2005.8

あしたに向かって 2005/8/28 (Sun) 21:04:53
新求道共同体が引き起す分裂による心の傷は深刻だと、私自身も痛感しています。心のケアーの必要性は大きいと思います。
新求道共同体の方からの相談もあったと伺い、とても良いことだと思いました。
高松教区として、教区全体に癒しのケアーに取り組んでいただきたいと思います。


信徒会の役員(女性) 2005/8/25 (Thu) 14:28:57
分裂のはざまで苦しみ教会を離れていた信徒たちが、ある神父さんたちのケアーで、うれしいことに何人か帰って来られたケースがあります。
ネオから離れたい、という相談もあるとかで、そんな信徒の心のケアーの必要性を痛感しています。


しょうゆ豆 2005/8/24 (Wed) 13:51:36
求道中の方にショックを与えてしまい申し訳ございませんでした。
ショックの内にも私たちのためにお祈りくださいましてほんとにありがとうございます。
カトリックは素晴らしい宗教ですが、罪人が招かれるところでもありますから何事もなく、清く、正しく、いつも平安で、信者は主のみことばにかなった人、ばかりとはいえないと思います。
でも、目ざすところはみな同じでしょう。
その過程で、それぞれにいろいろな出来事に出会い信仰をためされながら、より主の心にかなった者にと養成されていくのではないでしょうか。
仙台教区は司教様がいらっしゃらなくてもいきいきとした教区のように感じます。
信徒として自立された方たちの教区なのではと思います。わたくしも詩音さんを思い描きお祈りさせていただきます。


詩音 2005/8/24 (Wed) 02:03:22
はじめまして。私はクリスマスに洗礼を受けることになっていて、現在、勉強中です。
所属する教会が建て替え中のため、少し離れた別の教会まで行っています。
私たちの教区には、現在、司教様がいらっしゃいません。
溝部司教様がいらした、仙台教区だからです。
実は、このHPを観るまで、日本のカトリック教会で、このような問題が起きている事を知りませんでした。
そのため、大変ショックを受けました。
詳しい事を知らないので、何も言えないのですが、一日も早く、皆様の苦しみが取り除かれ、
素晴らしい教会になるよう、お祈りさせていただきます。
皆様の苦しみを通して、神が大きな恵みをお与え下さると信じます。


しょうゆ豆 2005/8/31 (Wed) 22:03:27
ご聖体は、前小豆島教会主任神父様からは拝領出来ないということでした。
信者は新求道共同体の司祭派遣によって生じてくるであろう複合的な憂慮する事態をひどく懸念していたので、「申入書」撤回などできなく、したがってご聖体をいただくことも出来なかったわけです。
又、小豆島教会が安易に妥協することは全小教区にとっても良いことではないと思え頑張ったのです。
前司教様のご意志がI神父様のあのような行動となって示されたのかもしれませんが、それにしてもあのようななさり方は信徒にとっては残酷としかいえないものでした。
現司教様は新求道共同体でない神父様を小豆島教会に派遣することで回答とされたのであろうと思っています。
すっきり出来ないのは、ご聖体をいただけなかった者たちは悪し様に言われたままで名誉の回復はなされないままということです。
今は島外にいて他の教会へ行っている信者、島にいても行く気になれないでいる信者に分かれ、元のようになるには時間が必要と思います。
それにしても、前司教様のままだったら高松教区は今頃どうなっていたでしょうか?


花嫁の友達 2005/8/30 (Tue) 18:36:28
三重県人様のコメント、読んでみて私にもよくわかります。


三重県人 2005/8/29 (Mon) 20:28:14
しまざきさん (そして他の方も) どうぞコメントをお願いします。


三重県人 2005/8/27 (Sat) 23:04:55
そうでしたね。撤回せねば拝領は禁止、との主旨のことを言ったのは確か司祭の筈。
で、この禁止はその後どうなったのですか? 病弱な方の家での聖体拝領について最近書込みがあったりして、どうなっているのか良く分からず気になっています。
当時の司祭が無理無体を言ったのは前司教の意向を受けてのことだから、申入書を撤回せねば拝領させないという事自体も、前司教の意向か示唆だろうと考えています。たとえそうでなかったとしても、この理不尽な踏絵を訂正させず事後承認同然ですから、監督責任と最終権限を持った者としての責任は同じ。このように考えているので不正確な言葉が出ました。
当時の司祭の禁止が無効または誤りであるのかないのか、現司教は正式に表明すべきだと思います。
まだ撤回してない方がおいでの限り、禁止の理由は当時のまま存します。禁止が妥当だったなら禁止は今も妥当の筈。
現在禁止でないなら当時の禁止が間違い、それで多くの人が苦しんだのだから、教区の長には釈明または謝罪の道義的責任があります。交わりとしての教会にとって、この御聖体の問題は建設費問題より本質に関わります。きちんとけじめをつけなければなりません。


