ものみの塔2001年9月1日-10月15号

今回は、ものみの塔誌2001年9月1日号から10月15日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書や史実と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


9月1日号 3-4頁「「悪魔とは実際のところ, 人間自身の罪深さを説明するために, 人間がつくりだしたものである」という意見に同意されますか。この一文は「ゾンダーバン図解聖書百科事典」(英語)の中にあり, 自分はクリスチャンであるという多くの人もそのように考えています。ジェフリー・バートン・ラッセルによれば, キリスト教世界の神学者はおおむね「悪魔と悪霊たちを迷信の名残として片づけている」ということです。……ラッセルは…」

訂正:歴史家ラッセルは, クリスチャンではありません。

ノート:全てのクリスチャンが救われるわけではありません。

マタイ7:21-23「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」


5頁「イエスは当時の宗教教師たちに語った次の言葉を考慮すると, 悪魔に関して多くのことを知ることができます。」

ノート:ものみの塔は, イエス・キリストを神として受け入れることができなかったパリサイ人に似ています。

ヨハネ8:56-59「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」 すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。」


5頁「それは, 神の支配の仕方の正当性に対する攻撃であり, 極めて重大な論争を提起しました。」

訂正:サタンは, アダムとエバを神に背かせるために誘惑しました。


6頁「悪魔は「その始まりにおいて人殺しであり, 『真理のうちに堅く立たなかった』と述べました。」」

ノート:ものみの塔は, イエス・キリストの真理のうちに堅く立てなかったアダムに似ています。

ヨハネ14:6「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

ノート:悪魔は, 人々を永遠の裁きについて誤導するために「ものみの塔」を用います。

黙示録20:10「そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。」

黙示録20:15「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」


6頁「王国が1914年に設立されて」

訂正:この年代計算は, 偽りのBC607年エルサレム陥落説に基づいています。


6-7頁「悪霊の影響はどれほどの範囲に及んでいるでしょうか。…」

ノート:あなたは, ものみの塔と悪魔によって盲目とされましたか。

ヨハネ第一5:4-5「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」


7頁「悪魔は, 神のご意志を行いたいと願っている人々を攻撃するために, いつも残酷な手段を用いるというわけではありません。」

ノート:あなたは, ものみの塔と悪魔によって盲目とされましたか。

コリント第二11:3「しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。」


8頁「そうではあっても, 戦いの絶えないこの世界にも, 真の平和が確かに存在しています。どこにでしょうか。イエス・キリストに従う人々, すなわちイエスの言葉に留意し, その生き方に倣おうと努めている本当のクリスチャンの間にです。」

訂正:本物のクリスチャンは, イエス・キリストのうちに平和を見いだします。

エペソ2:14-16「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」


8頁「…その人たちの平和は, 神からの賜物であり, 人間が作り出したものではありません。…」

訂正:救いは, 神からのプレゼント(賜物)です。

エペソ2:8-9「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」


9頁「パウロは, ローマの人たちに, ただ穏やかな気質を持つようにといっていたのではありません。もちろん, それも益になります。パウロは, 平和を作るようにと勧めていたのです。だれとの平和でしょうか。「すべての人」, つまり家族, クリスチャン仲間, さらには信条を共にしない人たちです。」

ノート:ものみの塔は, フランスに於いて税制優遇の剥奪により法廷で闘争を繰り返しています。


10頁「1世紀のクリスチャンは, 大胆なことで知られていました。音信をあいまいにするようなことはせず, 反対に面したときも, 支配者として人間より神に従うことを思い定めていました。」

ノート:一世紀のクリスチャンは, 税のことで, もめることなく, イエス・キリストについて宣明しました。

使徒5:42「そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。


18頁「汚点もきずもない, 平和で安らかな者としてエホバから見いだされる人たちは, 義の宿る楽園の地で, やがてとこしえの命という祝福を得るでしょう。」

ノート:真のクリスチャンは, 業によってではなくイエス・キリストに対する信仰を通して永遠の命を持ちます。

ペテロ第二3:14-16「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。」


19頁「フランスで何が起ころうとしているか。…最近の出来事は, その基本的自由が侵害されてはいないかとの懸念を抱かせます。…」

ノート:ものみの塔は, 自ら偽りの組織であることを本や雑誌を通して宣言しています。

ヤコブ1:27「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」


31頁「読者からの質問 コロサイ1章16節は, 神のみ子に関して, 「他のすべてのものは彼を通して, また彼のために創造されている」と述べています。どのような意味で, すべては神のみ子イエス「のために」創造されたのでしょうか。エホバは, 他の全てのもの, つまりイエス以外のすべてのものを創造するにあたって, その独り子を優れた働き人としてお用いになりました。」

