壱岐百合畑画廊お茶つくり

父の作曲



私の原風景 「父の作曲」 父は一見、いかつくて、ごつくって、色も黒くてとっつきにくく見え ましたが、実際にもとっつきにくかったです。 二階の父の部屋はタバコと焼酎とポマードの臭いがごっちゃになって染み 込んでいました。 冬になると二階は寒く、父は火鉢に火を入れて、いつも丹前を着ておりました。 音楽の先生で、私は一度だけ父の弾くピアノを聞いたことがあります。 あの節くれだった、しくり切りの鎌でけがをして少し曲がったごつい手 でピアノがよく弾けたものだと思いました。 時々、子供用のピアノを持って上がってピンポンと弾いていました。 作曲をしていたのです。 校歌を作曲していたようです。 今残っているのは渡良中学校と鯨伏中学校の校歌です。 ペンネームを山口藻人としていました。 読みはソウジンなのかモヒトなのかついぞ聞きもらしてしまいました。 鯨伏中学校は私の卒業した学校ですが、父の曲は私が卒業した後のこと ですので歌ったことがありません。 姪や甥は当然歌ったんだと思います。 上のwebの「戻る」より表紙に戻って下さい。