エホバの組織かラザフォードの組織か

序文

1879年, ラッセルを通してものみの塔聖書冊子協会は始められた。その後組織は, 二代目会長ジョセフ・フランクリン・ラザフォードに継承された。1869年11月8日ミズリー川近くに生まれたラザフォードは, しばしば‘判事’と呼ばれた。後に, ものみの塔の歴史家ジェームス・ペントンは, 地方に於いて‘判事’として用いられニックネームとして‘判事’と用いられたと述べている。

ラザフォードは, 巨体の持ち主で, 威圧感があり, 大声で話した。下品な言葉を使い, アルコール中毒に苦しみサウンドカーでカトリックや政治家に対する暴言を吐き続けた。(Apocalypse Delayed トロント大学出版 1985年 47-48頁)第二次世界大戦中, 文字どおりエホバの証人に怒った愛国者, またカトリック教徒によって階段から蹴落とされる事も珍しくなかった。彼らの蓄音機は, 彼らと共に転げ落ちたのである。


自らを真理の源と主張

ラッセルは, 自らを黙示録10章7節の七番目の使者である信じた。彼はその時代の地上における神の真理の手段・方法として, 彼は「忠実で思慮深い僕」であった。(後に「忠実で思慮深い奴隷」という言葉が作られた。)

彼自身の友人であるラザフォードによって1916年の死の後でさえも彼を評して「聖書は, ラッセルが生前から選ばれていたことを示している。二人の最も傑出した使者は, パウロとマタイ 24:45-47の僕であるラッセル牧師であった」と「ものみの塔」誌1917年11月1日号17頁(復刻版6159頁)に述べている。

「忠実で思慮深い僕がだれであるかと尋ねられたとき, ラッセルは‘誰かが言っているように私であり, 他の人が言うように協会である。’と答えた。両方とも事実である。ラッセルは事実, 協会であった。」「ものみの塔」誌1923年3月1日 68頁。

「当時, ふるい分けられた人達は, チャールズ・ティズ・ラッセル一個人が『忠実にして智き僕』であるという見解に固執していました。・・・特にラッセルの死後何年かは『ものみの塔』誌自体にその様な見解が示されていました。」『エホバの証人』626頁。

1927年ラザフォードは‘僕’を考える事は, 変更しなかったが, ラッセルは決して自ら主張しなかったと言い始めた。

「‘忠実で思慮深い奴隷’はラッセル個人ではなく, 個人ではありません。ラッセルは決してその様に主張しませんでした。」「ものみの塔」誌1927年2月15日号56頁。駄作である。数々の偽りの始まりである。


どの様に‘光’を得たのか。

ラザフォードは, ラッセルに与えられた‘奴隷’の理解に変更を加えた。それは, 後に‘新しい光’と呼ばれた。間もなく, ラザフォードは協会自身が, ‘忠実で思慮深い奴隷’であると主張し始める。

天におけるキリストと共に支配するために選ばれた信者の集合的な‘級’であった。ラザフォードは, 協会を要求した。「神は御使いを通して, 真理を明らかにされました。 これらの御使いは, 人間の目には, 見えず神のご命令を運びます。」『証明』1932年第三巻250頁。英文。

「残りの者は, 御声を聞くことができません。それは必要ではなく, エホバは彼の油注がれた者の心にお考えを伝達する彼ご自身の良い方法を, 備えられました。」『準備』1933年版英文64頁。

‘真理’がどの様に来るかは, 全く秘密では無かった。事実上, ものみの塔の記事や出版物はすべて, ラザフォード会長により, 執筆され, 決して‘残りの者’には, 相談されなかった。

1976年年鑑151頁におけるマクミランの話である。

「・・・ラザフォード兄弟自身がわたしに次のような話を聞かせてくれたのです。ラザフォード兄弟は, その大会の準備をしていたある日目を覚まして, 『特別な講演とか音信とかないのに, いったいなぜわたしは国際大会を提案したのだろう。なぜみんなをそこに集めるのだろうか』とつぶやきました。そしてそのことについて考え始めると, 机に向かい, 王国は世界の希望という講演と新しい名前に関する話の筋書きを速記しました。あの時, 彼が行った証言はすべて, その夜, つまり朝の2時に準備されたのです。わたしは, 主がラザフォード兄弟を導かれたことに対して, 昔も今も一点の疑いも持っていません。それはまさしく, わたしたちの名前としてエホバが望んでおられるものであり, わたしたちはその名前を与えられて大きな喜びと幸福を感じています。」。

この様に「エホバの証人」という名前は, ラザフォードの思いつきで‘新しい光’として1931年の大会で信者に, ありがたく受け入れられたのである。

ラッセルの死後1917年から1942年までのすべての出版物の見開きのページには, ‘執筆者ラザフォード’の名前がしるされている。エホバの証人という‘エホバ’の名を使うことにより, 組織の権利を完全に掌握することができたのである。


略奪された‘聖霊’

ラザフォードは間もなく, キリストが目に見えない形で臨在されており, 彼の御使いを通して自分で組織を指導するので, 聖霊は助け主として教会には, 必要ではないと主張しはじめた。注意しましょう。

「神の御霊によって, エホバ神は特定の時点に人々を導き, 教育されます。‘聖霊’が取り去られる時迄その様にして来られました。それはイエス(エホバの組織の頭)が神殿に入られた時, また, 1918年にイエスが(偉大な裁き手として)裁きを始められたとき忠節さが見いだされた者を集めた時, 必ず起こる。」(『準備』1932年, 193頁)。

「主が神殿に来られ, 選ばれた者を集められることで(テサロニケ第二 2:1), 聖霊は教 会の仲介者あるいは弁護者としての働きを止められるだろう。」(同上46頁)。

