ものみの塔2001年12月1日号

今回は、ものみの塔誌2001年12月1日号に絞り論考していきましょう

この他にも聖書や史実と整合しないところが、存在しますが代表的なものに絞りました。

聖書は、特に注記のない場合、『新改訳聖書』を用いています。

All Scripture quotations, unless otherwise noted , are taken from the Holy Bible Shinkaiyaku Version.


4頁「ですから, 是非とも考えなければならない次のような疑問があります。黄金律に従った生活にはどんなことが関係していますか」

訂正:是非ともしなければならない質問は, 次の通りです。「あなたはご自分の人生にイエス・キリストを迎え入れましたか。」

ヨハネ15:5「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」


5頁「例えば, エホバは, イスラエル国民を導くための律法をお与えになりました。律法は同国民に, 自分を扱ってほしいと思う仕方で他の人を扱うよう教えました。」

訂正:神は, 彼らを救い主であるキリストに導くために, 律法をお与えになりました。

ガラテヤ3:24「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。」


6頁「最終的には, 西暦前607年に, エホバはバビロニア人がユダ王国とエルサレムの都を, またその壮麗な神殿まで滅ぼすことをお許しになりました。」

訂正:エルサレムは, 紀元前586年に崩壊しました。「フンクとワグナル百科辞典」第15巻57頁。


6頁「最後に, 神の目的と調和して, イエスは進んで苦しみを受け, ご自分の命を贖いとして与えました。そうすることにより, 人間が罪から死への隷属から解放されるようにして下さったのです。これは, 黄金律に従った生き方の究極の模範です。マタイ20:28。ヨハネ15:13。ヘブライ4:15。」

訂正:あなたは, 黄金律に従っても救われることは, できません。イエス・キリストだけがあなたを救います。

ルカ19:9-10「イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」」


7頁「…この多難な時代に平和と安心感を見いだしたのです。」

訂正:あなたは, 黄金律に従っても救われることは, できません。イエス・キリストだけがあなたを救います。

ルカ19:9-10「イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」」


7「悪魔サタンの扇動によって…」

訂正:クリスチャンは, 悪魔の業によって永遠の命を失うことはありません。

ヨハネ19:30「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」


8頁「それから続けて, エホバの証人はイエスが神のみ子であると信じていること, しかし三位一体として神と同等だとは信じていないことなどを説明しました。」

ノート:英語版の「ものみの塔」誌にあるGod's Sonという表現は, 聖書には存在しません。聖書は「SON of GOD」と表現しています。御子は, 全能の神の所有物ではありません。御子は, 父である神と全く同じ同質であられる方です。

ピリピ2:5-7「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」


14頁「神への恐れは, クリスチャンが自分たちの造り主に対して抱く感情です。この恐れは, 「創造者に対する畏敬の念および深い崇敬の念, また創造者の不興を買うことへの健全な怖れ」とも定義されています。」

訂正:エホバの証人は, 御子や父である神と関係において不十分です。

テモテ第二1:7「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」


16頁「敬虔な恐れを持つならエホバに従い, 仕え, また固く付く…」

訂正:真のクリスチャンは, イエスを愛する信仰から神に仕えます。

質問:あなたはイエスを愛しますか。

ヨハネ21:15-17「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」


16頁「神への恐れがあれば, 神の道を歩むようになり, ひいてはそれが神を愛している証拠となります。」

訂正:イエス・キリストを愛するとは, 信仰を立て上げ霊的円熟に導くことを 学びます。

ヨハネ第一の手紙5:4-5「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」


16頁「この預言によると, 神の霊がイエスを動かし, 天の父への恐れを抱かせました。」

訂正:未信者さえも神を恐れるのと同様, イエス・キリストを恐れていました。

ルカ8:35-37「奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちにはいっていないからです。」


19頁「「この対処しにくい危機の時代」にどうすれば, 神を恐れる心を培い, 霊的な危険を避けることができるでしょうか」」

答え:真のクリスチャンは, 神であられるイエス・キリストに対する信仰を通して父である神を愛します。

テモテ第二3:14-15「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」


21頁「神が, アブラハムにひとり子イサクを犠牲としてささげることを求められた時, アブラハムの敬虔な恐れは試みられました。」

訂正:アブラハムは, 神を信じることによって必要なものを備えて下さることを知っており、イサクを捧げました。また、それはイサクの同意を得た信仰の行いでした。

ガラテヤ3:7-9「ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」

ノート:アブラハムは, 嫌がるイサクを無理矢理に捧げたのではありません。


21頁「パウロがアブラハムについて…。わたしたちは, 大きな犠牲が伴うとしても神のご意志を行なう心積もりをしているでしょうか。」

訂正:アブラハムは神を信じる信仰によって, 神は自分を義とされるということを信じていました。

ローマ4:16-21「そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」


22頁「しかし, 神への恐れは悪から離れることはもとより, 善を行うことを意味します。…」

訂正:神への愛は, あなたを他者への愛へと導きます。

マタイ22:37-40「そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」」


23頁「しかし, 神への恐れは, とこしえにわたって存続します。天でも地上でも, 神の忠実な僕たちは引き続き, 神に対して当然の敬意や従順や誉れを示してゆくからです。」

訂正:神への畏敬は, 神が私たちを受け入れ認められるかということである。

箴言1:7「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」 テモテ第一1:14「私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。」

エペソ6:24「私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。」


By Rance.

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