2003.10/1-10/10

tetsuya kobayashi - 03/10/08 16:26:58 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”森岡様”「司教の裁判」今日、教会に届きました。明日、受け取りますので、後日、感想を掲示させていただきます。
今月は、ロザリオ月、そして、マザーテレサの列聖式がありますね。
天上の全ての軍勢が絶え間なく、本当に、地上の私たちを見つめていることを忘れないようにしたいものです。  さいたま教区 小林 徹也


通行人 - 03/10/08 11:21:59
いきなりすみません。知っているかもしれませんが、ピエタの祈りの本p67〜68をお薦めします。サンパウロ等で売っていると思います。


仲間 - 03/10/07 21:16:29
桜町教会の「匿名」さん。詳しい事は分かりませんが、ネオのことで何か深刻な、信徒の<叫び>のようなものが聞こえて来ます。


匿名 - 03/10/07 20:29:01
桜町教会は 何てことしたのか 分かってますか?それでもカトリックですか?人の人生何だと思ってるんですか?
最低の神父の集まりだと思います.だから 教会離れが多いのでしょう 自分たちのやった事 分かってますか?


tetsuya kobayashi - 03/10/07 09:40:58 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”10月5日22:59 コメントの方へ”あなたが求められたような、掲示板上の過去の投稿の教義上の誤りの指摘には、多くの時間が必要で、多忙の身ゆえに困難です。お許しください。
私が、「教義上の問題については名前を明かすように」と言ったのは、他にも理由があります。
現在、ビジネスの世界では、「ナレッジマネジメント」という新しい刷新されたビジネス理論が導入され、その成果が注目されています。
これは、「知識や知恵、技術は、企業のために与えられた恵みであって、自己隠匿してはならず、公開して共有するもの」という発想に基づいています。
社内をインターネットのシステムなどで結び、企業のビルのどこの部署にいても、お互いが持つ情報や知識を共有して提供しあうものです。
”自分の出世のためだめに得た知識を使わず、会社のために自己放棄しなさい”という意味もこめられており、このシステムを導入した企業では、自分の宝を提供せず、隠して守っている人は残ってことが困難になっていきます。
むしろ、企業の明日のために、保身など考えずに、自分の宝をさらけだすほどに、社会を信頼している人々が評価されるのです。
しかし、当然これは、それぞれの個人が提供する知識や情報ですので、個人的な責任も伴います。
「○○部○○課 日本太郎」というように、情報提供者は、当然、知らされなければなりません。そのことが、その人の評価の対象にもなりますが、逆に、厳正な責任も負うのです。
このような、一般社会の組織運用の、良い点をどんどん見習って(当然、識別が必要ですが)教会組織の運用の健全化に役立てる時期に来ているのではないでしょうか。
企業社会でも、自浄能力の向上や、継続的で健全な発展のために、誠実な努力によって、今日的な「全ての人を生かす」組織運用のためのアイデアが生まれてきており、カトリック教会も侮ることなく参考にすべきだと思います。
「風は思いのままに吹く」(ヨハネによる福音3:8)  さいたま教区信徒 小林 徹也


- 03/10/05 22:59:56
特に教義解釈に関する投稿はそんなに見受けられないと思うのですが、具体的に、いついつの投稿のどの部分の記述が教義解釈に触れるものなのと思われるのか、指摘してくださいませ。


tetsuya kobayashi - 03/10/05 22:40:49 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”10/05「22:09:09」のコメントの方へ”もちろん、私に誤謬かどうかの”最終的な”判断をする権限はありません。
しかし、私たちの日常生活は、ほとんどを異教徒の社会で過ごしており、毎日、カトリック教義と違う価値観と出会っています。
あなたは、毎日、教理聖省の役人司祭に携帯で電話して、聞いてから行動するのでしょうか?
今日の、日本におけるマイノリティであるカトリック教徒は、司祭が減少する中で、より、自立した判断力を求められています。
どこかのサークルの掲示板とは違い、教義を受け入れた信仰共同体の、公けのホームページだという自覚があれば、安易な自論の教義解釈で自己満足にひたる人も減るでしょう。
これは、信徒だけの問題ではなく、司祭職の方々についても言えると思います。あなたの質問は、愚問です。さいたま教区信徒   小林 徹也


