2002.11/11-20

傍聴人 - 02/11/20 12:36:09
「マインドコントロールの恐怖」という著書をご紹介いただいた方へ。
ありがたいことなのですが、著書のご紹介は、著者と発行所、定価のほか、簡単なコメント〈ご感想〉をつけてご推薦いただく程度で結構だと思います。
必要な方はお取り寄せになると思いますので・・・。


マインドコントロールの恐怖 - 02/11/20 11:44:35
(著者:スーティーブン・ハッサン 訳:浅見定雄 恒友社発行 1500円) 
『ひとは何故<心>を操られるのか?あらゆるカルト集団に共通する巧みな”勧誘”と”集団セミナー”のワナ』 真面目な奴ほど騙される! 
「マインドコントロールとは?」個人が自己自身の決定を行う時の人格的統合性を切り崩そうとするシステム。
その本質は、依存心と集団への順応を助長し、自律と個性を失わせることである。行動、思想、感情、情報をコントロールすることによって達成される。
「洗脳」とは違い、あからさまな物理的虐待をともなわず、グループ内の強力な教え込みに効果によって作用する。
本書では特に破壊的な結果をもたらすものを問題にしている。
 「破壊的カルトとは?」非論理的なマインド・コントロールのテクニックを悪用して、そのメンバーの権利と自由を侵害し、傷つけるグループのこと。
主要なタイプとして、宗教カルト、政治カルト、心理療法・教育カルト(自己開発セミナーなど)、商業カルト(ネズミ講式の販売組織)などがある。 
【◆第一章 救出カウンセリング】 カルト 悪夢の現実。マインドコントロールとは何か、他。 
【◆第二章 統一教会での私の生活】 結び目ができる、内部者となる。脱洗脳 どうして元の自分へ戻る道を見つけたか、他。
【◆第三章 脅威 今日のマインドコントロールのカルト】 カルトの4つの主要なタイプ(宗教カルト、政治カルト、心理療法または教育カルト、商業カルト)。
勧誘 どう行われるか。恐怖症 カルトメンバーの自由を奪う力。無意識の心 創造性と弱さへの鍵。カルトの基本的な勧誘の仕方。カルトの生活 幻滅と虐待。 
【◆第四章 マインドコントロールの理解】 マインドコントロールと洗脳。催眠術についての覚え書き。社会心理学と集団力学のいくつかの基本原理。 
マインドコントロールの四つの構成要素 行動コントロール、思想コントロール、感情コントロール、情報コントロール。 
マインドコントロール達成の三段階 解凍、変革、再凍結、二重人格 カルトのメンバーを理解する鍵。 
【◆第五章 カルトの心理 カルト体験 教義こそ現実。現実世界は白か黒か、善か悪かの二者択一。エリート心理。集団の意志か、個人の意志か。
厳格な服従、リーダーをモデルにする。よい業績による幸福。恐れと罪責感による操作。情緒的高ぶりと落ち込み。時間への態度の変化。出口なし、他。 
【◆第六章 カルトの評価】 いかに自分を守るか リーダーシップ。教義。メンバーシップ。人々がカルトについてする質問。質問をする 破壊的カルトから身を守る鍵。 
【◆第七章 救出カウンセリング】 強制なき自由 強制的でない救出カウンセリング 三つの事例報告、他。 
【◆第八章 援助の仕方】 学ぶべき教訓、他。 
【◆第九章 カルトのマインドコントロールを解く】 第一の鍵 親密な関係と信頼感を築く。
〜第五の鍵 現実世界を色々な角度から眺めさせる第六の鍵 間接的に情報を与えて、思考停止の作用を避ける。
第七の鍵 カルトの外での幸せな未来を思い描かせて恐怖の教え込みを解く。
第八の鍵 マインドコントロールとは何か、また破壊的カルトの特徴とは何かを具体的に説明する。 
【◆第十章 回復への方策】 自分でやめた人々、放り出された人々。カウンセリングで救出された人々。元カルトメンバーの心理的諸問題。
「ぐらつき」やめた後に残るカルト人格への対処。悪夢、罪責感、その他の情緒的問題、嫌がらせと脅し。 
【◆第十一章 次のステップ】 「新時代」運動のカルト的性格の危険、カルトと宗教の自由、他。


