神のみ名はエホバか

この短い小論文で, 「神のみ名はエホバか」という重要な問題を取り扱うことは, 冒険に 等しい。しかし, 敢えてこの問題に順次追考して考察したいと思う。

序文

なぜ, ものみの塔協会は, 「エホバ」の名前を選んだのか。それは, 欽定訳聖書やアメリカ標準訳聖書で用いられていた旧約聖書における神のみ名の共通的発音であった。 今日, ものみの塔協会は「エホバという発音が最も正確である, 或いは, 絶対的主張である」とは, 主張しない。

本来, ヘブライ語のテトラグラマトンYHWHを英語化したものが, Jehovahである。元々, 英語の「J」や「V」は, ヘブライ語の発音と関係がなく, Jehovahと発音することができなかった。

ものみの塔の議論は, 主に「神のみ名を用いない」ことであり, それが決まって使われるべきであり, 「み名を取り除いていることが神のみ名に対する最大の侮辱」である [註1]としてキリスト教会を, 批判する。この問題に対する論証は, 永年キリスト教会の中で, 沈黙されてきた。

しかし, 現在諸外国に於いて, 或いは日本に於いても様々な文献の中で論証されるようになった。[註2]この記事の中で, 私達は彼らの比較的最近の出版物である「神のみ名は永久に存続する」を論駁する。

また「み名」の小冊子だけでなく, 1985年出版の『新世界訳−参照資料付き聖書』の「イ1」 や最新の「ものみの塔」誌も論証に用いた。更に, ものみの塔によって出版された『王国行間逐語訳聖書』も用いた。 ものみの塔は「神の名の英語の発音としては, 大抵のヘブライ語学者は“Yahweh”のほうを好みますが・・・」と『洞察』第一巻391頁で述べる。

また, 「ものみの塔」誌1999年2月1日号30-31頁に於いて 「現代の大抵の学者は英語で2音節の“Yahweh”(ヤハウェ)を支持しているようです。しかし, “Jehovah”(エホバ)という発音は本当にそれほど“奇異な”ものなのでしょうか。・・・しかし西暦1世紀までに, 神のみ名に関する迷信がはびこり, やがてユダヤ国民は神のみ名を公に用いなくなったばかりか, み名を発音することを一切禁じるようにさえなりました。こうして, み名の正確な発音は分からなくなってしまいました。いや, そうだったのでしょうか。・・・・時々耳にする“エホバ”も学問上標準的な“ヤハウェ”も, その正しさを決定的に証明できるわけではない。」と述べている。

つまり, ものみの塔も“ヤハウェ”の発音を学問上標準的発音として認めている。 「ブラジルはこう述べています。『神の名が省かれたのは, 迷信や・・・隠れた動機のためか, またはイエスとその母マリヤの名を高めたいという願いのためであった。』」「ものみの塔」誌1999年3月1日32頁。

しかし, 聖書は言う。クリスチャンは, イエス・キリストの名を高めるべきであると。 コロサイ 3:11「そこには, ギリシヤ人とユダヤ人, 割礼の有無, 未開人, スクテヤ人, 奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり, すべてのうちにおられるのです。」(新改訳)。

使徒 4:12「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は, これを別にしては, 天下のだれにも与えられていないからである」。(口語訳)。

ものみの塔の主張する「神の名」の回復の根拠

「この背教したキリスト教が広まっていく間に, 聖書を原語のヘブライ語やギリシャ語から翻訳する必要が生じました。翻訳者たちは神のみ名にそれぞれの翻訳に中でどの様に訳出したでしょうか。一般には, 『主』に相当する語が用いられました。当時, 非常に強い影響を及ぼしたのはラテン語のウルガタ訳で, これはヒエロニムスが聖書を常用ラテン語に訳したものです。ヒエロニムスは四文字語(YHWH)を訳す際, Dominus, 『主』という語に置き換えました。

やがて, フランス語, 英語, スペイン語といった新しい言語がヨーロッパで生じるようになりました。しかし, カトリック教会は, 聖書をこれら新しい言語に翻訳することを妨げました。こうして, ユダヤ人が原語のヘブライ語で書かれた聖書を手にしながら, 神のみ名を見ても発音しなかったのに対して, 殆どの‘クリスチャン’は神のみ名の用いられていないラテン語訳の聖書が朗読されるのを聞きました。

