2001.7/21-31

ぷー - 01/07/31 21:29:23
いりおすさん、あなたの言われるとおりの気持ちで書きこんでおります。私もネオカテに傷つけられた1人ですから



いりおす - 01/07/31 18:27:04
弱者は誰なんだ? ネオと高松教区の信徒たちを同じ土俵にあげて、どこまで事実かとか情報が不十分だというような議論をしてもダメ。
この掲示板に書き込んでいる方々は、ネオ司祭派遣を拒否する申入書を25名全員一致で出した小豆島教会信徒の気持ちをわかろうとしているのか? 
取り下げないことを表明している6名?の信徒の苦しみ、取り下げたと勝手にみなされている人たちの悩みをどう理解しようとしているのか。
掲示板で遊ぶ人たちや傍観者がいるかぎりこの問題の解決はない。 


いりおす - 01/07/30 19:26:51
最近すちーぶさんの書き込みが多いので、もう一度読もうと思って掲示板を開いたら、管理人に削除されているではないか。
なるほど、あんたの文章は、読む者に不快感を与える。大多数の者は同じ意見だろう。
本当に高松教区の問題を考えているのだろうか? 掲示板で遊んでいるんでは? ネオに反対する人たちにとっては迷惑だろう? 逆効果か。ネオが喜ぶだけ。 


アサさん - 01/07/30 06:34:36 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
前から思っていたのですが、ネオカテクメナートに反対する具体的なアクション(HPを含めて)を起こして、現在も維持されているものは少ない(ない?)ので、ここらで欧米のこうした活動に見られるように、Q&A形式でまとめては如何でしょうか?
ネオカテって一体何?から始まり、彼らの感謝の祭儀はどう違うの?とか様々な疑問があると思いますし、それに対する情報を整理する意味でも意義深いことだと思います。
私は個人的に反オプスデイHP(ドイツ)を見て、その抑えた表現や誠実な取り組みに感銘を受けました。


しょうゆ豆 - 01/07/26 14:09:18
アサさんのコメントで、客観的に評価するための情報があまりにも少なすぎる。そこがむしろバチカン内で問題にされるべきだと思うし、日本においてもそうだと思う。
そして、意図的にそういうものを(証拠になるので)作らないように、知れないようにしたというなら、それこそ巧妙で恐ろしい。私も同感です.


しょうゆ豆 - 01/07/26 14:00:18
7月25日に遊歩さんが1993年の司教常任委員会の文書について触れられていますが、この文書は1993年9月13日付で全教区(補佐)司教様に、日本司教カトリック協議会から[新求道共同体に関する文書(本文5頁)送付の件]として出されています。
私はこの添付用の文書は昨年になるまで知りませんでした。
この文中に、常任司教委員会はこの文書を教区内の主任・助任司祭に配布することを適当かどうか、大司教司教さま方の賢明なご判断にお任せすることに致しましたのでよろしくお取り扱い下しますようお願いもうしあげます。と書かれています。
高松の人たち数人は本文の方を早い時期に、他教区の方から思いがけず得ていました。
そして、1994年1月30日の桜町の信徒総会に置いて、この文書のことを一信者が言及しています。
その時の主任司祭の様子は驚きの表情で「あれは、ある司教が聞き書きにして、文書を教区に廻したもので、それが高松にも廻っているのを驚いている。あの文書は日本の恥です。司教様はすいませんでしたと謝られたので没にしました。没になっています。」と強調して返答なさった。
しかし、2日後の2月2日、別の信者が常任司教委員会に電話を入れ「あの文書は没になったと聞いたのですが本当でしょうか」との問い合わせをした。
返事は「そのようなことは全然聞いておりません。あの文書作成には三人の司教が世界的に海外の例も含めて調べ文書作成したものです。
文書は各司教様宛てに出しました」だったのです。このようなことがありました。


アサさん - 01/07/26 07:01:22 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
ネオカテクメナートとしてのやり方には、個人的に嫌悪感を感じますが、洗礼を受けただけでは本当の信者ではないという部分には惹かれますし、その他の部分にも学ぶべき点は多い。しかし、客観的に評価するための情報があまりにも少なすぎる。
そこがむしろバチカン内で問題にされるべきだったと思うし、日本に於いてもそうだと思う。
そして、意図的にそういうものを(証拠になるので)作らないように、知られないようにしたというなら、それこそ巧妙で恐ろしい。