訂正:全知全能の神は, 主な働き人を用いられませんでした。

(1)まず, ギリシャ語底本には, 「他の」に当たるギリシャ語はありません。ものみの塔は, そのいいわけとして「聖書から論じる」162頁でルカなどでパンタをそのように訳出しているものがあると言います。しかし、このコロサイ1:16では, イエス・キリストが被造物になるかどうかという大切な問題を含んでいます。元々の原語である「他の」を除いた場合, どの様な理解になるでしょうか。

(2)もし, イエスが被造物であるならばヨハネ1:3では「すべてはこの方によって造られた」と述べています。イエスが被造物ならばイエス(ミカエル)は、自分を自分で創造したことになりませんか。新世界訳でもヨハネ1:3には「他の」という言葉はありません。

ヨハネ1:3「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」

(3)イザヤ44:24では, 創造の時「だれがわたしと共にいたのか」(新世界訳)と述べられており、天地創造の際、全知全能の神の傍らに働き手がいなかったことを示していませんか。

イザヤ44:24「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。」

(4)イザヤ43:7は「すべてわたしの名で呼ばれている, わたしがわたしの栄光のために創造しわたしが形造り…, 」は一致しないではないか。

(5)全知全能の神は, 「わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」と述べておられるのに, イエス・キリストに対しては与えておられるのは何故か。

イザヤ42:8「 わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」

イザヤ48:11「わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行なう。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」

黙示録5:12「彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」

質問:あなたは, イエスに栄光と賛美をささげますか。

(6)イエスの王国が千年だけならどうして「小羊に栄光が永遠にあるように」と言われているのでしょうか。

黙示録5:13「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」

ヘブル11:9-10「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。」



9月15日号

3頁「真理もしくは真実を非常に大切なものとみなし, それを意欲的に探求する人たちは, …」

訂正:真理は, イエス・キリストのうちに見いだされます。

ヨハネ14:6「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」


5頁「ハルマゲドンに於ける全能者なる神の大いなる戦争に諸国民すべてを集める業はすでに始まっているからです。」

訂正:地上は, 青草がしげしげと茂っています。

黙示録8:7「第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。」


8頁「エホバの民の場合は, 大会はイスラエルの時代にまでさかのぼります。…出席する人は, ……同様に, 現代のエホバの証人の大会も霊的な関心事…」

訂正:古代に於いて, 神の子羊は, 殺されました。

出エジプト24:6-9「 モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」 それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った。」

ヘブル10:19-22「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」


17頁「それとは逆に, 神の言葉を愛して適用する人々には, 現在も将来も, 豊かな祝福が及びます。その人々は神の律法による開放を実感しており, 本当に幸福です。」

訂正:真のクリスチャンは, イエス・キリストに対する信仰を通して, 律法から開放されます。

ローマ3:20-22「なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。 しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」


22頁「ところがある日, 均の家に一人の男性が来て, イエス・キリストがあなたのために死んだことを知っていますか, と言いました。…公開講演に出席し, 『目を純一に保ちなさい』という諭しを聞いて驚きました。」

ノート:カルトのメンバーは, 彼らの本当のメッセージの導入の部分, 誘うときだけイエス・キリストを用います。しばらく経つと, 絶対的に組織に従うこと, 五つの集会を支持すること, 野外奉仕に出ること, 奉仕報告を出すこと, 仕事を調整すること, 永遠の命はあくまでも見込みであり保証のないこと, 組織を離れれば霊的暗闇をさまよいどこにも出口がないなどやこの世を悪くしているのは, キリスト教世界である等と言い出します。


25頁「他方, 義にかなった人は, 物質的に豊かであってもなくても, その廉直な行動のゆえに命を得る結果になります。…義にかなった生き方をする人は, 現在の幸福と将来の永遠の命の希望を得ます。」

訂正:新約聖書は, 行いの結果, 義とされるのではなく, 信仰の結果として行いがあることを示しています。

ローマ4:1-5「それでは、肉による私たちの先祖アブラハムのばあいは、どうでしょうか。 もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。」


