ものみの塔2001年8月15日号

今回は、ものみの塔誌2001年8月15日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書や史実と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


7頁「聖書は, この危機の時代が「終わりの日に」やって来て, その後, 人間社会全体に…」

ノート:ものみの塔は、イエス・キリストについての良きたよりに焦点を合わせません。

コリント第一15:1-4「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、」


8頁「加えて, 連邦憲法裁判所は, エホバの証人は「クリスチャンとしての中立」を実践する時, 「民主主義の原理を攻撃してはおらず」, 「民主主義を他の形態の統治と交代させたいと願っているのではない」と述べました。」

ノート:「ものみの塔」誌は、民主主義は、究極の所エホバの支配を妨げる邪悪な存在であると教えています。詳しくは「ものみの塔」誌2000年10月1日号5頁をご覧下さい。裁判所は、ものみの塔の法定代理人により騙されてしまいました。

ものみの塔は、終わりの日に、天から支配する唯一の王国政府に立ち向かう邪悪なものを、滅ぼすと教えています。その中には、民主主義も含まれるのです。私たちは、裁判官のように騙されてはいけません。


14頁「別の意味でも, アブラハムは私たちの父であると言えます。その信仰が, 見倣うべき模範となっているからです。アブラハムは一生の間に幾度も試みや試練に遭遇したので, 生涯を通じて信仰を表明したということができます。」

訂正:本物の信仰は、救われるためによい業を必要としていません。

エペソ2:8-9「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

ガラテヤ3:5-7「とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。」

ローマ4:5「他方, 業を行わなくても, 不敬虔な者を義と宣する方に信仰を置く者に対しては, その人の信仰が義とみなされるのです。」「新世界訳聖書」


16頁「それゆえ, アブラハムはわたしたちの立派な模範となっています。彼はエホバとの交友関係を, 他のすべてのものより, 家族のきずなよりも優先させました。」

ノート:あなたは、イエスの友ですか。

ヨハネ15:14「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」


16頁「神の約束がどのように, いつ, どこで果たされるかについて, 詳しいことは知りませんでしたが, 自ら進んでそれらの約束に命を懸けました。」

訂正:真のクリスチャンはイエス・キリストへの信仰を第一にします。

コロサイ1:18「また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。」


16頁「アブラハムの近親者については何と言えますかアブラハムの信仰と確信は, 近親者に並々ならぬ影響を与えたようです。妻のサライと, 親を亡くした甥のロトは, 二人とも神の召しに従ってウルを後にするよう心を動かされました。アブラハムの兄弟ナホルとその子孫の一部は, 後にウルを去ってハランに居を定め, そこでエホバを崇拝しました。」

訂正:神はアブラハムにハランをでるように命じられました。

創世記12:1「 その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」


16頁「そのため聖書は, カナンに向かう移動を行った功績を, 家族の頭であるテラのものとしています。」

訂正:アブラハムの父テラは、偶像礼拝者でした。決してその生き方は、誉められたものではありません。テラはアブラハムに対する神のご計画の成就に対して妨げとなりました。

創世記11:31「テラは、その息子アブラムと、ハランの子で自分の孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライとを伴い、彼らはカナンの地に行くために、カルデヤ人のウルからいっしょに出かけた。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みついた。」

ヨシュア記24:2「ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。」

ヨシュア記24:2「次いでヨシュアは民のすべてにこう言った。「イスラエルの神エホバはこう言われました。『あなた方の父祖たち、アブラハムの父またナホルの父のテラがずっと昔に住んでいたのは川の向こうであった。そして彼らは他の神々に仕えていた。』」」。「新世界訳聖書」。

ヨシュア記24:14-15「今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。

もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」


17頁「神は, 今日のご自分の民すべてに富を約束しておられるわけではありませんが, 王国のために「家, 兄弟, 姉妹を後にする」人々必要物を供給するという約束は必ず果たされます。」

訂正:真のクリスチャンは、王国ではなくイエス・キリストに信仰を置きます。

マルコ10:29-30「イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」

マタイ8:22「ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」」


18頁「…ですからわたしたちは, 信仰を行動で示し, エホバに依り頼むよう…」

訂正:キリスト・イエスにある信仰により律法的信仰から開放されます。

ガラテヤ3:13-14「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」


20頁「アブラムは妻に, あらかじめ二人で合意していた方策を用いることを伝えます。つまり, サライをアブラムの妹ということにするのです。ここで注目に値するのは, アブラムが, 族長としての権威を有していたにもかかわらず, 自分の立場に物を言わせて無理強いするのではなく, 妻の協力と支持を引き出したという点です。(創世記12:11-13; 20:13)」この点でアブラムは, 愛を持って頭の権を行使する夫たちの立派な模範であり, サライも, 服する態度を示すことにより, 今日の妻たちの模範となっています。」

訂正:アブラハムは、堕落した信仰の結果、自分の妻を妹と紹介しました。 アブラハムの決断は、妻サライの貞操を奪いかねない結果となりました。

創世記20:2-3「アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です。」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。 ところが、神は、夜、夢の中で、アビメレクのところに来られ、そして仰せられた。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」」

創世記20:9「それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」」

テモテ第二2:13「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。」


32頁「2000年11月17日, エホバの証人は, 「その出版物に見られる教育や教えを[通して], コンゴ国民の開発, 発展に貢献した」という理由で, 優秀賞を贈られました。」

ノート:ものみの塔のやり方は、真の宗教の方法ではありません。

マタイ6:2「だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」

ヤコブ1:27「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」


By Rance.

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