2006.1

オホーツク人 2006/1/29 (Sun) 00:14:43
おいおい、戦後処理の最中におどかしてくれるね。「2ちゃんねる」じゃないのはわかってるんだろうな。
わかってなかったら・・・・・・その時決めるか。
 マジで平和さんのような人が来るならば、管理人さんの話を聞くようにさせたいものだ。
先の「嵐」の時は、「どうして責められるの?」と泣いているの見て「話を聞いて下さい」とお願いしたけど、「やり方変わったら御聖体受けられるの?御聖体を受けられないのは他に理由があるんじゃないの?」という答えだったから対話はできなくなったんだ。
確かにむずかしいよ。日本と北朝鮮、イスラエルとパレスチナの上をゆくかもしれない。簡単な言葉で、熱を冷ますように、声かけてみるべ。


バチカン気象台 2006/1/28 (Sat) 18:14:03
今は嵐の前のようです。


オホーツク人 2006/1/25 (Wed) 23:06:12
今は嵐の前なのか?終わりなのか?平和さんは本当に日本語がわかるのか?
謎を多く残してますね。平和さんは。
「折敷に三の字」の紋所を背負う伊予系道産子も困りました。管理人さんと連絡取りながら今後の策を練ることにします。
零様、お元気で。さて、お茶飲むか・・・・・・


越智零2006/1/25 (Wed) 08:51:03
平和さん。
信念を持って書き込みなさるのは結構ですが、事情をわからずに書き込みされているようで、読んでるこちらは多少いらいらします。
まず、このホームページがなんのためにあるのかを知ろうとしてください。
このホームページに記載されている記事をすべて(すべてですよ!)注意深く読んでください。
ゲストブックも最初から順を追って読んでみてください。どうぞよろしく。


オホーツク人 2006/1/24 (Tue) 23:49:20
平和さん、長い間パソコンと向き合うと疲れますよね。わたしも疲れます。
あなたの悩み、このホームページの管理人さんの悩み、わたしの悩み・・・・・・いろいろつらい事がありますけど、ひとまず気持ちを楽にしましょう。
日本語で「こんにちわ」あなたの国(ふるさと)ではなんと言いますか。
英語の記事は、だれかに日本語に直してもらって読みます。ああ・・・・・・時間がかかる・・・・・・


