2002.10/11-20

しょうゆ豆 - 02/10/20 23:41:26
「中外日報」10月17日付け。小見出し「信者組織からも批判の声」―――
「名誉毀損訴訟」は、二人の信徒が個人的に深堀司教の謝罪を求めて争っているものだが、教区の信者組織である「高松教区信徒使徒職協議会」も、信者が出し合った献金約3千万円がどう使われたかが「不透明」であるとして、献金の厳正な取り扱いを定める規約作りを求めている。
教会筋によると信者組織側は、「献金の使途を決めるのは司教の権限とした深堀司教の回答に対し、強い不満を示している模様である。
ーー「反対は少数の主張は崩れた」−−これまで松山地裁の審理で、被告の深堀司教は一貫して「私に反対するのは(原告の森岡氏ら)と一部の扇動者だけ。
教区信徒の大部分は私を支持している」と主張してきた。今回の教区の信徒使徒職協議会の動きは、その主張を根本から揺るがすものだ。 
引退が近いといわれる深堀司教は、法廷だけでなく教会の組織内でも、批判の矢面に立たされているようである。 記事記載より。


- 02/10/20 23:27:53
司祭は、権威ではないよ。司祭は、役職だよ。教会への奉仕職だよ。そうでなく、司祭職を権威だと思っている司祭なら、教会にとって害になっても益にならないではないか。
そんな司祭は要らないよ。私は、一信徒だけれど、司祭の権威が怖いなどと思ったこと一度もないよ。そんな神父は要らないね。


しょうゆ豆 - 02/10/20 23:22:56
『手詰まり状態?日本司教団』「特別臨時司教総会開催のメド立たず」これは、「中外日報」の記事の見出しです。 
今月上旬、6つの教区の大司教・司教による常任司教委員会が開かれた席上で「特別臨時司教総会はいつ開くのか」が話題になった。
しかし教会の事情に詳しい筋によると、「いま開いても成果は望み薄。他の司教の意見も聞いた上で」との結論になった模様である。
六月の時点では、司教らの間には、双方に和解の機運が盛り上がっていると見る向きが多かった。 
“全司教が協力する” といっても、実際には高松教区に近い大阪教区の大司教がイニシアチブをとり、駐日教皇庁大使のパオリ大司教も協力して、原告、被告と懇談し、和解への道を探る努力が続けられていたとみられている。 
しかし、深堀司教は被告尋問の場で、高松国際宣教神学院設立のために開いたとする教区責任役員会の議事録が偽造されていたことを認めたのに続き、最近になって神学院設立の最初の5年間の収支を教区が把握していなかったとする説明書を、松山地裁と原告側に送っていたことが、法曹関係者らの情報で明らかになった。
つまり、裁判の争点となっていた二点は、いずれも原告側の主張が正しいと認めたことになる。
これでは、司教側のいう「無条件で和解し、教会の中で話し合いのテーブルにつこう」との、対等な和解成立は困難ではないかと、法曹関係者はみなしている。 
こうした実情から、来年2月の定例司教総会を開く前に特別臨時司教総会を開けるかどうかは、今月30日の松山地裁での「最終の進行協議」の結果を見てきめようという空気が強まった模様である。
…このように書かれています。


一匹狼 - 02/10/20 22:08:21
谷口幸紀という人物評について、「異なる意見の人にとっては、手ごわい敵」ですか?そんなこと,カトリックの世界に通用することなんですか?
彼のこと「手ごわい」なんて思ったこと、一度もありませんね。彼は「権威」とか「権力」の仮面をかむってしか生きていけない人間だと思います。
「権威」という仮面をとっぱらうと、とても気弱で、一人では何も出来ない人ですね。「虎の威を借る狐」でなければ生きられない人。
その意味で、司祭に叙階されてはいけない人だったと思います。これは深堀司教の大きな失敗でした。
谷口さんのことについては、これから司祭の職を追われるほどの、さらに重大な問題が発覚するであろうことを予告しておきましょう。


