2001.4/21-30

迷える子羊 - 01/04/30 23:35:09
焼け野原さん、ご事情が詳しく判らないのですが、とても苦しんでおられることは文面から痛いほど伝わってきます。
ここのBBSを訪れた方々が「焼け野原さん」の為にお祈りをされていると思います。どうかそのことを忘れないで下さい。お祈りしています。



あしたに向かって - 01/04/30 20:25:30
焼け野原さん、あなたのために祈っています。あなたの心がひとかけらでも焼け残っていますように。決して絶望しないでください。


中村 - 01/04/30 19:57:34 電子メールアドレス:lita@mxd.mesh.ne.jp
「焼け野原」さん、どうか冷静に立ち返って、私達に真実を語って下さい。現世が地獄なら、持って帰るものも、次に行く世界も、今と同じ地獄ではないでしょうか。
信仰を捨てないはずの貴方様が、なぜご自身の存在をも自ら脅かすのですか。貴方様は、全きかけがえのないご存在です。  


あしたに向かって - 01/04/30 15:55:05
焼け野原さん、どうして、このような書き込みをなさったのか、あなたの気持ちを教えてください。
あなたの悲しみ、苦しみを教えてください。あなたの地獄とは、どんな地獄なのですか。


焼け野原 - 01/04/30 11:29:20
待ってますから。 お金も、地位も、名誉もなにものの免罪符も通用しない場所で。



焼け野原 - 01/04/30 11:26:57
信仰は捨てませんけど、教会を捨てます。 この、地獄問題の引き金になった本人は死んで裁かれるんです。私も地獄行き。
業火に焼かれている姿を私はしっかり目を開いて見てやります。そして、笑ってやります。 地獄は死んでもありますけどここにもあります。
死んで御許に召された地獄の方が幸福かもしれません。こんな現世の地獄を生きるなら私は死んでやります。 誰が矢を引いたのか地獄で待っています。


迷える子羊 - 01/04/29 23:47:11
初めてカキコします。「他の教区の話」では済まされない話が一杯あって本当にいろいろ考えさせられます。
少し前のしょうゆ豆さんのコメント(04/15)の中にあった「アドレミナも終わり、日本の司教様方は高松教区の状況を訴えて下さったようですが、聖省での反応は平行線であったと東京の方から伝わって来たと聞きました。」とのことですけど、一体どういう話がされたんでしょうか?
当然深堀司教様もいらっしゃったんでしょうし、新求道共同体に関して否定的な話ばかりが出たとは思えないのですが・・・


しょうゆ豆 - 01/04/29 23:32:43
どなたか教えてください。私は勘違いしているのかな?と考えだしました。
カトリック新聞に掲載される人事異動欄を見ますと、〇〇教会主任・助任・〇〇司祭名(〇〇会)と掲載されています。
最近の新潟教区と大分教区の異動の中に、新潟教会助任・ラウル・バラデス(高松教区)花園教会助任・ルイス・フェルナンド(高松教区)大分明野教会助任・サンティアゴ・フロール・カラビア(高松教区)とあります。他の異動司祭も〇〇教会〇〇司祭名(〇〇会)〇〇会とはイエズス会とか淳心会とかドミニコ会です。
カトリック高松司教区立「国際宣教神学院」から排出された司祭は全て宗教法人の格としての(高松教区)の司祭であるということで、この神学院出身の司祭はたとえば東京教区へ派遣されても大阪教区へでも札幌教区へでもどこの教区へ派遣されてもまた世界中の教区に派遣されても(高松教区司祭)である。で間違っているのでしょうか。