- 03/10/05 22:09:09
ある意見が誤謬かどうかなんてことは、それこそ教理聖省の役人司祭が判定することであり、一介の信徒である小林さんが判定できることなんでしょうか?
それに匿名投稿を許可しようがするまいが掲示板の編集者の権限に属することです。少し出しゃばりすぎではないですか?


tetsuya kobayashi - 03/10/05 21:33:07 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
「通行人Cさんへ」確かにご指摘のとおり、このような投稿は自由が原則で、もちろん匿名も許されると思います。
しかし、この掲示板の内容は、時として教義解釈や、一般社会通念と教会共同体の意識との差異に踏み込んでいるため、教会関係者に公けにされている責任上、名前を名乗ったほうが、教会共同体にとって、混乱を少なくし、誤謬を流布するものには責任が伴うことを自覚させることができると思います。
ここは、教義を受け入れて生きる教会共同体のホームページで、様々な意見は許されるとしても、決定的に共同体の思考を混乱させるような誤謬が入り込む可能性もあり、事実、そのようなことも起こっていますから、「発言の責任の自覚」のためにも、教義解釈に踏み込むような発言は、実名を名乗るほうがよいのではないかと思います。
いかがでしょうか? さいたま教区信徒 小林 徹也


通行人C - 03/10/05 18:41:05 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
投稿に名前を出せ、と言うご意見がありましたが、ネット界では、誰が言ったか、よりも何が言われているか、と言うことに意味があると思います。
たとえ司教の意見でも、納得できなければ、無視されるだけでしょう。ただし、返答文を書く便宜上何らかの「記号」(たとえばHN)があったほうが良いと思います。


tetsuya kobayashi - 03/10/05 09:06:51 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”10月4日付の「高松教区とモラルハラスメント」を寄せられた方へ” あなたの意見は、今日的な人権意識の指摘と事例として参考になるが、なにぶんにも、律法主義的異端の香りもする。
今日の人権とキリスト教の関係については、注意する部分も必要で、「キリスト教の土台」とは違う、相対的価値の尊重の上での人権意識が混ざりこんでいる。
注意深い識別が必要だ。あなたが、どなたなのか名乗って投稿していただけたらありがたい。司教も高松教区の信徒も、私も、名前を知らせているのだから。
無理ならよいですが。さいたま教区信徒 小林 徹也


- 03/10/04 23:47:41
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brick/5900/whats-morahara.htm
参考までに


高松教区とモラルハラスメント - 03/10/04 23:10:22
モラルハラスメントという言葉がある。言葉や態度による心理的嫌がらせといった意味である。傍目には見えにくいのでなかなかそれが精神的暴力であるとは認知されにくいが、確かにそれは存在する。
加害者は(意識的か無意識的かは問わず)愛情とか教育といった名目の下で,言葉や態度により被害者に細かい心理的攻撃をする。
その一つ一つは取るに足らないものに見えるが、長期間それが続くことにより、被害者のメンタルに重大なダメージを与えてしまう。
高松教区で起きている問題も、教権を背景とした教区ぐるみのモラルハラスメントという側面があるように思える。
例えば、NCの信徒が「あなたの信仰は生ぬるい!」とか「この道を歩まないものはキリストに従う者ではない」といった言葉を納得いく理由を明らかにせずに継続的に一般の信徒に浴びせるとか、NCの司祭が、NCの信徒の司牧のみに大切にし、一般の信徒の司牧をおざなりにするといったような態度をとるなら、それは、モラルハラスメントに当たるのではないだろうか?NC側はこういったことを否定するかもしれない。
しかしながらNCによりそういった心理的嫌がらせを受けたと「感じ」、精神的被害を受けたと主張する人たちがいることも事実である。
こういった心理的な問題で互いの主張が食い違った場合、どうすればよいのだろうか?どちらかの「感じ方」が正当で、どちらかの「感じ方」が間違っているのだろうか?そうではない!
物事に対する「感じ方」は、人により千差万別であり、正当も何もない。
その人の感じ方がその人にとって正当なのである。そしてあらゆるハラスメントと呼ばれる人権侵害の解決策を探る時、その基準となるのは、「受け手の感じ方」である。
高松教区のネオ問題の解決策を探るならば、NC側がいかに自分たちの正当性を主張しても、それは横に置き、まずは、NCの活動により、信仰上の人格権を傷つけられた「と感じている」人達の救済を中心に据えなければならないと考える。