やがて, 神のみ名が再び用いられるようになりました。1278年には, スペイン人修道士ライムンダス・マルティーニの著作『信仰の短剣』(Pugio fidei)の中に, 神のみ名がラテン語で訳されました。ライムンダス・マルティーニはYhouaというつづりを用いました。その後まもなく, 1303年に, ポルケトゥス・デ・サルウァティキスが『不敬虔なヘブライ人に対するポルケトゥスの勝利』(Victoria Porcheti adversus impios Hebraeos)と題する著作を書き上げました。この中で, ポルケトゥスも神のみ名に言及し, それをIohouah, Iohoua, Ihouahと様々なつづりで表しました。次いで, 1518年にペトルス・ガラティヌスが『宇宙の真理の奥義について』(De arcannis catholicae veritatis)と題する著作を発行し, その中で神のみ名をIhouaとつづりました。」「み名」1984年17頁。

ユダヤ人達は, 神のみ名をみだりに唱えてはならないという信仰によって(出エジプト記 20:7)神の発音は, 失われた。

ミシュナーによればラビの教えは, 何世紀にも渉り伝えられた。「神殿に於いてはみ名は発音されたが, 地方では代わりの言葉が用いられた。」Satah7章6節。『洞察』第一巻393頁もこれと同様のことを示している。「彼らは神殿ではみ名を書かれているとおりに発音したが, 地方では代わりの言葉で発音した。」

ものみの塔の反論は, 幾らか重要であっても, あなたがみ名をどの様に発音するかは大した問題ではない。同じ名前の発音は, すべての原語に於いて時々元々の発音からかけ離れている。例えば, イエスの名前は"Joshua"と同じであり邦訳聖書ではヨシュアと表記される。またイエスの名前は, "Jeremiah"と同じあり邦訳聖書ではエレミヤと表記される。

それらは, ヨシュアの場合は, それぞれ"Yeshua"や"Yehoshua"や"Yermiyah"の様に発音される。つまり, 私達が論証すると「あなたたちもイエスやエレミヤやヨシュアと発音しているではないか」と反論してくることだろう。もし, そうであるならば, 彼らは反論することにより古代ヘブライ語の発音と現代の英語圏, 或いは外国圏での発音が, 同じでないことを認めていることになる。

神のみ名の由来

「これから明らかにように, 神のもともとの発音は今でも, はっきりしていません。 また, それが真に大切なのでもありません。もしも発音が大切であるのなら, それが保存され, わたしたちが用いることができるよう, 神ご自身が取り計らってくださったことでしょう。大切なことは, わたしたちの言語で従来から使われてきた発音によって神のみ名を用いることです。」「み名」6頁。

出エジプト記 3:14「すると神はモーセに言われた。『わたしは自分がなるところのものとなる。』そしてさらに言われた『あなたはイスラエルの子らにこう言うように。【わたしはなるという方がわたしをあなた方のもとに遣わされた】』」。(新世界訳)。 「ヨハネ8章58節:・・・こうしてそれらの英訳の訳し方によれば, 神はご自身のことをその句の中でわたしはある[英語, I am]という称号で呼んでおられるとされています。」『聖書から論じる』173頁。

ものみの塔の翻訳委員は, ヨハネ 8:58で述べられたイエスの言葉が, 多くの学問的翻訳が, 出エジプト記 3:14の「 I AM that I AM」と翻訳している関連を避けるために, I shall prove to be what I shall to be と翻訳された。

出エジプト 3:14の脚注「わたしは自分がなるものになる。へ語, (エフェ アシェル エフェ), ご自分に対する神ご自身の呼称;リーサー訳, わたしは自分がなるものになる;ロザハム訳, わたしは何であれ自分の望むものになる。;ギ語, エゴーエイミーホオーン, わたしは存在者である, または, わたしは存在している者である; 」

これについて, 『洞察』第一巻313頁は「エホバ(Jehovah)[ヘブライ語動詞ハーワー(なる)の使役形未完了態。『彼はならせる』の意] 神の固有のみ名。(イザヤ 42:8; 54:5)この方は聖書では『神』, 『主権者なる主』, 『創造者』, 『父』, 『全能者』, 『至高者』などの描写的称号で表されていますが, その性格や属性−この方はどなたで, どんな方ということ−を, 完全に要約し, 表現したものといえるのは, この固有のみ名だけです。」と述べている。

「しかし, エフェという言葉はハーヤーというヘブライ語動詞に由来していますが, そのハーヤーという言葉は, 単に『ある』という意味ではないことに注目しなければなりません。むしろ, それは『なる』, 『であることを示す』という意味です。」『洞察』第一巻399頁。

