著名人の聖書観


アウグスティヌス
旧約聖書の中に新約聖書は、隠されている。新約聖書の中に旧約聖書は開かれている。

J・グリーン
聖書は、神が我々個々に宛ててお書きになった個人的書簡である。

J・W・v・ゲーテ
聖書は、読めば読むほどすばらしくなる。聖書は、理解が進んで、この自分と関わりがあるとわかるにつれ、美しくなる。

W・チェインバーズ
政治的自由は、聖書を政治的に読んでいるにしか過ぎない。

C・S・ルイス
奇妙なことに聖書は、読まれることが少なくなればなるほど多く翻訳される。

P・ブルックス
聖書は、望遠鏡のようなものである。望遠鏡を通して見れば、かなたの色々な世界が見えてくる。だが、その望遠鏡を見れば、目にはいるのは、望遠鏡だけである。聖書はかなたにあるものを見るために私たちがそれを通して眺めるためのものである。しかし、殆どの人は、聖書を眺めるだけである。従って、彼らは死んだ文字だけを目にすることになるのである。

トマス・ア・ケンピス
汝が聖書全部を、またすべての哲学者のことばを暗じたとしても、神の愛と恵みがなければ、汝にどんな利益があるというのか。

F・マルティ
神を求め、見つけ、また求める。これが聖書の終始一貫したテーマである。

マルチン・ルター
聖書は、生きている。聖書は私に語りかけてくる。聖書には足があり、私を追いかけてくる。聖書には、手があり、私を掴まえる。

V・ユーゴ
イギリスは二つの書物を持っている。その一つは聖書であり、残りはシェイクスピアである。イギリスがシェイクスピアを作ったのだが、聖書が、そのイギリスを作ったのである。

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