ものみの塔2001年3月1-15日号

今回は、ものみの塔誌2001年3月1-15日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書や史実と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


3月1日号 4頁「一方, イエスについて考えて下さい。イエスは神に対して強い信仰を抱き, その教えは幾世紀にもわたって何億という人々に影響を与えてきました。」

訂正:イエス・キリストは、御父を見ておられましたので、御父に対する信仰など必要としておりません。

ヘブル11:1「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

ヨハネ6:46-47「だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。」


8頁「聖書はいつの日か地球がパラダイスとなり・・・この点を念頭に置くなら・・・」

訂正:真のクリスチャンは見えるものではなく、目に見えないものにこそ目を留めます。

コリント第二5:7「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。」

ヨハネ16:33「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」


9頁「エホバの証人は, 235の地域で活動しています。」

ノート:「ものみの塔」誌2001年1月1日号では、人口14億の中国には、エホバの証人は、いません。


10頁「さて, イザヤが預言した平和は・・・」

訂正:イザヤはイエス・キリストについて預言しています。

ヨハネ14:27「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」


10頁「その結果, 証人たちの間には比類のない仲間意識が生まれます。・・・。」

訂正:ものみの塔の中は、「霊的パラダイス」ではありません。「エホバの証人の間で建物を建てることによりそこから大いに利益を得ている数百、数千の人々がいる。」ことを元統治体のメンバーであるレイモンド・フランズはInserch of Christian freedomの387頁の中で明らかにしています。


11頁「この「対処しにくい危機の時代」の中に霊的パラダイスが存在することは, 神の力の証明であり, 将来神が成し遂げて下さることのできる事柄の前触れとなっています。」

訂正:神の力はイエス・キリストの福音(良きたより)です。

ローマ1:16「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。


11頁「霊的パラダイスを享受している人たちは, 現在さえ, イザヤ49章10節の次の言葉の霊的成就を体験しています。」

訂正:これは真のクリスチャンにイエス・キリストによってもたらされる将来の預言です。

黙示録7:16-17「彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」」


16頁「エホバの食卓には, 良い食べ物がまさにふんだんに供されています。(コリント第一10:21)「忠実で思慮深い奴隷」を通して, 何にせよ霊的に必要なものすべて与えられています。」

訂正:ものみの塔は、主イエス・キリストの血と体ではありません。

コリント第一10:16-17「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。 パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。」

ノート:多くのエホバの証人は、イエス・キリストの血と体にあずかりません。


17頁「西暦前607年には, エルサレムとその神殿が滅ぼされ, ・・・」

訂正:ものみの塔は、歴史的な事実に、20年のボーナスを加えています。エルサレム陥落は、BC586-7年です。


19頁「この少数のクリスチャンの一団は, かつて自分たちを捕らえていた者を「踏みつける」ようになったのです。1922年, この一団は近づくキリスト教世界の終わりを告げ知らせ始めました。」

訂正:新約聖書は、肉体的投獄を霊的投獄と同等視していません。

テモテ第二2:8-10「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。 ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。」


21頁「今日, この預言の言う「奥の部屋」とは, 世界中にあるエホバの民の幾万もの会衆と関連があるようです。それらの会衆は今でさえ保護となっています。会衆は, クリスチャンが兄弟たちに囲まれて安全を見いだし, 長老の愛ある世話を受けられる場所です。」

訂正:神の怒りからの逃れ場所は、イエス・キリストの内にあります。

テサロニケ第一5:9-10「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」


21頁「1919年, レビヤタンは神の民を捕らえておくことが出来なくなりました。」

訂正:イエス・キリストは、1919年に戻ってこられていません。

黙示録19:11-15「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。 その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」


22頁「ですから, だれもクリスチャン会衆の福祉を脅かしてはなりません。すべての人は 『エホバのとりでをつかみ』, 神の恵みと保護を求めるべきです。」

訂正:ものみの塔協会は、主イエス・キリストではありません。

ローマ5:1-2「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」


32頁「輸血についての記事」

ノート:輸血拒否という医療選択権以上に主イエス・キリストの血の重要性を忘れてはいけません。

エペソ2:13「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」

ヨハネ第一1:7「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」



3月15日号

7頁「聖書を研究して, 神がイエスを栄光に満ちた霊の被造物として天の命に復活させたことが分かったのです。」

訂正:イエス・キリストは、栄化された体として復活しました。

ルカ24:37-39「彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。 すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」」


17頁「ですから, 淫行を禁じるエホバの律法がわたしたちを保護するためにあることは明らかではないでしょうか。」

訂正:律法の目的は、私たちを救い主であるイエス・キリストのもとに導くことなのです。

ガラテヤ3:10-14「というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる。」のです。

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」


18頁「神の霊は, 油そそがれた者たちと地的な希望を持つその仲間たちが忠実に生きるよう導きを与え, 罪深い業を避けるよう助けることができます。」

訂正:すべての新生したクリスチャンは、天にいます。

ピリピ3:15-21「ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。

兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」 黙示録19:1「この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」


28頁「擬人化された知恵は, 人間になる以前の神の子イエス・キリストを比喩的に表しています。」

質問:イエス・キリストが、被造物であり箴言で述べられている「知恵」であるならば、神は「知恵」を持たない時代があったということになりませんか。

質問2:ものみの塔協会が1942年に出版した欽定訳聖書(KJV)は 箴言8:1-4で次のように訳出しています。

Does not wisdom cry out,And understanding lift up her voice? She takes her stand on the top of the high hill,Beside the way, where the paths meet. She cries out by the gates, at the entry of the city,At the entrance of the doors: "To you, O men, I call,And my voice is to the sons of men.」

質問:ものみの塔が1942年に出版した聖書では、知恵は、女性名詞として描写されていますが、これはイエスが女性であることを指しますか。


By Rance.

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