マインド・コントロールの恐怖 【再凍結】 - 02/11/19 18:49:29
もとの人格を壊されて新しい信念体系を教え込まれたら、その人はこんどは「新しい男」(または「新しい女」)としてふたたび作りあげられなければならない。
自分の新しい人格を固めるため、彼は人生の新しい目的と新しい活動を与えられなければならない。
最初のふたつの段階で使われたテクニックの多くが、再凍結の段階へも持ち込まれる。
カルトのリーダーたちとしては、その人がこの直接的なカルトの環境(人格改造の場)を去るとき、新しいカルトの人格が強いものになっているという確信が持てないと困る。
新しい価値と信念が、この新会員の内面のものとならなければならない。 「新しい」人間の最初でもっとも重要な仕事は、以前の自分をさげすむことである。
いちばんいけないのは、その人が自分らしく行動することである。その「自分」が、数か月後に完全に形成される新しいカルトの自分なら別だけれども。
その人の記憶はゆがめられ、過去の良いことは極小に、罪や失敗や心の傷や最責感は極大に考えるようになる。
特別な才能や興味や趣味や友人や家族は、もしそれが大義への献身と矛盾するのなら(なるべくみんなの前で、劇的な仕方で)放棄しなければならない。
告白が、その人の過去を抹殺して彼をカルトの中へ埋没させるもうひとつの方法となる。 
再凍結の間、新しい情報を伝えていくおもな方法は、「型にはめること modeling」である。
新しいメンバーは、古いメンバー(新メソバーにコツを教えるのが彼らの任務)とペアを組まされる。
「霊の子はあらゆる面で「霊の親」を見習うよう指導される。このテクニックもまた、いくつかの目的に役たつ。
それは、「先輩」メンバー、自尊心を満足させながら最良の行動を持続させ、新メンバーには、将来自分の後輩メンバーを訓練できるような尊敬される模範になりたいという欲望をかきたてる。 
グループはいまや、メンバー同士の「真の」家族を形づくる。ほかのどんな家族も、時代遅れの「肉的」家族にすぎない。 
ふつうメンバーは、銀行口座その他の所有物を引き渡すように、大きな圧力をかけられる。これは、カルトを豊かにするほかにも、ふたつの目的に役だつ。
生涯の預金を献げることが、その人を新しい信念体系へ凍結させる。
それが誤りだったと認めるのはあまりに苦痛だろうし、また、その人がグループを離れようと考えても、外の世界で経済的に生きながらえていくのはもっとたいへんだと思わせる役にたつのである。
睡眠不足、プライバシーの欠如、食生活の変化は、ときに数か月またはそれ以上も続く。
新メンバーをなじみ深い環境や影響源から引き離して、新しい町(そこでは彼は新しいカルトの人間以外であったことはない)へ移転させることは、カルトの権威ある人物に対するいっそう全面的な依存状態を作りだす。
典型的な場合、新メンバーはできるだけ早く人を勧誘する任務につかされる。社会心理学の研究が示したところによれば、自己の信念を他人へ売りこむ努力ほど、その人の信念を固めるものはない。
新メンバーにそれをさせることが、カルトの人格を急速に結晶させるのである。 
二、三週間外の世界で勧誘や資金集めをさせられたあと、メンバーは多くの場合再度の教え込みに送りかえされる。
このサイクルは、数年間にわたって何十回もくりかえされることがある。
「先輩」メンバーとじゅうぶんな時間を過ごしたのち、新会員はついに自分でほかの新会員を訓練することをまかされる日が来る。
こうして被害者が加害者となり、破壊的システムを永続させるのである。


