「名東」ってなに?

そもそも「名東」ってなんだ?ってことですよ。いきなり、「名東」っていわれても「??」ですものね。


「名東」は本来は「名古屋東部」の略です。ただ、ここでは「名東」は「名古屋東部子ども大会」のことを意味しています。

年に一回行われた、学生達による子どものための大会、「名東」。残念ながら今は行われていません。

この名東、実は結構歴史があるんですよ。

 

 

名東の歴史

もともと、「名東」は1959年の伊勢湾台風がきっかけで始まりました。

伊勢湾台風・・・大きな台風と言えば必ず出てくる名前です。

伊勢湾台風は名古屋を襲い、大きな被害をもたらしたんです。

大人達は大事な人や家・・・・大事なな物をいっぱいなくし、打ちひしがれていました。

当然、子ども達も大きな打撃を受けました。肉体的にも精神的にも・・・。


そういう中、打ちひしがれた子ども達に楽しんでもらおう!と1960年に始まったのが「名東」です。

はじめたのは「名大祭本部」で、このときは「名大祭子ども大会」として行われました。(※よく分からないけど、このときは「本」名大祭とは別に行われていたのかもしれません。あくまで推測ですので、もし、この辺のことに詳しい方がいらっしゃったら教えてください。)


その後、「名東」は変ぼうを遂げていきます。

第4回の時、「名古屋児童文化連盟(名児連)」が結成されて、第6回から主催者になります。

第8回には名大祭本部の企画になりました。

第9回〜12回は70年安保のため、名大祭実行委員会のなかで「子ども大会実行委員会」が組織されませんでした。これは事実上の名児連崩壊です。しかし、規模は縮小されたものの、名大の児文研・福祉研が大会は行ったようです。

第13回には、旧・名児連により実行委員会が組織されるようになりました。このときから、名東独特の「ひろば形式」が始まるようになりました。また、「愛知学生児童文化連盟(愛児連)」も結成されました。

第20回には、愛児連から「名古屋東部子ども大会中央実行委員会」が組織されました。

第27回には、主催が名大祭から、名東子ども大会中央実行委員会へと移りました。


その後はよく分かりません。何回で終わったのでしょうか?いつまで続いたのでしょうか?私が所属していたのは、32回から35回で、卒業してからも2年くらいは確実に続いていたので、37回くらいまでは続いたと思います。(詳しい情報を知っていらっしゃる方は教えてください。)

 

 

どんな子ども会だったか

先ほども書いたのですが、名東の特徴は「ひろば制度」でした。名東の中にはいろんな「ひろば」がありました。参加する子ども達は、好きなひろばで遊ぶことが出来たのです。


あそびの広場・・・私が4年間いた広場。体を動かして遊ぶのをメインにした広場。集団遊びや、対抗ゲームなど。

おもちゃの広場・・・伝統玩具や、その他いろいろなおもちゃを用いてあそぶ広場。

ちびっこ広場・・・幼児を企画対象とした幼児のための広場。

つくる広場・・・子ども達が創造性をより発揮できるように、身の回りの材料を使っておもちゃなどを作っていく広場。

?(はてな)のひろば・・・子ども達に「なぜ?どうして?」という心を持ってもらう企画。不思議な実験などをする広場

ほんの広場・・・本の素晴らしさを知ってもらう企画をする広場

わいわい広場・・・「表現」をテーマにした企画をする広場

わんぱく広場・・・体を動かすことをメインとした広場。「あそびの広場」との違いは、「あそび」がメインではなく「体験」「チャレンジ」がメインだということ。

育てる広場・・・親のための広場。親子とのふれあいを楽しむ広場。

(以上、第35回のパンフレットを参考にし作成)


他にもあったかもしれません。名称が変わったものもあるかもしれません。

これとは別に「総務」がありました。総務は、これらの広場をまとめたり、情宣したり・・・みんなの為に裏方のお仕事を引き受けてくれていました。

このように、いくつもの広場に分かれて、名古屋大学のキャンパスを目一杯使って開催していたのです。

各広場は独立しており、広場ごとに、実行委員長、副実行委員長、議長、書記、会計がいました(全部あわせて「五役」と呼ぶ)。

また、これらをまとめる全体の五役もいました。

 

 

参加大学・サークル

私が所属していた頃、基本的に「名東」はいろいろな大学のサークルが集まって構成されていました。

私の最後の名東、第35回の時の参加サークルは

★名古屋大学 
人形劇サークル 
「どんぐり」
児童文化研究会 
「ほーき星」

★名城大学
あそび文化サークル(ABC)
児童文化研究部 
「かざぐるま」

★中京大学
児童文化研究部 
「ちるどれん」

★名古屋女子大学
児童文化研究部 
「かけっこ」

★愛知県立大学
人形劇サークル 
「とびねこ」

★椙山女学園大学
児童文化研究会 
「SABOTEN」

★名古屋市立保育短期大学
児童文学研究部 
「あっぷるらびっと」
児童文化研究部 
「きしゃぽっぽ」

★名古屋短期大学
子どもと遊びの研究会 
「子とともに」
児童文化研究部 
「どかーん」

第35回のパンフレットを参考)


このようなサークルのメンバーが、バラバラに各広場に所属していました。

で、私が所属していたのは・・・この中にはありません。

上に書いたサークルは基本的に名東に全員参加しているところです。

私が所属していた中京大学児童文化研究会(「ちるどれん」とは別サークル)は、自由参加でした。名東では「中京大学児童文化研究会」という名前ではなく、「ぽこぺん」という名前をつけていました。

このように、サークル単位で参加していない人もちらほらいましたね。確か、日本福祉大学の人もいたと思います。フリーの人もいましたね。

いろんな大学のいろんな環境の人が、みんなでアイデアを出し合って「名東」を作っていったのでした。

 

 

まあ、大体こういうことです。

つまり、名東
名古屋の東部でやっていた一年一度の大きな子ども会、と思っていただければいいと思います。

これを書いてたら・・・・いつかこういう名東みたいなことをまたやりたいなあ・・・という思いがふつふつと沸いてきました。

そういう気持ちからこの「あそびのひろば」というページを始めたのを思い出した次第です。


(これを書くにあたり、「第35回名古屋東部子ども大会」のパンフレットを参考にしました。)

2003.8.24 しょっぺえ

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