背後から物事を支配・管理している生気のない‘聖霊’よりも, 寧ろ, 御使い(あるいは仕える霊)が今や組織と直接意志伝達をしているとラザフォードは教えた。 「エホバは, ご自身の民を教える為に, エホバの組織の中に必要な取り決めを作って来られました。全ての者が, 数年内にものみの塔は神の民に報知を伝達する手段となっていると認めます。ものみの塔の出版物を準備する者は, 霊感が与えられている事を意味しませんが, 寧ろ, おりに適った時に, 知らせが与えられることを主が御使いを通して知ることを意味します。主は預言の成就の出来事が過ぎるために報知を持たらし, 同じ出来事を見るために主に献身した者を召し出します。」(『富』1936年, 316頁)。

事実上, ラザフォードは, 霊感が与えられていることに反対していない事に注目すべきである。次の引用に明らかなように, その主張は, エホバとキリスト・イエスが聖書のすべての解釈をすること, この解釈は「ものみの塔」を備える者を経て天使によって組織に渡されることである。それは忠実な残りの者やエホバの油注がれた証人が解釈の地的判事(聖書やその預言を解釈するために委任された)であると意味するのではない。否, 王, キリスト・イエスはその公職を彼らには任せていなかった。

「『サンヒドリン・最高法院』が今だに解釈をしています。神に感謝します。またキリスト・イエス(解釈の法院の公的な代弁者)は, エホバの‘忠実で思慮深い奴隷’の頭(かしら)としての公僕を持っておられます。イエス・キリストによって明らかにされるまで最高法院による解釈を出版するために‘奴隷’級を用いているに過ぎません。」(「ものみの塔」誌1943年7月1日203頁。英文)。

いかにしてこれらの天使的な霊はラザフォードにこの「解釈」を伝達し, それを出版できたのか。

「こうした御使いは, 人の目には認められず, 主の秩序を運ぶためにいます。天使が主の残りの者に主が発する命令を聞き, 目に見えない使者が残りの者にその命令を渡すことは, 疑いの余地がありません。主の神殿にいる主の御使いは, 1919年から残りの者に仕えているのは事実です。」(『証明』第3巻, 250頁)。

「特定の義務と王国の利益は主によって, 主の御使い達に関わっていた。御使いの責務には神の助けと慰めのために地上の油注がれた民に報知を伝達することを含む。天使がどうやってこの知らせを伝達するか, 理解できなくとも, 天使はそれをしているのであり, 聖書と事実がそうしていることを示していると分かる。」(『準備』1933年版, 36-7頁)。

ラザフォードが, 1942年に死亡するとネイサン・ノアに継承された。毛の生えたような心臓と鉄面皮のような顔(表情)を持つ精緻な独裁者であった。‘御使い’は, 取っ払われ‘聖霊の働き’は再び強調された。ノアは, 本を執筆することはあまりなく, しばしば組織の副会長であるフレデリック・フランズの援助を得た。ノアとフランズは少なくとも70年代中頃まで「忠実で思慮深い奴隷」であった。彼の技術は, 組織化を促し, 神の組織として, 人々を引きつけることであった。

「また, 全地でエホバの組織だけが神の聖霊, つまり活動力によって導かれているという事実をも考慮して下さい。(ゼカ 4:6)この組織だけがエホバの目的のために, またエホバに賛美を帰するために機能を果たしているのです。この組織にとってのみ神の聖なるみことばは, 聖書は封じられた書物ではないのです。・・・真のクリスチャンは‘神の奥深い事がら’を理解している地上で唯一の組織と交わることの価値をどれほど深く認識しているか知れません。」 『ものみの塔』誌1973年594頁。

従って「‘聖霊’は1918年の後に彼らを弁護する働きを止めた」というラザフォードの教えに全く反対のことを教えるようになったのである。

『聖霊−来るべき新秩序の背後にある力』は1976年に出版された本のタイトルである。使徒の書簡を通して, ペンテコステの日から‘聖霊’の御業をたどった後, この聖霊が1919年に神の立てられた御国の良いたよりを宣べ伝える業の始まりであるとする。

刑務所にいたものみの塔組織を管理していた8人のメンバーにも聖霊が力を与えたことを証明しようと試みる。 『聖霊』 の本は, 「1919年, 神からの命の霊が抑圧された証人たちの中に入ったのは, その様な全世界的な王国伝道のためでした。」と説明する。(同本, 143頁)。

『聖霊』 の本は, 「油注がれた残りの者」は世界に聖書とキリストについて真理を預言することを続けて強調した。「エホバは終わりの日に聖霊を注ぎ出すことを預言しましたが, その聖霊はまだ働きを終えていません。残りの者たちはその霊の名においてキリストの弟子にバプテスマを施すことを続けているのです。・・・神があらゆる肉なる者の上にご自分の霊を注ぎ出す事に関して, その発表された日付は, それを受けた人達だけが預言することでした。キリストの油注がれた弟子たちの残りの者は, 神の王国を支持する証しとして事実, それを裏づけています。このことからも, 彼らこそ神の霊がその上に”注ぎ出された人々である”と言えます。その霊が彼らのなす世界的な伝道の背後にあるのです。この点をどうして疑うべきなのでしょうか」 『聖霊』 145頁。


二つの群れ−三つの群衆

ラザフォードによるでっち上げの‘新しい真理’の専売特許・独占権は, ノアとフランズによる彼らの聖書辞典・語句辞典に相当する『聖書理解の助け』の出版により終止符を打つ。『聖書理解の助け』は, 当初1969年に出版され, 1971年に増補改訂された。

ミルトン・ヘンシェルの就任と共にフランズやノアの時代に見られた‘絶対権力主義’から「交替する統治体」の体質も許容するようになる。フレデリック・フランズは1975年を人類歴史の6,000年としてエホバの証人に「ある人たちは家を売って伝道に専念している」と「王国宣教」でけしかけた。実際, 『神の自由の子』でも人類創造から6,000年目が1975年であることを示していた。

1975年が過ぎ去ると「私達はハルマゲドンが来るとは言っていない。言っていたのは, 一部の熱心な人達である」と言い始めた。しかし, 残念なことに, ものみの塔は「目ざめよ!」誌の中で, 「数年以内にハルマゲドンが, 来る」という明確な証拠を残してしまった。