アサさん - 01/07/26 06:55:49 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
遊歩さんWrote>ネオなるものの正統性若しくは非正統性をできる限り客観的に捉えることに関心があります。 この部分に賛同します。
感情論は別として、この部分でやっていかないと、ただのケンカになりかねない。客観性にも限界はあるはずだが、それを心がけていないと説得性を捨ててしまうことになる。


ぷー - 01/07/25 23:22:51
当HPに更新掲載された「高松教区の信徒の体験から」に記述されている内容は、俄には信じ難いことです。
しかしながら、私のネオ経験に照らし合わせても、十分それらのことが発生したことは納得のいくことなので、記述は事実であると信じます。
ちなみに私はネオの「歩み」は、早い段階でやめてしまいました。これは危険であると直観したからです。
さて、すべての記述が事実であることを前提に論を進めますが、ネオ共同体は早い話「○○○の証人」などと同じような、キリスト教系カルト集団であると思います。
そのような運動体と母なる教会内で共存する必要があるでしょうか?活動するなら、教会の外でやっていただきたいですね。
友人の面して、善良なカトリック信徒を迷いの道に引き込むのはこれ以上やめていただきたい。
さて、誤解なきよう申し添えますが、ネオ運動は追放すべきものであるけれども、ネオ運動に関わった人まで、教会から追放すべきであるとは考えておりません。
彼らは姉妹兄弟であるのだから、共に愛し合うべきであると考えます。私が言いたいのは「罪を憎んで、人を憎まず」ということです。


- 01/07/25 22:32:06
遊歩さんの目線は上から下を見下ろしているように思えます。
ネット上の情報にご不満があるのでしたら、神威さんの言われるとおり、現場にいき、肌で問題をかんじとってください。


すちーぶ - 01/07/25 22:28:16
高松の兄弟に対するコンパッションは誰も気付かないはずです。なぜならばそれが洗脳ですから。
洗脳された方は物理的に脳神経細胞が、一部破壊し、考える能力を失う。


すちーぶ - 01/07/25 22:19:52
向日葵殿。わたしたちカトリック兄弟の力って、そんなに小さなものかな。どうして、パパ様のグループを信じない。
どうしてマリア様におねがいしない。どうしてイエス様に忠実たらんとしない。


神威 - 01/07/25 22:13:17
コメント:
遊歩さん、それなら一度直接高松に来られて分裂の生現場を拝見されるとよい。
少数派である反対派信徒がどのように惨めな境遇にあるかご自分の目で確かめてみられよ。
講釈はそれからでも遅くはない。


遊歩 - 01/07/25 21:46:53 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
某所で、遊歩は、プロネオに転向と書き立てられましたが、もともと私は、反ネオでも、プロネオでもありません。ただ伝えれらている情報については重大な関心を持っています。
今は、ネオなるものの正統性若しくは非正統性をできる限り客観的に捉えることに関心があります。
この視点から言って、「あしたにむかって」の情報は、不十分であると感じています。
努力している方々には申し訳ないのですが。・・例えば、1993年の司教常任委員会の文書と称されるものの公的性格とその後の経緯についてはっきりしたことが分かりません。
デルコル神父の著とされている文書についてもその内容の信憑性を検証することができません。
ネオ側が否定すれば、反論できるだけの根拠があるのでしょうか。私には見えません。
昔は、或る修道会がバチカンから認可される場合、先ず賞賛の公文書がバチカンから出され、ついで、当該修道会の「会則」について慎重な審査がなされた後、初めて修道会の認可が教皇庁から出される慣わしでした。現在もそうなのか私にはわかりません。
またネオは、修道会ではないので違った手続きが取られるのかもしれませんが、何らかの客観的な文書に対する判断が下されるのではないかと思います。
そのような「文書」に対して検証しない限り、ネオ賛成、ネオ反対と言っても結局は感情論で終わってしまうのではないでしょうか。
それは、現実には教会全体にとって大変残念なことです。
なお、文中「ネオ」と言う表現を使いましたがそれは便宜上のことで、価値判断を伴うものではありません。念のため。


向日葵 - 01/07/25 21:32:00
ネオ検証の更新分拝見しました。ネオ共同体運動が生み出す信徒間の分裂検証の箇所などは、怒りで体が震えてきました。
これはとても他人ごとで済まされる問題ではないと痛感いたしました。生きるも死ぬも司教次第というのはどこも同じですからね。
そして私もこの団体を同じカトリックとして認めたくないです。こんなのが蔓延したら悔しいけれど離れます。最終的な段階での抵抗手段はそれしかないのですから。


