-アッティラの名の由来-


質問者:
ハンガリー歴史研究家のMさん、Sさん、Tさんに質問です。その昔、ハンガリーの王妃は自分の若さを保つためにうら若き少女達を“絞り器”に投げ込み、その血を飲んだという恐ろしい話を昨日聞きました。そんなドラキュラのような世界って本当にあったのでしょうか?

S:
既にM様ご紹介の書籍「血の伯爵夫人」の主人公エルセベート・バートリのお話ではなでしょうか?トランシルヴァニア公を数人出したこともあり、ポーランド王にまでなった人物を輩出したハンガリーの名門バートリ家に生まれた彼女はやがて同じ名門のフェレンツ・ナダシュティーと結婚した彼女でしたが、旦那はトルコとの戦いで家を留守にしがち。そんなエルセベートはある日黒魔術にハマってしまいます。以後若さと美貌を保ち続けるためには若い娘の血が必要だと信じた彼女は自分の住んでいたチェイテ城周辺の娘を拉致して拷問にかけてその血を絞り取って飲んだ、というのです。旦那が亡くなるとその行為はエスカレートしてそれから10年も若い娘たちが拉致され行方不明になる事件が続きました。噂を確かめる為に彼女の従兄が城を包囲して踏みこんだ時にはその拷問の真っ最中で彼女の行為は露見して逮捕されます。エルセベートの仲間は全員処刑されましたが、彼女は名門バートリの出身ということで処刑されず、窓もない薄暗い部屋に一生幽閉されることになりました。
エルセベートの物語はヴラド3世やフランスのジル・ド・レなどと共に吸血鬼話の古典的原型の一つとして有名です。彼女の裁判に関してはバートリ家の豊富な財力を狙ったデッチ上げではないか、という見方もあります。同じことはジル・ド・レに関しても唱えられてます。確かに二人とも王様よりお金持ちだったようですが・・・・それにしても気分の悪くなる伝説です。

M:
それはSさまのおっしゃるとおりエリザベート・バートリのことに間違いありません。ベルバラをはじめ下記の「カルパチア・綺想曲」でも登場しています。彼女とブラムストーカーのドラキュラのおかげでハンガリー・トランシルバニアは吸血鬼の宝庫のような印象を巷の人に持たれています。実のところはハンガリーには吸血鬼伝説はもとより怪談なる概念が存在しないらしいです。

T:
Mさま。  ..ドラキュラとバートリが血縁関係にあったって追及をしている研究者もいる ようですね(だからそっちに話をもっていくなって)

M:
Tさま。  うーん、その話は私も読んだことがあります。時代的にはドラキュラのモデル になったブラド・ツェペシュの方が前(マーチャーシュ王と同時代)になるの でブラドの子孫とトランシルバニアのバートリー家の間で婚姻関係があったか どうかは手元資料ではわかりません。桐生操氏の著作ではバートリー一族は けっこう異常な嗜好を持った人が多かったような書かれ方をしています。無理 にブラドと結びつけようとするのはあまり意味のあることとも思えません。と ころでバートリー・ガーボルという人物もあまり評判はよろしくないようで コーシュ・カーロイ氏の著作「トランシルバニア」では「思慮に欠けた無能な 統治」を行ったとされています。その他、ルーマニア史などでもこの時期を 「無政府状態」と書いているぐらいですので、とても有能な君主とは言えな かったようです。彼はトルコからトルコ軍を引き連れて戻ってきたベトレン・ ガーボルに退位させられ、配下のハイドゥ民(匪賊、流浪の農民)に殺されて います。バートリーの一族にはトランシルバニア公からポーランド王となった バートリー・イシュトヴァーンのような名君もいるのですが、エリザベート一 人のおかげでえらく全体のイメージを損ねてしまったように思います。もし、 罪状がでっち上げで、バートリーの名声を地に落とすことが目的であるとすれ ば目的は果たされたといえるのでしょう。

