
楠小十郎
楠小十郎は、入隊以来、原田の下で勤務を行っていた。
勤務態度はいたってまじめで、それにあっけらかんとした性格は非常に原田と馬が合ったので、原田は楠をかわいがった。しかし、そういえば非番の日はいつも決まってどこかへ出かけていたし、原田は遊郭になじみの女がいるのであろうと気にもかけなかった。
楠は、大阪浪人という触れ込みで新撰組に入隊したが、実は長州の尊王派の筆頭、桂小五郎の命により、スパイとして新撰組にもぐりこんでいた。
楠は入隊以来、原田らをそれなりに認め、ある種、尊敬に近い思いもあった。しかし、彼はそれ以上に、桂に心酔していたのだ。
桂小五郎は長州のなかでも特に切れ者で、剣の腕前も鏡心明智流の免許皆伝であった。
その割りに、一度も剣を抜かない。類まれなる政治力と統率の手腕で長州の志士を引っ張っている存在なのである。
さらに楠は男前っぷりでは原田にも土方にも馬越三郎という隊士にもひけをとらなかった。
いざ出勤にでてみれば、楠に対して黄色い声援も飛んだほどであった。
「俺に楠を斬らせてくれ。俺の隊の野朗だ」
原田は土方に直訴した。
「よかろう。左之。いってこい」
土方は難なく承諾した。
原田は猛然と立ち上がると、太刀を掴んで走り出した。
「沖田・・・」
土方が口を開いた。沖田総司に対して。
「はい?」
「もし原田が楠に情けをかけるようなことがあれば、お前が原田もろとも斬れ」
土方は思いもよらぬ事を言った。
沖田はぎょっとしたが、ポーカフェイス沖田である。表情には出さなかった。
「わかりました。」
それだけ言うと沖田も出て行った。
「原田くんに限って、そんなことはないと思いますがね」
藤堂平助がそういったが、土方は何も答えなかった。
楠小十郎と松永主計は御倉・荒木田の死をしると、ぎょっと顔を見合わせた。
屯所内は騒然としている。
「長州の野朗は斬れ!!」
隊士たちは口々に叫び、かなり殺気立っている様子であった。
「まずい・・逃げよう。小十郎。」
松永は恐れをなしていた。当然である。越後・松井も夕べ以来、屯所にはかえって来ていない。
楠は一度頷くと、前川屋敷の裏手の土間のほうへ足音を潜め、向かった。
「楠!」
誰かが呼び止める。聞きなれた声だ。
振り返るとやはり、隊長だった。原田左之助であった。
「お許しを!」
そう言うと、一目散に走り出した。
もう何処へ向かうとかは関係なく走り出した。松永のことも忘れて。
とにかく色々無我夢中であった。
「待ちやがれぇい!!」
原田も松永を忘れて楠を追いかけた。
楠は俊足には自信があった。が、原田のほうが早いとは知らなかった。
追いつかれたと気づく前に、背中に痛烈な痛みが走り、その場に転倒した。
「ぐはぁっ・・・?」
丁度、夕べ沖田と越後が対峙した新徳寺のあたりであった。
がばっと顔を上に向けると、原田がいた。剣を振りかざしてである。
「楠・・・ てめぇっ!」
そういうと大きく振りかぶり薙ぎ払った。
間一髪であった。どうにかかわすと急いで起き上がった。
しかし、ずきりと背中の痛みが走り、もう逃げることはかなわないと悟った。
「畜生っ!そうだ!俺は長州の間者だ!」
そういうと大きく目を見開き、歯を食いしばっている原田に向け、短刀を構え突進してきた。
ずさっ・・
その短刀は原田を捕らえることはできなかった。
原田左之助の繰り出した剣が容赦なく、楠の右肩から喉元までを切り裂き、鮮血があふれ出た。
酷く自分の血が熱く感じた。沸騰し沸きあがった湯のような感じで、また粘つくようにどろどろと自分の左手付近に血は這っていった。
そのまま、楠はどさりと倒れこみ、意識の薄れていく様を感じた。
もはや痛みは感じなかった。
(あぁ・・桂先生・・すいません・・役目はこなせませんでした・・・)
その途端、最後とも言うべき痛みの感覚が背中を襲うと、それきり楠小十郎の全神経は活動を停止した。
原田は何も言わずに止めを刺していた。
「原田さん。心配は無用でしたね。」
沖田総司がそういうと原田は「つけてやがったな」と苦笑いを浮かべた。
「へへへ・・いい気分だぜ」
そう言うと、原田は高笑いをしながら剣を鞘に戻すことなく屯所へ帰っていった。
悲しみの裏返しであるのだろうか?
近藤はそんな原田を大いに叱ったが、あまり多くは言わなかった。
土方は何も言わずにいた。
続く
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