レファンスさん、私がスターレイクを後にして、もう2年の歳月が経ちます。
たった2ヶ月の間でした、けど私にはレファンスさん達と過ごした時間はとても大切な思い出です。レファンスさん、セシリさんは、16歳になっているはずですね、私も今日16歳の誕生日を迎えました。
18歳の誕生日までには、またスターレイク島へ行けるようにお母様にお願いしています。2年前に言えなかった大切な言葉……レファンスさんに伝えたいんです。











「起きてっ、レファンスッ!」

「レティシアっ」

 ガバァッ

 小さな家の一階にある少年の部屋……。幾分小さくなったように思える古ぼけたベットの上で眠っている少年は、意識の外部から干渉してきた女の子の声に過剰に反応し、夢で思い出していた数日前に届いた恋人の手紙の言葉に自らの想いをかえす。

 それが……セシリにいきなり抱きつく結果になった。

「キャアアアアッ」

 その日のスターレイクは、珍しく強い日差しに包まれていた――。

 いつも冷たい風を運ぶ空も、今日は雲一つ流してはおらず、ただ涼しい弱い風がその空間を支配していた。

 夏の日差し……その木漏れ日の降りかかる緑に包まれた小高い山の小屋――。

 16年前から変わらない元気な女の子の声が風に響く――。

 それに次いで決まって響く男の子の声――。

 この小さな家の周辺に響く声はいつも決まっていた。

「い……、な、何すんのよっ!この変態っ!」

 バキッ

 この家に飼われているオウムですら分かるその音……少女のゲンコツの音。

「あいたっ……あ、あれ?」

 クリーム色との髪と美しい蒼い目を持つ少女の柔らかい温もりではない……あの懐かしい、ふんわりとした優しい髪と声でもない。

 少年は抱きついた少女がセシリだと気づいた時、自分が自殺行為に等しいを事をしてしまったと本能的に悟り、過激な制裁を覚悟するとともに、曖昧な笑みを浮かべて可愛そうなくらい焦せってみせる――。

