元正規開拓者の証言 1

私がエホバの証人の訪問を受け, 証人と聖書の勉強を始めたのはXXXX年でした。様々な組織の取り決めに抵抗があり, バプテスマを受けるまでに3年かかりました。たとえば, ものみの塔の組織では誕生日やクリスマスを祝っていけないということはなかなか受け入れられませんでしたが, 組織の教理を学ぶに従って, 私たち人間の考えと神の考えは違うと教えられました。

聖書を開き, 誕生日やクリスマスが異教の習慣に起源があり, 神に喜ばれないと言われると, 祝い事を一切やめなければならないと自分に言い聞かせました。しかし, 何か生活の夢が一つ一つ, もぎ取られていくようで, みじめな気持ちになりました。

わだかまりは残ってしまいましたが, 神からの指示だと信じ, 祝い事をぴたりとやめ, バプテスマを受けました。私は, エホバの証人から聖句から示す聖書の預言はすんなりと受け入れられました。エホバの証人の魅力の一つは, 実際的な子育てや家族生活についての教えでした。よりよいお母さん, より良い妻になれるというのは, 大切だと思っていたので興味がありました。

ところが, 組織に入って行くにつれ, 実態は家族に一致をもたらしませんでした。教条的に「もう世の終わりです。」「残されている時間はわずかです。」「家のことは置いて宣教にすべてをかけなさい。」とか奉仕時間を正確に奉仕することを繰り返し, 植え込まれます。

いかに, 人に巧みに近づき出版物を提供するかも訓練します。何かセールスマンのようで, 何かおかしいなと思っていました。

毎月, 時間数を報告しなければならない訪問活動, 研究生との研究のための予習・復習, 協会から次々に出版される出版物……。忙しさに追われ, ものみの塔の教理に都合の良い聖句には精通しても, 聖書を通読する時間はありません。実際のところ「ものみの塔」誌さえ, 端から端まで読む余裕はなかったのです。

教理の矛盾に気付いた同じ会衆の正規開拓者のXX兄弟は個人的に「新世界訳聖書」を通読するように励ますと共に, 業よりも信仰の重要さを強調されました。

兄弟は, ものみの塔の教理に精通しておられましたが, その知識が災いしてサタンの手先になったと思うと辛かったのです。

しかし, 聖書を通読するようにわたしの心を動かしたのは, 兄弟が「通読して, ぼくがいっていることが間違っているか教えてください」と真剣に訴えられたことです。

そこで, 他のエホバの証人に気付かれないように今まで通りの奉仕をしながら, 家に帰ると, こもりっきりで聖書を読みました。片時も聖書を離さず, 読み続けました。そうした中, 組織の教えと聖書の教えが随分と違うことが分かるようになりました。「おかしいな, だいぶ違うな。兄弟がいわれるとおりだ。」と思っても, 確信はなかなか持てませんでした。

部分的な聖句を極端に解釈する思考パターンは容易に頭から離れないものです。また, 永年一緒にやってきた多くの人達への情の問題もありました。エホバの証人の組織は特に, 絆が強いですから, 裏切り行為をするような罪悪感がありました。そして真理を持っている唯一の組織と信じていた組織から追い出されると言う恐怖。組織以外は, サタンの支配する闇の世だと教えられていましたので, 精神的に追いつめられてしまいました。

組織は, 本当に真理を持っているのだろうか, そうではないのだろうかと考えて, 家の中でうろうろしました。

聖書を読んでは, 祈りました。「神様, 組織が真理ならばこのままやめさせないでください。もし間違っているならば新しい道を示してください。」と, 聖書だけを通読すればするほど組織は間違っていることが分かってきて, 自分から「断絶書」を書きました。 聖書をよく勉強して, あんな立派な行いをしていた柔和な良い人たち………その組織が間違っていたということはショックでした。

聖書を正しく解釈する組織は, エホバの証人しかいないと信じ切っていました。教会はサタンの組織と教え込まれ, その感覚が染みついていました。「十字架」と聞くと, 鳥肌が立つほど怖かったのです。

---------------------------中略------------------------

エホバの証人は, 神に頼るのではなく自分を強くし, 自分でしていかなければならないと努力します。

ですから「開拓者」として約束の時間数が達成できないと, 自分を責めて落ち込むのです。できれば高慢になるし……今, 振り返れば結局自分に栄光を帰していたことになります。

エホバの証人の組織では気持ちに山や谷があってはならず, 常に上っていかなければなりません。しかし, 女性の行き着くところは「正規開拓」しかありません。後戻りしないためには, 常に研究生を増やし, 奉仕に尽くさなければなりません。そうしないなら「霊的に眠っている」という目で見られるのです。

本当に「‘わざ’の組織」だと思います。体が弱いと自己嫌悪に陥ります。無理をして体を壊す人もいました。神は憐れみ深い方であるはずなのに, 弱い人たちに対する憐れみがなかったといえます。

隣人愛とは何であるのか, キリスト教会に来て初めて知りました。聖書のある部分だけを極端に取るのではなく, 全体から教えられるようになって, 親に対して, 子供に対して, 隣人に対して, 神様は本当に何をしなさいと言っておられるのか, ベールを取られたような感じです。

私はエペソ2章8節にあるようにキリストに対する信仰によって救われました。純粋な信仰の結果, 家から家へ宣べ伝えることは大きな喜びです。

「行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2章9節) 「異なる福音」ではなく, 正しい福音を携えて一人でも多くの方々を救い主キリストに導きたいと祈っています。

メインページに帰る。

Copyright (C) 1999 by Ikerumizunokai All rights reserved.

This article or parts thereof may not be reproduced in any form without permission of the publisher.