すちーぶ@理解してよ。 - 01/07/25 17:00:38
1. 2.ネオ問題に心を痛めている兄弟は、パパ様に忠実な「共同司牧」派ならばごまんといます。
3.この問題の何たるかを、共同司牧、もっと簡単な言い方ですと、「ろざりお」を唱える仲間すべてに伝える義務があると思います。
4.イエズス様の十字架と言うコンパッションを共有することによって、しいたげられておられる方への「しもべ(奴隷)」にさせて下さい。よりそわさせて下さい。
5.高松の兄弟たちの為に、何かおてつだいできないか。
6.名古屋司教区の、教区司祭Nちゃんも、金沢で活躍している司祭のZ君も、南山大学の神学生Pちゃんも、北海道で活躍しているD君も、司祭やめちゃった四日市付近に棲息するQ老人だとか。愛心館のBおねぇさんは、以外な所から守られている。
7.同じ思想を持っている所の、海南カトリック教会。酒井淳神父もよろしく。


紅の羊 - 01/07/25 16:08:44
更新文、拝見させていただきました。ネオ共同体は宣教される国の順序を間違っていますね。まずカトリック大国である自国民の心の救済から始めなくっちゃ。
彼らのお国の荒廃ぶりはこの国以上じゃないですか。ここのお国では汗水流して働かないと食べていけない暗黙の掟があるのをご存知なかったのでしょうか?
それが日本民族の伝統的定義であるのに。
お国柄を無視していつまでも現実を直視しないで身勝手なご都合主義な指導されていると、「結局は金目当てに日本にきてるの?」って陰口たたかれちゃいますよ。
実際それだけで済めばよいのですけれどね。


すちーぶ - 01/07/25 14:08:23
ぶーさんへ     直接購読申し込みをして下さい・ 84号・85号がおもしろいのだけどすでに絶版。
84.85.86.****と、あすぴろ神父様のメーリングリストにて、順次掲載して行きますのでしばし、またれよ


坂の上の雲 - 01/07/25 13:01:02
新求道共同体は教義上信者たる者は金銭に執着してはならない、それに固執するのは我ら団体の教義に反する大罪者である、と大言を吐く一方で、集団運営費の負担はちゃっかり何のためらいもなく要求してくる。とても従来のカトリックと同質のものとは考えられない。
それにネオ運動に不幸にも巻き込まれ取り込まれて、精神的にも金銭的にも丸裸にされた哀れな信者さんの生活保障のことまで彼らは考えているのでしょうか?
どうせそれも余力ある信者につけを押し付けまわしてくるのでしょう。甘ったれるのもいい加減にしろ!


あしたに向かって - 01/07/25 07:11:12
HPを更新しました。「新求道の道共同体とは」のページに、「高松教区の信徒の体験から」、デルコル神父様の幻の61巻をもとに、ネオについての検証を載せました。


ぷー - 01/07/24 22:51:16
遊歩さま紹介のネオのHPの上から5番目の記述「宣教家族」の中に、原元さんと言われる方の「自分の子供たちに信仰を渡す」と題された記事の中に、ネオの考え方の特徴であると思われる記述があるのです。
そこだけ、引用します。「自分にとって第一のものは神様なのか、仕事なのか。私の問題と苦しみはここからきています。」
このような問題の捉え方はネオ司祭、ネオのカテキスタや宣教家族に共通してみられます。すぐ口をついて出てくるのは「日本人は働きすぎだ」という主張です。
本当にそうでしょうか?むかしの農家はもっと厳しい生活をしていたはずですけどね。さて、カトリックの教えは、仕事そのものには否定的ではないはずです。
むしろ、自分の仕事をキリストの御心に叶うものとするよう求められていた、そして、社会的責務を果たさざることも罪とされていたはずです。
ネオ共同体は、理性的態度の放棄により、救いの道に入ると考えている節がありますが聖トマス・アクィナスはなんと言ったのでしょうか。
「恩寵は理性を破壊せず、かえって完成する。」不正確な部分がありましたらご容赦ください。 