塔95年3/1, 10頁, 塔94年8/1, 11頁, 『霊感』1990年版19頁, 塔88 7/15, 6頁, 『霊感』1982年版21頁, 『宗教は人類のために何をなしたか』1951年版35頁, 『真理はあなたがたを自由にする』1943年版195頁, 『富』1936年版140頁, 「シオンのものみの塔」誌3989頁, 5261頁にも掲載されている。さてルター訳では

Gott sprach zu Mose: Ich werde sein, der ich sein werde.となり英訳すれば

God said to Moses“ I shall be that I shall”となる。

つまり, 出エジプト記 3:14の翻訳はルター訳も同様になっている。

しかし, 1953年版脚注, 1971年版共に「70人訳 The exsiting One [Ho on] Vg(ウルガタ訳) reads; He who is [qui est]引用として出エジプト 6:3; 9:16; 詩編 90:2; ローマ 9:17; 啓示 1:8」と述べている。

ウルガタ訳(Vg)聖書について

「ウルガタ訳は, 本文は無謬でした」「ものみの塔」1995年4月15日号12頁。 最も聖書本文に近い訳出は, ルター訳やリーサー訳やロザハム訳ではなくウルガタであることからすれば, 「わたしは存在者である」或いは「わたしは存在している者である」と言える。ただし, "I shall be that I shall" も訳出不可能な翻訳ではない。この, 翻訳問題については, 後日扱うことにする。

さて, ものみの塔協会は, 何故エフェに存在しないprove(なる)という訳語をわざわざ用いたのか。ものみの塔が, 出エジプト記 3:14の載ったNew World Translation of the Hebrew Scripture Vol 1(1953ed)が, 用いていた欽定訳やアメリカ標準訳の翻訳, つまりヴルガタ訳聖書に, 最も近いI am that I amと言う翻訳を, 捨てなければならなかったのか。この問題も別の機会に「出エジプト記3章14節に関する一考察」というタイトルで, 取り扱う予定である。

一口メモ:1992年版聖書 脚注参照聖句として出エジプト 6:3; 6:7; ローマ 9:17を列挙。脚注から詩編 90:2, 啓示 1:8を削除。

イエスは誰の名を用いたのか

「ですからイエスが神のみ名を用いるのを控えたと考えるのは全く道理にかないません。ヘブライ語聖書中の神のみ名の出ている箇所をイエスが引用している場合はなおのことそうです。」「み名」16頁。

エペソ 5:25-27はイザヤ 54:16の引用。詩 102:25の70人訳聖書の引用はヘブル 1:10である。ものみの塔協会は, 自らの規則を打ち破っている。

ヘブル 1:10にヘブライ語聖書からの引用として"エホバ"を挿入することを退けている。 ヘブライ 1:10の主をエホバに転換するとどうなるか。「エホバよ。あなたははじめにこの地の基を据えられました。天はあなたのみ手の業です。」・・・ヘブライ 1:10は"御子"について述べられているので, "エホバ"では都合が悪かったのである。

(2)ペテロ第一 3:14-15はイザヤ 8:12-13からの引用である。「ですが, たとえ義のために苦しみを受けることがあっても, あなた方は幸いです。しかし, 彼らの恐れるものを恐れてはなりません。むしろ, あなた方の心の中でキリストを主として神聖なものとし, だれでもあなた方のうちにある希望の理由を問う人に対し, その前で弁明できるよう常に備えをしていなさい。しかし温和な気持ちと深い敬意をもってそうするようにしなさい。」(新世界訳)

そうです。ペテロはここでキリストについて述べている。"私たちのこころにキリストが" あるのである。彼らは, 自ら規則に従っていない。彼らの規則に従えば"エホバ"を持っていることを示している。

(3)使徒 2:21はヨエル 2:28-32の預言からの引用である。ヘブライ語底本のテトラグラマトンと関係している。使徒 2:21はヨエル 2:38と同じである。