- 02/11/19 17:14:19
やめてください


マインド・コントロールの恐怖 【変革】 - 02/11/19 07:35:57
変革とは、ある人の古い人格が崩壊したために生じた空白に新しい人格を(新しい行動と思考と感情のセットを)押しつけて、その空白を埋めることである。
解凍の段階で用いられたのと同じテクニックの多くが、この段階にも持ちこまれる。
反復、単調、リズム。これらは人をあやす効果のある催眠の律動であり、形式ばった教え込みは、おもにこの律動の中で行なわれる。教材は何度となくくりかえされる。
洗練された講師は興味を持続させようとして話に変化を加えるが、趣旨は毎回同じである。
「変革」の過程では、この反復はみな、いくつかの決まった中心的テーマに集中する。
新会員は、世界がどんなに堕落しており、また真理を悟っていない人々はどんなにそれを正す道を知らないか、教えられる。新会員はこう教えられる。
「あなたが“新しい真理”を完全に体験するのを邪魔しているのはあなたの“古い”自我です。あなたを引きずり下ろしているのはあなたの“古い概念”です。
あなたを素晴らしい進歩から引きもどしているのはあなたの“理性的な”精神です。身をまかせなさい。出発しなさい。信仰をもちなさい」
新しい行動様式の形成は、最初はこっそり、のちには次第に強引に行なわれる。
新しい人格を作りあげる素材は、徐々に、少しずつ、その人が吸収する用意ができたと思えるだけのはやさで与えられる。
私が統一教会の講師だったころ、この戦術のことでほかの講師とよく議論した。私たちの操作を正当化するために、こういう「たとえ」を使ったものである。 
「赤ん坊にいきなり分厚いステーキを食べさせるかい。調整ミルクのような消化できるものをやるべきなんだ。そう、この人たち(改宗候補者)は、霊的な赤ん坊なんだ。彼らが扱える以上のことは話すな。さもないと死んでしまう」 
もし新会員が私たちのことを知りすぎて怒りだしたら、その担当者は引きさがってほかのメンバーがかわり、改めて「離乳食」を食べさせるようにしたものである。 
形式ばった教え込みの会は催眠状態を誘発するためなのでとても単調である。これらのプログラムのあいだに人々が眠りこむのは、かなり普通のことである。
私がカルトの講師をしていたころ、人々が眠りこむと、彼らを懲らしめて罪悪感を感じるようにした。だが実は、彼らはただ催眠術によく反応したにすぎないのである。
睡眠が多くのカルトの典型であることを、私はもっとあとに学んだ。
軽く居眠りをしているあいだにも講義の内容は多少なりと聞こえており、しかも通常の知的防衛能力は減退しているため、ちゃんとその影響力を受けているのである。 
質問をたくさんしすぎる人は、すばやくほかのメンバーから隔離される。
統一教会では、私たちは新入会員の評価を行なうため、ワークショップ(修練会)のはじめに小グループを編成したものだった。
彼らを「羊」と「山羊」とに分け、それぞれのグルーブヘ割り当てた。「羊」とは「霊的に準備のできている」人々だった。
「山羊」とは良いメンバーになることが期待できない、頑固な個人主義者たちのことだった。
もしも彼らが「砕かれ」ないなら、彼らの「否定性」が羊たちの目にふれないよう、「山羊」チームヘと安全に囲い込まれ、この山羊どもは、時を見て、帰るようにと言われる。
私はこの点でも、統一教会を抜けたあと、全然別のカルトが同じことをやっているのを知って驚いた。その技術は私たちが発明したのだとばかり思っていたからである。 
人間というものは、新しい環境に対して信じられないくらいの適応能力を持っている。破壊的カルトは、この力を悪用する方法を知っているのである。
その人の環境をコントロールし、ある行動には報いてやり、ほかの行動は抑圧するという「行動修正」を使い、催眠状態を誘発させて、彼らは本当に人の人格を組み変えてしまう。
ひとたび「変革」してしまえば、その人は次の段階へ準備ができたのである。


