2003.10/11-10/20

一信徒より - 03/10/20 20:51:39
すちーぶ - 03/10/20 18:03:53さんへ、大変な経験をなさったみたいですけど、弱き者、小さき者には、主が守ってくださいます。賛美歌を聴かせていただきました。
すてきな演奏でした。ところで、新求道共同体の☆☆☆☆☆は、どの言葉を指しているのですか?


すちーぶ - 03/10/20 18:03:53
「新求道共同体」を一生懸命にあることないこと言って非難していましたが、☆☆☆☆ と、言うことは、その言葉を落とされた方は、「新求道共同体」の立場にあることを歴然と、証明なさっているわけね。☆☆☆☆。
私は、それでなくても、心の病にて、いわれのない、似非カトリックからの、いじめ・コピペ爆弾にて、仲間のホムぺに迷惑かけている現状では、ここには、来たくても来れない事情があります。
「あした***」ここをあんまり、荒さないで下さい。


すちーぶ - 03/10/20 16:41:07 ホームページアドレス:http://www1.odn.ne.jp/~cga44240/maria.MID
ドイツの賛美歌「マリアはあわれむ」です。つたない演奏ですが、聞いてください。http://www1.odn.ne.jp/~cga44240/maria.MID


朗報 - 03/10/20 13:34:29
教皇ヨハネ・パウロ2世は、10月17日、長崎大司教区の新しい大司教として、高見三明司教(57)を任命されました。
これからの長崎大司教区、日本カトリック教会のためにご活躍をお祈りいたします。


RK - 03/10/19 12:14:16 電子メールアドレス:kkftf636@ybb.ne.jp
わたくしはあまり難しいことは判りませんので、ネオ何とかとか聞いても全く理解できませんし、この先興味を持つこともしません。
ちり芥である私が人を裁くことは出来ませんが、ただ、自身の体験として不愉快をお知らせします。 ある男性がおりました。
毎日それはもう熱心にミサに出、土日も活動に参加し、渡航危険度要注意の中、聖地まで飛び、カトリック関係の出版の仕事をしております。
1.全国大会があるので高松に行くのだけれどお金が無いというのでお金を貸したら戻ってきて「お金は寄付した」と。
働いていない私から借りておいて返すのが送れる言い訳がこれです。・・・そもそも「寄付」の精神とは何ぞや?
2.「宣教家族」の話をしきりにしていましたが、要は大義名分のもと「楽して暮らしたい」としか私には聞こえず、「子供はたくさんいるけど皆の寄付があるから外国から日本に来ても大家族で暮らしていてしかも車もある」・・・
君の働いている書店のレジにある募金箱には”途上国のこどもにワクチンを。貴方の1円でワクチンが”とあるのに「宣教家族」の車でいったい何人の子供にワクチンが打てる?
3.全国大会の後に集合のもと「志願表明を」司会者の規律示唆で示すようですが、・・・
そもそも「召しだし」とは個々人の神との対話のうちに個々人の意識のうちに表れるものであって誰かに促されたり急かされたりするものなのでしょうか?
この男性との会話の中で総合的に感じたのは心理的束縛のもとに洗脳と信仰を勘違いしているのでは?ということです。
言ってみれば”ヘブライの「肉の人」”でした。 司祭というのはそもそも論として「職業」では無いはず。
ですがこの共同体の内容を聞いているとどうも「職業訓練校」の新しいバージョン?という感は否めません。
人間の力で変えようとする傲慢さ。なぜもっと神の導きを信頼しないのでしょうか? と思います。ただただ悲しいです。


森岡 源三 - 03/10/18 10:22:56
「決算能力がないかも―」ですか?でも、ちょっと待ってくださいよ。
先の裁判で私が確かめたところでは、宗教法人法第25条第4項で「毎会計年度終了後4ヵ月以内に役員名簿、財産目録、収支計算書、貸借対照表、境内建物に関する書類、収益事業に関する書類の写の所轄庁への提出義務」が規定されています。
このことは審理の中でも指摘しています。まさか6ヵ月も過ぎて提出していないということはないでしょう?
実は私も、裁判で問題になった故山下悟神父さんから教区に寄付された4,000万円(寄付された2001年度に入金処理しないでワリコーを買っていた)がどのように会計処理されているか、また運営規則がない「一粒会」資金がどのように処理されているか確かめたいと思っているところです。


通行人C - 03/10/18 10:21:03 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
高松教区に限らず、信者の自主性を尊重して、信徒総会などで、新規の信心の導入の可否を票決し、教区長や主任司祭もその決定を尊重する「しきたり」を作るのが良いと思います。
また、秘蹟の執行を拒否する場合は、司教顧問会の決定を必要とする「しきたり」を設ける必要があると思います。


- 03/10/18 00:07:48
決算報告をしないのは、意図的なものでしょう。本当はデータは持っているのに、わざと信徒に知らさないようにしているのかもしれない。若しくは本当に決算能力がないのかもしれない。


決算報告がありません - 03/10/17 20:42:20
高松教区は今年の会計年度があと2ヶ月に迫っているというのに、いまだに信徒の前に昨年2002年度の決算報告がなされていないのはどうしてだと思いますか?
過去には毎年6月ごろには行なわれていたと思うのすが、信徒会の役員の人たちは何も言わないのでしょうか?無責任だとは思われませんか?
高知の「教区の日」は、開催反対の声が多くて開かれなかったそうですが、それは教区司教や教区会計担当関係者に対する一連の不信を行動に現わしたという事なんでしょうか?


立ち寄り人 - 03/10/17 13:58:42
おや?話の筋が本質からずれちゃっていますね。投稿規定の方針は管理さんにお任せしましょう。それと、10月16日8時27分の管理人さんのご意見を尊重しましょうよ。


- 03/10/17 13:33:32
怖いです、怖すぎ。ここは「闘争の場」ではありませんよ?あくまでも「明日に向かって」歩みはじめるための第一歩を踏み出そう、という趣旨の掲示板です。そろそろお帰りあそばせ?