三百代言 - 02/10/20 19:12:24
『鹿嶋高樹 - 02/10/20 01:03:24』ご自身の信ずる目的(「正義」の実現)のためには、手段を選ばず、というような傾向があったとしても、驚きません。』>>>
◆1『 自己愛性人格障害 』( Narcissistic Personality Disorder ) 
1. 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2. 限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な賞賛を求める。
5. 特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9. 尊大で傲慢な行勤 または態度。(アメリカ精神医学会 DSM-IV) 
◆(自己愛性人格障害とは?)
@ あからさまな傲慢さ: 尊大で横柄な、また大げさで相手に軽蔑的な態度をとります。
社会生活での慣習や規則をバカにし、自分には愚かで的はずれな規則だとあざ笑います。
自分の高潔さを他人が見のがすことには怒り出しますが、他人のそういうことに対しては全くの無関心です。対人関係での搾取:当然の権利だと考えています。
常に相手に対して自分を特別扱いするよう求めます。はずかしげもなく、自分が目立つためや願いを叶えるために他人を利用するのは当然のことと考えています。
A 誇大性: えっ?と思うようなの空想をしたり、成功や美、愛に関する未熟で自己満足的な想像に浸りがちです。
客観的事実はどうでもよく、事実を勝手に曲げ、自分に対する錯覚を必要とあらばうそをつくこともかまわない。
B 自己像の賞賛: 自分は価値があり、特別で(ユニークでなくても)大いなる称賛を受けるに値する人間だと信じていて、誇大的で自信に満ちた行動をとります。
しかし、それに見合うような成果を収めることは少ないです。他人にはわがままで、軽率で、おおちゃくな人間だとみられているにもかかわらず、自分の価値を信じています。
C 他人へのわざとらしさ: 過去の対人関係はいいように記憶が変えられています。受け入れることができない過去の出来事や苦しみは簡単に作り直されます。
(合理化のメカニズム:自己中心的で周囲に対して思いやりに欠けた行動を正当化するために、もっともらしい理由を付けようとする。それらは欺瞞的で浅はかなものです。
D 偽り: みえみえのうそをつきます。失敗をしてもすぐに埋め合わされ、プライドはすぐに復活します。
E 無頓着: いっけん冷徹で無感動な自分を演じます。逆に、軽快で楽天的であるが、自己愛的な自信が揺さぶられるといかりや恥の感情や空虚感が表に出てきます。
『 演技性人格障害 』 
1. 自分が注目の的になっていないと楽しくない。
2. 他人との関係は、不適切に性的で魅惑的・挑発的な態度をとる。
3. あさはかで感情を表に出す。
4. 自分への関心を引くために身体的外見を利用する。5. 感情表現がオーバーなのだが、内容がついてこない。
6. 芝居がかった態度や誇張して表現する。
7. 他人や環境の影響を受けやすい。
8. 対人関係を実際以上に親密なものとする。 
◆『 反社会性人格障害 』 
1. 法を守ると言うことができない。逮捕の原因となるような行動を繰り返す。
2. 人をだます傾向がある。自分の利益や快楽のために嘘を使うことが多い。
3. 行動に衝動性が強く、自分の将来の計画が立てられない。
4. 怒りっぽく、攻撃性である。
5. 向こう見ずで、自分や他人の安全を考えない。
6. 一貫して無責任である。仕事を続けられなかったり、借金を返済しなかったりします。
7. 良心の呵責を感じない。人を傷つけても、いじめても、ものを盗んでも反省しません。そのため、繰り返します。


信徒会の役員 - 02/10/20 17:59:32
ネオ活動を進めるために、高松教区の運営や会計処理などについて「目的のために、手段を選ばず」でやられたら,たまったものではありませんよ。


プル - 02/10/20 08:33:48
鹿嶋さんの書き込みを見てなるほどそんなふうにきちんと分けて考えなければいけないのだということがよくわかりました。今日は桜町教会の友愛セールです。
ミサは「国際交流」ミサということで,普段は英語・スペイン語ミサにこられている(主に)フィリピンや南米の方々と日本人が一緒にミサをお捧げします。
日本語、タガログ語、英語の聖歌を取り混ぜ、ギターを伴奏に歌うものもあると思います。楽しみです。