アルファ - 02/11/18 00:03:18
http://www.alphajapan.jp/alphacourse_i.html


マインド・コントロールの恐怖 【解凍】 - 02/11/17 22:08:11
『マインド・コントロールの恐怖』《スティーブン・ハッサン/著 浅見定雄/訳(恒友出版)より抜粋》 
■「解凍」とは人格を崩壊させる。 ■「変革」とは教え込みの過程。 ■「再凍結」とは新しい人格を作り上げ強化する過程。
だれかに急激な変革を起こさせるのには、まずその人の現実をゆさぶらなけらばいけない。教え込みをする側は、彼を混乱させなければいけない。
彼が自分と周囲の状況を理解する思考の枠組みに揺さぶりをかけ、それを壊さなければいけない。
現実に対する彼の見方を混乱させれば、彼の防衛本能も武装解除され、いままでの現実を否定するようなカルトの諸概念でも受け入れてしまうようになる。
「解凍」はさまざまな手法を使って達成できる。生理的に混乱させることはきわめて効果的である。睡眠を奪うのは、人格を崩壊させるいちばんふつうで強力な技術のひとつである。
食事の内容や時間に新しい制限を加えるのも、混乱を起こさせるのに効果がある。
あるグループは、低蛋白・高糖度の食事や長期にわたる減食で、その人の情緒的安定を崩す。「解凍」がいちばんよく達成されるのは、人里離れた施設のように完全にコントロールされた環境であるが、ホテルの広間のようなもっと簡単に行ける場所でも、それはできる。 
人を解凍してその防御機構をはぐらかすためのもうひとつの強力な手段は、催眠である。
とくに効果的なのは、相手の混乱を利用してトランス(忘我)状態をひきおこす技術である。混乱はふつう、矛盾する情報が一見調和したかたちで伝えられるときに生じる。
たとえば催眠術者が権威ある口調で、「私の言っていることを理解しようとすれほするほど、あなたは理解できなくなります。わかりますか」と言う。
これは一時的な混乱状態をひきおこす。それでも、この文をくりかえし読んでいると、ついには意味がとおるかもしれない。
しかし、もしコントロールされた環境で長期間そのような混乱させる言語と情報を聞かされつづけると、だれでも自分の批判的判断を中止してしまうのがふつうである。
そして、ほかの人々がみなやっていると思うものに自分を合わせてしまう。そのような環境では、ほとんどの人は相手よりも自分を疑い、集団の方に従う傾向がある。 
感覚を奪うことと同じように、感覚に過重な負担をかけることもまた、人のバランスを乱させ、その人を暗示にかかりやすくする。
感情のこもりすぎた素材を、消化できないほどのはやさで浴びせかけられることもある。すると「圧倒された」という気持ちになってしまう。
精神がぷっつり切れて停電状態になり、注ぎ込まれてくる素材を評価することもやめてしまう。
新来者は、こういうことが自分の内部で自然に起こっているのだと思うかもしれない。だがグループの方では、意図的にそうなるよう仕組んだのである。
そのほか、「二重の呪縛 double binds」のような催眠技術もまた、現実感覚を解凍する助けに使われる。
二重の呪縛とは、一方で本人がみずから選んでいるのだという錯覚を与えながら、じつはコントロールする側が望んでいることを強制的に行なわせてしまうものである。 
誘導された瞑想、個人的な秘密の告白、祈祷会、激しい体操といった行為、さらにみんなで歌を歌うことさえも、解凍を助ける。典型的な場合、これらの活動はまったく何気ない感じで始まるが、そのセミナ一あるいはワークショップの進行とともに、次第に激しく、またよく管理されたものになっていく。
活動は、ほとんど常にグループで行なわれる。これがプライバシーの剥奪を強め、ひとりになって考え反省したいという欲求をくじいてしまう。 
大部分のカルトは、解凍のこの段階で、人々が弱っていくのにあわせ、「自分はひどい欠陥人間だ無能で精神的に病んでいるし、霊的にも堕落している」という観念で彼らを責め立てる。
学業や仕事がよくできないとか、肥満だとか、人間関係でトラブルがあるとかいうように、本人にとって切実な問題なら何でも、途方もなく誇張して、その人がどんなに完全にだめな人間かを証明するのに利用する。
グループによっては個人攻撃はすさまじいもので、しばしばグループ全員の前で侮辱をくわえる。 
こうしてひとたび人格が崩壊すると、その人は次の段階へ準備がととのったことになる。