ぷー - 01/04/24 22:28:10
ネオの司祭とゆう言葉は正確には”ネオ カテクメナートゥスによる養成をうけた教区司祭”とゆう意味になろうかと思います。
高松神学院の出身者が別に教区司祭としての本分を十分につくしてくれるのであれば、それでいいのです。
しかしながら、強力な取り込み型セクトであるネオのカテキズムを受けた司祭は、「われわれネオの道を歩む者こそ、新しい時代の真のキリスト者である。
私達以外のキリスト者は前キリスト者である。すべての前キリスト者は、ネオの道をあゆまなければ、救われることはない。」といった価値観が刷り込まれています。
そのような司祭が小教区を司牧していくのは大変危険です。
また、ネオのグループの人たちは、洗脳状態にありますので、対話するのは非常に難しいのではないでしょうか。
彼らは善意で、すべての人間を自分達の歩みに誘いいれようとするのだから、始末に負えません。カリスマの多様性を理解していないのです。


アサさん - 01/04/24 18:54:46
対話の不足と言いましたが、対話が可能かどうかは、現時点でできるような相手ではないので、わかりません。
対話がなければ前に進まないわけで、対話はコミニュケーションの第一歩でしょう。それが彼等にはできないから問題がおこる。
人の心を大切にするような事を言いながら、そうでない行動をとる。もっとも共同体のメンバーにも個人差がありますけどね。不遜でごう慢な人から謙虚な人まで。


アサさん - 01/04/24 18:49:28
遊歩さんのおっしゃっている通りだと思います。そして、実際に分裂していっています。
実際に屬人区として認可されようがされまいが、現実の動きはその方向で動いていっている。
オプスデイも司祭が教区に協力してくれると勘違いして受け入れている。その実体をしている信徒が一体何人いるやら?大分教区の現実。


キルス - 01/04/24 18:46:44
アサさん:新求道共同体は証拠を残さないとおしゃるが、それは体験しなければ分からない活動だからで、それで秘密の活動と見える。
そうした祈りの集いであるくらいは誰にも察しがつく。知らないうちに取り込まれたとは、体験しているうちにイカレてしまったということです。
認可されるのをいやがっているというのは曲解でしょう。ぷーさん:ネオの本質は教区の乗っ取りにあるとは事実の要約です。
教会による正式認可とは、教区乗っ取りの認可ということになります。共存はこれまで以上に難しくなると思います。  
遊歩さん:司教や司祭も、この信徒運動の正会員ないし賛同者となれるのではないでしょうか。
その場合事実上ネオの司祭ということになります。しかも教区制度はそのまま残ります。
他を排除する権限はあるはすがなくとも事実はあります。従って対話は不可能なのが現実です。
その教区なり小教区なりがオルグ化することはさけられません。
アサさんも対話が出来るとおっしゃるが、それが可能なら高松教区の問題はありません。 
名なしさん:ネオという平信徒団体をバチカンが属人区として認可するだろうというのは飛躍した推測では?
オプスデイもルフェーブル派も平信徒団体とは違います。
いくらインターネット時代になっても、バチカンが司教を無用の長物にすることを容認するはずはありません。
エクメニズムとは教皇があらゆる多様性を認める、つまりカトリックが多様の属人区の集合体になることだとのことですが、教会の現状から想像される未来像ではありますが、しかしそのような多重人格障害か精神分裂症のような教会にキリストがおたてになった「一つの教会」とはいえないのではありませんか?


遊歩 - 01/04/24 12:34:48 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
名無しさんの意見には、基本的に、そして将来の方向として賛成です。しかし、現時点では、直ちに同意することは難しいです。
オプスデイやルフェーブル派は措くとして、仮に「ネオ」が属人区となった場合、事実上教区は二分されることになるでしょう。
それは、属人とは言え、現実にはどこかの小教区を拠点とすることになるだろうからです。
たとえば、信徒数が二桁の小教区に「ネオ」の「教会」ができたとき、ネオが好きな方はネオ教会へということになれば、残された信徒は、どうなるでしょうか。
分教会として遠隔地の非ネオ教会に属するか、或いは否応なしに「ネオ教会」に属することになり、小教区は消滅するでしょう。
勿論教区長である司教の保護があれば、別ですが、そうでなければ、日本全国に同じような現象が起こるでしょう。司教区・小教区が制度疲労を起こしていることは私も認めます。
だからといって安易に属人区を導入して、お好きな教会に所属してくださいと言うことになれば、日本の教会が崩壊するでしょう。


