:21-22「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』」

黙示録13:15「それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。」


12頁「役人の汚職, 貪欲な雇い主, 力不足の教師, 子供を虐待する親などについてのニュースが流れてきます。幸いなことに, クリスチャン会衆内の権威ある人々に対してそのような見方をする人はほとんどいません。」

訂正:真のクリスチャンは、決して偽りの教師である「ものみの塔聖書冊子協会」に敬意を払いません。

ガラテヤ2:4-5「実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。

私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。」


14頁「パウロは, 1世紀のクリスチャン会衆の統治体の決定に敬意を払いました。」

訂正:パウロは、エルサレム教会の指導者に対して、少しばかりの敬意を示しました。

ガラテヤ2:7-12「それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。 ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。

そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。 ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。

ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。」


14頁「しかし, パウロはそのように考えなかったようです。クリスチャンとしての原則を曲げることにはならないので, 1世紀の統治体からのその助言を尊重し, それに従って行動しました。」

訂正:パウロは、警告にも関わらず、ペンテコステの祭りのためにエルサレムに留まることを決心していました。

使徒20:16「それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。」

使徒20:22-24「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。

ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」


17-18頁「一方, イエスの助言の精神に従って行動する長老たちは, 会衆の他の成員を敬います。エホバが忠節な崇拝者たちを尊重し, イエス・キリストが忠節な追随者たちを尊重するのと同じです。」

訂正:イエス・キリストは、忠節な崇拝者に、敬意を払われます。

マタイ8:2-3「すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」

イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。」


19頁「エホバは最初の人間を創造したとき, その事業にご自分の独り子を「優れた働き手」として参加させました。(箴言8:27-30。創世記1:26)」

訂正:神は、彼によって全てのものを創造されました。

イザヤ44:24「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。」

イザヤ44:24「わたし, エホバはすべてのことを行い, 独りで天を張り伸ばし, 地を広げている。だれがわたしと共にいたか。」『新世界訳聖書』

ヘブル11:9-10「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。」


27頁「しかし後ほど, あるエホバの証人の助けを得ながら聖書を調べてみることにしました。邪悪な者が火の燃える地獄で責め苦に遭うという教えなど聖書にはないということを知って大変驚きました。」

訂正:エホバの証人は、「イエス・キリストは、うそつきである。」とふれ告げています。

マタイ13:41-42「人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」

マルコ9:47-48「もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」


27頁「また, 矯正できない邪悪な者として神に裁かれる人々は, 永久に墓の中にいるということも知りました。マタイ12:31, 32」

訂正:全ての死者は、イエス・キリストの御前に於いて裁きを受けるために復活します。

マタイ25:31-32「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。

そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、」

黙示録20:11-12「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。」


29-31頁「読者からの質問 エホバの証人は, 血液に由来する医薬品を受け入れますか。」

当サイトの見解:当サイトは、エホバの証人の自由意志に基づく医療選択権については、 何ら反対しません。輸血は、リスクを伴うものであり、緊急を除いて避けるべき医療行為だと考えます。しかし、輸血拒否は、聖書的根拠がないものと理解しています。初代会長ラッセルは、「使徒15:28-29と使徒20:20-25は、ユダヤ人を躓かせない一時的な取り決めである。」という見解を示していました。ものみの塔協会の出版する『新世界訳聖書』は、使徒15:28-29と使徒20:21-25では、意図的かどうかは、わかりませんが、一部翻訳が間違っています。詳しく知りたい方は、住所とご氏名を明記の上、メールを下さい。お答えします。

 「血を食べないことは、永遠の掟である。」などと、ものみの塔協会は、主張します。しかし、ものみの塔の中で、「輸血禁止」が定められたのは、1945年のことです。つまり、ものみの塔流に言えば、ラッセルとラザフォードは、「血の取り扱い」について「忠実で思慮深くはなかった」のです。

 また、不思議なことに「血の固まり」である臓器移植は、1980年に解禁になりました。1968年に「臓器移植は、人喰い行為」として避けられ、違反者は、除名の対象とされてきました。しかし、1980年になってその「神の掟」は、解禁になりました。その間に臓器移植拒否のために死亡したり、除名された元証人に対してものみの塔協会は、謝罪も「ものみの塔協会に戻ってくるように」という呼びかけもありません。

 人命に関わる医療行為についても、コロコロと見解を変える「ものみの塔聖書冊子協会」は、どれほど信頼が置けるのでしょうか。

 ものみの塔協会は、「新しい光」という名の下に、「聖書は、何を述べているのか。」ということよりも、ただ「組織に忠実であるように。」と要求しているのです。

  By Rance.

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