通行人C - 03/10/17 09:38:40 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
爾秋田」はいいが「ネオ」はダメは、片手落ちでは?


横浜教区の信者 - 03/10/16 23:54:45
私の教会の方々も数年おきに、秋田に巡礼に行っています。私もいつかは訪れたいと思っています。
今月はロザリオの月。今日のカトリック新聞の教皇様のロザリオの祈りの姿、心が打たれました。
ここのHPでの出会いを大切に、心を合わせてロザリオの祈りをしましょう。明日に向かって。


海神セレス - 03/10/16 23:20:16 電子メールアドレス:fumikazu@dokidoki.ne.jp
*私の洗礼の師である、故・小川 悟 神父(大阪大司教区司祭)は、関西地区での「司祭のマリア運動」の重鎮でした。
ちなみに、堅信の師は、野口 進 神父(当時はフランシスコ会士で、聖モンフォール修道会・修道院長のブレー神父の友人。現在は、ギリシア正教の主教。)です。


森岡 源三 - 03/10/16 18:30:10
tetsuya kobayashi様。人それぞれに置かれた立場や考えに違いはあっても、キリストに結ばれる心はいつも一つでありたいと願っております。
秋田の「聖体奉仕会」をご紹介して頂きましたので、機会を見て巡礼出来たらいいなあ―と思っています。ありがとうございました。


通行人C - 03/10/16 09:00:43 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
小林さんの発言は、無意味とは思えませんが、少々「あしたに向かって」の趣旨からずれている様に思われます。
ヤフーにも「掲示板」が提供されていますから、そちらで設定されて思いの丈を述べられたらいかがでしょうか。余計な老婆心ですが・・・。


tetsuya kobayashi - 03/10/16 08:38:18 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”森岡様、栗林様へ”さいたま教区の小林です。失礼ながら、ここ数日、この「あしたに向かって」掲示板に私の体験の「真実の証し」をさせていただきました。
必要なことは、日本中のカトリック教徒が、「噂」を共有するのではなく、「事実と真実」を共有することだと思います。そこから、本当の「あした」が見えてくるはずです。
秋田の聖体奉仕会は、どういうわけか日本において「噂と中傷」の的となり、世界のカトリック教徒の肯定的な見解との差異が、あいかわらず続いています。
自分の家族の素晴らしさが、第三者に言われなければわからない、というようなものでしょうか?ぜひ、秋田の聖体奉仕会を訪れてみてください。
ここほど日本的で、インカルチュレーションの実際を見事に現したモデルである場所はありません。
ここには、宿坊である黙想の家があり、日本庭園と純日本建築の聖堂があり、自然界の美しさに囲まれ、そして、世界の罪のために心を痛める聖マリアが「どうか祈ってください」と待っていてくれます。
この日本的な黙想の家のビジョンは、安田神父が郷土のために「奇跡」の起こる以前から暖めていたもので、聖霊が時の中で、全てを用いられることの証となっています。
聖霊は自由な方で、全ての物を通して働き、人間の思いと計画をはるかに超えて、あらゆる手段、あらゆる方法をもって、この「終わりの時」の世界において、救いの網をもたらそうとしておられます。
ぜひ、秋田の聖体奉仕会を訪れてください。きっと、傷ついた心も癒されるでしょう。 さいたま教区 小林 徹也


あしたに向かって - 03/10/16 08:27:53
小林様、あなたの体験を伺って、今まで聞くことのなかったカトリック教会の側面を知るこっとができました。ありがとうございました。
ここで、少し、みなさまに考える時間を与えていただけたらと希望いたします。


tetsuya kobayashi - 03/10/15 23:12:06 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”夏代さんへ”ひとつ付け加えさせていただきます。
私は特に「マリア出現の研究家」ではありませんが、秋田の出来事については、一年暮らした関係もあり、本当に真剣に思い巡らしました。
私は、自分自身の体験として、本当に真正な出来事だ、と言えるのは、「秋田の奇跡」と、そして、私を霊的生活に絶えず導いてくれている「司祭のマリア運動」のステファノ・ゴッピ神父のメッセージです。
この二つは、私が、自分自身の体験として、「信仰生活の実り」をもたらしてくれた、と言えると思います。
秋田のメッセージは、非常に厳しいですが、しかし「罪のゆるしがなくなる」という表現は、聖書的に考えれば「聖霊を冒涜するものは許されない」というイエスの言葉に、論拠がおけるのではないでしょうか。
聖霊は自由な方で、全ての中で働かれ、自分達の期待や計画どうりとは限りません。
聖霊の導きを冒涜し、聖霊に向かって「私たちのキリスト教とは、イメージもプランも違う。やめてください」と言えるでしょうか?
安田神父さんを非難する人々がいますが、安田神父さんは、「恵みの場」に立ち会った証人のひとりで、その証のために、人間的な弱さを抱えながらも懸命に働かれた方です。
私も、お世話になりました。非難されるべきなのは、彼を援護し、続いてあの聖地の意味を解き明かす若い司祭たちが現われなかったことです。
皆、自分を守るために身をかくすばかりでした。
そして、支持者は安田神父さんに依存してしまったために、もう高齢になり、次の新しいビジョンをもたらすことの難しかった安田神父さんを「非難させてしまった」と言えると思います。
安田神父さんも人間として、高齢になれば昔の良き時代に固執するのが当然というものです。
それとも、司祭は、80歳になっても、今の神学を最前線で語れねばいけないのでしょうか?しかも、聖体奉仕会は、無理解に囲まれていたのです。
護教的になってしまったのもやむをえないと私は思います。安田神父さんも、笹川さんも、恵みの場で「応えた」ひとりの人間です。 さいたま教区信徒 小林 徹也


