なる

 

 

 フランシス・フォード・コッポラ監督の新作映画『レイン・メーカー』の前売り券が安く手に入ったので観に行った。新人弁護士が主人公の話だと聞いていたが、詳しい内容は知らなかった。そうしたら主人公に弁護を頼む依頼人が白血病の青年とその母親で、予想もしなかった個人的タイムリーさに驚いた。その青年は保険会社の詐欺的行為で保険金が給付されず、骨髄移植が受けられずにいた。裁判が長引くにつれて彼はどんどん衰弱して行き、映画の緊迫感を盛り上げて行ったが、同病の私には衰弱した彼の姿は少々刺激が強過ぎ、見続けるのが辛くなって来た。しかしこれが病人の心理なのだろうか。私は何の根拠も無く彼が助かり元気になる事を期待して見続けた。

 しかし映画の中盤で彼は死んでしまった。その死は人伝に主人公に伝えられた。すっかり彼に感情移入していた私は彼の死に少々ショックを受けると共に、観客に見えない所で死んであっさりと舞台から消えてしまうと言うドラマの中での彼の扱われ方に違和感を覚えた。監督と私の間で彼の死に対する感じ方に相当の温度差が有ると感じた。

 しかし所詮他人の「死」なんてそんな物だろうなと思った。コッポラに限らず誰だって、他人の死なんかより弁当を食ってる途中で割り箸が折れた時の方がよっぽど悲しいに違いない。

 アメリカには日本の様な公的な健康保険制度が無いので、経済的理由でインターフェロンの投与や骨髄移植が受けられないケースが多いと聞く。健康な時は毎月給料から引かれる高額の保険料を疎ましく思ったものだが、こうなると日本の福祉制度に感謝せざるを得ない。

 

 

 しばらくして私はとある友人のアパートを訪ねた。

「白血病と言う病名の告白に対して言われた相手はどんな反応を示すのか?」

ドラマでは無い、作家や映画監督のステレオタイプな倫理観とは無縁の現実世界でそれを目撃する機会がやって来たのだ。私は最高に劇的なタイミングで告白するべくチャンスを待った。

 と思っていたら彼の方から

「ぢつはな・・・」

と、告白の様な語りが始まったのである。聞けば何と彼がマンションを買ったと言うではないか。思わず

「結婚するのか?」

と聞いてしまったが、そうでは無いと言う。昨今の低金利と地価の下落を考えるとアパートの家賃を払い続けるより家を買ってローンを払った方が良いとの判断らしい。堅実で論理的な思考に基づき大胆な行動をとる。彼らしい話である。

 安くなったとは言えマンションは高価な買い物である。消費税だけで何百万円も掛かってしまう(なんか腹が立つ)。月々の給料やボーナスからの支払いは相当な額だ。私は「大変だにゃー」等と言いながら、もし自分がこうしたローンを抱えていたらどうなっていたかと考えた。高価なインターフェロンを打ち続け、骨髄移植となれば長期間の入院と多額の費用。仕事も続けられるか判らない。これだけで結構悲劇的なシチュエーションだが、更に数年後には死んでいるかも知れない独り身の体に数十年の家のローンが圧し掛かるなんて言ったら無意味な悲劇のインフレである。絶対に大笑いである。

 本当に笑いそうになったのをグッと堪えていると、更に彼は最近胃潰瘍が出来たなんて話を始めた。これには少し驚いたが、それ程重い症状では無かったそうでほっとした。病気になると不思議な物で、自分だけで無く他人の健康をも望む気持ちが以前より強くなる。私は病気の話が出た所で今が話すタイミングかと思い、

「実は俺も最近病気になってなぁ・・・」

と、切り出した。言ってから、「軽い胃潰瘍」と言われた後に返す様に「白血病」では、まるで自分の方が酷い病気だと自慢しているみたいでは無いか?と、またしても告白する事にためらいが生じた。しかし切り出してしまった以上言うしかない。そもそも自分はこれを楽しむつもりでいたのではないかと自分の心を焚き付けた。

「それがな、いやー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・白血病なんだよ。」

瞬間、彼の目に驚きと戸惑いの入り混じった表情が浮かんだ。しかし目から下の表情筋には先程まで浮かべていた陽気な笑みがそのまま凍った様に貼り付いてしまっていた。

「そ、そいつはハードだな。」

引き攣った笑顔のまま彼が言った。まるでジャック・ニコルソンが演じた『バットマン』の敵役”ジョーカー”で有った。私は頭の中で彼の反応を分析していた。

「見事な反応だ。引き攣った笑顔と言い、『ハード』と言う表現と言い、作家や映画監督の良識的・通念的な発想や演出法からは中々出て来ない物だろう。しかしこれらこそが彼が感じた驚きや戸惑いをはっきりと表現しているのだ。素晴らしい。」