鹿嶋高樹 - 02/10/20 01:03:24
日本での新求道共同体の活動の状況について知りたくて、ときどき訪れています。大変なことになっているようで、良い方向での解決が早く来ることを願っています。
まず、ご高齢の現高松教区司教に引退していただくのが、第一で、他教区から信仰篤く有能な神父に司教になっていただけるようお祈りしたいと思います。
私は、妻帯神父、女性神父、神父の妻帯、などには反対しないという意見を持っています。そういう神父がいても良いと思います。
大恋愛の経験がある神父がいても良いと思っています。そういう「経験」を「反省」する必要もないし、あやまちだったと告白する必要もないと思っています。
そういう立場を明確にしておいて...... 日本を離れて26年以上になります。その昔、東京に住んでいた頃、谷口幸紀さんという元修道会系神学生は私の友人でした。
当時、谷口さんは、ある素敵な女性と同居していました。谷口さんも生き生きしていて活動的で魅力がありました。私から見て、何も隠すような関係ではなかったと思います。
(私の日本語の理解力の問題なのか、男女の同居のことを「同棲」と言うのかどうかは分かりません。私が言えるのは「同居していた」という事実だけです。)
私から見ると、その時代の谷口さんとその女性との生活について、その当時のことについて知らない人が、その関係について「同棲していた」ことを根拠に批判することには同意できません。
谷口さんが、その後神父になったかどうかで、その当時の行動や行為の価値が変わるものではないと思います。
相手の女性と、どういう別れ方をしたか、責任をどうとったのかについても、それは当人同士の問題だとしか思えません。
(私個人は、谷口さんとその女性の関係が結婚という結果になれば良いと思っていました。)
当時、将来神父になる強い意志がありながら、女性と同居していたとすると、それ自身は、女性に対する誠実さという面からは批判されるのも正当化されるとは思いますが、谷口さんご本人に、それだけ強い決心があったかどうかについては、他人の私が、断言することができない領域のことだと思います。
谷口さんは、当時から、正義感が強く、自分の考えに自信を持ち、目的に猪突猛進するような性格があったと思います。
同じ意見や立場の人にとっては強い味方、異なる意見の人にとっては、手ごわい敵ということです。
そういう性格が今も変わっていなければ、ご自身の信ずる目的(「正義」の実現)のためには、手段を選ばず、というような傾向があったとしても、驚きません。
そういう意味では、現在、高松教区のネオ問題を危惧している方々から強い批判があるのも理解できる気がします。
ただし、個々の神父の資質についての批判と、「ネオの教え」と、「ネオの戦略」と、「ネオの典礼」と「ネオのカルト性」と「教区の会計の不明朗性」などなどについて、意識して区別するようにした方が、批判についても効果的になると思います。
「ネオ」に反対したり関係のない神父でも、神父としての資質に問題のある神父はいるし、それは高松教区特有の問題ではないと思います。
私は、そんなに「ネオ」について知っているとは思いませんが、「原始教会へ戻ろうとする教え」があってもそんなに問題とすべきではないと思います。
また、典礼についても、バリエーションがあっても良いと思います。ギター音楽によるミサがあっても問題ないと思います。
伝統的な音楽以外の歌や音楽を使ったミサがあっても良いと思います。私は「祭壇」のない、畳に座ったままのミサの経験もありますが、それも良いものです。
祭壇が正方形でもそれでけで「悪い」とは思いません。また、ある信心グループが、その信心活動を、そのグループだけで行っても、それだけで問題だとも思いません。
今までも、多くの独立したグループが、独自に信心活動を行って来ました。例えば、修道会系の第三会とか、学連とかJOCとか、などなど。
私が見る「ネオ」の問題は、その「カルト性」(秘密主義や権威主義や「教祖」を絶対視するようなことなど)と、その「同信者(メンバー)獲得保護戦略(差別主義)」だろうと思います。
司教や司祭のだめさ加減は、それらとは別個の問題だと思います。また、会計の不明瞭さや資金の不法で不明な使い途についても、「ネオ」とは別問題だと思います。
教区立神学校についても、「ネオ」だから反対ではなく、高松教区の会計問題、経済問題、だろうと思います。「ネオ神学校」でなければ良いという問題ではないと思います。
教区として維持できるかどうかの問題だろうと思います。
そのようなこと全ての原因は、司教の無能さ、なのかも知れませんし、「ネオ」の影響で、それだけ色々な問題が出てきたのかも知れませんが、問題を明晰に分析し、明確な判断に基づいて批判し、解決策を練らなければ、良い方向には行かないのではないかと危惧します。
私は、人それぞれの信仰は、それぞれの人自身の信仰で、教皇の信仰でも司教の信仰でも司祭の信仰でもないと思います。
「ネオ」や司教や司祭が信仰の妨げ(障害物)だったとしても、ナザレのイエスとの関係は影響されないように強い信仰を保っていただきたいと思います。