S:
>誰か彼女を洗脳した人がいたのでしょうか
エルセベートはツルコと言う召使いから黒魔術の手解きを受けたことが切っ掛けであのような 行為に及んだ、といわれてます。
 彼女の罪状がデッチ上げかも、というのは地元の研究者の唱える説です。しかし罪状が作られたものだとしてもあまりに内容がメチャメチャで作り話でここまで作るのは変ですし、誇張があったとしてもそれに類する行為を彼女が行っていた、と私も考えます。
議題はすでにバートリで進んでいるようですね。ミクロ―シュ家とナダスディ家も繋がっているんですね。さらにミクロ―シュ家は女傑イロナ・ズリーニの時に17、8世紀の有力貴族ラーコーツィ家とも繋がっていきましたね。
>ハプスブルク家のハンガリーいびり
テケリ・イムレの蜂起平定後の『新土地入手委員会』というのもありましたね。トルコから奪還した土地をハンガリー貴族が過去の先祖の所有が証明できなければ取り上げて勝手にオーストリアの有力貴族に与えてしまった、という。
 外国から来たばかりの義勇公子で後に大成する英雄プリンツ・オイゲンはこの時にハンガリーに領地を授かりました。

M:
一応、エリザベート事件が冤罪だとすればして当時のトランシルバニア公対ハプスブルク家の抗争の状況からどのようなことが考えられるのかを推理してみようというテーマではいかが。猟奇方面はやめましょう。 さてエリザベートですがトランシルバニア公等を輩出しているバートリ家の出身で、ハプスブルク家が暗殺を企てて失敗したというガーボルは従兄だそうです。少し前にはイシュトヴァーン・ボチカイが反乱を起こしてトランシルバニア公となってますし、すこし後にはボチカイに反乱をたきつけたガーボル・ベトレンがトランシルバニア公に即位、ヨーロッパを戦乱の渦に叩き込んだ30年戦争に新教側で参戦しウイーンに攻め寄せるという状況も発生しています。
一方、バートリー一族といえばハンガリーきっての大貴族です。いつから勢力が拡大したのかはわかりませんがマーチャーシュ王の時代にもトランシルバニア公ジギスムント・バートリーなる人物がいますし、モハーチ戦の後、ハプスブルク家側に組し、後にはトランシルバニア公となり貴族の選挙で選ばれてポーランドの王位についたイシュトヴァーン・バートリーのような人物もおります。でっちあげでないにしろバートリー家とそれに組する可能性のあるマジャール貴族に打撃を与えることはハプスブルク家としても絶好のチャンスだったと思います。結局、本人は処罰されたもののナダスディ家の財産没収の企てが失敗しているのはそれをやった場合の後の反発が凄まじいことになる可能性を恐れたのではないかと思います。
Sさま
ミクローシュ家ではなくてズリーニ家では。 ハンガリー人の人名表記をどうしましょう? 私は他国の人間も出てくる可能性があるので名・姓の順番で書いてますが・・・。 でっち上げかどうかの一つの判断基準として地元にどういう伝承があるかが問題かと思います。チェイテの地元でも悪魔のような話が伝わっているとすれば掛け値なしの真実なんでしょうね。

T:
>ドラキュラ−バートリ「血」のつながり
この話は軽く流すつもりでしたが...確かに最初ルドルフだかいう小説家がその説を自分の小説の中で説いたのは単にプロットに都合がよかったからで周りも一笑にふしたようですが、その後の研究で論点になったのに、ヴラドのひ孫にあたるラースローが神聖ローマ帝国王から貴族特権を与えられた際の新しい紋章がバートリ家の「狼の歯3本」が組み込んでいたということがあります。ヴラドの子孫で結婚した相手がわかっていないのはシラージ・イロナ(マーチャーシュ王のいとこ)との間にもうけた長男ヴラドで、ここに可能性がなきにしもあらず、って程度の話ですが。あとヴラドがマーチャーシュの後押しを受けてワラキア奪回に向かった時の総司令官がバートリ・イシュトヴァーンだったこともあり(これはまつやまさんのお話にでてきたのとは別のイシュトヴァーン)、両家のつながりはこの時点でありました。どんどん脱線していきますが、前出のラースローは後にバートリ・イシュトヴァーンにはむかって(これがまつやまさんのおっしゃっている後のポーランド王)苦しい立場に追い込まれたとか。
>バートリ家
バートリ・イシュトヴァーンがポーランド王になってからはトランシルバニアはガーボル以前にすでに下り坂だったようですが。個人的に許せんのはイシュトヴァーンの甥のジグモンド、君公をやっているのがイヤになって人に譲ったがまたやりたくなり、それで挙げ句に君公の位と共に自分の妻まで人に譲ろうとしたっていう話です。