名無しさん - 01/04/24 10:24:15
遊歩氏が言う小教区・教区制度の崩壊、いいんじゃないですか?だいたいもうこの教区制度というもの自体が制度疲労を起こしているんじゃないでしょうか。
都市部の小教区の多国籍化が進み、だいたい日本カトリック中央協議会という同一文化・言語を基盤とした横の連絡組織という前提すら成り立たなくなっているのでは?
それにインターネットがこれだけ普及して、同じ価値観を共有する者同士が教区を越えて連絡を取り合い、間に司教を挟まずにバチカンのホームページで聖座の発表を見ることができる時代に、いつまでもウチの教区・小教区などといっている時代でもないでしょう。
ネオカテとは関係ありませんが、このところEWTNニュースでは第二バチカン公会議を認めず旧典礼に固執されている故ルフェーブル大司教派のグループが聖座とカトリック復帰の交渉を行っているというネタが話題になっています。彼らが復帰するにあたっては聖座はオプスディ同様の属人区という形式を提案している模様です。
私は旧典礼がどうしても好きな人は教会法上正式に公認を受けたならそういう所に行けばいいと思います。
属人区として認可されるならネオのやりかたがどうしても好きな人についても同様です。
ようするに、これからは同じ所に住んでいる人が構成する共同体ではなく、価値観の同じ人が構成する共同体が地域を越えて教皇の下に一致するという時代ではないでしょうか。
そうでなければ聖体や聖母のカトリックにおける伝統的な位置付けを認めないプロテスタントとのエキュメニカルなど絵に描いた餅でしょう。


遊歩 - 01/04/23 10:23:12 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
ぷーさんの見解にではなく、その内容に関して少し疑問があります。
「ネオがカトリックの正式な認可団体となれば」とありますが、正式な認可団体とは、具体的にどういうものを想定されているのでしょうか。
私の限られた認識では、教会の公的認可は、或る団体、修道会などの「会則」を認可する形でなされると思います。
○○会をその会則を抜きに丸ごと認可すると言うようなことはない(なかった)と理解しています。
別件ですが、この点でオプス・デイが属人区とされたことに大変危惧を覚えます。
運営如何によっては教区制度の崩壊に繋がると思われます。さて、「ネオ」の場合はどうなのでしょうか。
先日発表されたヴァチカンの文書では、信徒の運動は、教権の認可を受けるべきであって、「ネオ」もその関連で正式に認可される可能性があると読めますが、その場合「司祭」は「正会員」となるのでしょうか。若しそうならば、「信徒の運動・団体」とはいえなくなるのではないでしょうか。
現行では、高松教区に限って言えば、例の神学校を出られた人々もすべて身分は「高松教区司祭」であり、従って教区長に従順を約束しているはずです。
或る特定の運動を、たとえローマの認可があっても、教区や小教区に強制し、他の正統な団体や運動を排除する権限は、教区長にも主任司祭にもあるはずがありません。
そもそも「ネオの司祭」と言う表現が誤解を招く言い方です。
すべての司祭は、小教区民、教区民に奉仕するために叙階されるので、決して特定の宗教イデオロギーの「オルグ」になってはいけないのです。
このことは教会の長い良い伝統であります。すべての当事者がこの伝統に立って賢明に尽力すれば、高松教区の問題も円満解決できるのではないかと思っています。


アサさん - 01/04/23 06:32:36 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
大分では明野教会に集中して国際宣教神学院出身の司祭が派遣されるようになった状況をみると、もう完全にここはネオカテクメナートを背景とした司牧をやるということ。
そして、ここにある程度限定しておこうという意図が見え隠れします。全員が賛同しているわけではないのにね。