キリ子 - 02/10/19 07:51:25
「見ざる、言わざる、聞かざる」でいいのかしら。桜町教会のことです。低俗なネオ司祭の、貧しい司牧によって、どん底に落ち込んでいます。
どんな姿なのか、一度お越しになって、あなた自身が確かめてみて下さい。何よりも、最近教会に来なくなった信徒の声を聞いてみて下さい。
ネオ司祭の個人的な問題は、取り上げればもうキリがありませんのでやめます。いや、もう全部がそうなのです。
ついでに隣の三本松教会にも行って、一人ひとりの信者さんと話してみて下さい。10数人しかいないのです。
あなたが本気で聞く気持ちがあるなら、驚くようなことが分かると思います。ネオによってどんなにひどいことがあっても、「キリストからは離れられない」。
だからとても辛く、どうにもならない思いに沈んでしまうのです。
司教さんが「見ざる、言わざる、聞かざる」で、ぬるぬると逃げ回る狸さんだから、本当にどうしようもないところに追い込まれているのです。


@ぷー - 02/10/16 23:13:44
基本的に02/10/16 01:45:09さんの意見に同意します。実に問題点を的確に捉えていると思います。
それと、AKIーsanご指摘の件ですが、ネオは表向きは公認された会則を守るように見せかけながら、実際は別の基準で動いていくいわゆるダブルスタンダードの使い分けをする可能性があると思います。
ですから、今後もよくその動きを監視していく必要があると思います。ネオは実にうまく表の顔と裏の顔を使い分けますからね


- 02/10/16 01:45:09
私は、高松で生じている出来事=全ネオとは考えない。ネオをすべて否定するつもりはない。
会憲が期限付きで認められようがどうであれ、ネオに問題があるのは確かではないか。問題があるから、ネオのグループに行動規範である会憲を作らせたのではないか。
これは、この範囲内でこれからは行動をしますということです。
問題は、ネオがどうこうというよりも、この高松の問題であり、この問題にかかわったのが、ネオであったということです。
(ネオ全てではない)そして、高松のネオ神父のレベルの低さである。など、など・・・。


AKI-san - 02/10/15 22:32:23 電子メールアドレス:akihiro_jp2001@yahoo.co.jp
初めて投稿します。
今年の6月30日、新求道共同体は聖座より、5年間の試験期間とはいえ(新求道共同体に限らず、新たに会則の制定を認めた場合、この試験期間が与えられる、と聞いています。)、教皇様が強く求めておられた会則、規則と言える、「STATUES」が正式に認証されました。
その正式認証と同時に彼らは新求道共同体の正規のホームページを立ち上げました。
過去、色々なホームページが乱立していましたが、正規(Officialオフィシャル)のホームページはありませんでした。
そのホームページからその会則、規則「STATUES」全文を入手しました。 
詳しく読んでみるとしっかりしたものであり、これならほかから批判されても、充分対処できるものに仕上がった、と感じました。
その正式承認に至るまでに、当然のことながらキコ氏、カルメン女史、マリオ神父はもちろんのこと、代表カテキスタ達を含め、あらゆる書類や指示書など、聖座の厳しい調査対象となったはず。
そこで質問。かの秘密のカテキスタ用手引書は一体どうなったのでしょうか?
幾つかのホームページではその極秘手引書は1999年、バチカンの知るところとなった、といわれています。
今回の会則認定にいたる調査期間中には当然、聖座の調査対象となっても不思議はないと思います。
もし聖座がこれを調査したとしたら、反ネオの方々が新求道共同体の異端説の最大根拠とするこの極秘手引書について、聖座がどのように判定を下したのでしょうか。
どなたかご存知でしょうか?あれだけ「ネオは異端である」、と正面切って堂々と宣言された、かの極秘手引書。
聖座がその手引書を調査し、異端またはその疑いがあると認識したとすれば、到底今回の会則、規則と言われる「STATUES」は承認されなかったのではないでしょうか?
と普通の人は考えると思います。この点、皆様のご意見はどうでしょうか?忌憚なくお聞かせ頂ければ幸いです。


@ぷー - 02/10/14 18:35:44 電子メールアドレス:zk007jp@yahoo.co.jp
高松教区内の某教会では、司祭がネオに反対している信徒を当て付けたような説教をするそうですね。
曰く「正しいことをやっているとゆうが、一体、誰が正しいことだと決めることができるのか。そんなことを決める資格があるのか」
しかしながら、洗礼を受けた信徒は、皆共通司祭職をもっているのであり、良心に基づいて行っていることは、聖霊によって守られているはずです。
その司祭は、自ら聖霊の働きを否定していることになり、それはカトリック教会の教えに矛盾しているのではないですか?


10/1-10   HOME   10/21-31