 彼の反応に満足した私は、心の中で「ごちそうさま」と手を合わせた後、「まぁ、死ぬと決まった訳じゃ無いんだ。今は結構治るらしいんだよ」等と深刻さを打ち消す様な事をしゃべりまくった。彼は自分の友人にも同病の人がいて、随分前に妹さんから移植を受けて元気になっていると励ましてくれた。私は相手の気持ちを弄んでいると言う後ろめたさを感じていたが、どうせ言わなければならない事だし、嘘を言っている訳でも無い。命と引き換えならこの位やっても良いだろうと、半ば自棄気味に考えていた。

 別れ際、私は彼に「他の奴には言わないでくれ。人伝に話が伝わると、直ぐ死ぬんじゃ無いかと実際以上に深刻に受け取られるから。」と念を押した。しかし実際は話が広まってしまっては人生最後(かも知れない)の楽しみが無くなってしまうからで有った。

 

 

 暫くして別の友人が訪ねて来た。家が近所で小学生時代から付き合いが続いている古い友人である。前回告白した相手の反応が良かったので、二人目の到来に私の期待は高まった。あれから少し間が経っており、「悪趣味な事はやめれ」と諭す良心の声も微かに聞こえて来たが、「これは滅多に出来ない貴重な心理学的実験だ。今やらないでどうする。」と、もっともらしく声高に主張する悪魔の声に掻き消された。

 私の告白を聞いた友人は、

「うそっ!?」

と言い、絶句した。その顔がみるみる歪んで半泣きになって行くのを見て私は驚いた。この病名を知った時、家族はおろか自分自身でさえ、驚きこそすれ「泣く」と言う事は無かったのだ。古い付き合いの友人とは言えまさかと思ったが、その時ハタと思い出した。高校時代、我が家が引越しをする事になった時、やはり彼は本当に悲しそうな顔で残念がってくれたのだ。その時の引越しは数百メートル程しか離れていない場所へだったのだが、私は彼を少々驚かそうと悪戯心を起こしてその事を言わなかったのである。その時の彼の悲しそうな表情を見て、悪い事をしたと後悔したのだが・・・すっかり忘れて又同じ事、いや、もっと悪い事をしてしまった!!私は自分の性格の罪深さを思い知らされ、どうしようも無く恥ずかしくなった。そして「いや、死ぬと決まった訳じゃ無いんだよ。」と、必死で彼を安心させようと務めた。

 少々神妙になった私だったが、別れ際に「他の奴には言わないでくれよ」と言う事は忘れなかった。彼に悪い事をしたと言う後ろめたさは強かったが、同時に他の人の反応を見たいと言う好奇心も益々強くなっていた。それにいずれは皆に知られる事である。今回の彼の反応を見ても、白血病と聞いて直ぐに「死」を連想する人は多そうで、やはり人伝にでは無く自分の口からきちんと話した方が良いと考えていた。

 しかし、その後あっという間に彼から話が広まってしまったのである。私は

「言うなって言ったのに」

と彼を責めたが、

「すまん、頭が混乱してどうしたら良いか判らなくなっちゃって、とにかく誰かに相談しなくちゃと思ったんだよ。」

と真剣に謝る彼の姿にショックを受けて何も言えなくなった。更に彼が友人皆にドナーの適合検査を受けようと呼びかけまくってくれていたと知るに及び、私の心にもようやく大きな変化が起こり始めた。この病気を告知されて以来、自分でも不思議な程に他人事の様にしか感じられないでいた。最初の頃はその事に戸惑い苛立ったが、慣れると共に感情的にはすっかり冷めてしまっていた。その挙句が今回の「告白ごっこ」である。しかし親しいとは言え他人で有る彼が本気で心配し、取り乱してくれている姿を見て、冷静な様に思えた自分の心が実は酷く抑圧され屈折してしまっていた事を思い知らされた。私はまるで憑き物が落ちた様に人間らしい感情を取り戻し、死に対する恐怖にうろたえた。しかしこの頃の私は病気に対して全くの無知では無く、治癒する可能性が少なからず有る事も解かっていたので自分を押さえる事が出来た。私は彼を始め他の友人達に対して取った態度を今度こそ本気で恥じ、同時に彼が親身に心配してくれている事に心から感謝した。

 

 

 血液中の白血球数が5,000/μl 程度まで下がって安定して来た。正常な人と同レベルである(数に限ればだが)。ハイドレアは中止され、インターフェロンのみの投与に切り換えられた。