平和 2006/1/24 (Tue) 14:05:14
分かりました、そして、なにを言いたい?新求道共同体の典礼は40年間の間やって来ました、すべての変わったことが許可の上で、問題がありません。
実際には共同体は続けます。もし共同体のやり方は間違っていれば、バチカンは教会全体に公に手紙を書く、そして、すぐ間違った所を直す、今回はそうじゃないです。
今回の手紙では御聖体拝領だけ変わる、立ったままで受けるよになるが、その手紙によると2年が与えられました。すぐ変わらなくていい、その二年間の間また話がある。そして、結果として、新求道共同体が御聖体拝領のやり方を変わっても 間違った、悪かったと言う意味じゃない。共同体が使うパンも使えるし、ぶどう酒も大丈夫です。
とにかく、カトリック新聞の記事はそんなに。。残念ながら彼らがバチカンの手紙を読まなかった。読んだらその記事を出さない。まあ、いつも新求道共同体に対して悪い記事だす。 
私はインタネットで他の良いことを読んだ、たとえば今月の12日には教皇様は新求道共同体の200組の家族を宣教家族として全世界に送られた。日本にも。
スペイン語、イタリア語、英語、フランス語、ポランド語など書いてあります。残念ながらカトリック新聞まだそれにたいしてなにも書いていない。もしかしたら今週でるけど、出ないでしょう。
あるいは共同体のお陰で司祭になった1200人の司祭、あるいは、(現代62の神学校が始まりました、高松の神学校はヨハンネパウロ二世が望んだ神学校)、400組の宣教家族、あるいは、数千のシスター、二千の神学生。。。
即ち、反対する事よりも、祈りましょう。私たちもも神様に裁かれる、計る計りで計られる。
もしかしたら。。。私も入るかも入って見ないと判断は出来ないと思います。
Bye.
これを見つけた、英語。
Neocatechumenate on the Holy Sees Guidelines
Interview With Giuseppe Gennarini
NEW YORK, JAN. 1, 2006 (Zenit.org).- The Neocatechumenal Way welcomed the Holy Sees dispositions on the celebration of Mass within the Ways communities.
The guidelines were presented in a letter, dated Dec. 1, signed by Cardinal Francis Arinze, prefect of the Congregation for Divine Worship and the Sacraments. It is addressed to the Ways initiators and directors: Kiko Arg醇・llo, Carmen Hern醇@ndez and Father Mario Pezzi.
To better understand the document, ZENIT interviewed Giuseppe Gennarini, a spokesman who is in charge of the Way in the United States.
Q: What is the significance of this letter for the Way?
Gennarini: For the first time, the Holy See has accepted several variations to the way the Eucharist is celebrated within the context of the Neocatechumenal Way, as licit adaptations to help contemporary man to better receive the grace communicated by the sacraments.
To the best of my knowledge, this is the only case in which the Holy See has granted such an explicit permission to an ecclesial group.
Until now we had done so with verbal authorization from the [Vatican] congregation, but not in writing. In fact, John Paul II had always supported this concept, and he even expressed it in his apostolic letter Dies Domini, in which he spoke about the possibility that in view of special needs in the area of formation and pastoral care such celebrations of the Sunday Mass could take place.
Q: Which are the liturgical variations allowed by the congregation to the Neocatechumenal Way?
Gennarini: Cardinal Arinzes letter accepts the principle of special celebrations for the Neocatechumenal communities on Saturday evening.
To better understand the importance of such concession, we must take into account that many have opposed this practice of the Way, considering it elitist or divisive, although the liturgies of the Way are open to all.
In spite of these criticisms, this principle has been officially approved. The request for partaking once a month in the general celebrations of the parish is already a widespread practice, as for example in the context of such liturgical solemnities as Christmas, Epiphany, the Mass of the Lords Supper on Holy Thursday, the patronal feast, the Assumption, All Saints Day, and the Immaculate Conception.
he letter also restates the article of the Roman Missal regarding [commentaries], but extends its use from an extraordinary practice to an ordinary one. The echoes before the homily have also been accepted; this is something completely new in the Church and receives here some general guidelines.
The letter also allows for the sign of peace to take place before the offertory. To understand the magnitude of this concession, we must remember that only a few weeks before the signing of this letter, the prefect of the congregation had explained to hundreds of bishops attending the Synod on the Eucharist that no one would be allowed to change the place of the sign of peace. In fact, several bishops conferences had requested such a variation, but it has never been allowed.
すみません、ちょっと長い。。
http://www.camminoneocatecumenale.it/es/news.asp?id=16
ここ見てください


桑 栄一 2006/1/24 (Tue) 06:50:44
サンパウロの「キリストと我らのミサ」も、オリエンスの「ともにささげるミサ」も、忠実に「ミサ典礼書の総則」に従っています。それが教会の確固たる伝承を証するものだからです。
典礼憲章は、「何人も、たとえ司祭であっても、自分の考えで、典礼に何かを加え、除去し、変更してはならない」と定めています(22)。
新求道共同体の主張するやり方は、初代教会の例に倣って・・・といわれています。わたしも Lietzman の A History of the Early Church という名著から、彼らの主張の出所を理解出来ますが、しかしそれは今日に残っている一つの記録、一つの例でしかありません。
生きた教会の歴史を通して、多くの取捨選択と吟味を経て、今日のカトリック教会に伝えられて来ているものが、「ミサ典礼書の総則」という形で世界の教会に提供されているのです。


平和 2006/1/23 (Mon) 20:35:41
確かに、私は色んな意味で無知な人ですが、正直に言えばあなたは新求道共同体に入っていますか?入っていないと思うね、そでしたら あなたのどんな関係がありますか?
関係がなければ、どして認めない?もし、誰かが日本人か外国人か入りたければあたなたと関係がないでしょう。
私には私の教会のヨセフ会が好きじゃない、けど認める、他の男達は入りたければ 私は妨げません。関係ないから。
日本の事情って?説明して下さい。日本は特別ですか?私は仕事の為に日本に来てから16年前位です、日本は大分変わったね、アメリカ見たい、全世界は小さくなったよ。日本は特別ではない、まあ、仕事、仕事、仕事。