1975年ハルマゲドン説が不発に終わると, 「その様に熱狂し伝えたのは, 一部の人である」と言い出したのである。この, 組織の主張は, イエスが復活されたとき「だれかがイエスの体を盗んでいった」と噂をばらまいたパリサイ人のようである。

ラッセルやラザフォードの多くの失敗した預言の説明をしつつも, 自らも弁明しなければならない羽目になる。

1975年の預言が失敗に終わると彼らの戸別訪問時だけでなく, マスメディアを通しても‘この偽預言者め!’とか‘この人殺し’とか‘このペテン師野郎’という反対の声を聞くようになった。 統治体からの返答は, 「反対する者」や「やじる者」を無視することであり, 彼らは侮辱されるか或いは, 当惑して立ち去るしかなかった。この様子は『エホバの証人とは』というビデオで, 逃げ回る統治体の姿が, はっきりと映し出されている。1975年ハルマゲドン説についてはRandall WattersのWebPageでReal Audioで聞くことができる。

統治体が, 無視したのは多くの誠実なエホバの証人が内部の秘密を知ることにより, ダメージを受けるためである。

しかし, 預言の失敗は, 「ものみの塔」誌1981年12月1日27頁において, ものみの塔信者が, ‘真理’にどの様に到達するかという新しい説明が, なされたのである。歴史的・・・‘タッキング理論’の誕生の瞬間であった。ヨットは, 風上に向かって進むとき, 船体を, 左右に振りながら前進していく。ものみの塔も教理的調整を繰り返しながらも ‘真理’に向かっていると説明しだしたのである。しかし, ものみの塔の教理は, 左右どころか全く逆に進んだり, 同じ所をぐるぐると回っているに過ぎない。

詳しくはここを見よ。 申命記 18:18-20「わたしは彼らの同胞のうちから, 彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は, わたしが命じることをみな, 彼らに告げる。わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば, わたしが彼に責任を問う。ただし, わたしが告げよと命じていないことを, 不遜にもわたしの名によって告げたり, あるいは, ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら, その預言者は死ななければならない。」

ものみの塔は, 私達に預言者について自称, 預言者の記録を再検討するように命じた。「この預言者とはだれですか・・・彼らはエホバの証人クリスチャンとして知られています。・・・もちろんこのグループが神の『預言者』として行動しているとしいうのは容易ですがそれを実証するのは別問題です。そうする唯一の方法は記録を再検討することです。記録は何を示していますか。」「ものみの塔」誌1972年7月1日407頁。

今日の, ものみの塔の信者は, 「期待であって預言ではない」と弁解するように訓練されている。「神の音信を伝えるという意味で預言者であって文字通り日付を預言していたのではない」というとき, 彼らは完全に協会本部の術中にはまっていることになる。

ものみの塔が, 偽預言者かどうか判断を下すのは, 簡単な事である。ものみの塔の古文書を読めばよい。しかし, エホバの証人は, その様な現物書籍を目にすることは, まずない。いや, あってもその事実に心を留めようとしないであろう。


1914年の世代

1914年から一世代の内に世界の終わりが来ることの変更は, 証人全体に多くの警告を発している。たとえ, 少ない割合であっても定められた日付として世の終わりを信じていなくとも, 彼らはこの「一世代の内に」世界の終わりが来るかと予想し, 期待した。

詩篇 90:10の「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも, その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り, 私たちも飛び去るのです。 」から, 1914年から一世代は, 1995年にタイム・リミットを迎えていたのである。

かくして, 「1914年から一世代の内に」という解釈は, 「ものみの塔」誌1995年11月1日号で放棄されることになる。

この世代に関する解釈は, News Week 1995年12月8日号59頁に依れば「ものみの塔指導者だけが世代を考慮に入れた変更から来る難題を乗り切ろうとしている」と述べている。

「終わりは, まだ近づいています」と協会のスポークスマンであるBob Pevy は, 述べ, 続けて‘私達は, イエスのお言葉の上に, 数字を置くことはできません’と述べた。

しかし, エホバの証人の統治体に最悪の状態のために準備し, 彼らの変更を考慮に入れた手紙を送った。大きな変更は, ものみの塔協会幹部の働きである。事実, 指導者層は, 古参の指導者層が過ぎ去るまでじっと我慢していない。

世界の多くの地域に於いて, 伝道は頭打ちの状態にあり, その財産を管理し, 生き抜くためには, 様々な面で新しい方法や柔軟な心が求められている。

ものみの塔の総資産は, 数十億ドルであり, その中には1,200万人以上の仲間と活発な600万人以上のエホバの証人も含まれる。

法的問題は, すでにこの方向に影響を与えている。

「ものみの塔」誌1995年12月15日号3-7頁では「贈り物 期待されていますか」という記事の中で‘異教’を起源とするクリスマスや休日以外であれば‘贈り物’をし, 社会生活に溶け込むように勧める。

組織は, エホバの証人の若者が, 社会に適応するするために大学教育にも柔軟な態度を取るようになった。医療面に於いても輸血の血液成分ファクター8, 10, グロブリン, アルブミン, 酸化させない状態での人工透析, 同様の自己血輸血に於いても緩和が見られる。

世界的宗教として拡大するためには, 種痘を禁止していては, 第三世界での拡大は, あり得なかった。神との契約よりも組織の拡大のために, 種痘禁止は, 取っ払うしなかったのである。

ものみの塔協会は, 世界宗教として拡大していくためには, この「輸血拒否」を取り払うという課題を残している。

さて, 1914年の世代の変更は, ラザフォードの偽預言・教理的変更の犠牲となったように, 今日の幾らかのエホバの証人の心の中に, 無気力と虚脱感という傷を負わせたままである。