だーさん - 01/04/22 21:16:53 電子メールアドレス:nori@norisan.net
責任者の森岡源三氏とはミレ二アムの虚構の編集、発行責任者の森岡源三氏のことです。


ぷー - 01/04/22 21:12:19
アサさんの仰ることに少しコメントします。ネオがカトリックの正式な認可団体となれば、どのような形態であれ、少なくとも、教会法を超えた存在ではなくなります。
ネオ・カテクメナートも教会の統治下に置かれことは、好ましいことです。
ネオがらみのトラブルをつぶさに観察して、私の印象を述べますと、ネオ・カテクメナートの本質は教区の乗っ取りにあるのだと踏んでいます。
カトリック教会の正式な認可を受けるとゆうことは、彼らの本質の変化を促すことにつながっていくのではないでしょうか?(甘いかな。)
すくなくとも、かれらのやり方、その本質をこのまま続けていくのならば、一つの教区のなかで、共存していくことは難しい。


アサさん - 01/04/22 08:07:16 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
また新しい展開になって、次の局面に入ってきたようです。
認可団体あるいは運動の話が出てきましたが、新求道共同体にとってはその枠をはめられるのはつらいでしょう。
むしろ、認可するしないという枠の対象とならないように巧妙にやってきた「運動」ですから。
決して「運動」としての側面を出さないようにしてきた活動です。
その証拠に文書化されたものがほとんどない→証拠がない。という点です。
今後認可運動という枠をはめられることは、これは「新求道共同体運動」にもとづく「祈りのつどい」ですよと掲げなければならないし、文書化した運動の趣旨を作成しなければならないことになっていくでしょう。
その点、知らないうちに「取り込まれた」ということは少なくなると思います。少なくともこの部分には期待しています。


今泉洋子 - 01/04/22 03:43:28
だーさんにおたずねいたします。責任者の森岡源三氏と言われていますが。森岡さんは,何の責任者ですか。


あしたに向かって - 01/04/21 23:40:51
お待たせいたしました。HPの「小豆島教会で何がおこったか」のページを更新しました。みなさんご覧ください。


しょうゆ豆 - 01/04/21 23:10:34
国民の目の中村様、私どものためにお祈り下さいまして,本当にありがとうございます.心より感謝申し上げます。
私には難しいことはわかりませんが、どのようなかたちで新求道共同体が教会から公認されたとしても、高松教区に新求道共同体の運動が入り新求道共同体の神学院が設立されたことによって、この教区にどれ程のメリットがあったかと考える時、教区司祭は確かに満たされました。
しかし、信徒間の分裂、信徒間に発生する疑心暗鬼のこころ、失望して教会を離れて行ってしまった信者、そして、無気力になってしまっている多くの信者、これが現実です。 
一つの家族を一つの教会にたとえるならば一つ屋根の下に住んでいる家族が別々の場所で別々の食卓をもうけ、私達はこっち,貴方達はそっち、と言っているようなミサのあり方。
ミサ・御聖体は神が私達に与え,示され、2000年の時空を超えて展開される究極の愛の秘蹟ではないですか。
なぜ、こんな大切なことで一致がないのですか!。
分裂が出来るような仕組みに始めからなっている!。これが主のみ旨といえるのですか!。 
下の適切な翻訳案内のサイトの中の参照サイトに行ってみて絶句しました。


- 01/04/21 22:57:22
ある意味、森岡さんは十分表に出ておられると思いますが・・・。(このぺージに出てきて欲しいという事なのかな?)


