古橋悌二に会えなかった

2000年12月「after VOICE」 

 
 ダムタイプの「s/n」が僕の人生を変えたことは何度も書いたが、僕が観たのは、既に肉体が失われた古橋悌二の「映像」だった。 にも関わらず、彼の「想い」は僕に確かな衝撃を与え、今でも彼のことを僕は「想って」いる。
 20世紀最後のパフォーマンスがHIV団体ぷれいす東京主催のパーティ「after VOICE」になるとわかった時、僕は、いろいろ考えて、この20世紀の間に僕が受け取ったたくさんの素晴らしい「想い」たちへの感謝をカタチにしようと決めた。
 

 

 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 

 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 

<オープニング>
 
(ストロボ光の中をゆっくり駆けてくる素顔のG.O.Revolution。シャツには大きく「同性愛者」とプリントされ、他にも「プロ」「元女装」「B肝+」と書かれた布が縫い付けられている。パンツにはレッドリボンがプリントされている。時に転びながら、でも必死に駆ける。立ち止まり、真直ぐ、何かを求めるように両手を掲げる。耳をつんざく轟音とともに後方に倒れる。暗転)
 
 

 
<詩の朗読(録音による音声)>
 
(明転とともにおもむろに立ち上がり、舞台向かって左側に置かれた椅子に座り、メイクを始める。メイクが終わると、立ち上がり、後ろ向きで着替える。片手には手錠が枷られる)
 
 僕が昔、世にも汚い貧乏女装として二丁目を震撼させていた頃のこと。
 ぷれいす東京というHIV団体の主催する「おたのしみ演芸会」というイベントに呼ばれた。
 きっとギャラが払えないので貧乏そうな人に頼んだのだろう。
 その時、宴会芸みたいなお笑いしかやったことの無い僕が、当事の僕としては、本当に冒険だったのだが、いつものようにウケをねらわず、初めて、胸の内にしまっていた「想い」を引き出した。
 古橋悌二という人のことをマジメに語り、ドラァグクィーンとしての彼がよく演じていた「Ain't no mountain high enough」という曲でショーをやった。
 その時、G.O.Revolutionのコアになる部分が誕生したと言ってもいい。

 僕の人生を変えた「S/N」という舞台。
 洪水のように情報が交差するハイテクパフォーマンスと、まるで日常会話のようなテンポで繰り広げらるアナログなパフォーマンスのミックスによって、セクシュアリティやAIDS、国籍、障害などの壁を取り払おうというメッセージが投げかけられる。ラストシーンは、売春婦をしている女性が「アマポーラ」が流れる中、優雅にオマンコから国旗を出してみせるという、とんでもなく美しいものだった。
 スーツ姿で登場し、トークをしながらドラァグクィーンに変身し、シャーリーバッシーの「ピープル」を歌った古橋悌二氏は、残念ながらスクリーンに映し出されるビデオ映像だった。彼の肉体は、その時既に失われていたのだ。彼は、AIDSを発症しながら、ありったけの「想い」を舞台に込めてこの世から走り抜けた。

 僕は、彼に会うことは出来なかったけど、彼の「想い」に出会ったおかげで、今ここにこうしている。
 「想い」は、たとえ肉体がこの世とさよならしても、伝わり、生き続けるのだ。

 彼がHIVポジティブであることを友人たちに告白した時、花電車の女性は「あなたの子どもが欲しい」と言ったそうだ。二人は笑いながら泣きながら話し合い、でも彼は女性には欲情しない人だったので、結局子どもは授からなかった。
 彼女は、やはりセックスを売っているゲイの男の子といっしょに、セックスやHIVについて語り、表現する場としてのクラブパーティを始めた。そこから数々の素晴らしい表現が生まれた。「あなたにも出来る四十八手」というパフォーマンスは、世界に向けて発信されている。
 東京でも既に、HIVチャリティのクラブパーティや、HIVについて語るイベントが素晴らしい成果を挙げている。この「AFTER VOICE」だってそうだ。

 「想い」が、伝播しているのだ。

 1997年の映画祭、僕が翻訳を手伝ったHIVに関する映画を指して、今日の映画は最低ですと言い放った人がいた。エロそうなクマみたいなオヤジだ。彼は、AIDSはもう死に至る病では無いと宣言し、死のイメージしかない作品を否定したのだ。僕はハンマーで殴られたようなショックを受けた。
 そのエロ熊オヤジが、女装してやはりセックスや病気についてメッセージするイベントに僕は何度も参加して、やはり笑ったり泣いたり数々の「想い」を受け取り、僕も自分なりに「想い」を返した。
 僕の、フレディマーキュリーを演じたショーは、うまく言えないけど、彼への感謝の気持ちが根底にある。

 彼の「熊婦人の告白」というポエトリーリーディングを聴いて、HIV検査を受ける勇気が出たという男の子がいる。今年のGWに大阪で開催された「SWITCH2000」というイベントでは、ゲイアート展やクラブパーティと共に、翌日には結果がわかる無料のHIV検査が行われ、実にたくさんの人が検査を受けた。
 彼が、トイレで吐きながら、自分の中にあるHIVの恐怖と初めて向き合い、闘い、乗り越えることができたのは、あのポエトリーリーディングとイベントのおかげだった。
 その後、彼は、ソーシャルワーカーになると言って勉強を始めたり、チャリティに協力したりし始めた。きっと、これからすごいことをやらかしてくれると、僕は確信している。
 
 「想い」は、そこかしこで息づいている。

 この2000年、ゲイに生まれて本当によかったと思えるようなイベントが、あまりにもたくさんあって、僕は泣きっぱなしだった。
 あのパレードを企画し、成功させてくれた、テディベアのように愛くるしい人に、キスの花束を贈ろう。
 そして、二丁目の夜空に花火が上がった瞬間を、僕は死ぬまで忘れないだろう。
 
 数々の「想い」に涙しながら、僕は僕なりに「想い」を伝えていこうと誓った。それが僕の生きる道だと。

 だが、「想い」がいつも伝わるとは限らない。
 どんなに強く、深く愛し合っていたとしても。
 言葉が傷つけることもある。どうしようもなく「想い」がすれ違うこともある。
 行き先を失い、虚しく宙をさまよう「想い」は、一体どこに葬ればよいのだろう?
 
 伝えるべきではない「想い」なんてあるもんか、と真夜中のファミレスで励ましてくれた友だち。
 「想い」を空に向けて放とう、と歌ってくれた友だち。
 大丈夫、いつか伝わるよと笑いながらご飯をご馳走してくれた友だち。
 たくさんの素晴らしい友だちに恵まれたシアワセをかみしめ、感謝の気持ちでいっぱいになりながら、僕は、少しずつ前に歩いている。

 1991年にAIDSの発症により亡くなったフレディマーキュリーを追悼するコンサートで、ジョージマイケルは、伝説的な熱唱を聴かせ、観客を沸かせた。それも、間違い無く、同じゲイとして、大切な友だちとしての「想い」が込められていたからこその奇跡だと思う。

 大切な仲間たちへの「想い」を育てよう。
 そして、それぞれのやり方で、「想い」を伝えよう。

 もうすぐ21世紀。
 今世紀僕が受け取った数々の「想い」を胸に、
 今よりもっと素敵なことができるように、
 新たな一歩を踏み出そう。
 笑いながら、泣きながら、歌いながら、血を流しながら、精液を飛ばしながら。
 君がいるから。

 ありがとう。
 限り無い愛を、君に。
 
 
 
<リップシンク>
 
(ジョージ・マイケルがフレディの追悼コンサートで熱唱した「somebody to love」)

photo/Shinobu Shimomura

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