人が癒やされた名前    使徒 3:16; 4:10, 30

救いの名         使徒 4:12; 10:43; 22:16

バプテスマの名      使徒 2:38; 8:16

罪の赦し         使徒 10:43

教え・宣教された名前   使徒 8:12; 4:18; 5:28

呼ぶ           使徒 2:21; 9:14, 21

その名によって話す    使徒 4:17; 9:27, 29

その名のために苦しむ   使徒 9:16; 15:26; 5:41

国々に運ばれる名     使徒 9:15

かつてパウロが反対した名 使徒 26:9

呼ばれ明示された名    使徒 11:26

新約聖書底本の歴史は, 使徒的(一世紀)クリスチャンはイエスの名の為に旧約聖書の神のみ名の保存をすることは, 重要視されなくなった。これは, 次に議論される。

古代の底本発見物

<主要なものみの塔の理論>

「セプトゥアギンタ訳の非常に古い写本の断片で, 正しくイエスの時代に存在していたものが今日幾つか残っています。そして, それらに神の固有の名のお名前が記されているのは注目に値する事柄です。新約神学新国際辞典(The New International Dictionary of New Testament Theology, 第二巻, 512ページ)はこう述べています。『本文に関する最近の発見は, 七十人訳[セプトゥアギンタ訳]の編さん者たちが四文字語YHWHを訳す際キュリオスという語を用いたとする考えに疑いを投じた。今日我々が手にすることのできる七十人訳の最古の諸写本(断片)には, 四文字語がギリシャ語本文中にヘブライ語文字で記されている。この習慣は, 旧約[聖書]を翻訳した後代のユダヤ人翻訳者たちによって西暦1世紀に受け継がれた』。ですから, イエスや弟子たちは, 聖書をヘブライ語やギリシャ語のどちらで読んだ場合も, 神のみ名を目にしたことでしょう。

そのため, 米国ジョージア大学のジョージ・ハワード教授は次のような注解を述べました。『新約聖書の筆者たちがその引用句に四文字語を含めたことは疑いない』。(聖書考古学レビュー誌, 1978年3月号, 14ページ)それ以外のことを行なうどんな権威が彼らにあったのでしょうか。」「み名」24頁。

「クリスチャンギリシャ語聖書における四文字語の使用について, ジョージア大学のジョージ・ハワードは, 聖書文献ジャーナル(Journal Biblical Literature, 第96巻, 1977年, 63ページ)にこう書きました。『エジプトおよびユダヤ砂漠における最近の発見によって, キリスト教時代以前における神の名の使用を直接見ることが可能になった。これらの発見物は, 新約研究において, とりわけそれらが初期キリスト教文書と文学的類似点を示しており, 新約[聖書]の著者たちが神のみ名をどのように用いたかを説明するものとなり得るという点で重要である。

我々は, つづくページで一つの理論を展開しようしている。その理論とはすなわち, 新約における旧約[聖書]の直接および間接引用箇所には当初, 神の名[ヨードヘーワゥヘー(およびおそらくはその省略形)]が記されており, 時を経るうちに, それが主に代用語『主』を意味するキュリオスの省略形]に置き換えられたというものである。我々の見解からすると, 四文字[語]がこうして除かれたことにより, 初期の異邦人のクリスチャンの思いの中に『主なる神』と『主なるキリスト』の関係について混乱が生じた。このことは, 新約本文そのものの写本伝承に反映されている。わたしたちは, 次の一つの点を除き, 上記の考えに全く同意します。ただひとつ異なっているのは, わたしたちはこの見解を[理論]とみなさず, 聖書写本の伝わってきた過程における歴史の事実として受け入れることです。』」。『新世界訳−参照資料付き聖書』「1ニ」1756頁。

これらの記述に答える。「テトラグラマトンが含まれている70人訳の一部はユダヤ人のものであり, テトラグラマトンがない70人訳はクリスチャンの起源を持つことをまず私達は, 考慮すべきである。私達は, ユダヤ人の行なったことにそれほど関心を持っていないが, 使徒のクリスチャンが解釈したことには関心を払っている。」(C・H・ロバート『初期のエジプトのキリスト教における社会と写本と信仰』77頁)。

ユダヤ人に起源を持つ70人訳の現存する版は, テトラグラマトンがある。ところがテトラグラマトンが含まれる70人訳の写本2冊だけは, その出所がクリスチャンである可能性がある。この2冊がそうなのは, その出所がOxyhynchusに拘ったキリスト教のユダヤ的書式による為だと, ロバートは言う。二つの特異な文書にできうる説明をすると, 二冊ともユダヤ人クリスチャンの手になる仕事であった。(34, 57頁)。

ものみの塔と新国際辞典が参照している初期の写本の一つは, キリスト教界からの脱会者, アキアによって翻訳されている。アキアはクリスチャンの意見に反対する為に文章を著わしたが, その姿勢は例外であって, 寧ろ慣例であった(『私達の聖書と古代写本』ケニオン56頁を見よ)。アキアは新国際辞典に言及されている後期のユダヤ人翻訳者の中に含まれる。確かにイエスとその弟子は, その書物の中で時たまテトラグラマトンを目にしたが, それがいつであり, どれ程の頻度であったかは, 憶測である。思索からは有効な議論は尽くせない。けれども, ものみの塔はそれを試みた。