T:
ヴラドっていつもヴラド・ツェペシュて呼ばれてますけど、ちゃんとした姓はないんでしょうかね???彼自身はドラキュラを名乗っていたようですが。

M:
ブラドの姓については私も気になってます。どの本を見ても家名が出てこないのはなぜ。彼はブラド・ツェペシュとかドラクリアと呼ばれますがツェペシュは「串刺し公」でドラクルは父であるブラド・ドラクル(悪魔公)の息子という意味だったはず。家名(たとえばバートリー家)というのが伝わっていないのは不思議なことですね。脱線ついでですが親父の悪魔公ことブラド・ドラクルのドラクルはハンガリー王国のドラゴン騎士団(シャルカーニュ・レンド)の団員に任じられたことによるとか。普通西欧では龍は邪悪の象徴のようなもので嫌われそうなものなんですが、ハンガリーあたりだと意識の違いがあったのかもしれません。
話変わってトランシルバニア公のジグモンド・バートリー、非常に評判が悪い人物ですね。 他の方のために解説しておくと基本的にトランシルバニア公はトルコの後ろ盾があってハプスブルク家と対抗できています。ところがこの御仁はハプスブルクと同盟してトルコを攻撃し、最初はうまく行ったのですが戦争の泥沼に嫌気がさして国をハプスブルクのルドルフ2世(神聖ローマ皇帝、魔術狂の変人でエリザベート・バートリーにも強い影響を与えた。)に譲ってしまい国内を大混乱に陥れた上、気が変わって復位しモルドヴァ公のミハイの軍勢の侵攻を招きさらに、トランシルバニアにハプスブルク家の傭兵隊長バスタなる人物がやってきて恐怖政治をひく等の惨禍をもたらしました。ホントかどうか彼は狂信的なイエズス会信者で世俗世界を捨てて信仰と神秘主義に身を捧げることを願ったが故にかかる行いに出たとか・・・。彼の奥方はオーストリア皇女マリー・クリスチーヌ だそうですが、何が気に入らなかったのか彼女とベッドを共にすることに耐えられず結婚2年後にハンガリー東部のコヴァルに追放したそうで、たえさまがお書きの件はこれでしょうか?
「狼の歯3本」は有名なバートリー家の紋章ですね。これを自分の紋に組み入れているとなるとバートリー一族となんらかの血縁関係があるということなのでしょう。ただ、拙宅の書籍ではブラド・ツェペシュ(ブラド3世)のひ孫に ラースロという人物は見当たりません。あとブラドの奥方ですが最初の奥方は地元の貴族の娘という説がありますが、シラージ家(ヤノシュ・フニャディの奥方の実家。マーチャーシュ王はここの当主ミハーイ・シラージの後押しで王位につく)の人と結婚したましたか。
確か最初の奥方とは死別(伝説ではトルコ軍に攻められた際、城の崖から身を投げたことになっている)した後、マーチャーシュ王によって逮捕幽閉されている間にマーチャーシュの妹マリアと結婚しています。彼の子供というのは全部マリアとの間の子かと思っていました。