しまざき 2005/8/22 (Mon) 18:46:19
三重県人様
分けてコメントしますが、森岡さんが聖体拝領禁止になったという話は聞いていません。実際に教会においても活動をしています。


2005/8/23 (Tue) 11:29:13
教区の側から「小豆島の現状はこうなっているよ」という説明があっても良いのではないかと思います。
司教様は説明責任・情報の開示を謳っておられますので、教区報にでも掲載されてはいかがかと思うのですが。
こういうことをどんどん教区に問い合わせていかないといけませんね。でも変な奴だと思われてもいやだしなあ。


しょうゆ豆 2005/8/23 (Tue) 09:18:03
しまざき様、私はここで、細やかに説明することは困難です。出来ません。
ただ、小豆島教会へ行ってご聖体を頂きたくても、それが出来なかった島の信者たちが、次々と思いもかけない事態の変化の中で迷い悩みながらも、何を感じ考え、何を望んで頑張り通してきたかの正しい理解がされないまま、逆にうやむやのうちに、信徒間ではむしろ悪しき信者たちとされ決着させられようとしているのか?と感じずにはいられませんでした。
複雑な問題の解決には教区全体の意識の変換が必要だったのではないでしょうか? 
新司教様によって変えさせられるかもしれない、島のことはそのときになって理解してもらえるかも知れない。
そんなかすかな期待を持ちました。
なぜ、このような事態になってしまったのか、ここのところを煮詰めていただきたかった。


しまざき 2005/8/22 (Mon) 18:44:44
しょうゆ豆さん
もし、小豆島の状況に詳しいのであれば、知らせていただければ幸いです。
わたしは高松教区のある信徒の方からの情報しか持っていませんので。


三重県人 2005/8/27 (Sat) 23:14:23
「どちらも核心の問題については黙り続けるが」とお書きしたのは、私の密かな夢想の非現実の一場面としてです。
現実とは関係のない話です。余計なことを書いたりしてすみませんでした。
前半の部分はおっしゃる通りだ、と思いつつ拝読いたしました。


しょうゆ豆 2005/8/22 (Mon) 17:04:39
出たくなかったのですが…… 2005/8/20 (Sat) 14:58:44 の「しまざき」様のコメントはしょうゆ豆には解せないものです。
たしかに新主任神父様が、一つの病身のご家族のもとにご聖体をもっていかれたことは事実ですが、その後、他の家族のとろにも来られたとは聞いていません。
それに、「完全に和解」など、いったいどなたたちで、いつしたのかと非常に疑問に思います。
三重県人様が、小豆島のご聖体問題につき「どちらも核心の問題については黙り続けるが」と書かれているところがございますが、決して私たちはこれまで今の司教様に対しても黙ってはいませんでした。
ただ、最近は、それぞれにこの件ゆえに味わった辛酸を(それは、怒り・悔しさを含むゆえの苦しさを)主の十字架上の奉献に合わせ捧げることで乗り越えようとしていることは確かです。 
思い返せばいつも涙が込み上がってしまうような、こんな思いをすることのない日が、はやく来ることを願う日々の中でそれぞれが努力しているのです。


2005/8/19 (Fri) 15:48:36
今日はワールドユースデーで教皇様のミサがあるんでしたっけ。
上記公式サイトではWEBTVやWEBCAMがありますがミサの模様が流されるのかな。青少年の活動も教区の一致には不可欠と思います。ね


2005/8/20 (Sat) 20:44:50
「司教の裁判」という本の年表を見ていると、2002年11月、開拓伝道の試みとして@高松市南部地域A大洲市周辺地域の2カ所で新求道共同体の活動を展開するため、今治から一家族が大洲市に移住、というようなことが書いてあります。
高松市南部地域にも仏生山町辺りにネオの司祭が住みついて活動していた様子ですが、変なイメージが広がって悪評判がたち、結局、ネオのリーダーは匙を投げた、ということでしょうか。


2005/8/18 (Thu) 11:58:02
グアムだかハワイだかの日本人向け宣教師として旅立つという話を聞いたことがあります。


友達 2005/8/18 (Thu) 10:14:59
名無し様、まあ、そんなにヒステリックにならなくても。
いろいろ難しいですが、不平や不満を言ったり聞いたりすることも大事なことだと私は思います。
一人では何も出来ませんので、みんなの意見を集めて、ということなんでしょう、この掲示板の目的は―。
ついでにと思いながら、書き忘れていました。
ついさっき、親しい人から電話があって、数年前に前の司教さんがネオを増やそうと八幡浜でしたか(大洲市だったかな)へ送っていた日本の宣教家族を引き揚げて、別のところに送る話が出ているそうです。