森岡 源三 - 03/10/03 18:28:40
Aki様へ。
あなたに向けた10月2日夜の「霊性」に関する私の質問は、相手を間違えていたのかもしれません。ご免なさいね。
でもこの機会に、そちらの「―道共同体」の中でカテキスタを交えて一度話し合ってみてほしいと思います。
私の所用でこの2,3日は無理なのですが、あなたの何回かのコメントにお答えするる形で「―道」のカテケジスについて、このサイトを通してお伝えしたいことがあります。
是非ともご覧になってくださいね。


Aki - 03/10/03 17:04:29 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
森岡様へ。前回の匿名の方からの書き込みがありましたので、今後は一切、私の考え方や意見はこの掲示板では開陳致しません。宜しくご理解頂きたいと存じます。申し訳ありません。
但し、下記の通り私個人の掲示板を設置しております。そちらの方で私の考え方や建設的意見を、開陳致したいと存じます。大変お邪魔致しました。お許し下さい。
また、開設者日向様、申し訳ありませんでした。掲示板アドレス==>http://dx1.kakiko.com/sonota/ncw/ncwaki/index.html


Aki - 03/10/03 16:51:35 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
03/10/03 10:57:33 匿名さんへ。お名前が分かりませんので、すみません。私はネオの定着化とその有効性を説いているのではありません。
また、その為に必死になって自論を展開しているわけでもありません。私は自分が日本以外の国で、この道を歩いてきた者として、体験と考えを述べているだけです。
前回の書き込みにも申し上げておりますが、最終的に親求道共同体が日本に定着するかどうかは、司教団の指針と司牧、日本の信徒の方々の総意であろうと、思います。
その為により精査が必要と、申し上げました。
もし、この掲示板が新求道共同体メンバーからの書き込みが、高松教区の被害を蒙り続けていらっしゃる信徒の皆様の、その感情を余計に苛立たせると言うのであれば、陳謝致します。
また、あなたの言われる言葉の裏に、親ネオ派、反ネオ派両者の意見開陳や議論がこの掲示板ではできない。
反ネオ派のみの掲示板である、と言外に表明されていると、受け取らざるを得ません。
もしそうであれば、いや、この掲示板を運営されている、日向さんの意向でもあるのならば、私は今後一切、私の考えや意見は公開しません。
ただ黙ってこの掲示板を見続けるだけ、日本のカトリック教会の新求道共同体と日本の教会の現状を見詰めるだけです。
改めて、高松教区の信徒の皆様、私の持論が被害を蒙り続けておられる、信徒の方々の感情を苛立たせたのであれば、私の不徳の致すところです。
どうぞお許し下さい。失礼致します。


- 03/10/03 10:57:33
Akiさんへ。自身が在籍するネオの日本へのネオ定着化とその有益性を説かんが為、必死になって自論の展開に終始しておられるようにお見受け致します。
然しながらそのことにより、過去から現在に至るまで、ネオにより長期に渉り精神的な被害を蒙り続けておられる高松教区の皆様の感情を余計に苛立たせ神経を逆撫でしているということには思いが及ばれませんでしょうか。


通行人C - 03/10/03 09:50:40 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
Akiさんのお説ごもっともなれど、誰が猫に鈴をつけるのか、と言う話と同じではないでしょうかね。


森岡 源三 - 03/10/02 22:32:30
Aki様へ。あなたは「新求道共同体の霊性…」と言われていますが、新求道共同体に「霊性」というものがあるのでしょうか?。
「精神」と言われる程度なら何とか理解できますが、あなたの言われる「霊性」について詳しくご説明していただけませんか?