だーさん - 01/04/21 13:26:38 電子メールアドレス:nori@norisan.net
責任者の森岡源三氏のコメントが聞きたいです。
会社を経営し印刷技術と機材を所有し就職情報誌を発行して会社のHPも公開しているのですから掲示板に書き込むのはわけもないことです。
なぜ表に出てこないのでしょう。
http://www.cotch.co.jp/cmp_enkaku.html (株)コッチ http://www.cotch.co.jp/index.html


アサさん - 01/04/21 06:58:23 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
服従する=submitについて。私も翻訳にはとても興味を持っています。
オリジナルがオリジナルかどうか(もともと英文かどうかということですが)わかりませんが、ここでの意味は「神のご意志に従う」というときに使うsubmitと同じ意味であるとおもいます。
日本語の意味とことばがそのまま英語に1:1 対応していないので、難しいですね。


アサさん - 01/04/21 06:49:57 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
毎日が新年度で忙しく、職場で病人が出たりであわただしい日々でした。と言うわけで久しぶりの投稿となりました。 
遊歩さんが「対話」ということに触れられておりますね。
私は、これが最も本質的なことだと思います。対話の不足から、様々な問題が生まれてくる。
新求道共同体の問題も個々の部分を見てみると本当の意味での対話の不足から来ていると思います。
一方が対話しようと思っても「対」の「話」ですから、もう一方がはなから自己主張を以て臨むとかみ合わない。
同じ意見に到達する必要はなく、お互いの違いを受容することが大切。
そして、誰もが参加できる共通の事項のみを確認することで、できること、できないことを明らかにする必要がある。
そこに権威を持ち込み無理矢理納得させようとすると「軋轢」が生じることになる。
私は、押しつけられない限り、ネオの存在を否定するものではありません。
大分の明野教会は助任司祭に国際宣教神学院出身の司祭が着任しました。
いよいよネオの教会になるのだなと思いますが、それはそれで良い。
ネオのやり方の押しつけがなければ、基本的に「教区司祭」ですから。
教区司祭としての働きをしっかりやっていただけたらそれでいい。
それ以上のことを「押しつける」気持ちも私にはありません。


ぷー - 01/04/21 00:17:44
http://www.vatican.va/news_services/press/vis/dinamiche/e5_en.htm (バチカン)とcwニュースの間には、かなりの差があるように思うのは、私だけでしょうか?


中村 - 01/04/21 00:11:18 電子メールアドレス:lita@mxd.mesh.ne.jp
CWニュースの一報が一つの波紋となっているところですが、関連して感じたことを述べたいと思います。
発信した側の態度は慎重であり、今だ賛否両論がくすぶっている様子も伺えます。
今回の報はしっかりと受け止めるに値すると思いますが、同時に、一人ひとりにあっても一喜一憂せずに事態を見極めよ、とのメッセージでもあるように思います。 
さて、今泉さんは「どうして高松教区がこのようなことになったかと考える時、それはやはり私たちにも責任があります。」と率直に述べておられましたが、同時に「あしたに向かって」の歩みから、今まで足りなかったものは何であったか、もう一度出直すことが許されるのであればどう生き直そうか、といった力強い反省と願いが込められていることを感じるのは私だけではないと思います。
また、みかんさんは「正直、私たちの意見や考えをお伝えして、それがどのようにお役に立っているのかも気になっています。」と述べておられましたが、声がなければ何も始まらないことも忘れないで下さい。しょうゆ豆さんの投稿からは、仲間に一心に状況を伝えようとする姿がホットに感じられ、心暖まる思いがします。これからもご健勝をお祈り申し上げます。 
私事になりますが、カトリックとの直接のかかわりは、10年ほど前、ふとしたきっかけで松山修道院の国際ボランティアの活動に賛同したことに始まります。
その活動への支援はこれからも続けていくつもりですが、その土台である皆様の信仰が安易な方向に流されないよう、くれぐれも誤謬のない判断・識別をお願い申し上げます。
また、先般3つの質問を投げかけましたが、これはあくまで新求道共同体の動きはきちんとした合意と手続きを踏まえたものであるのか、ひとりよがりなカリスマの自己運動にすぎないのか、という国民の側から見た素朴な疑問であり、特に最初の質問(教義)は谷口牧師にとっては平易な質問ですから、今からでもご回答を待ちたいと思います。 
感想は以上ですが、併せて示唆に富むご意見等をいただいた方全てに厚くお礼申し上げます。


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