2005/8/17 (Wed) 10:23:26
そんなことできりゃ、皆がとっくにしてる。人頼みにせずに、あんたが切り開ければ???
自分は、不満ばかりで、答えは人頼みって調子良すぎ・・。


瀬戸の若い花嫁 2005/8/16 (Tue) 14:50:54
「ネオ」の呼称が良くないとか、それなら良い略語を考えようとか、それを「枝葉末節」と言うのではありませんか。
そんなことよりも「新求道共同体(ネオ)の実体について」もっと幅広く、率直なご意見をお聞かせ頂けないでしょうか。
とりわけ高松教区の桜町教会、広島教区の岩国教会当たりでは、今も大変な問題を抱えて日ごと苦しんでおられる方が多いとうかがっております。
苦しむ誰もが声なき声をはっきりご自分の声として言い出せることができますように、どうか、その道を切り開いて下さいませ。


三重県人 2005/8/21 (Sun) 14:30:58
しまざき様
 個人のお名前、といってもこのサイトの中心になっているお名前ですから、それを挙げても問題は無いでしょう。森岡源三様も、そして今回の件で拝領を禁じられた方々も皆、今ではご聖体を拝領なさっている、ということですね?
つまり、前司教が教区の公の立場で聖体拝領を禁じたことが、現司教によって公に禁止が撤回された、ということですね?


しまざき 2005/8/20 (Sat) 14:58:44
三重県人様
小豆島の聖体拝領の件に関しては解決済みです。一人一人の家庭に司祭が行き、聖体拝領を授け、完全に和解しています。


三重県人 2005/8/19 (Fri) 21:07:49
8/15 10:34:05名無しさんによる事実説明を、オリーブさんが「喧嘩ごし」と形容していることに驚きました。やや硬い印象だが理路整然としている事実確認を、喧嘩ごしと決めつけるのでは、討論と対話、民主主義や相互理解は困難でしょうね。
教会法Can.265を読むと、どの司祭も教区、修道会などのどれかに必ず属します。どこにも属さない司祭はいない。また司祭になるためにどこで学んだかは必ずしも現在の所属と一対一で対応していない。だから出身の神学院でなく、司祭の現在の所属を用いた呼び方は、実際を反映した適切な方法だと思います。ネオの司祭という呼称は、略語だから正式の場では使えないにしても、「新」求道共同体の司祭である、ということで正確だと思います。特に、ネオに属する司祭が司教の判断と許可で教区内の司牧に協力している、という場合には。(8/14 14:27:29のしまざきさんはそこらと関わるのですね。)
オリーブさん、「品位」を落とす張本人の一人は私だと思います。申し訳ありません。
でも、発端の問題の一つは、「暴言」を吐いて名誉毀損だと裁判で判断された、当時の司教の「品位」に欠けた言動です。このゆゆしき点についてオリーブさんはどう思っているのでしょう? 名誉毀損を行い謝罪すらしない前司教の振舞いを? まずそれについてあなたが一個人として意見をおっしゃるのが、ここでは順序でしょう。
(ちなみに、8/14 22:56:51のオリーブさんの発言の最後は、はからずも、森岡様方の主張の正しさを裏書しますね。)
オホーツク人さん、そしてオリーブさん、本来の大問題について黙ったまま、呼称だけを取り上げて問題にするのは、一歩間違うと、本質を見誤った言葉狩りに堕する危ない方法ですよ。(ただしネオの人達自身が、ネオという略称の不適切を説明し、その使用の中止を公に求める場合は、考え直す必要が当然あるでしょう。) オホーツク人さん、このサイトで本来問題になっていることについて、まず真正面から意見をお述べになると、あなたの誠実さの証になると思いますよ。
ネオが惹き起こす問題、神学院建設の問題、名誉毀損の問題、このサイトの発端となったこれらの問題をダンマリで誤魔化したまま「新しい教区」を「建て直し」ても、それは不誠実さの上に建てられた教会。岩の上に建てられた真実の教会ではないでしょう。
正しい指摘をした信徒達が悪者扱いされ苦しみの中に捨て置かれている、その一方で「一致」「一致団結」などの美辞が繰り返される。私にはとても恐ろしいことに思えます。旧ソ連とかが思い出されてしまいます。
でも、、、現司教は聡明な人の筈、森岡様達の努力によってほぼ全てが語りつくされているのだから、沈黙を守ってはいるが実は理解しているのだろう、と考えたりすることもあります。
司教の側から黙って一方的に聖体拝領の禁止を解き、拝領に招き、彼らも黙って招きに与る。どちらも核心の問題については黙り続けるが、司教は理解しており、招かれた人々も理解されたことを理解している。司教からの一方的歩み寄りと当事者双方の沈黙が、全てを雄弁に語り明かす。そして、御体によって御体において、これまでの軋轢と苦しみが、教会の一致と栄光に高められる。
間違っているのかも知れませんが、以前からこんな感じのイメージが頭をよぎります。
一つのあり方でしょうか。申入れ書は撤回させない。何ら拘束力を持たない文書なので撤回させる必要など初めから無かった。(前司教が太っ腹に、「受け取るが要望には副えないよ、すまぬ」とでも対応していたら、、、) 建設費のことは (森岡様たちのおかげで) 問題の所在がもう明らか。あとは教区の他の大多数の信徒の判断に任せればよい。(追求しないという選択肢も含めて。信徒の浄財だから、信徒の大多数が問題の所在を知り、その上で認めるなら、それは一つの収め方。) 名誉毀損の問題は法的には決着がついたから、道義的人道的には各人が判断行動すれば良く、その判断行動で各人の人格が測られるだけのこと(前司教も実はすべて分かっているのでしょう)。ネオの問題は、上述のしまざきさんの発言とオリーブさんの言葉の端から、現司教のお陰で改善の方向に向かっているように感じる。森岡様達が身を挺して問うたことが、実は教区内に受け入れられ生かされつつある、との印象。(本当にそうか? また小豆島では? )
外野席の人間が心の片隅で抱いている勝手な夢想と考え、間違った認識で森岡様達のお気持ちを傷つけることを一番恐れています。
「語り明かす」はおかしい。「明かす」には二つ意味があるけど、「語り明かす」の「明かす」は「夜を明かす」の方で、「説き明かす」の「明かす」みたいには行きませんね。