@ぷー - 03/10/02 22:26:09
宗教とは救いを求める人に救いを与えるもの。カルトとは救いを求める人に被害を与えてしまうもの(必ずしも被害に気付いているとは限らない)。端的に言えばそうゆうことです。
少なくとも、NCによって被害を受けたと主張する人がいるのですから、その声は大切にしたい。


Aki - 03/10/02 20:46:33 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
先の書き込みにも言いましたが、確かにそのような誤った選民思想に陥る危険性を持っていることは否定しません。
しかしそれは新求道共同体のみが持つ、際立った特徴だというわけではない、と思います。新興宗教と呼ばれる類のものは、より強烈な選民思想を呈していることも事実です。
事実、私達キリスト者が拠り所とする聖書に、その選民思想が示されています。
しかし、それを自己の判断のみで、聖霊の導きがないまま、誤って理解すると、自分は選ばれた者で、他の者よりも優れている、何もする必要はない、共同体に居ればそれで良い、などと自己満足を起こしてしまいます。その自己満足がやがて優越感を生み、その優越感が同じ小教区内での信徒間の不必要な衝突を引き起こしてしまう。
感じるに、現在の日本に於ける新求道共同体が、その優越感をもって他の小教区信徒に接しているとしたら、また新求道共同体の霊性を信じる司教様や小教区司祭様が、その優越感を持って同じ小教区信徒と接しているとしたら、第一級信徒、第二級信徒の様に差別感を醸し出し、区別し始めるでしょう。
そして新求道共同体に属していない、他の同じ小教区信徒にとっては、針の筵に座る気持ちで教会に足を進めることになり、安らぎを得、霊的生活の糧を得るはずの御ミサにおいてさえも、主イエス・キリストとの交わりも心乱された状態のまま、最後にはその引き続く環境に耐え切れなくなり、自分の属する小教区を離れ、未だ新求道共同体に染まっていない他の小教区を渡り歩く、あるいはカトリック教会自体を離れるか、といった悲しい事態が起きると。
いや、もう実際に起きているからこそ、このホームページが存在する。どうでしょうか。私の観察は悲しいかな、正しいのでしょうか。
そしてその事態が現実として存在するのであれば、私は同じ道に歩む者として、その誤った選民思想という芽を摘まない限り、和解への糸口は見付からないでしょう。
よしんば共同体の内部から、共同体自体が好むと好まざるとに関わらず与えるであろう、その誤った選民思想的態度の是正を求め始めるとすれば(これには責任を担うカテキスタの方々の、絶え間ない聖霊のご助力による現状のスクルティナイズ(Scrutinize)精査によって、事態を見極める事によって、初めて可能性が出てきますが)、使徒達の後継者である司教様方の聖霊に導かれた司牧とによって、互いの至らない部分を認め合い補い合い、過去の過ちを許し合うことによって、初めて和解への道が開け、日本の司教団も新求道共同体の持つ霊性を今一度精査し、日本においても土着できる可能性があるのであれば、そのように導く霊的指導と、兄弟愛に基づいた司牧を再び傷ついた小教区に復活させ、教皇様もその有効性を認めている新求道共同体のカテケシス(5年間の観察精査という条件付ですが)を、日本という宣教未開国において、より有効にその霊性を発揮できるようその教区環境を整えた上で、新求道共同体が日本という国に根付くものなのかどうかを、慎重に見極めることが今一度、重要ではないでしょうか。
私見が長くなりました。すみませんでした。どなたかご意見を伺いたいと思います。