tetsuya kobayashi - 03/10/15 22:50:44 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”夏代さんへ”質問ありがとうございます。まず、少し申し上げたいのは、「マリア様が罪を償うために涙を流された」という表現は、厳密にいうと正しいとは言えないと思います。
世の贖いと苦しみに一致して生きた神の子の母、そして今も、そのご自身の御子の受難の苦しみに涙する母、また、御子がいのちを賭け、残虐な死をも受け入れながら勝ち取られた「人類の罪の許しと死からの勝利」に対して、忘恩と侮辱を繰り返す人間への、悲しみの涙、と理解すべきではないでしょうか。
また、佐藤司教は、フランシスコ会士として活躍されていました。
私が修練院にいた時、(すでに司教でありましたが)休暇のおりに修道院を訪れ、「ここだと一人の修道者に戻れるなあ」と言って、ため息をついておられました。
私は98年からの数年間、秋田の聖体奉仕会とは、特に交流もなく、新聖堂の献堂式も忙しくて行けませんでしたので、ここ数年の推移には、あまり詳しくありません。
笹川さんが場所を移られたことも、昨年「司祭のマリア運動」の内山神父様から聞き、知ったのです。
そして、今年の五月に、久しぶりに母を連れて聖体奉仕会を訪問して、笹川さんが移られたことを、小川さん(現会長)から確認した次第です。
ですから、数年来の詳しいことは、フランシスコ会の庄司篤神父さん(司祭のマリア運動参加司祭・長野・飯田教会在住)などに聞いてみてはいかがでしょうか。
また、私の三軒茶屋教会時代の友人が、新潟教区から、神学生として「ガリラヤの家」に向かった後、共同生活の中で、同じ神学生や司祭から陰湿ないじめに会い、精神的に疲れて脱出してきたことがあり、私は、司教館に佐藤司教を訪問し、調べてくださいとお願いしましたが、無視されてしまった経験があることは、神の御前の確かな事実として、お伝えしておきます。
さいたま教区 小林 徹也


マリア様に祈る夏代 - 03/10/15 20:34:28
小林さんへ。
人間の罪をつぐなわれるために涙を流されたという『マリア様』を聖堂から別の場所に移したりして邪険にされた佐藤敬一司教さんもフランシスコ会の出身だと聞いているのですが、そうなのでしょうか?
それで安田貞治神父さんのことも“真実の伝言”で記述されるのでしょうか?


tetsuya kobayashi - 03/10/15 14:15:04 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”真実の伝言D
”少し、時間を戻すが、私は、フランシスコ会の不審事によって、初誓願を立てずに、秋田の聖体奉仕会に一年滞在したが、この一年は、私にとって本当に多くのことを教えてくれた。
世界中から、信心深いカトリック教徒たちが、切実な祈りと願い、そして回心の心で秋田を訪れていた。
アメリカ、韓国、フィリピン、そしてヨーロッパ、訪れる巡礼者は時に涙を流しながらマリアの心の痛みに共感して夜通し祈りを捧げていた。
私は滞在していた関係上、シスター笹川には親しく接しさせていただいたが、まったく純朴で優しく、おしゃべり好きな”普通のシスター”であった。
「私は若い人たちが大好きよ」と言ってくれていた。彼女は、選びの器であって、恵みと共にあったが、普通のカトリック奉献者でもあった。
その純粋で素直な信仰を持った、ひとりの女性に対して、日本中の教会権威者と信徒たちが、疑いと攻撃をしたのだ。
彼女は、修道院からあまり外出できず、せまい修室にいて、健康状態も良くなかった。信じてもらえない苦しみが、どのようなものか、あなたがたに分かるか?
せまい部屋の壁を見つめて、日本中から阻害されていると感じていた、ひとりの女性の気持ちがわかるか?最近、シスター笹川は、修道院から、どこかの場所に移ったと聞いた。
精神状態が安定しなくなったとのことだ。もし、この話しが本当で彼女が、本当に精神的に不安定になってしまったのだとしたら、これは、”日本カトリック教会の罪の結果”だ。
彼女は、選びの器として、犠牲になられたのだ。いつの時代の預言者が、権威者や権力者、支配者が気に入って大喜びするような預言をしたのか?
いつの時代も、痛烈なる回心を求めたのが、”預言の霊”なのだ。シスター笹川は、本当に善良な、普通のシスターであったことを、私はここに証しさせていただく。
彼女が、精神的に疲れてしまったと言うのが事実なら、それは、原因が彼女や秋田の預言にあるのではなく、この聖地に対する、日本の教会権威と信徒たちのいいかげんで身勝手な判断の故だ。
聖霊の最愛の花嫁、聖マリアのけがれなき御心よ私たちのために祈ってください。 さいたま教区信徒 小林 徹也


tetsuya kobayashi - 03/10/14 22:49:08 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
「真実の伝言C」
さて、1997年、トラピスト修道院を強制退会になった私は、トラピストに来ていた「アルフォンソ」と名乗る初台教会出身の男について、初台教会のレデンプトール会の宣教師を訪ねて質問した。
しかし、レデンプトール会の宣教師は、私の質問に沈黙してしまい、何も答えられなかった。
そこで、私は森司教に会いに行き、体験したことの一部始終を話し、「白柳枢機卿に会わせてください」と言った。すると、森司教は「あなたはまじめすぎるんだよ」などと言った。
人生上の侮辱を受け、真剣に訴えに行った若者に、司教がこんな言い方をするとは、あきれかえるばかりりであった。
森司教は、上石神井のイエズス会にいる日本人司祭、生熊神父に会いに行くようにと言った。そこでアドバイスを受けるように、ということだった。
訪問すると、生熊神父は森司教からの連絡で待っており、私を奥にある自室に通してくれた。
そして彼は、自分がいままでいかに立派にイエズス会士として、事業に貢献してきたかについて話し始めた。
彼は東大を卒業して、イエズス会士となり、六甲学園の校長など、要職を歴任して、現在、上石神井で黙想指導をしていることを私に話した。
そして、「言わなくてもいいことは、これ以上言うな」という意味のことを私に言い、事実上の口止めをした。
私は、あきれかえって家路についたが、それにしても、私が高校生の時に堅信を受け、記念カードまでもらった森司教がこんな人物で、イエズス会の日本人が、こんなヤクザまがいの人々だったということに、驚きはてるばかりであった。
その後も、私は数人の司教と宣教師を訪ねているが、その件については、次回とする。
今まで、実名を出した方々は、もし、自己弁護されるなら、「イエスの御名において」語ることのできる真実のみによって弁解してほしい。
それが、できないなら、聖職者として恥ずべき行為に加担したものとして、私に対して謝罪し、償いを示してほしい。
私は、高校生まで異教徒で、家族親戚も母と妹以外は仏教徒だ。親戚中が、私の人生がカトリック教会に入ってから変なことが起きたと感じている。これが現実なのだ。
神の御前に恥ずべきことを続けていたのだから、私に謝罪しなさい。人間として当然のことだ。
あなた方は人間なのだから、間違うこともあり、間違えば、謝らなければいけないことを知るべきだ。
その後、98年に私は聖霊刷新運動に参加し、霊的刷新を受け、癒され、活力と希望を取り戻すこととなったが、それ以降のことは、次回のCでお伝えする。
以上、信仰に基づき、イエスの御名にかけて、書き記したことは真実であると申し上げる。 さいたま教区信徒 小林 徹也