「あれ……じゃないわよっ。緊急自体なんだから、さっさと起きなさい!」

「緊急自体って……?どういう事?」

 気勢の強い少女の声が、本当に自分を急かしていると少年は判断する事ができた。

 少女が重罪を犯した自分をそれ以上攻めることなく、すんなりと話題を切り替えたからだ。いつもなら、ゲンコツの後、もっと嫌味なことを言われてもおかしくはないのだ。

 だから少年は、すぐに身を起こして目をこする――。

「とにかく、早く街に行きましょ!ニナが来てくれているのよ!」

「……うん?」




「……で?ホントにどっかの国の艦隊が港に停泊を求めてきてるわけ?」

「なによ〜、セシリ、村長さんから聞いてないの?」

「だって、おじいちゃま、一週間前からずっと本島に行ってるんだもん」

「山の上に住んでると時代から取り残されるわよ〜。それに、セシリの家ってさ〜」

「なに?」

「よくレファンスとセシリを二人っきりでおいとくわよね〜?間違いでもおきたらどうするつもりなのかしら〜?」

 小さな島の小高い山の斜面……。

 汗ばむような日差しの下、麓の港街へ向けて走る影が3つ――。

「セシリなんて、熊に襲われたって平気なんだ。だから、僕と一緒に居てどうなるわけでもないんだよ」

「熊に襲われても平気って……セシリ……」

 意地悪な笑みに携えてニナが風に乗せた言葉に、レファンスが淡々と応える。

 あまりにも金色の髪の少年の言葉が冷たかった為に、ニナはそれが冗談だとは思えず、苦笑してそう言う。

「根拠も無く失礼なこと言うんじゃないわよ、あたしはか弱い乙女なんだからね」

 レファンスの隣を走っていたセシリは、ジト目で少年を睨んで抗議の言葉を少年に向ける。だが、そのセシリの言葉にも根拠は無いと言えた。

「根拠あるよ、最近家の近くに住みついたおっきな熊、セシリを見ると ペコペコ礼をして行くじゃないか」

 少年は表情を変えず、世にも恐ろしいその光景を思い返して言葉を続ける。

「だから何よ」

「僕見たんだ。前にセシリが熊をじゃいあんとすいんぐで投げ飛ばすの」

「あんただってジャイアントスイングで投げ飛ばされてるじゃない」

「……僕を投げ飛ばすのとは違うだろ」

「大して違わないわよ」

 二人の少し後ろから斜面を駆け下りているニナは、その二人のやりとりに黙って苦笑するしかなかった。



 ――――夏の風が空を駆け抜ける







「ねえ、ニナ」

「な〜に?」

「……あれさ、火事じゃない?」

 セシリ達の家を出て、山の斜面を数分下ると、この島唯一の町、ユーポートの全体が日差しを受けて美しく少女達の視線に映る。

 ユーポートの向こう……果てしない南の海の空は深く蒼い――。

 1年のうち、このわずかな夏の時期にしか見ることの出来ない北極圏の澄んだ蒼い空。

 だが、その空に立ち上る黒い煙――。

 不自然な色をした煙は、ユーポートから立ち上っていることが遠目でも確認できる。

「……真夏に火事なんて……珍しいわね?」

「――ち、違うよっ!ほら……」

 セシリの神妙な声に反応するかのように、レファンスの鼓動と声が弾ける――。

 その視界が、巨大な戦艦数隻が港に停泊しているのを見つけたから――。

「まさかと思うけど……。僕、家に帰って剣を持ってくる」

「……まさかでしょ」

「セシリ、いそごっ!」

 セシリが肩を竦めて言葉を発した直後……3人の視界に街の別所から火の手があがる様が飛び込んでくる――。

 それを見たニナが、悲鳴に近い声でセシリにそう叫ぶ。

 セシリやレファンスの動向を見ずに、街へ向かって駆け出すニナ――。

「二人は先に行っててよ。……もし危なくなったら、すぐに家に逃げてきて」

 そのニナを追って走り出そうとしたセシリの背中に、レファンスが言葉をかける。

「あんたに言われなくてもそうするわよ……でも、港の人達……心配じゃないっ!」

 振りかえったセシリは、吐き捨てるようにそう言って、レファンスが再び家に向かって山を登るのを確認すると、自分もすぐにニナの後を追って走り出した。







「っ……なによこれ……」

 雲のない高い空の下――。

 少女達が山から降りてくる間に、静かな港町は、赤い炎に包まれていた。

 つい先ほどまでは、数軒が燃えている程度にしか見えなかったそれは、視界をすべて飲み込むほどに広がっている。

「酷ぉい……」

 街の外れにある林道でそれを見た少女二人――。

 立ち止まって、虚ろな声を風に乗せる。

「セシリッ、私家の方を見てくる」

「それがいいかもね、あたしは姉さんの所に行ってみるから……」

「ヤバくなったら、無理しないで逃げてよね、いくらセシリが強くたって……」

「分かってるわよ。ニナも気をつけて」

 少女達の前で分かれる林道……互いの道を進む合図として、手をパンと打ち合わせて、口早にそれだけ言うと互いに振り向くことなく、二人は目の前の道を進んでいった。











 少年が少女達と別れてから数十分後……。

 街外れの静かな林道――それは、先程二人の少女が手を打ち合わせた場所。

 ここで少年が立ち止まった理由。

 美しい木漏れ日は、この北極圏では貴重なもの。

 だが、その木漏れ日の向こう。

「嫌な予感っていうの……的中したんじゃないのか……」

 少年の視界を揺らしたそれは、顔見知りの八百屋の一家である。

 赤く染まった服を、同じように真っ赤に染まった手で押さえ、足を引きずるようにレファンスの方へ向かってくる数名の足音――。

 色のコントラストというものが、少年の頭に異様な感覚を齎し、呆然と立ちすくむ少年にうっすらとした言葉を投げさせる。

「……ぁ。……あのっ」

 レファンスは、何があったのかと尋ねる為に、反射的に前に出て声を続ける――。

「っ」

 しかし、店主をやっている青年の左腕が肩口の辺りからばっさりと無くなっている事と、3人いるはずの一家の子供が2人しか居ないという事に気づき、レファンスは目を剥いて言葉を失う――。