Aki - 03/10/02 20:14:24 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
選民思想を持った人達に、何を言われるか分かりません。.....これはこの運動の負の一面を表していると思いますよ−さんへ。う―ん。そうかもしれませんね。
しかし、この誤った選民思想を持っている人達(私の所属するフィリピンの小教区ですが)は、極めて稀といっていいでしょう。
それも私が個人的に誤った選民思想を持っているんじゃないかなと、そう感じるだけです。その確証があるわけではありません。念のため。


Aki - 03/10/02 19:33:30 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
集団心理現象と説明頂いた、ハンドル名不詳さん。
あなたが参照せよ、と言われたページはいわゆるオウム真理教の公判に於ける、心理学者による鑑定に関するページですね。
つまり、マインドコントロール。
もし仮にケリグマから夫々の段階におけるカテケーシスにおいて、そのマインドコントロールが行われているとしたら、私達のカテキスタは心理学をよく理解した人達か、又は無意識の内にそれを行うことができるように、充分訓練された人達ということになりますね。
と言うか、別の人に言わせれば、彼らは長年共同体において同様のカテケシスを受けてきたから、充分その素質を養ってきた。
だから心理学を学んだ者でなくとも、充分その効果を発揮できると。
私としてはどうもその当りが、経験から言っても今一つ実感が伴わないのです。
今では日本の新求道共同体に於いても、30年余という件月が経った今、日本人のカテキスタが育っているはずで、その人達が今はカテケシスを与えていると思われますが、実際のところどうなのでしょう。
聞くところによれば、多くの国での新求道共同体の歩みは、概ね10年ぐらいで終了し、洗礼の恵みを再確認して、夫々の小教区の現場において小教区信徒の方々と、信徒使徒職を勤めていると聞き及びます。
日本においてその道を修めれらた共同体も、恐らく一つや二つではないと思います。その方々の中からカテキスタとなられた方も多いと思います。
その人達がカテケシスを与えているとすれば、その方たちが歩み始めた新求道共同体宣教活動創始期のカテケシスを、ずっと今も引き継いでいらっしゃる可能性もあると思います。
その創始期のカテケシスは、前の書き込みにも示しましたが、気付かない内の誤訳や意訳が行われた可能性のある、オリジナルのカテケシスによってカテカイズされている可能性も、無きにしも非ず。
また思うに、その当時は何が何でも、オリジナルのカテケシスを用いての宣教であったと察しますが、馬車馬が目の脇に他のものが見えないように、小さな防壁を付けて走らされるが如くカテケシスを受け、その余りのも斬新なアイデアというか、ぬるま湯に浸かったような日本のカトリック教会のその当時の環境、活性を失いつつあった小教区、ある意味でそうした環境にある意味の危機感を抱き始めた中で、新しい宣教様式、信仰体験とでも言いますか、そう言ったものに引き付けられて行った、多くの信徒の方々が居た、と想像が付きます。
いや、図らずもその一心不乱のカテケシスが、今の混乱の源の一つでもあるようにも思います。皆さんのご意見はどうでしょうか。