ゲスト 2005/8/15 (Mon) 21:08:09
今では「ネオ神父」と言えば「新求道共同体の神父」、通称になっていますね。
新求道運動=ネオ・カテクメナト、愛称″と思えば・・・。
それより、司教の好みに合わせないといけないことなのですかね?
「分裂」のイメージ・・・仕方ない、そのものが起きているのですから「レデンプトーリスマーテル出の神父」でも同じでしょ。


2005/8/15 (Mon) 17:04:27
賢く近道を取りたいと思う気持、決して判らぬわけではありません。
ただ、そのような焦りからくる近道の選択は、往々にして、問題の本質を隠匿し真の解決を闇雲に先送りするばかりか、再び蟻地獄のような悪循環を繰り返す恐れが懸念されます。
また、自己を欺き騙し続けるだけの安易な妥協は、カトリックの負の遺産とも言える欺瞞的信者を生み出しますから要注意ですね。
今迄、高松教区問題を考える上で現実を直視する事は重要な課題でした。
それ故に、ある程度妥協の必要性が問われてくるのは納得できます。
しかしながら、ここで言う妥協とは、直接的に弱者と共に歩み直面する問題の解決、解消に向け、それらを追求し続ける努力をした者にのみ許される言葉であるということを忘れてはいけないと思います。


オリーブ 2005/8/15 (Mon) 14:45:02
う〜ん、私が言いたかったのは、糾弾するにしても注意深くしたいと思っているだけです。
「名前なし様」が、高松教区の方かどうかは分かりませんが、溝部司教様は、今は必死になって「新しい教区」「一致のある教区」「教区の建て直し」に重点を置いています。
このHPは、高松教区内では有名ですから司教様もご存知だと思うのです。批判も2チャンネルの状態の時もありましたがもし、司教様がご覧になった時に、内輪もめをしているような掲示板だと、反対に私たちの品位も疑われてしまうのです。
しかも、現時点で、司教様はネオカテの全てを排他したいのか、共存という道を探しておられるのか分かりにくいのです。
「名前なし様」が、高松教区の方でないのであれば特にお願いします。
司教様が変わって1年強の現在、色々な点で過渡期を向かえ、とてもデリケートな状態です。
意見・情報交換・団結力は、本当に良いことだと思うのですが、仲間同士での揚げ足取りのような発言、暴言は、かえってマイナスイメージを司教様にも与えかねません。
なので、どうしても「ネオの司祭」と呼びたいのであれば、反対することも止めることもできませんがせめて、仲間は一致団結している姿、行動を取れればと思っているだけです。
反対すれば、全てOK。というだけではなく賢く近道を取りたいと思う気持からのお願い
だったのです。言い争いをする気持はありませんでした。