「レ、レファンスちゃんっ、こんなところで……どうして逃げないのっ!?」

 震えて年不相応な物凄い形相をしている幼児を、二人抱きかかえた八百屋の女将の怒鳴るような声が、それに代わり林道を駆ける。

「うわあああああん」

 その母親の声に体をビクンと弾ませて、突然泣き始める子供二人――。

「逃げるって……何があったんですか?」

 レファンスは、口を聞く事も出来ない八百屋の店主と、この子供たちの様子を不安げに尋ねる。

「いいから早く山に逃げなさいっ、ここに居てはダメよっ、事情は後っ」

「そんなっ……セシリが先に街へ行っているはずなんで……」

「ダメよっ、あなたも死にたいのっ?」

 レファンスは、自分の手を引こうとする八百屋の女将の声と手を振り解いて、『死にたいの』のという言葉に現実感を覚えられないまま、セシリを探さなければという思いにかられる。

「セシリと皆を連れたら……僕も逃げるから……」

 小さく奏でられたレファンスの言葉を聞くと、八百屋の女将は、まるで初めから誰にも会わなかったような素振りをして、泣き出している子供たちを抱きかかえ、夫に一言何か話し掛けてると、山への林道を足早に進んで行く。

 分からないバカな子はどうにでもなれ……という気持ちもそこには確実にあった。

 だが、レファンスが優しい女将だと思っているこの母親は、それよりも家族の身の安否を案じて少年を無視する事にしたのだ――。

 それはレファンスが、セシリだけは助けなければ――。と思った気持ちと同じもの。

「…………」

 家族を守る為……。



















第1話「フィアナの王子」


















 港町ユーポートは、さほど大きな街ではなかった――。

 街の中央の大きな広場を中心に、円形に家が立ち並んでおり、街の周囲は小さな柵で覆われている。

 故にこの街は、非常に掌握しやすい構造をしていた。

 レファンスが、街外れの林道で出会った人は、先ほどの八百屋の一家だけだったというのも、そういう理由なのかもしれない。

「……戦争をやりにきた人達に口実を与えちゃったんだよな……これ……」

 長い林道を抜けると、街への入口となる柵が見えてくる。

 その柵を越えた辺りにくれば、ある程度、家も増えるし人が居てもおかしくはないはずであった。

 だが、レファンスが周囲を見渡して、状況を知ろうとしても、それを告げる人間は、敵意の有る無しに関わらずそこには存在しなかった。

 少年が、背中に背負ってきた鉄製の剣を降ろして、腰に添える。

 これから、街に入るにしてもこれくらいの準備は必要であると思えたからだ。

 少年にはとっさに抜けなければ、どうしようもなくなる状況も十分に予想できた。

「……うわっ」

 その刹那――少年のあげた声――。

 それは、目の前を駆けた流れ矢によるもの――。

 とっさによけて尻餅をつく。

「ちっ、ガキか……」

 レファンスは、驚愕の表情で剣を引きぬき、すぐに起きあがると、矢の飛んできた方向と聞こえてきた低い掠れたような声の方向を探して、視線を走らせる。

「あ、危ないじゃないかっ」

 少年の視界に入ってきた髭面の男は、手に持った弓を地面に捨てると、すぐそばにあった小屋から、へらへらと薄笑いを浮かべながら出てきた――先程までドアの閉まっていたその小屋。