アサさん - 01/07/23 23:30:03 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
遊行者さんご紹介のHPの2番目の「新求道期間の道」の認可に関するところは、正確には認可と言えるかどうかは別として、最初のグループを形成する際のメンバーに示されたものと同じです。
粗末なタイプのコピーでしたが「これがあるから本物だ!」と言われ、逆に「ホントかしら?」こんなもの示さないと疑われるような運動なの?と思ってしまいました。
いずれにせよ彼らの公式な文書といえるものは英文も含めてほとんどありません。特にキコのものはほとんどないはずです。
こういうことを言った。あるいはこういう考え方だ!と関係者が言うだけで実態は「文書化された証拠」がないだけにつかみにくいというのが本当のところでしょう。


アサさん - 01/07/23 23:22:56 電子メールアドレス:ashoichi@opfri.oita-ri.go.jp
ネオが正しいがどうかという視点より、開かれた対話の中で導入されれば良かったのにと思います。
そして遊行者さまのようなお考えを司教様もお持ちになっていたら、このような問題は怒らなかった(起こらなかった)かもしれない(いや、だろう)と思います。


遊歩 - 01/07/23 09:26:37 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
ぷさん、以下のアドレスで試みてください。 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/lazaro/Principal_Web/


すちーぶ - 01/07/23 08:27:15
遊歩さん、それはないぜインターネットの特性から必ず通信社当たりがMLを読んでいる。いちおと言うのがあるにしてもあすぴろさんちは公認団体だから。
ここにリークさせるのがあたしの仕事。机上の空論はやめようよ。


- 01/07/22 23:41:16
渦中の教区にいる人達は今まで話し合いの場や、共存の道を探すべくかなりの努力をしているはずです。
それに充分答えてこなかったのは一体どちらなのか。机上の討論だけだったらいくらでも何でも言える。


ぷー - 01/07/22 22:00:34
すみません 遊歩さま、ご紹介のURL、開けません。何か足りないのでは?


遊歩 - 01/07/22 21:45:28
あえて率直な見解を申し上げます。
以下の「資料」は、新求道共同体がネットで公表している最新のもの(1998)と思われますが、私の判断では、別に教義に反する点があるとは思えません。
ネオに批判的な方々はこのことをどのように解されますか。かれらは、何か自己に不都合なことを隠蔽しているのでしょうか。それは、証明できるでしょうか。
若し教義的に問題がないとすれば、かれらもイエスの福音の一つの理解の仕方であると認めて、共存の道を探れないでしょうか。
確かにかれらの典礼などに関しては、或る程度規制しなければならないでしょうが、それは、話し合いで解決できないでしょうか。
財政の問題については、もっと厳しい制約が必要だと思います。しかし、何時までもいがみ合っていては、互いに傷つき、消耗していくだけではないでしょうか。
勿論心情的な問題は一応抽象して申し上げています。
http://www.alphanet.ne.jp/users2/lazaro/siryou/seireikourin.htm


すちーぶ - 01/07/22 12:29:43
キルスさん。預言論ではなくてもちと具体論はないんですかぁ


キルス - 01/07/21 23:02:50
少し預言を紹介したい。 
聖ビルジタ(14C前半のスエーデンの聖女)《反キリストが来る前に信仰の門は異教徒の大変な数に向かって開かれる》これは疑いもなく第2バチカン公会議をさしている。
次はスペインへの言及である。
《聖職者達への迫害者と一緒に現れる異端者たち・・・ユダヤ人と一つに組んでクリスチャンの名を地上から拭い去るために戦う最も極悪な一人の悪人・・・》ピオ11世教皇《ある新しい宗教が出現して(反キリスト宗教)それを信じる者たちが最後のキリスト教徒たちを迫害する》これは有名な聖マラキの名でよばれる最後の教皇についての預言と一致する。
その他の多くの預言が今の教皇が最後の教皇であると示唆している。そこに多くの謎があるが、ここでのべられない。
最近バチカンが発表したファチマの第3の秘密はヴィジョンであり、他に言葉によるお告げがある。
またヤシンタの1972年預言がある。これらは一体であるが、バチカンは黙殺する。これらは1981年の事件ですんだのではない。


遊歩 - 01/07/21 10:22:02 電子メールアドレス:yugyosha@nyc.odn.ne.jp
CBMさん曰く。
「遊歩さんへ。「誰かの著者からの引用ではなく」とおっしゃいますが、問題解決のために本当に役立つという信念よりいでたるものならば、文章引用の自由をこの掲示板で制限すべきではないと考えます。」お答え。
討論の一般論を述べたまでです。引用文、特に批判的な書の中に引用された文書では、討論の対象として弱いのです。
自分の意見ではない、といわれればそれで終わりです。
当事者自身が発言したことに対して反論しなければ、意味がありません。
勿論討議が目的ではなく、広く情報を公開するのであれば、引用文も大いに役立ちます。
従いまして、私は、文書引用の自由を掲示板で禁止するなどというつもりは毛頭ありません。