立ち寄り人 - 03/10/14 15:00:33
アウグスチノ修道会の山口神父は移動されて、現在は名古屋教区港教会の主任司祭を勤めておられます。


tetsuya kobayashi - 03/10/14 13:21:24 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”大本様”返信ありがとうございます。記載した「真実」は、信仰に基づいて、イエスの御名にかけて事実であると申し上げます。
ご質問の件ですが、ローマの聖座は、絶えず報告を受けており、私の一件について注視を続けています。
問題は、日本司教団および日本人聖職者、そして、中央協議会が、この一件を無視し続け、解決に動かないことなのです。
三軒茶屋教会のフランシスコ会ローマ管区のイタリア人宣教師たちは、数年前に、引き上げてしまいました。現在、三軒茶屋は、日本人司祭が受け持っています。
以下、「真実A」をお読みください。〜「真実を伝えますA」〜
さて、私はフランシスコ会を出て、秋田の聖体奉仕会で一年間過ごし、その間に今後について、どうすべきかを祈りのうちに黙想していました。
結論としては、本当に志をかなえ、修道生活を真剣に生きるためにトラピスト会へ行こう、ということでした。
あそこなら本当の意味で「小さき兄弟」のひとりとして、修道生活を送れると思ったのです。そこで、一年間聖体奉仕会で過ごした後、一度、所沢の実家に帰りました。
この時期、私は三軒茶屋教会を訪ね、ジョバンニ・プッチ神父(フランシスコ会・ローマ管区)にいままでの体験を話しました。
すると、プッチ神父は激怒して、「私達が送り出した子供たちは、なぜ、追い出されてくるのか!」と叫びました。
「まったく日本人の兄弟達はひどい!兄弟とは思えない。私は教皇大使に会いにいっても、受付の日本人に妨げられるんだ!」と言いました。
彼はさらに、「私は、この国の生活で心が荒らされて、”心の平和”など無い!」と言って悲しみました。
プッチ神父は、同じフランシスコ会ローマ管区のピンチ神父(司祭のマリア運動参加司祭)が亡くなられた時、涙を流して悲しんでいた司祭です。
私は三軒茶屋教会の助任司祭だった小平正寿神父に、トラピストへ行きたいと告げ、紹介状を書いていただき、志願いたしました。そして、96年に私はトラピストに入会いたしました。
以前から、トラピストの修道者とは交流があり、顔見知りの人も多かったので、決意してからは、とても喜びに満ちて、「自分の家」に向かうような気分でした。
そして、修道名として「アンドレ」をいただき、生活を始めました。しかし、トラピストでも異常な出来事に遭遇したのです。
実は、私が入会する一週間前に、ひとりの志願者が入会して来ていました。
年の頃は40歳前後、東京の初台教会の出身で、洗礼を受けてから、まだ、2年も経っていない状況でしたが、「どうしてもトラピストへ行きたい」とレデンプトール会の司祭に願って、紹介してもらった人物でした。
彼は、両親ともう死別したそうで、病気の親を看病して看取ってから、人生上の整理を付けてやってきた、と息巻いて話していました。
修道名は「アルフォンソ」をもらっていました。この男が、私に対して、異常な行動を行い始めたのです。
それは、入会して3ヶ月ほどしてからですが、労働作業中に、わたしの作業を故意に妨害したり、嫌がらせをしたり、ということが起こりはじめました。
初めは、冗談でやっているのかな、と感じて”沈黙のうちに微笑んで”いましたが、どうも、わざと私を怒らせるような状況を作ろうとしていると感じました。
また、労働の休憩中の茶話のときでも、私の発言にことごとく文句を入れ、「君のその発言は気に入らない。許せない」などと息巻くことが多くありました。
まったくおかしな人だと思い、高木大修道院長に相談に行きました。
すると、「彼は、私が責任を持って引き受けているから、あなたは気にしないで自分の招命を生きなさい」と言われました。
たしかに、修道生活の理屈としては、そういう面もあるでしょうが、現実に、あのような裏表のある(何か目的があるかのような)異常性質者と一緒に、身近で共同生活していると、とうてい耐え切れるものではありません。
そして、ある日、作業中の嫌がらせがきっかけで口論になってしまいました。「あんたは、いったい何をしに、ここに来ているんだ」と、私は言いました。
そして、こんな騒ぎを起こしたので、高木大院長に呼び出されました。
アルフォンソ修道士は、突然、いままでと性格も表情を変わってしまったかのように、弱気の泣き虫のような男に変貌し、高木大院長の前でメソメソ泣いていました。
そして、高木大院長は、私にこう言いました。「あなたは、精神的に安定しているのか?」と。
そこで、私は「私は正常ですよ。あのアルフォンソ修道士は、何か目的があって入り込んでいるのではないでしょうか?」と。
すると、高木大院長は、「レデンプトールの司祭から相談を受けて、責任をもってあずかったのだから、君がそんなことを言ってはいけない」と。
そして、結局、騒ぎを起こした私が非難されました。
さらに、この頃、知らせが届き、私の実家では、父親が仕事で失敗して借財を抱えてしまう、いう状況が起こり、家族が追い詰められる状況になりつつありました。
そんなこともあって、高木大院長からは、私に「退去命令」が出て、即刻、家に帰るように、と言われました。そして、空港まで、堀口神父(修練長)が見送ってくれました。
堀口神父は、車中で「いやー、まったく困ったなー」と繰り返し繰り返しつぶやいていました。
堀口神父は、その後、私が退会してから数ヵ月後に、北海道の巡礼登山中に、崖から落ちて、事故死し帰天されています。私が実家に帰ってから、荷物は、彼らによってまとめられて送り返されてきましたが、その中に、私がトラピストの修道服を着て、アルフォンソ修道士などと一緒に撮影した写真は、抜かれていてありませんでした。
証人としては、当時、サバティカルでトラピストに滞在していた東京教区・加藤神父(パストラル・ケアに詳しい方)、同じく東京教区・葛西教会の山口神父(アウグスチヌス会)に聞けば、私がおりましたころに滞在されておりましたので、事実関係の一端がわかるかもしれません。
偽証されるなら、かえって分からなくなるでしょうが。以上、信仰に基づき、イエスの御名において事実であると、重ねて申し上げます。
私のことを精神的に異常という人がいるなら、それは偽証であって、偽の噂です。
(続きは真実Bにて) さいたま教区信徒 小林 徹也