鹿嶋高樹 - 02/11/17 20:00:47
イスラムは、政教分離とか聖俗分離のような「宗教」ではなく、生活丸抱えの「生きる方法」なので、「政教分離」を常識的原則としている社会から見ると、純粋な宗教ではないように見えるだろうし、前近代的な遅れた社会にも見えるだろうけれど、イスラム側から見ると、こちらの社会の方が、堕落した宗教、堕落した社会に見えるのだろうと思います。
オウムのサリン事件があった時、「世間」は「宗教は社会のためになる良いことをするものなのに......」というような論が圧倒的多数だったと記憶しますが、私は、それは、宗教を知らない論だと思いました。
宗教は聖であり、俗の社会から見ると、はみ出し物で、狂気なのだと思います。社会的な常識の範囲であれば、それは「宗教」ではなく、趣味か教養のように思います。
聖と俗という面でイスラムを見ると、聖も俗も含めた生き方全般を指導する原理なのだと思います。近代以前のキリスト教も、そのようなものだったのだろうと思います。
イスラム自体が近代以降のキリスト教的な「宗教」ではないし、政治や経済活動や生活を含むものなので、タリバンも当然、そのようなもので、政治や軍事や経済や商売や保安や外交などに関わるのは、イスラムとしては当然なのだと理解しています。


- 02/11/17 00:19:56
開拓伝道ですか?! 伝道とは、何でしょうね。いくら口先で信仰だなんだと言っても、やっていること自体が反対の事やっていて、疑ってしまいますね。
ネオカテの人たち特に日本のネオ指導者の人たちに言いますが、「白い墓」ですか。
タリバンも信仰を中心としたありようを追及したグループですが、やっていることは信仰と言うよりも思想集団ですよ。行き着くところはテロですか。
ネオは、タリバンの後を追わないようにしてくださいね。


しょうゆ豆 - 02/11/16 16:47:33
無名さんへ、新聞の記事を読んで、そんな感じがした、ということだけのことですが、数点揚げるとしたら、英国国教会で始められ、世界のキリスト教国で超教派的に実施されている信仰プログラムであるということ。
もう一つはガンベルと言う司祭の講話が、15回にわたって分かりやすく解説され、それが、ビデオテープに収められており、そのビデオが全世界で用いられているということでしょうか。
それに、この説明会に参加された方たちのコメントからです。わたくしは「アルファ・コース」なんてものがあるのを初めて知りました。
気になるなら、17日付けカトリック新聞をお読みになって下さい。
1面左側上段に「国内で実践広がる」という見出しで記事の最後にお問い合わせの電話番号や、電子メールのアドレスも紹介されていますから。


桜子 - 02/11/16 11:23:04
開拓伝道とか何とかのこと、ネオのことだから反対されるのを恐れて、事前に提案出来ないのよ。こんなことではうまくいくはずないじゃない。
お膝元の桜町教会の分裂、あの見るに耐えないゴタゴタさえ解決できない人たちに、何が出来るというのよ。ネオによって傷口は大きくなるばかりよね。


- 02/11/16 07:49:11
でもかなり質が違うような気がする。 ← その根拠は?


しょうゆ豆 - 02/11/16 00:42:26
17日のカトリック新聞に「アルファ・コース」という、世界中のキリスト教国で超教派的に実施されている新しい宣教司牧への信仰教育プログラムの説明会が東京で開催されたと云う記事が載っていますが、ちょっと気になりませんか?
「アルファ・コース」は元来、信徒向けの信仰プログラムだったが、教会から遠ざかっている人、受洗して間もない人、まだ教会に行ったことのない人々のためにも、キリストに出会う場として自分の信仰を見直し、確認し、さらに自分の人生について考える場として成果を上げている。と書かれていますが、なんか素晴らしい内容のようです。
ネオの云ってることに似てるけど、でもかなり質が違うような気がする。


