曽我兄弟

12世紀、平安末期の頃、東国では、地方豪族が土地を領有していました。自らの領地拡大に懸命な豪族も多く、いざこざ、争いが絶えませんでした。
伊豆地方では、工藤祐経(すけつね)と伊東祐親(すけちか)両家の領土問題も長年にわたっていました。
ある日のこと、祐経は祐親の暗殺を企て、郎党に狩猟中の彼を遠方より弓で射させました。放たれた弓の一矢が祐親をかすめると、彼の脇に立っていた男に誤って命中しました。射殺されたのは祐親の息子河津三郎(かわづさぶろう)でありました。悲報は妻と二人の息子に伝わり、暫くして亡骸との対面となりました。
妻は泣き崩れましたが、二人の息子の頭に手を当てて、こう言いました、
「よくお聞き、お父さんは祐経に殺されたのですよ。お前たちはまだ幼くてわからないでしょうが、お前たちが大きくなったら、お母さんは、お前たちにお父さんの仇を取ってもらいたいのです。」
三歳の弟にはまだ理解できないことでしたが、五歳の兄は、目の前に横たわる父の顔をじっと見つめ、こう言いました、
brother 「いつか、必ず、お父さんの仇を取ります。」

その後、母は曽我氏と再婚し、兄弟も曽我姓となり、兄は曽我十郎祐成(すけなり)、弟は曽我五郎時致(ときむね)と名乗りました。義父に大事に育てられた二人でありましたが、兄十郎は、決して母の言葉を忘れることはありませんでした。
年月が流れたある日のこと、野で遊ぶ二人の上空を、五羽の雁(かり)が飛んでいました。空飛ぶ雁を見て、十郎は五郎に言いました。
「あれを見てごらん。雁が一列になって飛んでいるだろう。2羽は親で、3羽は子供だろう。私にもお母さんとお前がいる。でも今のお父さんは違うのだよ。本当のお父さんは祐経に殺された。血のつながったお父さんはもういない。」
「祐経に会ったら、弓で射て(いて)、首を刎ねてやる。」と五郎。
「おい、大声を出すな。このことは誰にも話してはいけないよ。二人だけの秘密だよ。」
兄は弟の不注意な大声を咎めました。
それ以来、祐経を仇と付けねらい、苦しい生活に耐えました。しかし、その機会は二人になかなか巡って来ませんでした。

源氏は平家を滅亡し、1192年、源頼朝は、最初の武家政権、鎌倉幕府を開きました。翌年、頼朝は富士の裾野で巻狩り(大掛かりな狩)をしました。この知らせを耳にした兄弟は、これこそ亡き父の仇を取る絶好の機会と思いました。
将軍は、巻狩りの際、沢山の家臣を伴っていました。兄弟はその一行にもぐりこみ、その晩の祐経の宿所を突き止めました。実は、昼間も、巻狩りの間、祐経の居所は確認できたものの、いつも大勢に囲まれており、近づくことは容易ではありませんでした。
決行の晩、兄弟は岩陰に身を隠し、祐経の宿所に如何に近づくか相談しました。しかし近くの滝の轟音に打ち消され、お互いの声が聞きとれませんでした。大切な話をしている故、しばし音を止めてくれるよう、神様、仏様に祈る思いでした。実際、二人の密談中、滝の音がしばし止んだとも言われています。
兄弟は、宿所をあちこち調べます。祐経の宿所は将軍の近くと見当をつけます。月が雲間よりしばし顔を出したので、祐経の宿所がわかります。月が雲間に隠れるとたちまち豪雨、その雨音のおかげで、祐経の寝所への侵入が容易になったのです。子(ね)の刻、祐経は熟睡しています。
「起きろ、祐経!河津三郎の息子、十郎なり。」
「弟、五郎なり。亡き父の積年の怨みを晴らしに参上!」
祐経の手が刀に届こうとした時、十郎は祐経の左肩から右わきの下にかけて切りつけます。十郎も祐経の腰に刃(やいば)を入れ、とどめを刺します。兄弟は勝利の雄叫び(おたけび)をあげます。
「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは、河津三郎が子、十郎祐成、同じく五郎時致なり。たった今、父河津三郎の仇、祐経討ち取ったり。宿願果たし候。」
兄弟は、すぐに祐経の家来に取り囲まれ、加勢の者も加わります。兄弟は、勇猛果敢に戦いますが、十郎は斬り合いの最中殺され、五郎は囚われの身となりました。
brother2 翌日、五郎は将軍頼朝の前に引き出され、尋問を受けました。祐経は将軍頼朝の寵臣(ちょうしん)の一人であり、見事父の仇を討ったとは言え、死が待ち受けていることを五郎は重々承知していました。五郎は恐れ気もなく、工藤祐経の命(めい)を受けた郎党に、父が射殺されたことを将軍に告げました。自らの十八年に及ぶ艱難辛苦の日々についても語りました。頼朝自身、若かりし頃、流人(るにん)として辛い日々を過ごしたことはご存知のことと思います。頼朝のみならず同席の誰もが、親を思う子の気持ちに痛く感動しました。頼朝は寛大に処理しようとしましたが、祐経の遺児犬吠丸(いぬぼうまる)の、父殺害の五郎に死罪を、という嘆願により、それはなりませんでした。
五郎が言いました、
「本望なり、死は覚悟の上のこと。あの世とやらで亡き父や兄と、とく(早く)対面したし。」
十郎二十二歳、五郎二十歳でありました。

日本における有名な仇討ち物語の一つ「曽我物語」は、この曽我兄弟の話で、鎌倉時代に書かれました。
人々はこの話を愛し、特に歌舞伎の世界で何度も取り上げられてきました。
小田原市には、曽我兄弟のお墓がある「城前寺」、また富士宮市には、音を止めた「音止めの滝」、兄弟が身を隠したという「隠れ岩」が、この滝の近くにあるなど、曽我兄弟にまつわる場所が多々あります。(2005.3.1)

Soga Brothers