2006/1/24 (Tue) 01:22:39
お気楽に本音を出させましょう。「あっぷっぷ」は控えましょう。


2006/1/23 (Mon) 14:49:57
平和さんは、日本の事情をお分かりになっていないようです。


オホーツク人 2006/1/24 (Tue) 01:06:55
私が住むのは北海道のオホーツク海岸です。
 この地方の教会を司牧している神父さん達はミサの形を変える事なく「ひとくふう」しています。
◎平和のあいさつの省略
 私のお師匠様(オランダ人。フランシスコ会士。)です。「主の平和がいつも皆さんとともに。」「また司祭とともに。」すぐに平和の賛歌です。20人ほどでいっぱいになる聖堂でのミサですし、くる人全部よく知っている顔ですし、ミサの前にあいさつはすんでますので・・・・・・
◎パンとカリスをいっしょに供える
 これも私のお師匠様です。先に書き込んだシナリオではそれぞれ分けて供えられますが、どちらも同じ祈りの言葉ですので、2ついっしょに供えています。信徒がとなえる「神よ、あなたは万物の造り主」は1回ですみます。
◎御聖体に御血をつけて信徒に渡す。
 これは地区長神父さん(日本人。フランシスコ会士。)です。この神父さんのおかげで、神の体と血を信徒自身の体で感じ取ることができます。でも、神の体だけでも充分に聖霊を受けられる事は地区長神父さんも知っています。
いずれの神父さんのミサも飛び込みOKです。
以上、神父さんの「ひとくふう」でした。


オホーツク人 2006/1/23 (Mon) 23:46:32
平和さん、お待たせしました。
 今、私の手元に「キリストと我等のミサ(改訂版)」(サンパウロ刊)があります。日本の多くの人に知られてる小さな小さな信徒向けのミサのシナリオです。
 私もあずかるミサはすべてがこのシナリオどおりに進められています。ただし、小教区によって細かいくふうがなされる事がありますが、典礼の順番と形は変えられていません。
入祭 入祭の歌→あいさつ→回心→栄光の賛歌→集会祈願
ことばの典礼 旧約の朗読→答唱詩編→使徒書の朗読
       →アレルヤ唱→福音の崇敬と朗読→説教
       →使徒信条を唱える→共同祈願
感謝の典礼 奉納行列→パンとカリスが供えられる
      →奉納祈願→感謝の賛歌→司祭が奉献文を
      唱え、御聖体と御血に変えられる
交わりの儀 主の祈り→平和のあいさつ→平和の賛歌
      →司祭の拝領の後で信徒の拝領→拝領祈願
閉祭 派遣の祝福→閉祭のあいさつ→閉祭の歌
以上がミサの流れです。この後の書きこみでは、私が見ている「ミサの中でのひとくふう」をお話しましょう。


オホーツク人 2006/1/23 (Mon) 01:07:39
見放さないで待っていて下さい。長い文の返事を書き込みますので・・・・・


平和 2006/1/22 (Sun) 17:21:45
共同体のせいで御聖体を受けることが出来ないですか?
言葉だけではなくて、捧げられるミサは日本の中にも少し違いがあります、これは共同体と関係がない。もし彼らがやり方が変わったら御聖体を受けることが出来ますか?普通でしたら、御聖体を受けなければ他の理由があるでしょう。


オホーツク人 2006/1/22 (Sun) 00:40:56
このホームページを見ている平和さんだから、お願いを申し上げます。
どうぞ、共同体になじめないために「神の体になったホスチア」を受ける事ができなくなった人達の苦しみ、今までの仲間とはなれなければならなくなった人達の苦しみの話しを聞いてください。
おたがいに、国によって言葉はちがっても同じやり方でささげられるミサを大事にしましょう。私たちはカトリック信徒ではないですか。