傍聴人 - 02/11/15 09:37:25
"開拓伝道の試み≠ェどういう内容のものなのか確認できていませんが、「決めたから、こうする」でなく、教区の事業として取り組むなら、計画立案の段階でせめて
@司祭評議会A修道女連盟B信徒使徒職協議会―の3組織のコンセンサスを諮ってもらいたい。
このことに限らず、宣教・飼牧の成果をあげるために、何事もそうであってほしいと願っています。


鹿嶋高樹 - 02/11/15 05:28:55
「90歳まで」が正気かどうかの基準ではなく、75歳定年を数年過ぎているのに、今も司教座にしがみ着いていること自体が、もうすでに「正気ではない」ということでしょう。
それに加えて、「神学校」のことや「ネオ・ナチ」ではなかった「ネオ・カテ」のことや「教区会計」のことなど、正気ではないという状況証拠的「ウラ」はとれているのではないでしょうか。
少なくとも「常軌をカナリ逸している」とは言えると思います。


90歳まで? - 02/11/14 08:20:15
仙台司教区の前教区長だった佐藤司教様が帰天されたとのこと、ご冥福をお祈り申し上げます。
ところで先ごろ高松のあるネオ神父が「深堀司教は90歳になるまで引退しないし、われわれも辞めさせない」と言ったそうですが、正気なんでしょうか?
本当に深堀司教がそう言ったんでしょうか?


しょうゆ豆 - 02/11/13 12:24:17
中外日報の記者さんの目ですが、「法廷の場で対話が行われた」は、前代未聞のことでしょうが、2人の信徒の法廷を通しての捨て身の訴えは、名誉毀損ではありましたが、そのことに至った原因は追及されることとなりました。
そこのことによって、今までわたしたちが、長年にわたり抱きながらも知り得る事ができなかった、神学院設立に関する不透明さ、また教区運営に感ずる不信・疑問点が、随分と明らかになりました。
また、教区長である司教の資質によって、その教区の信徒はどんなにか翻弄させられるかと言う事も,いやと云うほどわかりました。
だから、「法廷の場での対話」があったおかげで、私たちが得る事ができたものは、信徒としてこれからの、健全な教区運営と,落ち着いた安心の信仰を目指し、維持して行く為にも大きな宝物であると思います。
わたしたち信徒たちは、その示された現実の姿、事実の出来事をしっかりと受け止め認識し、謙虚に感謝し、前進をする努力が必要なのではないでしょうか。
身のほど知らずのおこがましさを感じながら。


キリ子 - 02/11/13 11:48:14
「開拓伝道の試み」なんて、堅ぐるしい言葉でよう分からんけど、司祭評議会〈集会〉に提案して決めたということは、要するに高松教区としての宣教活動に「ネオを利用する」ということなのかしら。
だったら「ネオが教区を利用する」といったほうが分かりやすいかもね。
だったら教区の経費を公然とネオ活動につぎ込む口実ができるわけで、教区の会計はますますドンブリ勘定になってしまいそう。
一つのグループにこんなことさせておいていいのかしら。ネオが教区を完全に牛耳ってしまうということよね。
先日の集会ではネオ所属の神父が多くて、格別意見も出なかった様子だけど、こんなことおかしいと思いませんか?