すちーぶ - 01/07/21 08:54:57
バチカン情報ではないですか。 CBMさん、タイプしてなさるの?だったら、こちらの手タイプの手間暇より、時間が短縮できる。
すべての原稿を、私のメールアドレスに打電されたし。発表場所は、あすぴろ神父さんちのML


すちーぶ - 01/07/21 08:43:41 電子メールアドレス:stephano@nyc.odn.ne.jp
ふーさん、皆さん方が、意思統一されることが、まず大切だと思います。
覚悟がおありならば、「名古屋市北区駒止町2−48−106。加藤邦雄」まで、持っておられる文献を出来るだけ多く、郵便して下さい。
私はえっちらおっちら、手タイプし、あすぴろ神父様のMLを経由して、世界中にばらまきます。当然に、キリスト系通信社のホームページにもコピーして見るつもりです。
皆さんに無断で、基礎文献だけはぶちこんでおきましたが、これ以後は、組織的に動く必要があります。
第二コリント12章・全文、参照。私の出来ることならば、何でもやります。私を使って下さい。


ぷー - 01/07/21 00:53:04
遊歩さま、もう一つ、(共同体の責任者の責任ある発言を求めるべきで)と仰いますが、そりゃあ公の場では、伝統的カトリックの教義に沿った発言をするでしょうよ。
わざわざ、教義に反することをいって、墓穴を掘るなんてことをするわけないと思います。
そうではなく、ネオの活動する現場の小教区から上がってくる声の方が意味を持つと思います。


ぷー - 01/07/21 00:29:54
遅ればせながらCBMさん、日向さんからマボロシの「ご存知ですか」61号のコピーをいただきました。ありがとうございました。


CBM - 01/07/21 00:20:15
ヴァチカンの道21号(1996年12月25日)12ページより。体験一辺倒の感情的主観主義(霊性運動、カリスマ運動、「新求道運動」など)


CBM - 01/07/21 00:16:22
ヴァチカンの道18号(1995年12月25日)19ページより。
●高松教区で広まっている「ネオカテクメナーレ」運動。
教皇庁立ラテラノ神学大学のエンリコ・ゾッフォリZoffori教授の『ネオカテクメナーレ運動の異端』Eresie del Movemento Neocatecumenale(Udine,1991)によると、キリストの受難と十字架による世の贖い、人間の原罪、秘跡としての司祭職、祭壇のいけにえ、ご聖体におけるキリストの現存、告白の秘跡、救いの手段としての教会、神の審判、これらすべてを否定するこの運動は異端である。


ぷー - 01/07/21 00:13:33
遊歩さま、(教区の当事者の方々にお任せしましょう)といわれても、高松教区では圧倒的に親ネオ派が及びネオが強いのです。
反ネオ派は、そうですねぇ、例えていうならば、ナチス政権下の白バラ党のようなものです。ネオに取り込まれた人々は洗脳されています。
司教の権威の元、彼らに教区が牛耳られているのに、信徒の小さな声を教会の指針に取り入れていくための制度が未整備な今のカトリック教会の教区制度の中で、一体何が出来るというのでしょうか?
やはり、ここは、他教区の方々に問題を広く知ってただき、助けを求めていくしかないのではないでしょうか?
助けを求めることは決して恥ずかしいことではないと思います。


CBM - 01/07/21 00:02:23
ヴァチカンの道7号(1992年4月19日)33ページより。
*異端*イタリア人神学者が1960年代マドリッドに発祥した異端ネオカテクメナーテに係る研究発表。
教皇庁立ラテラノ神学大学で哲学、神学を教えているイタリア人神学者エンリコ・ゾッフォリZofforiの近著「ネオカテクメナーテ運動の異端」によると、1960年代のマドリッドで生まれ、今日、全世界に広がっている(日本では高松教区に神学校を設立準備中)ネオカテクメナーテ運動は、キリストによる救い、罪、ご聖体におけるキリストの現存などの信仰教義を否定する、秘密結社のごとき運動で、ミサ聖祭を「みんなで食べて、飲んで、歌って、音楽を奏で、ときには踊りくるう宴会」にしてしまっている
(The Catholic World Report誌、1992年1月号、5頁)。


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