平和 2006/1/21 (Sat) 21:51:51
ね、していないが、バチカンの手紙を読んだ、そしてやっぱり、カトリック新聞の記事とちょっと違う。確かに共同体の典礼は少し変わるだろうが今までやったことは間違ったと言うことはない、ただ変わりがあります。カトリック新聞を読むと新求道共同体は今まで(40年位!)自分でやった、これはただの嘘です。新求道共同体はとても尊敬されている。教会の実りとして認められている。これにたいして間違いない。
私は入っていないからカトリック新聞には手紙を送らない、これは、必要でしたら、共同体の責任者はやるだろう。
新求道共同体は良いか悪いか。。。。それはは神様に任せる、裁きは彼ののもの。今、教会の判断は良いことだと言われました、間違いありません。日本では良く見られていないかもしれないが、日本の共同体は30年から始まった。まだやってるよ。
今、共同体を持っている司祭の聞いて下さい。
私は今参加している教会には新求道共同体は一つあります。教会には70パーセント年寄り、共同体には子供が多いです。15年位後、教会はどうなるの?私によると共同体は大きな役目がある。教会の未来です。子供がいれば、希望があります。子供がいなければ希望もなくなる。共同体を邪魔しない方がいいと思います。バチカンは何か変わる必要があればと思えば、教えるでしょう、それ以上私たちは何も言わない方がいいと思います。
私は最近このホムページを見つけた、少しがっかりした。何で信者たちはこんなことするの?恨み、憎み、ねたみ。。悪口など。。。噂をひろがる。。。 その後私の心を見て同じものがありました。私はまた欠点いっぱい、罪いっぱい、何で相手のこと裁くの?自分のことも判断出来ないのに。。。
皆に平和 私の変な日本語許してください。


天の声 2006/1/21 (Sat) 07:27:34
平和さん
何が良いことで、何が良くないことか、はっきりしなければなりません。『吟味して、良いものを選びなさい。悪いものからは遠ざかりなさい』


オホーツク人 2006/1/21 (Sat) 00:00:50
平和さん、カトリック新聞社に(記事について)問い合わせをしましたか?


平和 2006/1/19 (Thu) 21:56:23
そして、知ってる限り、新求道共同体に入っている人たちが日曜日のミサにも参加します。。。
とにかく、新求道共同体に入りたい人が入る、出たければ出る、無理に誰も入れない、まったく自由な事です。
何で問題にする?共同体のやり方にあわなかったら入れないで下さい。問題がありません。
終わる為に、このページに話される事はあんまり意味がないと思います。最後には裁きになってしまう。


平和 2006/1/19 (Thu) 11:36:05
そして、教会法によると信者達は自分にあう霊的な指導を選ぶ事が出来ます。教会には色々な霊的なやり方があります、新求道共同体は一つです。全世界に広がっているし、実をたくさん出ました、神学校、司祭、宣教家族、回心、宣教女性、家族が立て直されました、教会のない所にも行くし、今月12日は教皇様は新求道共同体の200組の宣教家族を派遣しました。今の教皇様のお陰でドイツに共同体を始まったし、パウロ六世、ョハンネ・パウロ二世もサポートした。
それと同時に問題もでる、当たり前。けど皆同じ事、同じやり方、祈り方など。。出来ないと思います。


2006/1/20 (Fri) 02:45:07
ホミリアとは、確か説教のことだと思うのですが。


2006/1/20 (Fri) 00:21:12
「ホミリア」ってなんでしょうか?わかる方、教えてください。


平和 2006/1/19 (Thu) 11:27:32
新求道共同体に入っている人たちは一回もホミリアをしたことがない。確認しています。間違いないです。


らー  2006/1/17 (Tue) 02:18:22
異端は、一日でも早く無くすべきです。そして教会の規定に従いましょう。ミサは、少なくとも主日にあずかりましょう。
ミサ中に信者は、説教の類をしてはいけません。教会が定めた方法で聖体拝領しましょう。


オホーツク人 2006/1/17 (Tue) 00:53:41
記事のまちがいについては調べないといけないですね。調べる事ができる人には早く取り組んでいただきましょう。
でも、わかって下さい。
日本人の多くは、「新求道共同体のやり方」を学ぶ前に、世界のどこでも通じる信仰を学ばなくてはいけません。
世界のだれでもあずかる事ができるミサも学ばなくてはいけません。この事をわかって下さい。