しょうゆ豆 - 02/11/12 19:39:57
今日来た「中外日報」に『記者の目』と云うコーナーがあり、そこに【道遠い?開かれた教会】と題し、面白い記事がありました。
「信者のナイショ話」「“あの教区の現実”」「聖と俗とのけじめ」「法廷で対話が実現」と区切られ次のように書かれています。 
第二バチカン公会議が終わったあと、日本のカトリック教会が取り組んだのは“開かれた教会”づくりだった。
護教的、閉鎖的とみられがちだった教会の風通しをよくすることが目標とされた
▽しかし、一部の教会ではいまなお信者たちが「司教さまや神父(司祭)さまにはナイショですよ」と前置きして、ひそひそ話を始めることがある。
プロテスタントの信者が牧師に「先生、そりゃ違う。私はこう思いますよ」と話しかける自由さがない。 その一例が、いま「名誉毀損訴訟」の行われている“あの教区”である。
司教が教区立の神学院を設立した。信徒の一部が、設立決定手続きに不備があり、積み立てた献金の使途をはじめ、経理に不明朗な点があると異議を申し立てた。
数年間の交渉の末、信徒二人が司教を相手取り、民事訴訟をおこした
▽注目されるのは、文書による意見交換の際に司教が「神学院建設に踏み切った私の決断を、信仰従順で受けとめて下さい」と述べていることだ。 
▽他の教区の司祭によると、信仰従順とは、聖書の味わい方とか、神へ祈る態度など、信仰にかかわる“聖”の部分で司教や司祭の教えに従うことをいう。
教区・教会の運営や会計処理など“俗”の部分にまで信仰従順を持ち出すのは適切でない、と疑問を投げかける。
▽問題の司教は、裁判とは別に、特別の目的をもって積みたてられた献金をどのように使うかを話し合う席上で「献金を差し出すまでが信者の務め。その献金をどう使うかを決めるのは司教の権限」と述べたと伝えられる。
信仰従順という言葉が、ひとり歩きしているのでなければよいが。 
▽その教区の信者の中には、筆者の知人も何人かいる。
「名誉毀損訴訟」が始まってから、信者は司教や司祭の目をはばかり、ミサが終わると私語をかわすことなく帰宅しているとか
▽プロテスタント教会が、牧師と信者代表の合議で運営されるのに対し、カトリックは人事や経理を含め、教区の運営が司教の全責任において行われる。
権限も大きいが、ある意味では孤独な存在だ
▽問題の教区で、信徒が司教を訴えたのは前代未聞のできごとだが「法廷の場で対話が行われた」ことを前向きに受け止めてはどうだろうか。それによってカトリック教会の“開かれた教会”づくりが、さらに前進することになるだろう。と書かれています。


開拓伝道の試み? - 02/11/11 19:07:47
本日〈11日〉に開かれた高松教区の司祭評議会で決まったと思いますが、「開拓伝道の試み」と称して@高松市南部地域A大洲市周辺地域―の2地域で、本格的な新求道共同体の活動が始まりそうです。
高松市の南部と言えば以前に布教所があったあたりでしょうか、大洲市には既に今治市の信徒家族が"宣教家族"として住みついています。
彼らの活動は,周辺地域から"ネオ信者"が乗り込んで、キコ氏が描いた絵のハガキやチラシを配ってPRし、これからの時期だったらクリスマスを契機に「楽しい集いに参加しませんか」とかのキャッチフレーズで呼びかけていくのでしょう。
ときには2、3人で各家庭を訪問したりするものだから「xxxの塔」と間違えられたりするのがオチです。
キリストを知らない地域での彼らの集団による度の過ぎた宣伝は、結果的に強烈なマイナスイメージを与えて、やがてカトリックに見向きもされなくなるのではと心配しています。


- 02/11/11 13:29:53
故人からの寄附で債券を買ってたなんて。寄付した個人名を出さなくても大きな額なら信者に説明があってしかるべきでは? 
特に状態のよくない教区ならなおさらで、遺族の意向を汲まない使い方には納得できません。
財テクも必要かもしれませんが、下手にふやそうとするより、遺族と教区にとって「生きた」使い方をしてほしいです。
ネオのお金に対する執着と不透明さがよくあらわれていますね。  ところで先週の土日、何かネオの集会でも会ったのでしょうか?
私の小教区のネオは一人もいなくなっていました。
司祭は主日のミサの出席者が大変少ないことについて、あれこれあれこれわざとらしい言い訳をしていたので、きっとネオの集会があったのだろうと反ネオの仲間で言い合っています。


信徒会・役員 - 02/11/11 08:20:47
ワリコーのこと、良く理解できました。債権でなく「債券」でした。


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