大本靖男 - 03/10/14 12:32:23
さいたま教区の小林様。心温まるご教示を頂き厚くお礼申し上げます。
今朝早く、小林様のコメントを印字して送ってもらったその中の「人間の根本的な尊厳」という言葉をみて、それがどういう事を意味するのかを静かに考えてみました。
そうしているうちに、何か体の中に新しい空気が吹き抜けていくような感じになり、イエス様が小さい者達一人一人を大事になさった御言葉が浮かんできました。
命の糧の御聖体や病に苦しむ者を癒される塗油のお恵みが、そうした「霊的」なことが、一司祭によってどうにでもなるということ自体、イエス様の御言葉からどんなに考えても理解できない事なのです。
この苦しみの中で信仰を守り、主に祈り続けておられる香川・小豆島教会の信徒の皆さんにとって、このことを共に考えてくださる人たちがおられるということは、心の大きな支えになると思います。
教会裁判云々ということの前に、苦しむ人たちの祈りが、どうして聖座に届かないのでしょうか?・・・・・。
小林様のその後の「真実を伝えます」のコピーを読んで驚いています。


tetsuya kobayashi - 03/10/14 09:11:37 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
「真実を伝えます@」
先日掲示した私の意見の中にあった、カトリックの中央に無視された私の訴えを、数回に分けて掲示する。
私の訴えを無視した修道者、司教や中央協議会は、恥じ入って謝罪と償いをすべきだ。皆さん、この問題をどう思われるだろうか?
私の師であった、小平正寿神父(フランシスコ会)のホームページを見てほしい。師は、こんなふざけたホームページを作るような方ではない。
なにかの企みが動いている。そして、師は、あちらこちらで「病気」との噂がまかれているのだ。
〜”私の訴え”〜私は東京・中野区生まれ。高校生の時、東京・高円寺教会で洗礼を受け、その後、アパートを借りた関係で三軒茶屋教会に移りました。
三軒茶屋教会は、当時、フランシスコ会ローマ管区の教会で、イタリア人司祭がおりましたので、私も在世フランシスコ会の活動に参加しておりました。
23歳の時、東京・山谷地帯にある東京教区の困窮者支援NPO「山友会」の住み込み常駐スタッフを一年務めました。
この期間、労働者との関わりと共に、フランシスコ会他の修道会の司祭や修道者、神の愛の宣教者会のブラザーたち、多くのボランテイアの人々と出会い、多くを学びました。
24歳の時、フランシスコ会に志願し、大阪・生野志願院(当時・現在の志願院は田園調布)に入会いたしました。
しかし、北浦和の修練院に移動した後、異常な出来事が起こりはじめました。
志願院には6人の志願者がおりましたが、修練院に向かったのは、私と古里慶四郎氏(現在・神父)だけでした。残りの4人のうち、二人は退会し、二人は志願院に残りました。
修練院は、院長としてウルバン・サワビエ神父(現在・東京・瀬田教会主任)、修練長として長谷川潤神父がおりました。
生活を始めて数ヶ月経つと、院内の生活で、異常な状況が起きていることに気づき始めました。
まず、修練院の修道士の三人が、外国人宣教師であるウルバン神父の不在の時に、私に対して、「言葉による嫌がらせ」「暗示をかけるかのような言葉と行動による心理的脅迫」を行うようになったのです。
最初は、「修練期特有の試み」かと思いましたが、それにしては、あまりにも行き過ぎており、やりかたも巧妙で裏表があり、単なる伝統的な教育法とは違う、と感じました。
フランシスコ会の日本人司祭は、外国人宣教師とローマの悪口を吹聴する人が多く、私は、教えを受けた宣教師達のことについて、侮辱的に語っている日本人司祭を、本当に許しがたく感じました。
私が、ローマ管区の教会で育てられたから、こんなひどい虐待を受けたのでしょうか?
この精神的な虐待については、となりのフランソア幼稚園の純心聖母会のシスター達の目の前でも行われましたので、当時の堤院長他の皆さんに聞いていただければ、事実関係の一端がわかると思います。
私は思い余って、当時の福田管区長に手紙を出し、訴えました。「いったい、この状況はなんなのか」と。しかし、何の返事もいただけませんでした。
それで、私は初誓願を立てずに、退会いたしました。退会したときに、当時の福田勤管区長を、瀬田修道院に訪ねました。
すると、福田管区長は、私の訴えを詳しく調べもせずに、私のほうが「精神的におかしい」というような言い方をしました。
その時の発言はこうです。
「君は、つかれているのではないかなあ。いずれにせよ、君のように、共同体で騒ぎを起こす人はいることはできないよ。トラピストくらいしかないのじゃないの?もっとも、これじゃあ紹介なんかできないけどね」
私は24歳で、当時の社会生活に区切りをつけ、蓄えた貯蓄と家具などは、煉獄援助修道会を通して母子生活者支援センターと、山谷の活動に寄付し、志願院に向かいました。
このような決意をもって人生を転換させた若者に、修道会は、こんなひどい扱いをし、傷つけ、その後の人生さえ、危ういものにして追い出しました。
退会時にも、なんの援助もしてくれませんでした。こんな非常識なことがあるでしょうか?かれらは、もはやカルト教団のようではありませんか?
そして、さらに、私が退会してからの北浦和修道院では、小西神父や清永神父などによって、事実と違う主観的な私の悪口が、信者さんたちに向かって吹聴されていたそうです。
「食べに来ていた」とか「頭がおかしくなって、我慢ができなかった」などと言っていたそうです。
そして、その後、すぐに私は、以前から知り合いで、世界中からの巡礼者のための奉仕者を求めていた秋田の聖体奉仕会に向かい、一年間のボランティア生活(庭の整備や巡礼客のもてなし)と祈りの生活を通して、傷ついた心を癒されたのです。
(続きは次回) さいたま教区信徒  小林 徹也 