ロバート教授について言えば, 彼の説は, 単なる理論であり, 彼もそれを認めている。書物の中で, 新約の文章にテトラグラマトンが保たれたとほのめかすことを開始してはいない。「現存する写本にみ名が含まれていない事実」と「み名」26頁に述べている通りである。

正直な翻訳者はそうした加減をしないだろう。翻訳のためのテトラグラマトンを持つ古代写本は全くない。ものみの塔は問う。他に行なう権威は何か。どれほどテトラグラマトンを写せなかったかを意味している。初代教会には従うべき規則は何もなかった事実を彼らは無視している。テトラグラマトンを保つことが重要だとは考えなかっただけだ。初世紀のクリスチャンの書物の物拠から, クリスチャン自身, テトラグラマトンを言語学者がnomina sacraと呼んでいる短縮形の書式によってに置き換えたことが明らかになる。

これらの象徴は, 西暦70年前のエルサレムの教会(少なくとも西暦百年まで)で作られたと思われる。(私達が知っている聖書は, もっと後になるまで聖典化されていないことを思い出すのだ)。テトラグラマトンをkuriosやtheos と翻訳する習慣とnomina sacraとの間には何の関係もないことを学者たちも伝えている。nomina sacraは迷信のためや, 伝統の故ではなかった。寧ろ, 利便性のため初代教会で用いられた。nomina sacraはテトラグラマトンそのものには用いられなかった。

寧ろ, キリストの名, イエスの名に用いられた。ものみの塔が独善的に主張するように二世紀, 三世紀の教会で行なわれるよりも, それは, 使徒の教会自体で用いられた。 要約すると, 70人訳のユダヤ人写本はテトラグラマトンを残すものもあるが, 初代教会の写本は聖なる名の短縮形を用いていた。クリスチャンの為にクリスチャンによって新約が書かれるのだから, ものみの塔がユダヤ人の写本を用いることは筋違いである。

新約を理解するのに障害となる, ものみの塔の書いた聖書翻訳と研究生は明らかにエホバの証人自身以外の何者でもない。イエスからイエスの父とイエスの名の性質を与えられた霊感ある新約聖書の執筆者が行った為だとに気がつくなら, 問題はない。一方, あなたがイエスは被造物であり, 御使いであると信じるなら, 深刻な食い違いがある。

あなたのその神学を保つために聖書を外れた翻訳がされたはずである。使徒がエホバについて旧約の箇所を引用し, 明らかにそれをイエスに当てはめているときは(ローマ 10:13の様に), あなたの考えを保つために翻訳や解釈に知的訓練を加えるべきである。それは, ものみの塔がやってきたことである。ものみの塔が, 旧約と新約の間の翻訳の論点を見逃したことは何と悲しいことか。この本のヘルマン・バギングのことばに注意しなさい(『私達の合理的信仰』313頁)。

旧約における名の使用とその意味深さは, 新約に於けるキリストに繰り延べられている。旧約においては, 「主」の「名」(あるいは「名」自体)は明らかになった神の栄光の名称である。新約の時代には, その栄光はイエス・キリストの個性に表れた。そして教会の強みは, 今日, イエスの名を代理する。イエス・キリストの名は教会の告白, その信仰の強さ, その希望のよりどころの一種の概要であった。エホバの名によって栄光を受けた古代のイスラエルの時代とまさに同じく, 新約の教会はイエス・キリストの名にその強さを見いだす。この名にあって, エホバの名は十分な啓示に至る。ものみの塔が教会の中に, はるかに見劣りのする矛盾を理解できなかった重要な点である。イエスの時代のファリサイ人のように, 彼らは本物のメシアを見落としていた。

訳出の約束事は, 守られているか

翻訳者は, どれほどの有力な古代の文書にも見つけられない何かを新約の中に導き入れる権利を保有しているか, 単純に神学の基準に立って他の翻訳者に答えさせよう。 バイイングトンは, 『生きた英語による聖書』を翻訳した。ものみの塔は, 旧約(新約ではない)の中のエホバの名を用いる為にその聖書を印刷し, 版権を買った。バイイングドン自身が, ものみの塔のクリスチャン・ギリシャ語聖書の批評の中でこう言っている。