2005/8/15 (Mon) 13:56:06
神父様を呼ぶにあたって特に意識しなければどこどこ出身の神父様とはいわないですよね。
ただここは国際宣教神学院・その出身の神父・新求道共同体を糾弾する場所だからこの掲示板では「ネオの神父」という言い方で良いのだと思います。
私は新求道共同体を指して「ネオ」と言う言葉にはすごく否定的なものを感じます。
ここでは否定的な意味を込めて使われていると思うのですが。
ですから.神父さんの会議とか信者のたとえば役員会みたいなところでいろんな人が居合わせているのに「ネオの神父」というのは私はあまり気持ち良くないとですね。


リー 2005/8/15 (Mon) 11:14:45
こんにちは 「名前なし様」そう喧嘩ごしにならないでくださいませ。
私としては、事実として新求道共同体司祭の養成(というか、それに深く関わっている人が神学生として入ってる、関わっていない人はいない神学校というイメージですが)かどうかは、別として
公の名前として、閉校にまで持っていけていない現在は、あくまで「高松教区の司祭」なのです。


オリーブ 2005/8/15 (Mon) 11:16:28
すみません、レスは500文字制限なので分けて続けます。
それは、その教区立を、個人として認めるか認めないかではなく、公の場では、文章には
そう記載されます。
そうであるならば、溝部司教様のお立場としては「ネオの司祭」というような表現は、お喜びにならないです。
今は、深堀司教のもとにいるのではなく溝部司教様のもとに彼らはいるのですから溝部司教様は、高松に彼らがいる以上、少しでも改善、勉強させたいと望んでおられるのです。
(彼らを好んでいるかどうかは別ですが)
もし御機会がありましたら、溝部司教様に「ネオの司祭」という呼び方をどう思われるか聞いてみてください。注意されると思いますよ。
オホーツク人さま、こんにちは私はカテドラル(高松桜町)で、彼らが「レデンプトーリスの」「レデンプトーリスの」と言ってるのをよく耳にします。どうも、普段は、そう呼んでいるのかもしれません。詳しくまではないですが・・・。


2005/8/15 (Mon) 10:34:05
新求道共同体⇒ネオ・カテクメナート、略してネオカテ。新求道共同体の司祭⇒ネオカテの司祭。
これの何処が分裂をイメージさせるか私には理解できませんが、1992年2月の特別臨時司教会議において、高松教区立国際宣教神学院は純粋な高松教区司祭を養成する為に設立されたものではなく、新求道共同体の司祭養成の為に設立された神学院であると司教団は認識し、議事録へもそのように記録されております。
喩え司教交代があろうと、高松教区立国際宣教神学院は未だ新求道共同体(Neo−catechmenate)の司祭を養成する神学院であるという事実に変わりありません。


オホーツク人 2005/8/15 (Mon) 00:52:41
う〜む、オリーブさん、「ネオ」が差別語のようになっちゃったかな・・・・・・「レデンプトーリスマーテル」出身・・・う〜む、長い・・・・・・良い略語考えなきゃならないな。ご意見お願いします。


オリーブ 2005/8/15 (Mon) 10:50:47
10日くらい前ということは、8月5日くらいですね。
スペインから15年ほど前に日本に来た宣教家族のお父さんが、1年半くらいの闘病のあと、癌で亡くなりました。
高松の幼稚園でバスの運転手をしていて、一部の父兄の方からは「フェリパパ」と呼ばれていました。
10人のお子さんのうち、2人は結婚などでスペインに帰っていますが、あとの8人は高松で、このまま母と暮らすようです。
1番下の子供は、まだ4年生です。
今は、夏休みで殆どの神学生が帰省しているので典礼などの準備で、残っている神学生が手伝うために、確かにバタバタとカテドラルに出入りしていました。
今は、神学校には、日本語の勉強をするために残っている入ったばかりの神学生しかいないのでザワザワしていたなら、5日のお通夜、6日のお葬式のことくらいだと思います。
400人以上の方がお葬式に参列しました。
他に何か問題があったのでしたら、私は分からないです。