tetsuya kobayashi - 03/10/13 22:30:57 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”21:48:34 コメント様へ”返信ありがとうございます。あなたは、「このようなことは、信仰以前の問題」と言われましたが、まったくその通りだと思います。
まず、この地上で命を与えられた人間として、信仰を主体的に認識する以前に、良心の問題として根本的な直観の中で、知っていることがらというものがあると思います。
そのような、「人間の根本的な尊厳」に背くようなことがらを、真理の反映たる、ローマカトリックの教義や組織、教会法が容認するはずがありませんし、しているとしたら、どこかでキリスト教理解を間違ってしまったということだと思います。
時として、人間の常識や、地上的な知識と知恵を超えた、神秘の中で理解していかなければいけないことがらはありますし、信仰の目で見るしか肯定できない、理解し得ないような苦しい現実を抱えた人々は、世界中にたくさんおります。
しかし、日本のカトリック教会組織内で起きていて、私たちが認識している「不正」は、改善することが可能で、しかも、聖職者や修道者、組織擁護ばかりに走る信徒の、傲慢と怠慢、欺瞞が原因であることが大半ですから、前記と同列に並べるわけにはいきません。
私は、大本様の訴えを聞いて、私自身の抱えた問題も教会裁判所に訴えるべきではないかと、思うようになりました。
私は、自分の抱えた問題について、当事者の修道会や、中央協議会、東京やさいたまの司教などに訴えましたが、事実上無視されて、明確な返答もいただけず、内部の調査もいただけませんでした。あまりにも傲慢な中央の姿勢に、怒りを覚えております。
信徒の訴えを無視するのですから。話しを聞いてくれ、共感してくれたのは、外国人宣教師ばかりです。
私は、日本のカトリック教会組織に、あきれ果てている昨今なのです。 さいたま教区 小林 徹也


- 03/10/13 21:48:34
「真実をはっきりさせること」が出来ないのは日本(教会)に限った事では無いと思います。
何もかも曖昧にごまかして全て水に流そうとするのは、全世界のカトリック教会に共通したローマカトリックの伝統的体質なのではありませんか?
真実の追究、問題の事実関係の詳細な解明、これなくして事件の再発は防ぎようがありませんし、本当の意味においての基礎からの再建は不可能です。
他方に向けて福音宣教云々を説くのならば、カトリック内部の異常な体質を根本から改めてからにしないと世間の物笑いの種になるだけです。
高松の問題を見ても分かるように、質の悪いメッキはすぐに剥がれます。
これらは信仰以前の問題ですよ。こういうものに惹かれて群がり寄って来るのは類が友を呼び寄せるように、愚かしくも目敏い嗅覚で利権を求める連中くらいなものでしょう。


tetsuya kobayashi - 03/10/13 19:47:46 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”大本様”小林です。質問ありがとうございます。私見を申し上げさせていただきますが、私は、教会裁判所へ訴えるべきであると思います。
残念ながら、私は教会裁判の詳しいシステムを把握していませんが、もし、このような小教区での司祭の権限についての問題も扱ってくれるなら、ぜひ、訴えるべきだと思います。
大本さんが、本当に、真実に基づいた平和と和解を望まれるなら、訴えるべきだと思うのです。
しっかりとした教会法的判断などが明確になれば、両者の感情的なもつれも、収まるでしょう。
教会裁判所は、以前、カルメル会の和田神父さんが担当されていましたが、今もそうでしょうか?
私の師である、フランシスコ会の小平正寿神父(当時・東京・三軒茶屋教会)も、教会法をローマで修めてきていますから、電話して聞いてみてはいかがでしょう?
現在は、六本木の聖ヨゼフ修道院に幽閉状態(!)です。
「真実をはっきりさせること」が、この、なにもかもあいまいにごまかして、水に流そうとする国においての、大切な福音宣教だと思います。
さいたま教区信徒 小林 徹也


大本靖男 - 03/10/13 19:26:11
さいたま教区の小林様、通行人C様。自分はパソコンをもっていませんので、電話して人に頼んで書いてもらっています。
先ほど言い忘れたのですが、神の前で主任司祭が自分の考えや思いでご聖体や秘跡を勝手にさずけないということが、赦されるのでしょうか?
それも長い間続いているということはおかしな話です。いくら言っても聞いてもらえないなら、それこそ教会裁判に訴えて、きちんと判断してもらうというのはどんなものでしょうか?
このこと、友のために真剣に考えていただけないでしょうか。


大本靖男 - 03/10/13 18:12:50
さいたま教区の小林様、通行人様、お知恵を下さい。
七十九歳を迎えられた深堀司教自身の事、司教団の事、聖座の事へと歯軋りをするような事ばかりなんですが、現実に高松教区ではネオの活動の事、ネオ司祭の事、嘘を付いてつくった神学院のことが因で、司教さんに申し入れをした信徒がご聖体を受けられず、病者の塗油の秘跡にもあずかれないという悲惨な日々が続いているのです。
同じ信仰に生きる者同士で、これ、人ごとではありませんでしょう。信徒の立場で、何とかならないものでしょうか?