ラッセルとラザフォードの観点の違い

ラッセルの禁止事項

ラッセルは誕生日にクリスマスを祝い彼の追随者たちは, 軍隊に入隊することは, 許容されていた。永遠の律法とされる血を食べることと避けることに関しては反対していなかった。他の教会に出席することも許され, キリスト教の伝統的十字架を信じた。

創世の時代には「キリストは神であり人である」という理解であった。また, キリストに礼拝を捧げ, アメリカの国旗は, 飾ることができた。

ラザフォード

ラザフォードは彼自身が言ったところによれば1976年年鑑151頁において 「・・・ラザフォード兄弟自身がわたしに次のような話を聞かせてくれたのです。ラザフォード兄弟は, その大会の準備をしていたある日目を覚まして, 『特別な講演とか音信とかないのに, いったいなぜわたしは国際大会を提案したのだろう。なぜみんなをそこに集めるのだろうか』とつぶやきました。そしてそのことについて考え始めると, 机に向かい, 王国はせかいの希望という講演と新しい名前に関する話の筋書きを速記しました。あの時, 彼が行った証言はすべて, その夜, つまり朝の2時に準備されたのです。わたしは, 主がラザフォード兄弟を導かれたことに対して, 昔も今も一点の疑いも持っていません。それはまさしく, わたしたちの名前としてエホバが望んでおられるものであり, わたしたちはその名前を与えられて大きな喜びと幸福を感じています。」と証言されている。

忠実で思慮深い奴隷

ラッセル

公然とは認めなかったが, 妻ラッセルの「ラッセル自身が忠実で思慮深いである」との見解は, 一般証人の間に受け入れられていった。『エホバの証人』142-3, 645頁。ラッセルは, その様な理解を拒否することなく, 受け入れていった。

ラザフォード

‘忠実で思慮深い奴隷’は黙示録7章と14章に於いて言及されている144,000人である。天からキリストと共に支配する。ラッセルの時代は, この144,000人は, 様々な教会によって集められてきたが, ラザフォードは144,000人は神の組織の一部であったに違いないと主張。144,000人はキリストの元にある彼の組織に留まらなければならない。この取り決めに, 例外はない。

「エホバの証人は, エホバの証し人からなる神の油注がれた者に明確に当てはまる。・・・彼の油注がれた残りの者からなる地上における公的組織と油注がれた者と共に進むヨナダブ達は, 教えられるが指導者には成れない。」「ものみの塔」誌1934年8月15日号249頁。英文。

●ラザフォードは様々な教理的な変更は, 144,000人が‘神の伝達経路である’と建前上・教理上定めたが, 実際は信じていなかった。

なぜなら, ラザフォードの時代のすべての出版物(「ものみの塔」誌「黄金時代」, 数多くの小冊子と書籍)は, ラザフォード一人で出版したものである。すべての出版物の表紙あるいは, 見開きのページには, ‘執筆者 ラザフォード’という言葉が出てくる。

つまり, ラザフォードは, 執筆に於いて誰にも相談することなく‘神の経路’であった。

神の組織

ラッセル

「私達は私達の頭として他の名前によって呼ばれることを拒否する−彼の御言葉を通して知らさせられたことにより, 導かれた彼らの間に不一致が全くないとクリスチャンは継続的に主張する。」「ものみの塔」誌1883年458頁。(復刻版)「ユダヤ人に収穫に於いて彼の弟子と現在の間, イエスが会衆を組織化しなかったという同じ理由のために私達は, 必要・手段としての組織を考えない。寧ろ, 使徒たちによって立てられたのは, 単純かつ無宗派であった。」「ものみの塔」誌1883年10月536頁。(復刻版)

ラザフォード

「もしあなたが組織の指示に調和することが難しいと見いだすなら, それは主の前にあなたの独立するのを見る入念な自己反省の十分な理由である。・・・御使いたちは主によって遣わされました。地上における彼の組織の成員に彼のご命令を伝道されます。これがどれほど理解されるかは私達には, 重要ではありません。」「ものみの塔」誌1933年12月1日364頁。

「すべてのエホバの側に立つ者は, キリストの元にある彼の組織に来なければなりません。この取り決めに例外はありません。」「ものみの塔」誌1934年8月15日号249頁。

地的希望

ラッセル

黙示録7章9節における大群衆は第二番目の天的クラスであり, 144,000人と同じであった。彼らは, 天にいるが花嫁の友人(144,000人のしもべ)であり, 栄光の程度に於いて大きな違いがあるであろうと述べる。「ものみの塔」誌1883年3月458頁。 ラッセルは「大群衆とは不熱心なクリスチャンである」と述べた。「ものみの塔」誌1897年6月1日号2161頁。(復刻版)

ラザフォード

ラザフォードは, 1918年に彼の神殿にキリストは帰還された主張した(忠実で思慮深い奴隷の身元が判明した)ので, 1932年に神殿を清められた。2300日が終わった。大群衆はラッセルが考えたようにこれらの人々は完全に忠実なる者ではなかったが, ほぼ, エホバに対して忠実である。しかし, 彼らは地上の楽園という異なった希望を持っていると主張する。cf『神の御心』369頁。

預言の日付

ラッセル

1799年が終わりの時であり, 1874年が主の再臨であり1914年は世界の終わりであると述べる。『聖書研究第四巻』621頁。「ものみの塔」1892年1月15日号21-23頁。

ラザフォード

‘終わりの時’は1799年に始まったとし, ‘1874年再臨説’を1930年に退けたり, 1925年には旧約のアブラハム・イサク・ヤコブ達が復活してくると預言。「これは, 1914年の出来事よりも確かな証拠がある」と述べる。「私達はハルマゲドンまでの残された数ヶ月の間にいる」と「ものみの塔」誌1941年9月15日号288頁で述べる。結局, ものみの塔協会は, エホバの組織ではなく, ラザフォードの組織だった。引用された現物資料をご覧になりたい方は, ご連絡下さい。