2005/8/15 (Mon) 09:06:32
つい10日ほど前、高松のそのネオ神学院で又困るようなことが起こりましたか?ざわめいた様子ですがーーー


オリーブ 2005/8/14 (Sun) 22:56:51
東京都人さん、こんにちは
先ず、溝部司教様は、ネオの司祭という呼び方を好んでいないと思います。
例えば、他の教区の司教様から「あなたのところのネオの司祭は・・」等と言われて良い感じがするとは思えず、現在「建て直し」「一致」等に重点を置いているのに「分裂」をイメージさせるネオの司祭という名称を好むはずもないと思います。
できましたら、レデンプトーリスマーテル出身の司祭くらいに留めておかれたらと思います。
ところで、レデンプトーリスマーテルから出た司祭は、高松教区に12名(現在アメリカ等で神学等を学んでいる司祭も含む)また、神学校の院長方を含むなら、他に1〜2名じゃないでしょうか。
あとは、教区外に5名くらいだったと記憶しています。
確かに、司祭叙階される神学生の人数は、減ってきているようです。
もう少し、日本語や日本の文化に溶け込む、或いは、高松教区の為に心を尽くして奉仕する意思のある司祭にまで成長するのを、注意深く待ったほうが良いと思います。
時間が過ぎたから、単位を修得したからだけでは、全く不充分と思います。


しまざき 2005/8/14 (Sun) 14:27:29
高松教区におけるネオの司祭は、現在減少傾向にあるようです。
これは、溝部司教様が神学院への援助を一切停止しているのも一原因です。
また、教会司牧においても、司教様に従順を誓わないネオの司祭は現場から外されていますので、今教会で働いているネオの司祭はほんのわずかです。
これからも高松教区においてはネオの司祭はだんだんと居づらくなるので、減少傾向が続くものと思われます。


東京都人 2005/8/14 (Sun) 10:41:08
ところで、今現在、働いているネオの神父は総勢何人ですか。以前、いろいろと問題もあったようですが。
その後、落ち着いているのでしょうか?


瀬戸の若い花嫁 2005/8/13 (Sat) 11:00:44
司牧評議会のメンバーは『堅固な信仰、品行方正及び賢明さにおいて優れた信者』―そういう人が選ばれるなら、きっといい仕事が出来ることでしょう。司祭評議会と並んで2本の柱ということですね。期待しています。


『司牧評議会』 2005/8/12 (Fri) 11:54:40
高松教区が新しく年内に立ち上げる予定の『司牧評議会』のことで、溝部脩司教は司教教書「教区づくりを目指して」の中で「単なる活動団内の総括ではない。むしろ司教とともに教区を考えるブレイン。信徒の意見を吸収して、それを通して教区をより良き方向にもっていくように司教に助言し、司教を支える役割をもつ人たち…」と述べています。その重責が果たせるよう、優れた信者の人選が望まれます。
その『司牧評議会』について教会法(511〜514条)は主なこと、次のように定めています。
511条 各教区において、司牧的事情により必要と認められた場合、司牧評議会が設置されなければならない。この評議会は、司教の権威のもとに、教区における司牧活動に関する事柄を研究・検討し、それについての実際的な結論を提示することをその目的とする。 512条 (1)司牧評議会は、カトリック教会と完全な交わりの中にいるキリスト信者すなわち聖職者、奉献生活の会の会員及び特に信徒によって構成される。その構成員は教区司教が定めた方法によって選出される。
(2)司牧評議会に任命されるキリスト信者は、教区を構成する神の民全体を代表すべく教区内の諸地域、社会的身分、及び職業の多様性並びに個人又は団体として、使徒職上有している役割を考慮して、選出されなければならない。
(3)堅固な信仰、品行方正及び賢明さにおいて優れた信者でなければ司牧評議会の構成員として選出してはならない。<以下省略>
高松教区報107号にはこう書かれています。今日は、司牧評議会の構成メンバーをお知らせします。それは、司教、司教総代理、教区事務局長、教区会計、修道女連盟代表二名、
信徒代表八名(各県二名)、司教の指名する者若干名です。発足は今年度末か、来年早々になる見込みで、それに伴って教区信徒協は解散されることになります