26頁「実際, 聖書の真理を送り出す彼らの舌は, えり抜きの銀のようです。心の正直な人たちにとって, 神の僕たちの発する言葉には, 邪悪な人のもくろみと比べて, 計り知れない価値があります。わたしたちは, 神の王国や神の驚嘆すべきみ業について, 意欲的に語りましょう。

訂正:聖書の真理は, イエス・キリストです。また, パウロは, 戸別訪問しませんでした。

使徒28:23「そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。



10月1日号

23頁「その組織に対して忠節であることに加え, わたしたちは互いに対しても忠節でしょうか。」

訂正:真のクリスチャンは, 組織に対しての忠節ではなく, イエス・キリストに対して忠実であり, イエス・キリストのために労苦します。

マタイ24:9「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 」


30頁「神の休みと, 人がどのようにその休みにはいるかに関するパウロの論議は, エルサレムにいたヘブライ人にとって励ましの源となったに違いありません。…わたしたちも自分の業を休み, 神の休みにはいるよう力を尽くすべきです。」

訂正:クリスチャンは, イエス・キリストを真摯に信じることにより今, 安息の中にいます。

エペソ2:8-9「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」

テトス3:4-7「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。」

コリント第一1:18「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」

エペソ2:8-9「For by grace you have been saved through faith, and that not of yourselves; it is the gift of God, not of works, lest anyone should boast.」(NKJ) 聖書は, 救われた(SAVED)と語っています。未来形ではありません。完了形です。

エフェソス2:8-9「まさにこのご過分の親切のもとに, あなた方は信仰によって救われているのです。そして, これはあなた方によるのではなく, 神の賜物なのです。そうです。それは業によるのではありません。だれも誇ることのないためです。」「新世界訳聖書」

エフェソス2:8「…you have been saved through faith; 」NWT



10月15日号

6頁「そのような邪悪な霊者の「配下にある」世界が真の意味で幸福になるはずがありません。(ヨハネ第一5:19)もっとも悪魔は, そのような権力をいつまでも保持するわけではありません。今や強大な霊の被造物となっているイエスは, まもなくサタンをその立場から退け, その影響を完全に除き去ります。」

訂正:反抗的な人々は, イエス・キリストの帰還を見ます。

マタイ24:29-30「だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」

追記:イエス・キリストは, 栄化された体で帰ってこられます。

ルカ24:38-43「すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」[本節欠如]それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。」


6頁「聖書の預言と世界の出来事とは, わたしたちがこの「短い時」の終わり近くに生き来ていることを示しています。(テモテ第二3:1-5)救出の時は近いのです。」

訂正:まだ, まだ終わりは来ません。青草は, 青々と茂っています。

黙示録8:7「第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。」


6頁「イエスが政治にかかわらなかった3番目の理由は, 将来の定めの時に, 地上を治める天の政府を神が設立されることを知っていたからです。」

訂正:イエス・キリストは, 地上に帰還された後, 全能の神と同様に支配されます。

ヨエル3:12「諸国の民は起き上がり、ヨシャパテの谷に上って来い。わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。」

マタイ25:31-32「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け」


6頁「聖書はその政府を, 神の王国と呼んでいます。それはイエスの教えの主要なまでした。(ルカ4:43。啓示11:15)イエスは弟子たちに, この王国が来るようにと祈るべきことを教えました。」

訂正:イエス・キリストの主要なテーマは, 彼自身である王国でした。

ヨハネ6:35「イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」

ノート:あなたは, イエスに祈りますか。


10頁「しばらく前に, ケチュア語やアイマラ語を離す一群の開拓者が, チチカカ湖の中のアマニンタン島に行きました。一行は, 「諸教会の実情をつぶさに見る」と題するスライドを携えていきました。それは, キリスト教世界の誤った考えを率直に検討して, 事実を明らかにしたスライドで, 人々にたいへん喜ばれました。」

訂正:ものみの塔は, クリスチャンの組織ではありません。

テトス3:1-2「あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。」

ノート:ものみの塔は, 決してイスラム教を弾劾しません。


11頁「…正しい人たちは楽園となる地上でいつまでも生きられるようになるということを, ある男性に説明する機会がありました。」

訂正:神の霊的王国は, イエス・キリストです。

使徒8:5「 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」

ガラテヤ1:9「私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。」


20頁「…では, どうすれば心を定めることができるのでしょうか。」

答え:偽りの宗教を離れ, 個人的救い主として, イエス・キリストを迎え入れることです。

使徒8:37「〔これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕」(口語訳聖書)


By Rance.

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