エホバの組織かラザフォードの組織か

エホバの組織かラザフォードの組織か

序文

1879年, ラッセルを通してものみの塔聖書冊子協会は始められた。その後組織は, 二代目会長ジョセフ・フランクリン・ラザフォードに継承された。1869年11月8日ミズリー川近くに生まれたラザフォードは, しばしば‘判事’と呼ばれた。後に, ものみの塔の歴史家ジェームス・ペントンは, 地方に於いて‘判事’として用いられニックネームとして‘判事’と用いられたと述べている。

ラザフォードは, 巨体の持ち主で, 威圧感があり, 大声で話した。下品な言葉を使い, アルコール中毒に苦しみサウンドカーでカトリックや政治家に対する暴言を吐き続けた。(Apocalypse Delayed トロント大学出版 1985年 47-48頁)第二次世界大戦中, 文字どおりエホバの証人に怒った愛国者, またカトリック教徒によって階段から蹴落とされる事も珍しくなかった。彼らの蓄音機は, 彼らと共に転げ落ちたのである。


自らを真理の源と主張

ラッセルは, 自らを黙示録10章7節の七番目の使者である信じた。彼はその時代の地上における神の真理の手段・方法として, 彼は「忠実で思慮深い僕」であった。(後に「忠実で思慮深い奴隷」という言葉が作られた。)

彼自身の友人であるラザフォードによって1916年の死の後でさえも彼を評して「聖書は, ラッセルが生前から選ばれていたことを示している。二人の最も傑出した使者は, パウロとマタイ 24:45-47の僕であるラッセル牧師であった」と「ものみの塔」誌1917年11月1日号17頁(復刻版6159頁)に述べている。

「忠実で思慮深い僕がだれであるかと尋ねられたとき, ラッセルは‘誰かが言っているように私であり, 他の人が言うように協会である。’と答えた。両方とも事実である。ラッセルは事実, 協会であった。」「ものみの塔」誌1923年3月1日 68頁。

「当時, ふるい分けられた人達は, チャールズ・ティズ・ラッセル一個人が『忠実にして智き僕』であるという見解に固執していました。・・・特にラッセルの死後何年かは『ものみの塔』誌自体にその様な見解が示されていました。」『エホバの証人』626頁。

1927年ラザフォードは‘僕’を考える事は, 変更しなかったが, ラッセルは決して自ら主張しなかったと言い始めた。

「‘忠実で思慮深い奴隷’はラッセル個人ではなく, 個人ではありません。ラッセルは決してその様に主張しませんでした。」「ものみの塔」誌1927年2月15日号56頁。駄作である。数々の偽りの始まりである。


どの様に‘光’を得たのか。

ラザフォードは, ラッセルに与えられた‘奴隷’の理解に変更を加えた。それは, 後に‘新しい光’と呼ばれた。間もなく, ラザフォードは協会自身が, ‘忠実で思慮深い奴隷’であると主張し始める。

天におけるキリストと共に支配するために選ばれた信者の集合的な‘級’であった。ラザフォードは, 協会を要求した。「神は御使いを通して, 真理を明らかにされました。 これらの御使いは, 人間の目には, 見えず神のご命令を運びます。」『証明』1932年第三巻250頁。英文。

「残りの者は, 御声を聞くことができません。それは必要ではなく, エホバは彼の油注がれた者の心にお考えを伝達する彼ご自身の良い方法を, 備えられました。」『準備』1933年版英文64頁。

‘真理’がどの様に来るかは, 全く秘密では無かった。事実上, ものみの塔の記事や出版物はすべて, ラザフォード会長により, 執筆され, 決して‘残りの者’には, 相談されなかった。

1976年年鑑151頁におけるマクミランの話である。

「・・・ラザフォード兄弟自身がわたしに次のような話を聞かせてくれたのです。ラザフォード兄弟は, その大会の準備をしていたある日目を覚まして, 『特別な講演とか音信とかないのに, いったいなぜわたしは国際大会を提案したのだろう。なぜみんなをそこに集めるのだろうか』とつぶやきました。そしてそのことについて考え始めると, 机に向かい, 王国は世界の希望という講演と新しい名前に関する話の筋書きを速記しました。あの時, 彼が行った証言はすべて, その夜, つまり朝の2時に準備されたのです。わたしは, 主がラザフォード兄弟を導かれたことに対して, 昔も今も一点の疑いも持っていません。それはまさしく, わたしたちの名前としてエホバが望んでおられるものであり, わたしたちはその名前を与えられて大きな喜びと幸福を感じています。」。

この様に「エホバの証人」という名前は, ラザフォードの思いつきで‘新しい光’として1931年の大会で信者に, ありがたく受け入れられたのである。

ラッセルの死後1917年から1942年までのすべての出版物の見開きのページには, ‘執筆者ラザフォード’の名前がしるされている。エホバの証人という‘エホバ’の名を使うことにより, 組織の権利を完全に掌握することができたのである。


略奪された‘聖霊’

ラザフォードは間もなく, キリストが目に見えない形で臨在されており, 彼の御使いを通して自分で組織を指導するので, 聖霊は助け主として教会には, 必要ではないと主張しはじめた。注意しましょう。

「神の御霊によって, エホバ神は特定の時点に人々を導き, 教育されます。‘聖霊’が取り去られる時迄その様にして来られました。それはイエス(エホバの組織の頭)が神殿に入られた時, また, 1918年にイエスが(偉大な裁き手として)裁きを始められたとき忠節さが見いだされた者を集めた時, 必ず起こる。」(『準備』1932年, 193頁)。

「主が神殿に来られ, 選ばれた者を集められることで(テサロニケ第二 2:1), 聖霊は教 会の仲介者あるいは弁護者としての働きを止められるだろう。」(同上46頁)。