S.S 2005/8/11 (Thu) 18:31:28
オホーツク人様
あなた様はいろんなことをご存じで、親切な心の優しい人だと感心しております。


オホーツク人 2005/8/11 (Thu) 00:22:19
いらっしゃいませ。初心者ですね。この場では字数に限りがあるのであなたの使ってた言葉について解説しましょう。
牧師・・・・・プロテスタント教会の坊さん。
司祭・・・・・カトリック、正教会(東京神田ニコライ堂など)
     の坊さん。「神父」は司祭の敬称です。
宣教師・・・教えを広める人。どんな教派でもこう呼ばれる方
     がいます。
「最も高い職」となりますと、教派によってちがいます。文が長くなるので一旦打ち止めしますね。さて、「最も高い職」はと言いますと・・・・・・カトリックは「教皇(ローマ法王)」ですね。全世界の「司教(地域の教会をまとめます。)」様をまとめる司教様です。ローマ教区が直属の地域になっています。
プロテスタントは教派の意思を決める会議で、教派をまとめてたり・・・・・とさまざまです。
正教会とプロテスタントに入る聖公会(イギリス国教会)では、「主教」様が地域の教会をまとめます。カトリックの「教皇」のような世界のまとめ役はいないです。
「神学部」についてはひと休みの後で・・・・・・
神学部・・・・・・キリスト教という1つの宗教の中の1つの教派の教えを学ぶ学部ですね。授業内容とか学費とか卒業後の進路などは大学に資料を送ってもらうとかして調べて下さい。インターネットも有効です。日本の国の場合は、神道、仏教・・・・・・いろいろありますから国公立大学では1つの宗教・宗派をえこひいきするなんて無理です。でも、哲学とか「宗教とは何か?」を学ぶ宗教学ですと国公立大学でも盛んなはずです。
この長い文ように、人生は長く、様々な事に出会う事になるでしょう。自分にはつらい事にも出会うでしょう。がんばって下さい。必ず、良い事にも出会えます。 
今後の進路指導は別のHPで受けて下さいね。


ゆうきじゅん 2005/8/10 (Wed) 17:04:07
キリスト教のサイトを見て感じたことで、国公立大学に神学部のある大学を見掛けません。
そういえば、キリスト教系の学校というと私立を指します。ついでにお金もかかる。
 神学部というのは、他の文科系学部と比べてどんな点が異なるのでしょう?学費が理科系並みとか、就職先が限られるなど。
 神職者の地位についてですが、牧師、神父、司祭、宣教師のうちで、最も高い職はどれか教えて頂けたら幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。


あしたに向かって 2005/8/6 (Sat) 17:16:19
みなさま、留守中の掲示板の書き込みを拝見しました。
これからの高松教区にとって希望をもたらす情報、ご意見をいろいろとありがとうございました。
私も中外日報の記事を拝見しまして、溝部司教様がこれからこの内容をどのように実現していかれるか期待しています。
特に信徒が司教に意見を述べる「司牧評議会」を年内に発足させたいと語っておられたことに注目しています。


桑 栄一 2005/8/2 (Tue) 20:17:32
私は今は一人の信徒としてカトリック浜松教会のミサに参加させていただいている者ですが、かつて神学校を卒業して牧師(正式には補教師)になったばかりの頃、その赴任先のある先輩から、「我が国は、有能な宣教師ほど幸せでない、というのが実状だ」と聞かされて、驚きました。
 溝部司教様のご苦労を、御地の賢明な信者さんたちがお察し下さることを願います。このことは、「自覚的な」「問題意識を持った」信者にも当てはまることを、皆様ご存じでしょうから。
 21世紀の教会が立つのも倒れるのも、生ける神の子キリストによるのです。そして、主はこれを立たせることがお出来になります(ロマ 14:4)


2005/8/4 (Thu) 12:03:35
神学院が閉鎖または東京・福岡の神学校と一本化されることは大きな大きな前進と思いますが その後というかそれと平行して信徒の分裂が修復されていかないといけませんね。まだまだ先は長いですね。


三重県人 2005/8/3 (Wed) 20:29:43
しょうゆ豆さま
 どうか今ひとつお待ちになってください。あなた様が「おいとまさせていただきます」などと別れの挨拶をなさるには時期尚早。
 発端の問題が解決に向かう兆候が見えたとしても、実際に具体的に解決するのかは、まだ分かりません。また、発端の問題から生じた、信徒個人個人にとっての一大問題(聖体拝領)はどうなるのでしょうか。
 すべてが解決するまで、「いとま」などということはまだ口になさらぬよう、お願い申し上げます。口さがない私ごときからのお願いですが、どうぞお聞き入れになってください。


しょうゆ豆 2005/8/2 (Tue) 09:39:37
7月30日付け「中外日報」の記事を何度も読み返し、希望をいただきました(もっとも、失望なんて出来ない性分ですが)。これからは、あしたの高松教区をこれまでとは違った感じで思い巡らせることが出来るような気がいたします。
このあたりで、しょうゆ豆はおいとまさせていただきます。さぬきのお惣菜「しょうゆ豆」のように甘辛く、香ばしく、素朴な味付けでお知らせしたい!と思いながらも、いつも急いで、にがく辛くなってしまいました。この掲示板でお馴染みの皆様方にはいつも我慢していただきお詫び申し上げ、そして心より感謝申し上げます。ほんとにいつもありがとうございました。それから忍耐を持って掲示板を管理しておられます日向さん、ありがとうございました。いろんなことがあり、これからもあるでしょうが、カトリックに導いてくださったことを感謝しています。