平和 2006/1/16 (Mon) 22:32:12
信じられない、誰がその手紙を読みましたか?実際には新求道共同体の感謝の祭儀が変わらない。
土曜日の夜のミサ、導入、分かち合い、平和の挨拶、聖体拝領も続けられます!
聖体拝領については2年間がまだありますがもし悪いことしていえれば、禁じられるでしょう。2年じゃない、すぐ禁じられる。
実際にはヴァチカンは新求道共同体のやり方を認めた。
新聞で出た記事は、やっぱ、間違った、悪い心で書かれた記事でした。
カトリック新聞は確認しないで別の新聞からの記事をとって出す、それはやっぱ、大きな無責任です。
私は外国人だから変な日本語で書きます、お許し下さい。カトリック新聞は公に誤る必要がありますと思います。


平和 2006/1/15 (Sun) 23:09:23
信じられない、誰がその手紙を読みましたか?実際には新求道共同体の感謝の祭儀が変わらない。
土曜日の夜のミサ、導入、分かち合い、平和の挨拶、聖体拝領も続けられます!
聖体拝領については2年間がまだありますがもし悪いことしていえれば、禁じられるでしょう。2年じゃない、すぐ禁じられる。
実際にはヴァチカンは新求道共同体のやり方を認めた。
新聞で出た記事は、やっぱ、間違った、悪い心で書かれた記事でした。
私は外国人だから変な日本語で書きます、お許し下さい。新求道共同体と関係ないし、キリストに従いたい、嘘を言うってはイケナイ、カトリック新聞には今回嘘を言いました、間違いました、公に誤る必要がありますと思います。


2006/1/15 (Sun) 22:55:53 信じられない


天の声 2006/1/15 (Sun) 18:18:52
典礼聖省は小出しにしないで、懸案の重要なところに早く踏み込むべきである。


しょうゆ豆 2006/1/14 (Sat) 16:00:19
「ラウダーテ」に行きました。又、15日のカト新にもCNSのものが載せられていました。各紙、少し違った感じの部分もあると思いましたが、これら各社のニュースからバチカンはネオカテのことで動いているということを感じました。
振り返り、この掲示板が立ち上がった前後の当初、私たちは神学校建築反対、ネオカテの活動は納得できない、と、署名嘆願書や手紙等を悲痛な思いで送った宛先は教皇庁大使であり、それはとりもなおさず聖座へ向けてのことでした。思いは今も変わらずです。様子見ていてください、オホーツク人様。


オホーツク人 2006/1/13 (Fri) 00:41:43
一件があってご無沙汰しました。
バチカンからお達しは出たようですが・・・・・・
女子パウロ会HP「ラウダーテ」のキリスト教ニュースのコーナー(記事は来週木曜日に更新される予定。お早めにご覧下さい。)も見て下さい。
伊予の人だったひいじいさんから継いだ「折敷に三の字」の紋所を背負う私には、もうしばらく気になる問題ですね。様子見ますぞ。


およよ 2006/1/4 (Wed) 14:39:01
1964年に、キコ・アルゲイヨとカルメン・エルナンデスによってマドリッドの貧民街で始
められた新求道共同体の道は、日曜日の代わりに土曜日にミサを挙げており、聖体はテーブル
の周りに着席している信者らに授けられている。
これに加えてこの集会の平信徒たちは礼拝中に説教することが許されている。
一方、司祭は余り重要ではない役割を演じている。
バチカンの手紙は、新求道共同体の構成員は、通常の小教区典礼の間に、少なくとも月1回は
日曜日にミサを挙げるべきであり、すべての指定された祈りに従うべきで、司祭か助祭が説教し、
そして聖体は立つか膝まづくかして拝領すると述べている。(translator:S)
教皇ベネディクト16世 ネオカテを叱責 (ネオカテ = 教会内の平信徒運動)
12月29日(木)12:42PM ET バチカン市発(AFP(フランス通信社))
前任教皇のヨハネパウロ2世とパウロ6世が称賛した福音的カトリック平信徒運動に対し、
ベネディクト16世教皇は教会の典礼基準と同調するようにと警告する公式の譴責を発布した。
専門的なカトリックメディアによると典礼聖省長官ナイジェリア人のフランシス・アリンゼ枢
機卿は手紙で、幾千もの信奉者が居ると主張している新求道共同体の道運動に、そのやり方を
変えるように要求している。