tetsuya kobayashi - 03/10/13 11:20:40 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
”通行人Cさんへ”あなたは、わたしの寄稿に対して「高松問題に何の関係があるかわからない」と言われたが、高松問題は、すでにローカルな教区のいざこざの域を超えて、民主主義を前提にした日本と言う国家における普遍教会のあり方そのものに関わってきており、「歴史的で重大な問題」であることを自覚すべきだ。
400年ぶりのローマ使節派遣から、そのことが分かるはずだ。高松教区の信徒の訴えは「真実を明らかにせよ」といういことだったが、教会権威は、ある時期から「沈黙」に入った。
民主社会において「指摘された問題」や「挑まれた係争」について、説明責任を回避して「沈黙」することは、不利な立場を弁護するための「戦法」としか受け取られない。
民主社会においてふさわしくない対応と言える。
また、司教は「使徒の代理者」としても、「真実の証し」のために口を開かなかったと言う点で、使徒としての責任を回避してしまった、とも言えるかも知れない。
この点については、細部を理解していないかもしれないので、言いすぎであったら許していただきたい。
どちらにせよ、あなたが「高松問題と何の関係があるのかわからない」ということ自体、高松問題を侮っている証拠と言わなければならない。
秋田で流された聖母マリアの涙の意味と、シスター笹川に伝えられたメッセージの真実の成就を、いまこそ、自覚する時なのだ。 10月13日 さいたま教区信徒 小林 徹也


通行人C - 03/10/13 10:45:02 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
小林さんの↓の意見は、高松問題とどんな関係にあるのかよく見えません。別にスレを立てて論じられたほうが混乱を避けられると思います。


tetsuya kobayashi - 03/10/13 09:09:24 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
"「@」さんへ" 返信ありがとうございます。神学院に対する司教団の見解、参考になりました。感謝します。
それにしても、昨今の、司教団とその周辺の「まるで官僚の施策のような」様々な対応は、いったい何なのでしょうか?
要領のいい国会答弁のようなはぐらかしや、充分な事情説明の無い偏向した施策、意味不明の沈黙など、私には到底理解できない強引な「方向付け」が、日本司教団とその周辺によって為されています。
まるで、自民党の政治のようです。そして最近、司教たちは「信徒との個人的な対話」を、依然と比べると避けるようになってきたのです。おかしな話です。
「教会の民主化」は、口で唱えられていますが、現実は逆行するような「防衛本能」が働いています。教会が真理に仕え、真実のために奉仕しなければ、あれほど嫌悪して脱皮しようとしてきた「形骸化した旧教」に逆もどりするでしょう。
啓蒙思想も、共産主義も、世俗主義も、キリスト教社会が生んだ「鬼っ子」であることを自覚すべきなのです。
彼らの批判にさらされ、教会は内省し、自ら「本質的ないのちの尊厳の擁護者」をはっきりと名乗るようになったのは、戦後になってからなのです。
つまり、カトリック教会においては、中世以来の、組織と権威者を擁護するための「論理的すりかえ」が巧妙に入り込んでしまっており、組織内部において、健全な問題解決能力すら失われていた、と言えます。
公会議によって、聖霊のあふれの中で、福音の源泉への立ち返りが行われましたが、それでも、油断していると、この「病理」が動きだして、教会組織を、病的で不健全なものにしようと暴れだすのです。
この病理がいまだに存在し、教会の健全な組織改革を妨げ、選択や意見を司祭に依存し、司祭も自らの限界を自覚せず、傲慢に振舞うことがまだ起こっています。
これこそ、日本における「侵入したサタンの煙」(ファチマ・第三の預言)のひとつではないでしょうか。「公けの自己批判」への恐れの中に、サタンの罠が入ってきたのです。
つまり、民主社会において、健全でふさわしいスタイルでの「真理の擁護者」となるためには、健全な自己改善能力や、自己批判力、組織内部においても「正義」が、信徒が納得できる、明確な形で現われていなければならないと思います。
「愛とゆるし」は、イエスの教えの根本ですが、時として、イエスは偽善者に対して、火の様な怒りの御顔を示されたことも注意すべきです。
「罪びとを許しながら殉教した」聖ステファノも、死の間際まで、偽善に堕ちた人々に、メシア・キリストの真理を勇敢に宣言していたことを、忘れてはならないと思います。
「国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。 働け、わたしはお前たちと共にいる、と万軍の主は言われる。」(ハガイ書・2:4) JESUS,Give Us Your Glory of Heaven !
さいたま教区信徒 小林 徹也


@ - 03/10/13 00:30:18
(東京と福岡(聖スルピス)の大神学校からは、高松の神学校は無視され続けています。) 上記の部分は説明が必要でした。
高松の大神学院について、日本司教団は、92年2月の特別臨時司教総会で、「深堀司教の許可のもとに、『新求道共同体』のための神学校として設立されるものと理解する」と合意(カトリック中央協議会『会報』264号)しています。
これは、1971年の「日本における大神学院の設立は教区立のものであろうが、司教団の権限の範囲内にある」という合意事項に、高松の大神学院設立が違反するためであり、つまり、司教団は高松の大神学院を教区立のものとは見なしていないのです。
だから、(教区司祭を養成する)福岡と東京の大神学院は、高松の大神学院と交流をもてないのだろうと思います。
ローマには、高松の大神学院も福岡の大神学院も東京の大神学院も、教区司祭を養成する機関として互いに協調し、愛し合いながら発展していけばいいとの考えが感じられます。
それに対し、日本司教団は、高松の神学院は教区立とは認められないとの立場であります。双方の認識の違いの狭間で、高松の大神学院は宙ぶらりんになってしまい、非常に中途半端なものになってしまっています。
このことにより、最もダメージを受けるのは他ならぬ高松の大神学院で学ぶ神学生です。
彼らは、NCの方々以外からは、半端な神学院を卒業した半端な司祭といったイメージで捉えられてしまうのです。