 そして骨髄移植への準備として『HLA(ヒト白血球抗原)検査』を行なう事になった。

 骨髄移植とは正確には骨髄中の『造血幹細胞』を移植する。造血幹細胞は分裂成長して赤血球や白血球、血小板と言った血液細胞になる。骨髄移植は強力な抗癌剤や放射線に拠って患者の造血幹細胞を死滅させ、代わりに他人の造血幹細胞を移植する治療法である。

 この時必要なのがドナーと患者の間のHLAの一致である。HLAとは細胞表面に有る『組織適合抗原』の中の主要抗原である。「白血球の型」とも呼ばれ、白血球(主にリンパ球)が自分の体細胞と異物とを区別する為に使われる。これが一致しないと移植された白血球が患者の体細胞を攻撃する『GVHD(移植片対宿主病)』と言う症状を引き起こす。

 『GVHD(移植片対宿主病)』とは拒否反応の逆の反応である。拒否反応とは移植された臓器を患者の白血球が攻撃する事を言うが、骨髄移植の場合白血球が他人の物になる為、攻撃されるのは患者の全ての臓器である。その症状は全身至る所に様々な形で現れ、症状が酷いと死んでしまうし、死には至らなくても何年間にも渡って生活に支障が出るケースが多い。

 HLAが完全に一致していなくても有る程度一致していれば移植は可能だが、その場合GVHDは重症が予想され、リスクが高い。またHLA以外にも『マイナー組織適合抗原』と呼ばれる物が有る為HLAが完全に一致していてもGVHDが全く起こらないと言う事は無い(一卵性双生児の場合はマイナー抗原まで全て一致するのでGVHDは起こらない)。移植が成功してもその後の患者の生活クオリティーは必ずしも高く無いケースが多いと言う。

 ちなみにこのHLAと言うのは血液型とは全く関係が無い。骨髄移植はHLAが一致すれば異なった血液型のドナーからも移植を受けられる。その場合、患者の血液型はドナーの物へと変化する。輸血が出来ないのに何故移植が出来るのか不思議に思ったが、輸血の場合に問題になるのは異なった血液型の赤血球を壊す酵素の存在で、幹細胞自体が壊される事は無いらしい。幹細胞から発生した赤血球はやはり壊されるので移植後赤血球が増えないと言う事が有るそうだが、その酵素自体も幹細胞から作られる物なので患者本来の酵素が代謝によって失われれば赤血球も増えるそうである。その間は成分輸血で酵素を取り除いた血液製剤を輸血してしのぐそうである。

 HLAは遺伝の法則に従って両親から半分ずつ受け継がれる。HLAが一致する確立が最も高いのは兄弟で、一致する確立は1/4である(一卵性双生児の場合は100%一致する)。私は二人兄妹なので、まずは自分と共に妹に検査を受けて貰う事になった。妹と一致しない場合は両親も候補になるが、両親と一致する確立は限りなく他人に近い。両親と一致しなかった場合は骨髄バンクに登録する事になる。

 妹と一致しなかった場合、移植が受けられる機会がかなり減る事になる。何年間もドナーを待ち続ける間に『急性転化』を起こして亡くなる患者さんも多いと聞く。私は「一致して欲しい」と祈りながらも「でもクジや懸賞に当ったためしが無いんだよなぁ」と、普段からのくじ運の無さを思い出して溜息をついた。

 

 

 一週間後の診察時に結果が知らされた。分析業者から送られて来た分析結果を開封して目を通したO医師は、

「おぉ、完全に一致してますね。完璧だ。」

と言った。近くに居た助手の人も見て、

「本当ですね。素晴らしいですねぇ。」

と言った。そして二人で私に向かって

「おめでとうございます。」

と言ってくれた。

 私は病気が発覚して以来初めての安堵感を感じ、体中の筋肉が緩んで椅子の上に崩れる様にもたれ掛かった。人生の運を一度に使い切った様な気持ちだった。今迄くじ運が無かったのはこの時の為に運を取って有ったのだと逆に有り難く思った。何故か通る度に赤になる自宅近くの信号機や、電車で席に座れると必ずと言って言い程前に新聞を広げる奴が立って光を遮って本が読めないと言った下らない事でちょくちょく腹を立てていた事を思い出し、「こう言う大事な時に運が向いてくれるのなら普段の小さな不運なんて幾らでも大歓迎だよ。」と思った。

 しかしその後骨髄移植に関する説明を受けると、成功率は35%と言う。完全一致と聞いてすっかり助かった様な気になっていた私はそうでは無いと知り唖然とした。移植は一種の賭けであり、成功すれば完治の可能性が有る代りに失敗すればむしろ死期を早める事になると言う。そして失敗する確立の方が高いのだ。私は移植が最善の選択とは限らない事を知らされ困惑した。

 診察が終わって直ぐに家族に電話を入れ、HLAが一致した事を知らせた。皆ほっとしてくれた。成功率の事は言えなかった。