背後から物事を支配・管理している生気のない‘聖霊’よりも, 寧ろ, 御使い(あるいは仕える霊)が今や組織と直接意志伝達をしているとラザフォードは教えた。 「エホバは, ご自身の民を教える為に, エホバの組織の中に必要な取り決めを作って来られました。全ての者が, 数年内にものみの塔は神の民に報知を伝達する手段となっていると認めます。ものみの塔の出版物を準備する者は, 霊感が与えられている事を意味しませんが, 寧ろ, おりに適った時に, 知らせが与えられることを主が御使いを通して知ることを意味します。主は預言の成就の出来事が過ぎるために報知を持たらし, 同じ出来事を見るために主に献身した者を召し出します。」(『富』1936年, 316頁)。

事実上, ラザフォードは, 霊感が与えられていることに反対していない事に注目すべきである。次の引用に明らかなように, その主張は, エホバとキリスト・イエスが聖書のすべての解釈をすること, この解釈は「ものみの塔」を備える者を経て天使によって組織に渡されることである。それは忠実な残りの者やエホバの油注がれた証人が解釈の地的判事(聖書やその預言を解釈するために委任された)であると意味するのではない。否, 王, キリスト・イエスはその公職を彼らには任せていなかった。

「『サンヒドリン・最高法院』が今だに解釈をしています。神に感謝します。またキリスト・イエス(解釈の法院の公的な代弁者)は, エホバの‘忠実で思慮深い奴隷’の頭(かしら)としての公僕を持っておられます。イエス・キリストによって明らかにされるまで最高法院による解釈を出版するために‘奴隷’級を用いているに過ぎません。」(「ものみの塔」誌1943年7月1日203頁。英文)。

いかにしてこれらの天使的な霊はラザフォードにこの「解釈」を伝達し, それを出版できたのか。

「こうした御使いは, 人の目には認められず, 主の秩序を運ぶためにいます。天使が主の残りの者に主が発する命令を聞き, 目に見えない使者が残りの者にその命令を渡すことは, 疑いの余地がありません。主の神殿にいる主の御使いは, 1919年から残りの者に仕えているのは事実です。」(『証明』第3巻, 250頁)。

「特定の義務と王国の利益は主によって, 主の御使い達に関わっていた。御使いの責務には神の助けと慰めのために地上の油注がれた民に報知を伝達することを含む。天使がどうやってこの知らせを伝達するか, 理解できなくとも, 天使はそれをしているのであり, 聖書と事実がそうしていることを示していると分かる。」(『準備』1933年版, 36-7頁)。

ラザフォードが, 1942年に死亡するとネイサン・ノアに継承された。毛の生えたような心臓と鉄面皮のような顔(表情)を持つ精緻な独裁者であった。‘御使い’は, 取っ払われ‘聖霊の働き’は再び強調された。ノアは, 本を執筆することはあまりなく, しばしば組織の副会長であるフレデリック・フランズの援助を得た。ノアとフランズは少なくとも70年代中頃まで「忠実で思慮深い奴隷」であった。彼の技術は, 組織化を促し, 神の組織として, 人々を引きつけることであった。

「また, 全地でエホバの組織だけが神の聖霊, つまり活動力によって導かれているという事実をも考慮して下さい。(ゼカ 4:6)この組織だけがエホバの目的のために, またエホバに賛美を帰するために機能を果たしているのです。この組織にとってのみ神の聖なるみことばは, 聖書は封じられた書物ではないのです。・・・真のクリスチャンは‘神の奥深い事がら’を理解している地上で唯一の組織と交わることの価値をどれほど深く認識しているか知れません。」 『ものみの塔』誌1973年594頁。

従って「‘聖霊’は1918年の後に彼らを弁護する働きを止めた」というラザフォードの教えに全く反対のことを教えるようになったのである。

『聖霊−来るべき新秩序の背後にある力』は1976年に出版された本のタイトルである。使徒の書簡を通して, ペンテコステの日から‘聖霊’の御業をたどった後, この聖霊が1919年に神の立てられた御国の良いたよりを宣べ伝える業の始まりであるとする。

刑務所にいたものみの塔組織を管理していた8人のメンバーにも聖霊が力を与えたことを証明しようと試みる。 『聖霊』 の本は, 「1919年, 神からの命の霊が抑圧された証人たちの中に入ったのは, その様な全世界的な王国伝道のためでした。」と説明する。(同本, 143頁)。

『聖霊』 の本は, 「油注がれた残りの者」は世界に聖書とキリストについて真理を預言することを続けて強調した。「エホバは終わりの日に聖霊を注ぎ出すことを預言しましたが, その聖霊はまだ働きを終えていません。残りの者たちはその霊の名においてキリストの弟子にバプテスマを施すことを続けているのです。・・・神があらゆる肉なる者の上にご自分の霊を注ぎ出す事に関して, その発表された日付は, それを受けた人達だけが預言することでした。キリストの油注がれた弟子たちの残りの者は, 神の王国を支持する証しとして事実, それを裏づけています。このことからも, 彼らこそ神の霊がその上に”注ぎ出された人々である”と言えます。その霊が彼らのなす世界的な伝道の背後にあるのです。この点をどうして疑うべきなのでしょうか」 『聖霊』 145頁。


二つの群れ−三つの群衆

ラザフォードによるでっち上げの‘新しい真理’の専売特許・独占権は, ノアとフランズによる彼らの聖書辞典・語句辞典に相当する『聖書理解の助け』の出版により終止符を打つ。『聖書理解の助け』は, 当初1969年に出版され, 1971年に増補改訂された。

ミルトン・ヘンシェルの就任と共にフランズやノアの時代に見られた‘絶対権力主義’から「交替する統治体」の体質も許容するようになる。フレデリック・フランズは1975年を人類歴史の6,000年としてエホバの証人に「ある人たちは家を売って伝道に専念している」と「王国宣教」でけしかけた。実際, 『神の自由の子』でも人類創造から6,000年目が1975年であることを示していた。

1975年が過ぎ去ると「私達はハルマゲドンが来るとは言っていない。言っていたのは, 一部の熱心な人達である」と言い始めた。しかし, 残念なことに, ものみの塔は「目ざめよ!」誌の中で, 「数年以内にハルマゲドンが, 来る」という明確な証拠を残してしまった。