Aki - 03/10/02 18:43:16 電子メールアドレス:ncw_aki@infoseek.jp
-03/09/26 20:50:01さん。すみません。ハンドル名が分からないので、日付のままで呼ばせて頂きます。
あなたの意見は現実に即してのものだけに、私にはそうではないとか、事実と違う、と言うことはできません。
私自身、高松教区に所属していないので、新求道共同体を離れていかれた方々の経験は、全く未知の物です。
僅かにこのホームページやその他の情報源から、漏れ聞こえてくるものだけです。
統制管理なるものが、どうもお話を伺う限り、私がこちらで経験したカテケーシス中の環境というか体験と違って、日本の新求道共同体でのカテケーシス環境には存在しているようですね。
あなたも、私の解釈と全く正反対とおっしゃっています。できればその離れていかれた元共同体の方々の経験をお聞きしたいですね、興味本位ではなく。
私のメールアドレスはこの書き込みに伴っているはずですので、個人的にコンタクトを取って頂ければ、と思います。
私も、私達が受けるカテケーシスが、国によって違っているとしたら、ちょっと問題だと思いますし、養成方法が異なっているとは、ちょっと考えられないのです。
唯一つ気になることは、最初にカテキスタの方々がイタリアやその他の国から派遣されてきた当時のカテケーシスは、当然外国語(主にイタリア語か、スペイン語が中心で、その中に英語も含まれていた、と想像しますが)であったはずです。
それを当然日本語に翻訳するなり、通訳するなりしてカテケーシスが始まった、と考えます。
こちらでは主にタガロク語によるカテケーシスが中心ですが、それもイタリア語、スペイン語、英語のカテケーシスをタガログ語に意訳してカテカイズしますので、当然内容もオリジナルから幾分異なった物になる、恐れもあります。
事実、私自身も、へえー、英語で言うこの言葉、行為はタガログ語ではこういう意味になるのか、意外だな、といったことも度々経験しました。
それから考えると、そのオリジナルのカテケーシスを日本の信者の皆さんが理解できるように、日本語に訳す途中で、気付かない内に色々な誤訳や意訳が行われたと、仮定することもできますね。
それらが原因でなければよいのですが。


通行人 - 03/10/02 18:38:04 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
かつて、某カトリック系MLでネオはカルトだ、と断言された方がいましたっけ。できたらその「論旨」を承りたいものです。


お知らせ - 03/10/02 09:01:19
支援する会が発足して1年4ヶ月、みなさま心を一つにして森岡さんたちをご支援いただきましたこと、心から感謝申し上げます。
裁判が終結して、お二人の受けられた名誉毀損がほぼ認められて3ヶ月、巡察教皇使節キム枢機卿様の高松教区公式訪問なども経て、私たち支援の会の役目も終わったのではないかということで、2003年9月30日をもって、森岡さんたちを支援する会は、解散することになりました。
しかし、裁判の過程などにおいて明らかになった諸問題の解決を図り、一人一人が大切にされる教区、ガラス張りの話し合いができる教区の実現を目指すためには、引き続き信徒の立場からの取り組みも必要とされています。
そこで、気持ちと体制を新たにして、10月1日、新しい会に向けての準備会が発足しました。これからは主キリストとともに、明るく希望をもって、歩んでいきたいと思っています。
森岡さんたちを支援する会 一同


森岡 源三 - 03/10/01 21:11:49
tetsuya kobayashi 様。9月30日夕方のコメントでは、高松教区で起きた諸問題の核心に一歩踏み込んだご意見を提示していただき、内心うれしく思っております。
良心に耳を傾け、心の内を共有する司牧のあり方、ある意味でインフォームド・コンセントにも似た組織運用のあり方、タテとヨコに柔軟なコミュニケーションのあり方などをも考えさせる、示唆に富んだご意見だと思います。
お互いがそうした姿勢を心がけているなら、本来、教会のもめごとなど起こるはずがないんですけどね。
ちょっと大げさかもしれませんが、この事件の教訓を3千年紀の教会にどう生かしていくのか、信徒の立場から、祈りながら考えていきたいと思っております。


栗林 孝充 - 03/10/01 21:03:33
拝啓 小林徹也様、並びに全国の信徒の皆様 ご無沙汰をいたして居ります。今回、小林様から幾つかのご指摘とご質問をいただきましたので、重ねてご報告申し上げます。
御覧のサイト「あしたに向かって」の、Your Voice欄、2003年5月4日付投稿として、当時原告であった私、栗林が、今回の裁判に臨んだ理由を投稿させていただいて居ります。
長文ですのでお手数をお掛けいたしますが、ご一読をいただけたらと存じます。
また、此方のサイトを大変ありがたく思いますのは、私の様な拙い考えでありましても、皆様方の自由な議論の踏み台としてお使いいただけるよう、解放された論壇だという点です。
自由闊達な議論の結果、高松教区のみならず多くの地域で、教会発展の新しい規範作りに貢献できることこそ、我々原告が願って止まないものです。
皆様のお力添えを、心からお願い申し上げます。


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