 男の年は30前後であろう、何かの紋章がついた皮の鎧を着ているのが見て取れる。

 その男が腰に帯びた鞘には剣は入っておらず、それは小屋の女主の胸に突き刺さっているのが、男の背中の開いたドアの向こうに見る事ができた。

「……アイリアさんをっ!?」

 視界に入ってきたモノ――胸を剣で貫かれた女性が大きな机の上に組みしかれるような形になって、その床に赤の海を作っている様がレファンスの胸を震わせる。

 レファンスは、すぐに鉄の剣を構えなおし、前にいる男を睨みつける。

「なんだ?このネーチャン、坊主の知り合いか?ま、こんなチンケな島じゃ無理も……おおっと」

 下卑た笑いを携えて続けられようとした男の言葉を、レファンスは剣で切りかかることで遮る――斬るつもりではなく、あくまで脅かすための一撃であった。

「どうしてこんな事をしたっ!?」

 心底理解できない動機への質問に声を荒げる少年。

「坊主も大人になりゃあ分かるさ、ガキに興味はねえ、とっとと逃げるなら見逃してやるが……」

「ふ、ふざけるなっ」

 その男の言葉に、今度こそ怒りを覚えたレファンスは、震える手に力を入れて剣のリーチぎりぎりの横切りを仕掛ける――。

「へえ……ガキにしちゃあ、なかなか……」

 鎧を着た男は関心したような声を出して、自分の腰に備え付けてあった皮の鞘から、曲刀のような短剣を取り出す。

「短剣でやろうっていうの……?」

「短剣だってガキ一人殺すくらい不自由しねえぜ」

 眉をひそめるレファンスを更に追い詰めるような事を言う髭面の男――。

『……こいつをやっつけるって事は、人殺しをするって事になるんじゃないのかな……』

 にやけながら無防備に間合いをつめてくる男に対し、一方的に剣を構えながら後退しているレファンスは、そんな事を考えていた――。

 殺されるのと殺すのと……選ぶとしたら、どちらも嫌だと言うしかないのが、この少年であるのだ。

 セシリなら笑って殺す方を選ぶに決まってるじゃない、と言うだろうが、それは現実的に差し迫った状況でなければの話である。

「……人を真剣で斬るなんて!」

 少年の自問の声――。

「へへっ……誰でも、初めて人を殺す時は戸惑うもんさ。だが、そこで殺せなかった奴は……死ぬしかねえんだよっ」

 髭面の男は、そう言って地面を蹴る――。

 レファンスはその言葉に戸惑って更に後退を急ぐ。

 だが――。

 ガクッ

 後頭部に走る衝撃――。

 視界がひっくりかえる状況に、本当に死を予感する少年。

 自分が草に足を取られて転倒した事に気づいたのだ。

「こ、このっ」

 視界に飛び込んでくる男に対し、殺したくないという気持ちは完全に消えていた。死にたくないという本能が、その気持ちを遥かに凌いでいたからだ。

 背筋を凍らせている少年は、頭を強く打ってやや錯乱しているような状態になっていたのかもしれない。眼球の焦点は、多少であるがずれている様に見うけられた。

「ぐっ……」

 ――無我夢中でとっさに突いた剣から、鈍い感覚と声が聞こえてきたのは次の瞬間であった。

「し、しまった……」

 バランスを崩して天を見上げたレファンスに対して、完全に油断していた髭面の男――。

 レファンスが突き上げた剣が、その男の左わき腹に突き刺さったのだ。

「……!?――――このくそガキィィッ」

 一瞬神妙な趣で立ち尽くしていた男は、レファンスが立ちあがって後ずさりを始めたのを見て、物凄い形相で左の腹に刺さっている剣を引きぬき、烈火のような勢いでその剣を使い斬りかかってくる。

 だが、男のわき腹はその足元の草を真っ赤に染め上げる――。

「アイリアさんは、もっと痛かったはずだっ……それなのにっ」

 極度に生命が危機に晒された状態ゆえなのか、少年には身勝手な男の言い様に逆上する事ができて、その振り下ろされる剣は左わき腹に力が入らなければ、威力の無いものになるはずだと異常な程前向きに推測する事もできた――。

 男に正面から向かっていったレファンスは、振り下ろされる剣の一撃を厚い服を着た左手で振り払う――。

 ザシュッ

 草叢に一本の血の筋――。

 次いで少年の左手に激痛が走るが、左手を斬り落とすような勢いが剣に無かったことを、振り払う段階で理解したレファンスは、開いている右の手の平で男の鳩尾を突こうとする――。

 が、目の前の皮の鎧がそれくらいは防いでしまう事が、男の懐に入ったレファンスには分かった。

 だから――。

 右肘で男の喉を突き上げる事で、それに代えようとする――。

 ガスッ

 先ほどとは種類の違う鈍い音と感触――。

「……ぅ……ぐぇ……」

 まともな声も出せずに、その男は泡を吹いて膝を折る――。

「……うっ!?」

 ――体をビクンッと震わせて、息を呑んで発した少年の声。

 確実な死を与える最後の一撃を加えようとした自分に対しての自制の声。

 今、少年を支配していたものは、自分に優しくしてくれるお姉さんを血まみれにした男に対する憎悪と、差し迫った死の恐怖であった。

 この金色の髪の少年は、もう相手が動けないと分かってまで、とどめを刺すような事はしない。

「な、なんて事を……」

 だからこの時、とどめを刺そうとしてしまった自分に対して、少年は心底怯えてその両足を奮わせた。

 死の恐怖を退けても、そこに喜びなどは存在しなかった。恐怖と後悔だけがそこに残った。

 だがそんな感情が、人殺しをしに来た連中の考えている事など、自分に分かるわけがないのだと、少年自身言い聞かせる事もできるようにしたから、心には救いがあったといえるのだ。