1975年ハルマゲドン説が不発に終わると, 「その様に熱狂し伝えたのは, 一部の人である」と言い出したのである。この, 組織の主張は, イエスが復活されたとき「だれかがイエスの体を盗んでいった」と噂をばらまいたパリサイ人のようである。

ラッセルやラザフォードの多くの失敗した預言の説明をしつつも, 自らも弁明しなければならない羽目になる。

1975年の預言が失敗に終わると彼らの戸別訪問時だけでなく, マスメディアを通しても‘この偽預言者め!’とか‘この人殺し’とか‘このペテン師野郎’という反対の声を聞くようになった。 統治体からの返答は, 「反対する者」や「やじる者」を無視することであり, 彼らは侮辱されるか或いは, 当惑して立ち去るしかなかった。この様子は『エホバの証人とは』というビデオで, 逃げ回る統治体の姿が, はっきりと映し出されている。1975年ハルマゲドン説についてはRandall WattersのWebPageでReal Audioで聞くことができる。

統治体が, 無視したのは多くの誠実なエホバの証人が内部の秘密を知ることにより, ダメージを受けるためである。

しかし, 預言の失敗は, 「ものみの塔」誌1981年12月1日27頁において, ものみの塔信者が, ‘真理’にどの様に到達するかという新しい説明が, なされたのである。歴史的・・・‘タッキング理論’の誕生の瞬間であった。ヨットは, 風上に向かって進むとき, 船体を, 左右に振りながら前進していく。ものみの塔も教理的調整を繰り返しながらも ‘真理’に向かっていると説明しだしたのである。しかし, ものみの塔の教理は, 左右どころか全く逆に進んだり, 同じ所をぐるぐると回っているに過ぎない。

詳しくはここを見よ。 申命記 18:18-20「わたしは彼らの同胞のうちから, 彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は, わたしが命じることをみな, 彼らに告げる。わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば, わたしが彼に責任を問う。ただし, わたしが告げよと命じていないことを, 不遜にもわたしの名によって告げたり, あるいは, ほかの神々の名によって告げたりする預言者があるなら, その預言者は死ななければならない。」

ものみの塔は, 私達に預言者について自称, 預言者の記録を再検討するように命じた。「この預言者とはだれですか・・・彼らはエホバの証人クリスチャンとして知られています。・・・もちろんこのグループが神の『預言者』として行動しているとしいうのは容易ですがそれを実証するのは別問題です。そうする唯一の方法は記録を再検討することです。記録は何を示していますか。」「ものみの塔」誌1972年7月1日407頁。

今日の, ものみの塔の信者は, 「期待であって預言ではない」と弁解するように訓練されている。「神の音信を伝えるという意味で預言者であって文字通り日付を預言していたのではない」というとき, 彼らは完全に協会本部の術中にはまっていることになる。

ものみの塔が, 偽預言者かどうか判断を下すのは, 簡単な事である。ものみの塔の古文書を読めばよい。しかし, エホバの証人は, その様な現物書籍を目にすることは, まずない。いや, あってもその事実に心を留めようとしないであろう。


1914年の世代

1914年から一世代の内に世界の終わりが来ることの変更は, 証人全体に多くの警告を発している。たとえ, 少ない割合であっても定められた日付として世の終わりを信じていなくとも, 彼らはこの「一世代の内に」世界の終わりが来るかと予想し, 期待した。

詩篇 90:10の「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも, その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り, 私たちも飛び去るのです。 」から, 1914年から一世代は, 1995年にタイム・リミットを迎えていたのである。

かくして, 「1914年から一世代の内に」という解釈は, 「ものみの塔」誌1995年11月1日号で放棄されることになる。

この世代に関する解釈は, News Week 1995年12月8日号59頁に依れば「ものみの塔指導者だけが世代を考慮に入れた変更から来る難題を乗り切ろうとしている」と述べている。

「終わりは, まだ近づいています」と協会のスポークスマンであるBob Pevy は, 述べ, 続けて‘私達は, イエスのお言葉の上に, 数字を置くことはできません’と述べた。

しかし, エホバの証人の統治体に最悪の状態のために準備し, 彼らの変更を考慮に入れた手紙を送った。大きな変更は, ものみの塔協会幹部の働きである。事実, 指導者層は, 古参の指導者層が過ぎ去るまでじっと我慢していない。

世界の多くの地域に於いて, 伝道は頭打ちの状態にあり, その財産を管理し, 生き抜くためには, 様々な面で新しい方法や柔軟な心が求められている。

ものみの塔の総資産は, 数十億ドルであり, その中には1,200万人以上の仲間と活発な600万人以上のエホバの証人も含まれる。

法的問題は, すでにこの方向に影響を与えている。

「ものみの塔」誌1995年12月15日号3-7頁では「贈り物 期待されていますか」という記事の中で‘異教’を起源とするクリスマスや休日以外であれば‘贈り物’をし, 社会生活に溶け込むように勧める。

組織は, エホバの証人の若者が, 社会に適応するするために大学教育にも柔軟な態度を取るようになった。医療面に於いても輸血の血液成分ファクター8, 10, グロブリン, アルブミン, 酸化させない状態での人工透析, 同様の自己血輸血に於いても緩和が見られる。

世界的宗教として拡大するためには, 種痘を禁止していては, 第三世界での拡大は, あり得なかった。神との契約よりも組織の拡大のために, 種痘禁止は, 取っ払うしなかったのである。

ものみの塔協会は, 世界宗教として拡大していくためには, この「輸血拒否」を取り払うという課題を残している。

さて, 1914年の世代の変更は, ラザフォードの偽預言・教理的変更の犠牲となったように, 今日の幾らかのエホバの証人の心の中に, 無気力と虚脱感という傷を負わせたままである。


ラッセルとラザフォードの観点の違い

ラッセルの禁止事項

ラッセルは誕生日にクリスマスを祝い彼の追随者たちは, 軍隊に入隊することは, 許容されていた。永遠の律法とされる血を食べることと避けることに関しては反対していなかった。他の教会に出席することも許され, キリスト教の伝統的十字架を信じた。