「もし, 私達がLordを翻訳する論点を論じる必要があるなら(そこではギリシャ人は, Lordと言っている), 論点は次のようだ。イエスと使徒達が, 旧約を口に出したとき, エホバに代えて彼らはLordと言った。マルコ 12:29のような引用でも注意深く語った。(Lordと口に出す習慣がキリストの時代の前に始まったことの新鮮な物証として, 新しく発見されたイザヤの写本が引用されてよいかもしれない。エホバと読むか, Lordと読むか迷う場合である。その二つは似たように発音されたことが迷いの説明とある)。使徒が語ったことばとは違って書いたとは考えられない。原物を再生産することが, 翻訳者の仕事である。」

ものみの塔は, 自分達の旧約の翻訳にエホバの名を書き込むことを賞賛する者のことばには十分注意を払うだろう。ものみの塔はギリシャ語聖書の中に引用されているヘブライ語聖書の部分には常に神の名を保ってきたと語るとき, でしゃばりとあからさまな不正直の割れ目をつなぐ。この小論文の中で指摘したように, 引用された旧約の箇所には, テトラグラマトンが含まれているのに, ものみの塔は, ペテロ第一 3:15, 使徒2:21でエホバと翻訳しなかった。そうすることで, 旧約では, イエスはエホバとして名指しされることをどこかしら, 認めているのである。

<結論>

新約の文章に, テトラグラマトン(それだけでエホバを正確さを減少させる)を導入する為の学術的な正当性は全くない。どの様な新約の写本(1万3千以上)にもテトラグラマトンが存在しないことは, 彼らの主張を粉砕する。神が神の契約の名前の保存に心を砕いていたのに, 使徒がその書物の中にそれを不朽のものにした証拠がないのは, 何故なのか, 人はいぶかしがる。エホバは大事な名前だと暗示する為に, イエスの名(それは確かなものだ)に常に強調することに反対する心配をすることになる。テトラグラマトンはどんな新約の写本に見つかるものではない。イエスの名は九百回以上見つかる。イエスが強調したように(マタイ 6:9, ヨハネ 17:26)知られた「御父」の名を得ることだ。そのようにそれをしているか。その名に栄光と誉れを表す為にイエス・キリストが, 「父」から選ばれたことを認める必要がある(フィリピ 2:11)。イエスの名を識別しないことは, 生命の損失を引き起こすだろう(使徒 4:12)。

統治体の動機は(それはいつもそうであったし, これからもそうだろうが), 教会から分離しており区別される立場に置くことである。問題が十字架や祝日やことば, 教会, エホバの名であるかそうでないかに関わりなく, あなたが論点を押さえると, または徐々に論破するとき, いつも大事な問題がセクト的精神の回りに回転し, 問題は本当は重要ではないと敗北を認めず, 神の選ばれた民であることを証明するとして別の排他的な教義に差し替える。

幸運にも組織の中にいる者でさえ学者ぶった不正義を知っているし, エホバのこのうえない表明は, エホバの子イエス・キリストにあることを発見している。パリサイ人でさえ, ヤハウェの名を非常に崇拝していたが, イエスの‘いのちの名’を実行する(ヨハネ 5:37-40)為の現実的な鍵を用いなかった。

ものみの塔の小冊子に豊富に指摘されたように, 世界中の教会はエホバの変化形を用いたし, 書いたし, 教会と彫像を飾った。その習慣は初めにキリスト教界で始まり(攻撃とは逆に), 今の時代まで, 世界中の多くのキリスト教会で用いられていることに思い悩むことはないようだ。ものみの塔の王国逐語訳は序文の18頁に書いている。「・・・kyurios と theosを聖書の中で聖なる名に記すときに, 現代の翻訳者はそれを, どの様に知り, 決めているのか。霊感を受けたクリスチャン書記者がヘブライ語聖書から引用されているところを決めることによってです。彼は聖なる名がそこに出現するかどうか, 突き止めるために原本に戻って参照しなければならない。」

[註1:『新世界訳−参照資料付き聖書』1753頁]

[註2:The Jehovah's Witnesses New Testament., 1982ed Robert Countess.

The Tetragrammaton and the Christian Greek Scriptures., 1998ed Word Resouces.

Jehovah in the NEW World Translation of Jehovah's Witnesses ., Doug Mason.

Jehovah's Witnesses , Jesus Christ , and The Gospel of John ., Robert M. Bowman, Jr.

『神のみ名は「エホバ」か』 岩村義雄 いのちのことば社 ]

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