T:
こまぎれにいきます。
>ドラクル悪魔公?
ドラクルが悪魔公と訳されるとは。確かにドラゴン騎士団のことを知らない一般人は彼の楯のドラゴンを見て「悪」と結びつけてそうよんだようですが(正教の聖像では(特に聖ジョージ)ドラゴンが悪の象徴とされていたから)、知っている人は敬意をこめて「ドラクル」と呼んだそうですけど。
>ドラゴン騎士団
これはハンガリー王国の、というのではなくて、神聖ローマ帝国の、だと理解しています。ドラゴン騎士団の一番の役割は皇帝とその家族を守ること、それから発展して帝国を、そしてカトリック主義を守ること、また延いてはトルコに立ち向かうこと(内緒なところで「ルクセンブルク家の覇権の拡張」という見方もありますが)。ヴラド以外の「一軍」メンバーも(全24名)アラゴン王、リトアニア公、ポーランド王、セルビア君主、と、ハンガリーに限られていませんでした。 これがなんでドラゴンなのかというと、ドラゴン騎士団の記章にはダブルクロスに伏するドラゴンが描かれていて、暗黒の力に対するキリスト教の勝利を象徴しているのだとか。
>バートリ・ジグモンド
私が知っている限りでは、ルドルフ二世に譲位したものの気が変わって復位するも、すぐまた気が変わって、今度は兄弟だかいとこだかのバートリ・アンドラーシュ(ポーランドの枢機卿)にトランシルバニア統治のお誘いをかけます。その際にマリー・クリスティーナもついでにもらってってくれ、といったらしいです。
>ジグモンドの親ハプスブルク政策
これはトルコの勢いが落ちているのをみて、状勢が変わった際のトランシルバニアの行方を案じたボチカイ・イシュトヴァーンの入れ知恵だったそうで。
>ルドルフ2世
ゲッレールトの洞窟教会のパウロ派修道会を解体したのもこの人でした。
>ヴラド・ツェペシュの再婚相手
私の読んだ本ではシラージ・ミハーイの娘のイロナと結婚したことになってました。ヴラドに関する史料で重要なもののひとつにロシアのイワン大帝からマーチャーシュの宮廷に使節として派遣されていたクリーツィンなる人物が引き上げる前に書いた文書というのがありますが、それには「妹」と記してあるが、「いとこのイロナのこと」だと但し書きがありました。だからどっちかひとりです。
>ヴラドのハンガリー系の子孫
それでイロナだとして話を進めますと(私はそれしか知らないので)、二人の間にはヴラドともうひとり男子がいますが、弟は早くに死亡しています。この長男ヴラドの子孫がいますが(ラースローを含めて)直系は17世紀に絶えたとされています。ヴラド・ツェペシュの最初の妻との間には少なくとも男子がいて(ミネアとかいう)1508年にワラキア公になっています。こっちの子孫の中に他にもワラキア公やモルダビア公になった人物がいるそうです。

M:
個別の話題でいきます。
まずブラド2世「悪魔公」の件、これは恒文社のルーマニア史をはじめとしてそういう訳がつけられています。ドラクル=悪魔と訳したのでしょうか。この人、君主としては有能だったようで現在に伝えられる当時の年代記作者(複数)は勇敢・有能な人物と伝えています。異名であるドラクルについてはトルコから与えられた称号としている本もあります。
彼はドラゴン騎士団の団員に任じられたことを誇りとし、己の軍旗にドラゴンの紋章を描いて戦陣に臨んだのでドラクルと呼ばれたとのこと。まずいことにドラクルなる言葉には悪魔という意味もあるそうでそれが悪魔公なる酷い日本語の異名になったわけですね。そのまま訳せば「龍公」というところでしょう。
ドラゴン騎士団
恒文社のハンガリー史では24人の団員はハンガリーの大貴族ガライ家とそれと結ぶ大貴族からなっていると書かれていたものでてっきりハンガリー王国の騎士団かと勘違いしてました。別のブラド関連の本では「神聖ローマ皇帝を筆頭とする24名の騎士団で団員はいずれもドイツ帝国(原文のまま)内の高級官僚、将軍たちであった。」と書いてありました。
私は「副王ガライとその仲間たち」かと思っていたのですが違うのですね。 ハプスブルク家になってからの神聖ローマ帝国には金羊毛騎士団とか鉄冠騎士団とかいくつか騎士団があったようですが、ドラゴン騎士団はルクセンブルク家とともに消えたのでしょうか。
バートリ・アンドラーシュ
桐生女史の本ではバートリー家の中ではマトモな方(この人の本ではバートリー一族は異常な性格の持ち主のオンパレードのように書かれています。)だそうですが、散歩中に見知らぬ男に襲撃されて斧で首を落とされるという悲惨な最期を遂げてます。あとエリザベートの従兄弟であるガーボルも罪もない農民を捕らえて虐殺したりしたあげく農民に反乱を起こされ城を襲撃されて死亡だそうで・・・。 国をホッポリ出すついでに奥さんももらってくれと言った人とかバートリー家というのは変な人が実際多いのでしょうか・・・。

M:
ブラドの再婚相手ってマーチャーシュ王の妹とばかり思ってました。多分ネタ本が同じなのでしょうが拙宅の本2種類はマーチャーシュの妹マリアと結婚、先妻はいたのか不明、いた可能性ありと書く程度でした。また子供3人もマリアとの間の子のように書いています。ルーマニアで出版されたものの翻訳はこのあたりについては触れていないようです。