創世の時代には「キリストは神であり人である」という理解であった。また, キリストに礼拝を捧げ, アメリカの国旗は, 飾ることができた。

ラザフォード

ラザフォードは彼自身が言ったところによれば1976年年鑑151頁において 「・・・ラザフォード兄弟自身がわたしに次のような話を聞かせてくれたのです。ラザフォード兄弟は, その大会の準備をしていたある日目を覚まして, 『特別な講演とか音信とかないのに, いったいなぜわたしは国際大会を提案したのだろう。なぜみんなをそこに集めるのだろうか』とつぶやきました。そしてそのことについて考え始めると, 机に向かい, 王国はせかいの希望という講演と新しい名前に関する話の筋書きを速記しました。あの時, 彼が行った証言はすべて, その夜, つまり朝の2時に準備されたのです。わたしは, 主がラザフォード兄弟を導かれたことに対して, 昔も今も一点の疑いも持っていません。それはまさしく, わたしたちの名前としてエホバが望んでおられるものであり, わたしたちはその名前を与えられて大きな喜びと幸福を感じています。」と証言されている。

忠実で思慮深い奴隷

ラッセル

公然とは認めなかったが, 妻ラッセルの「ラッセル自身が忠実で思慮深いである」との見解は, 一般証人の間に受け入れられていった。『エホバの証人』142-3, 645頁。ラッセルは, その様な理解を拒否することなく, 受け入れていった。

ラザフォード

‘忠実で思慮深い奴隷’は黙示録7章と14章に於いて言及されている144,000人である。天からキリストと共に支配する。ラッセルの時代は, この144,000人は, 様々な教会によって集められてきたが, ラザフォードは144,000人は神の組織の一部であったに違いないと主張。144,000人はキリストの元にある彼の組織に留まらなければならない。この取り決めに, 例外はない。

「エホバの証人は, エホバの証し人からなる神の油注がれた者に明確に当てはまる。・・・彼の油注がれた残りの者からなる地上における公的組織と油注がれた者と共に進むヨナダブ達は, 教えられるが指導者には成れない。」「ものみの塔」誌1934年8月15日号249頁。英文。

●ラザフォードは様々な教理的な変更は, 144,000人が‘神の伝達経路である’と建前上・教理上定めたが, 実際は信じていなかった。

なぜなら, ラザフォードの時代のすべての出版物(「ものみの塔」誌「黄金時代」, 数多くの小冊子と書籍)は, ラザフォード一人で出版したものである。すべての出版物の表紙あるいは, 見開きのページには, ‘執筆者 ラザフォード’という言葉が出てくる。

つまり, ラザフォードは, 執筆に於いて誰にも相談することなく‘神の経路’であった。

神の組織

ラッセル

「私達は私達の頭として他の名前によって呼ばれることを拒否する−彼の御言葉を通して知らさせられたことにより, 導かれた彼らの間に不一致が全くないとクリスチャンは継続的に主張する。」「ものみの塔」誌1883年458頁。(復刻版)「ユダヤ人に収穫に於いて彼の弟子と現在の間, イエスが会衆を組織化しなかったという同じ理由のために私達は, 必要・手段としての組織を考えない。寧ろ, 使徒たちによって立てられたのは, 単純かつ無宗派であった。」「ものみの塔」誌1883年10月536頁。(復刻版)

ラザフォード

「もしあなたが組織の指示に調和することが難しいと見いだすなら, それは主の前にあなたの独立するのを見る入念な自己反省の十分な理由である。・・・御使いたちは主によって遣わされました。地上における彼の組織の成員に彼のご命令を伝道されます。これがどれほど理解されるかは私達には, 重要ではありません。」「ものみの塔」誌1933年12月1日364頁。

「すべてのエホバの側に立つ者は, キリストの元にある彼の組織に来なければなりません。この取り決めに例外はありません。」「ものみの塔」誌1934年8月15日号249頁。

地的希望

ラッセル

黙示録7章9節における大群衆は第二番目の天的クラスであり, 144,000人と同じであった。彼らは, 天にいるが花嫁の友人(144,000人のしもべ)であり, 栄光の程度に於いて大きな違いがあるであろうと述べる。「ものみの塔」誌1883年3月458頁。 ラッセルは「大群衆とは不熱心なクリスチャンである」と述べた。「ものみの塔」誌1897年6月1日号2161頁。(復刻版)

ラザフォード

ラザフォードは, 1918年に彼の神殿にキリストは帰還された主張した(忠実で思慮深い奴隷の身元が判明した)ので, 1932年に神殿を清められた。2300日が終わった。大群衆はラッセルが考えたようにこれらの人々は完全に忠実なる者ではなかったが, ほぼ, エホバに対して忠実である。しかし, 彼らは地上の楽園という異なった希望を持っていると主張する。cf『神の御心』369頁。

預言の日付

ラッセル

1799年が終わりの時であり, 1874年が主の再臨であり1914年は世界の終わりであると述べる。『聖書研究第四巻』621頁。「ものみの塔」1892年1月15日号21-23頁。

ラザフォード

‘終わりの時’は1799年に始まったとし, ‘1874年再臨説’を1930年に退けたり, 1925年には旧約のアブラハム・イサク・ヤコブ達が復活してくると預言。「これは, 1914年の出来事よりも確かな証拠がある」と述べる。「私達はハルマゲドンまでの残された数ヶ月の間にいる」と「ものみの塔」誌1941年9月15日号288頁で述べる。結局, ものみの塔協会は, エホバの組織ではなく, ラザフォードの組織だった。引用された現物資料をご覧になりたい方は, ご連絡下さい。

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この記事の, 著作権はIkerumizunokaiに帰属します。どの様な方法であれ, 無断転載を 一切禁止します。Copyright (C) 1999 by Ikerumizunokai All rights reserved.

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