およよ 2006/1/2 (Mon) 04:21:06
The Neocatechumenal Way, launched in the Madrid slums in 1964 by Kiko Arguello and Carmen Hernandez, celebrates mass on Saturdays instead of Sundays, and communion is administered to the faithful seated around a table.
In addition, lay members of the congregation are allowed to preach during the service, while the priest plays a relatively minor role.
The Vaticans letter says m embers of the Neocatechumenate should celebrate mass on Sunday during the normal parish liturgy at least once a month, that all the prescribed prayers should be followed, that a priest or deacon deliver the homily, and that communion be administered while standing or genuflecting.
教皇ベネディクト16世、ネオカテを叱責
Church lay movement Thu Dec 29,12:42 P M ET
VATICAN CITY (AFP) -
Pope Benedict XVI has issued a reprimand to an evangelical Catholic lay movement which was praised by his predecessors John Paul II and Paul VI, warning it to fall into line with Church liturgical norms.
A letter reported by specialist Catholic media from Nigerian Cardinal Francis Arinze, head of the Congregation for Divine Worship, demands that the Neocatechumenal Way movement, which claims thousands of followers, change its practices.


2006/1/3 (Tue) 16:35:03
バチカンは基準と一致した聖体拝領を実施するように新求道共同体に2年間(の猶予)を与えた。一方では、平信徒たちがミサ中で、短くて説教と混同しない限り、感想を述べ続けることを認めている。
バチカンは2002年から5年の期間、新求道共同体の道の規則に試験的許可を与えた。その規則には或る教令の中でヨハネパウロ2世がその活動に対し熱狂していることを強調している(中略)


2006/1/3 (Tue) 16:34:05
1964年に、キコ・アルゲイヨとカルメン・エルナンデスによってマドリッドの貧民街で始められた新求道共同体の道は、日曜日の代わりに土曜日にミサを挙げており、聖体はテーブルの周りに着席している信者らに授けられている。これに加えてこの集会の平信徒たちは礼拝中に説教することが許されている。一方、司祭は余り重要ではない役割を演じている。
バチカンの手紙は、新求道共同体の構成員は、通常の小教区典礼の間に、少なくとも月1回は日曜日にミサを挙げるべきであり、すべての指定された祈りに従うべきで、司祭か助祭が説教し、そして聖体は立つか膝まづくかして拝領すると述べている。


すずき 2006/1/3 (Tue) 16:32:33
[コメント]: 教皇ベネディクト16世、ネオカテを叱責
教会内の平信徒運動 12月29日(木)12:42PM ET
バチカン市発(AFP(フランス通信社))
前任教皇のヨハネパウロ2世とパウロ6世が称賛した福音的カトリック平信徒運動に対し、ベネディクト16世教皇は教会の典礼基準と同調するようにと警告する公式の譴責を発布した。
専門的なカトリックメディアによると典礼聖省長官ナイジェリア人のフランシス アリンゼ枢機卿は手紙で、幾千もの信奉者が居ると主張している新求道共同体の道運動に、そのやり方を変えるように要求している。


2006/1/3 (Tue) 16:34:05
1964年に、キコ・アルゲイヨとカルメン・エルナンデスによってマドリッドの貧民街で始められた新求道共同体の道は、日曜日の代わりに土曜日にミサを挙げており、聖体はテーブルの周りに着席している信者らに授けられている。
これに加えてこの集会の平信徒たちは礼拝中に説教することが許されている。一方、司祭は余り重要ではない役割を演じている。
バチカンの手紙は、新求道共同体の構成員は、通常の小教区典礼の間に、少なくとも月1回は日曜日にミサを挙げるべきであり、すべての指定された祈りに従うべきで、司祭か助祭が説教し、そして聖体は立つか膝まづくかして拝領すると述べている。


およよ 2006/1/2 (Mon) 04:20:12
The Vatican has given the Neocatechumenate two years to bring its practice on communion in line with the norms, while allowing lay people to continue to deliver reflections at the mass, as long as they are brief and not confused with the homily.
The Vatican gave experimental approval to the Neocatechumenal Ways statutes for a period of five years from 2002, stressing in a decree the enthusiasm of Pope John Paul II for its work.
(中略)