tetsuya kobayashi - 03/10/12 22:03:34 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
"10/12 18:07:59「@」さんへ" 返信ありがとうございます。
私は、東京神学院と福岡のサンスルピスの問題は、内情がよく分かりませんが、交流に慎重な人々の気持ちもわかるような気がします。
つまり、(今に始まったことではありませんが)東京神学院の内部的な「荒涼さと意識の乱れ」は、はっきりと申し上げて、悪霊の干渉としかいいようがない状況です。
「言いすぎだ」という方がいるとすれば、その方は、現実を直視せず、宗教的な妄想と、聖職擁護のための論理のすり替えを行っているとしか言いようがありません。
どういうわけか、神学校の生活や、授業内容は「聖域」のように、第三者からの健全な批判にさらされないまま、神学生を甘やかし、いい加減で無責任なことを言う司祭職をどんどん生み出し、小教区共同体の精神性に、致命的な”毒”を与え続けています。
これは、「なんとなく」皆が感じているのに、誰も勇気を持って指摘しないので、野放しになっております。
この「悪魔的な霊的干渉」の結果、神学院生活で疲れ果て、精神を病むものまでいるのです。清い志で学び舎に入り、人生を破壊されてしまった神学生も、過去に何人もいたのです。
あまりにも不健全です。そして、いい加減なことを「立派に」言う神学生のほうが、評価されているという悲惨な状況が続いています。
「交流」とは、「カビが移る」ということでしょうか?それとも、すでに、たいして変わらないのでしょうか?
私は、「国際宣教神学院」は、「国際エリア」としての独自性を保って、神学生の養成は、あくまで「国際感覚」で行うべきだと思います。
そうすれば、東京や福岡に行きたくない神学生は、皆、ここに来るでしょう。
運営に「新求道共同体」が、協力しているにしても、それにこだわらず、世界の霊的刷新や信仰の覚醒に貢献しているグループのエッセンスを学ぶことのできる場所にすればいいのではないかと思います。
日本以外にも、積極的に世界中から様々な講師を招いたりして、神学生養成以外の信徒研修や、様々な霊性の学びと体験、養成プログラムなどをおこなえば、運営面でも健全化の方向が出てくるのではないでしょうか?
甘い考えかもしれませんが、イメージを申しました。ご一考ください。 さいたま教区信徒 小林 徹也


森岡 源三 - 03/10/12 20:56:26
12日13:49:33の無名さん。
あなたが「新求道共同体の霊性」だと言われる、コメントの中でのその思いは分からないではありませんが、この「霊性」という表現は誤解を招くおそれがあると思います。
新求道共同体で活動している司祭や信徒たちも簡単によくこの「霊性」と言う言葉を使っていますが、新求道共同体のそれは「・・・活動」とか「・・・精神」と言う程度の表現にとどめておくほうが良いのではないでしょうか。


@ - 03/10/12 18:07:59
小林さんご提案のことについてコメント。
1996年6/15〜7/4までイエズス会のヨゼフ・ピタウ師が教皇庁巡察師として、日本の大神学校を訪問され、改良点を指摘されたことがある。
そのうち、高松の神学校に対してのいくつかの指摘事項の一つに「東京と福岡(聖スルピス)の神学校との間で、教職員(できれば神学生)の接触や定期的交換があるべきである。」とあるのです。
この指摘事項は、今日に至るまで、全く改善されていません。東京と福岡(聖スルピス)の大神学校からは、高松の神学校は無視され続けています。
また、高松の神学校から、両大神学校に対し、何らかのアプローチをしたとの話も聞きません


- 03/10/12 13:49:33
高松教区で発生した多くの奇怪な事象は、新求道共同体側の霊性に大いに関係していると思います。
tetsuya kobayashi様が仰られている「日本における受け入れ方や、日本人の聖職者が組織運用上で信徒の人権と心情を愚弄するような行為」等も、新求道共同体の霊性の本質部分が引き起こした典型的な事例の一端ではないでしょうか。


tetsuya kobayashi - 03/10/12 12:24:13 電子メールアドレス:gte672@yahoo.co.jp
ひとつ考えたのですが、判決が確定し、ひとまず教会権威に対して、民主社会における社会的対応について反省を促せたのですから、現実を前向きにとらえるように発想を転換してみてはいかがでしょうか?
つまり、問題の核心が、「新求道共同体」の霊性にあるのではなく、日本における受け入れ方や、日本人の聖職者が組織運用上で信徒の人権と心情を愚弄するような行為にでたことであるならば、すでに完成された「国際宣教神学院」の存在は否定することなく、日本における信仰刷新の一大拠点として、システムそのものを改造してみてはいかがでしょう。
つまり、ローマカトリックの、堅実で最も新しい信徒使徒職の養成プログラムや、聖書を学ぶ場所として、日本中の信徒や修道者、司祭を招き、土日宿泊や、一週間のプログラムなど、多くの企画によって運営したらどうでしょう?
当然それは、グローバル時代にふさわしい、世界と連帯したプログラムを用意し、安易に「日本化」しただけの情けないプログラムは排除すべきです。
そうすれば、四国を訪れた信徒や司祭、修道者は、四国がどれほど美しく、人の心の良いところで、さらに、「国際宣教神学院」が、最先端の「愛の学び舎」であることを知ることになるでしょう。
いかがでしょうか? さいたま教区信徒  小林 徹也


大本靖男 - 03/10/12 12:07:00
「新求同期間の道」の規約には『教区司教及び小教区主任司祭の認可がなければ活動をしてはならない』ことになっているのです。
公開するほどのものでもないと思うのですが・・・・。


- 03/10/12 11:11:26
NCの規約が日本語訳されて、NCを歩んでいる方たちは所持しているとの情報を得た。その規約がどのようなものであるのか、公開して欲しい


- 03/10/11 22:35:51
なりほど


通行人C - 03/10/11 10:29:04 電子メールアドレス:ypepito@hotmail.com
天国に行くとみんな天国軍の軍務に服することになるのでしょうか。ヤダナ〜。


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