トモエ 2005/8/3 (Wed) 08:05:45
高松の神学院は、設立当初から出されているいろいろな神学院関係のものを見ても「高松教区立」となっています。ちなみに、2000年9月25日に前高松教区司教深堀敏司教が高松教区信徒に出した「高松教区の信者の皆様へ」という書簡の題は「高松教区立国際宣教神学院と新求道共同体について」です。
人との会話で、いちいち「高松教区立」とか「教区立」をつけて話さないでしょう。「高松の神学院はね―――」でしょう。


オホーツク人 2005/8/2 (Tue) 23:40:50
S.Sさん、微妙ですね・・・・・・


S.S 2005/8/2 (Tue) 14:03:36
オホーツク人様
先ほど友人から送ってもらった中外日報の記事のコピーを見ました。言われてみて気づいたのですが、溝部司教様は話の中で『高松の神学院…』と言う表現を使っておられるようで、「教区立」とか「教区の神学院」と言う表現は見当たらないようです。「高松教区立の…」は、記事の見出しにあるだけでした。


しょうゆ豆 2005/8/2 (Tue) 09:37:51
突然、思いもかけないメッセージが入っていてちょっと驚きました。とんでもありません。いつもカリカリしながらつたない書き込みで、あとで反省するばかりでした。恥ずかしくて照れてしまいました。どうしてこの私にこのようなことが出来るのかと、いつも自分を不思議に思いながら、でも、前進するためにも知っていただきたい、知っている方には確認していただきたい、いい加減なところでうやむやにしてしまっていただきたくない、という思いがいつも働いてしまいました。同じことを繰り返し書き込み、この板をずーと気にかけてくださっているみなさまにはうんざりだったことと思いますがお許しくださいませ


しょうゆ豆さんありがとう 2005/8/1 (Mon) 23:42:09
ここにきて振り返ってみると、しょうゆ豆さんの情報(コメント)は信者の立場にたっていつも正確で、信頼性が高いものでした。しょうゆ豆さんありがとう。


オホーツク人 2005/8/1 (Mon) 22:50:46
私は、「新求道共同体の神学校」にしか見えなかったけど・・・・・・「教区の神学校」だとはっきりおっしゃいましたか。ふむ・・・・・・新求道共同体が(高松教区の大失敗を踏まえて)日本のカトリック教会の典礼の事情を承知の上で自分で運営するという手も無いとは言えないでしょうけど、実行可能なのは、神学校をまとめてもらってでも「教区の神学生」を育てるための手立てを施す事なのですね・・・・・・溝部司教様、大変でしょうが頑張って下さいまし。


広島教区の信者さんから電話 2005/8/1 (Mon) 16:38:56
ああ、やっぱりそうですか。よかった。高松の司教さんは「今の神学院を閉鎖して、ネオを離れて日本に残りたいと望む神学生は『全国一神学院』計画に組み込んでいく」というお考えを明らかにされた、と理解しました。


2005/8/1 (Mon) 16:03:53
構想が固まっているって…いったいどなたが構想されているので?


しょうゆ豆 2005/8/1 (Mon) 15:15:11
7月30日付け「中外日報」に『」着座一年・溝部司教に聞く』というインタビュー記事が出ています。
「この一年、全力投球してきたつもりです」。と溝部司教様は語られ、見出しには「何よりも言葉を大切に・素直な対話」。「まず経理立て直し」「高松教区立の神学院」「全国一神学院構想に組み込まれる日も…」とあり、それらに対するお考えや感想を述べられています。
トップ出出しには、「信徒の心をひとつに」と「前司教を支持するかどうかで二つに割れていた信徒の心をいかに修復するか―。これまでの司教が体験したことのない重荷を背負っての、教区運営の日々だった」。と書かれています。
「言葉を大切に」ということを貫いてきました。信徒に私の考えを率直に述べて聞いてもらう。話をするたびにホームページにも載せました。9月には一年間の記録を一冊にまとめたいと思っています。と。
経理関係については、「教区事務所のスタッフが司教を補佐することが出来なかったところに問題があります。私は教区事務所のメンバーを入れ替え、サレジオ修道会から、会計に明るい神父に来てもらって、経理の建て直しをはかりました。と語られています。
神学院に関しては、「教区が分裂していたのでは神父になりたいという志願者は出ません。日本人が神父になりたがらないから、外国の神父に頼るというのは間違っています。私は青少年の活動を進めることで神父志願者が出てくる雰囲気を盛り上げたい」。といわれ、そして、前司教が開設した「高松国際宣教神学院」については、『いつ、どんな形になるかわ分かりませんが、いずれ高松の神学院も「全国一神学院」構想に組み込まれる時期がくるのではないかと、私は考えています。と語られています。
神学院に関して、このようにはっきりと語られているものを読むのは私ははじめてでした。


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