 毛布で体ごと抱きしめて、傷を塞ごうとしたアイリアに、与えようとした温もりが無くなっている事に気づいた少年は、自分の涙で床を濡らしていた。

 少年自身の受けた傷は浅いものであったから、すぐにそれを包帯で塞いで、すでに息が無くなっているアイリアをベットに寝かせて毛布をかけると、血に染まった自分の剣を持って再び街の広場に向けて歩き出す事を決意する。
 セシリが居るとすれば、広場のそばにあるパン屋のニナの家であるはずだからだ。

 主を失った小屋を出る際に、先ほど失神させた男が、意識を取り戻しているのではないかと、レファンスは一応に確認するが、その様子はないので、目の仇にされる時間を稼ぐことは出来たと少し安心した。

 ――仲間を呼ばれて、仕返しをされるというのは、あまりにも不利な状況であり、少年にとっては全く無意味なことであったからだ。

 家族の少女を探し出して、一緒に見つからない場所に隠れる、レファンスはその為に、血に染まった剣を再び手に取ることもできた。

 なるべくなら、殺されたくもないし相手を傷つけたくもない――。

 戦いは怖いものなのだと先程思い知らされたから、いくら剣術を学んでいた自分でも、戦場に身を置くことはなるべく避けたいとレファンスは、思った。

 実際、血と涙の混ざった味を知るまでは、幼い頃から学んでいる大陸の国の騎士に伝わる剣術を、少しは試してみたいと思う気持ちもあった。

 悲鳴と断末魔が鳴り止まない街の中――。

 いつの間にか、空を覆い始めた黒い雲が雨を降らせ始めている――。





 街の中央の広場までは、家が立ち並んでいる裏路地を通ることで、難なくたどり着くことはできた。

 だが、裏路地を通っている間にも、悲鳴と何かが壊される音は、少年耳を絶えず震わせつづけていた。

 降り始めた雨の音でさえ、それらを消すことは出来ず――。

 降り続くそれは、少年の左腕の切り傷を容赦無く叩き、濡らす。

 濡れている包帯などは、かえって傷に悪影響を与える事を知っていたレファンスだが、とても立ち止まってそれを解くような余裕はなかった。

 ――痛みはじめた左腕の傷を気にしながら、金色の髪の少年の視線は、広場に設けられた軍隊と思われる集団の仮設テントに釘付けになっていた。

 広場に面しているニナの家は、ちょうど少年の視線を留めているテントの向こう側にあるからだ。

 広場には、見たこともない国旗が掲げられ、雨をしのぐために仮設されたと思われる、大きなテントの中には数名の鎧を着た男達がいるように見うけられた。





「――将軍、連中にやりたい放題やらせておきますか?」

 蒼く染められた布によって張られているテントの中には、白い美麗な鎧を着ている男達が4名ほど、ガラの悪い男達が近所の家から運び込んできた椅子に腰をおろしていた。

 4人のうち一番若く見える……まだ少年の面影すらある男が、組んだ足の上で頬杖をついている年長と男にそう尋ねる。

「それは仕方ないだろう。彼等は、盗賊あがりの荒くれ者だ、女だの金目の物だのを略奪できるから、この遠征に参加してきたのだよ」

 耳を打つ叫び声を聞き流すように、若い男の問いにさらっと応える年長の男――。

「公主様が今回の遠征を内部にも極秘にさせた訳って……将軍は聞いておられるのですか?」

「正規軍を使うことすらも許可されないんだ、我々には話せない理由があるのだろ」

 もう一人、雨が血の匂いをテントの中まで持ち込ませないのを良いことに、茶を手に取っていた男がその会話に割ってはいる。

「命令はスターレイクを占領し、レファンスという少年を発見したら、生け捕りにするかできなければ抹殺しろ……だ。全くわけが分からないよ」

「ま、手段を選ばずにやれってところが、公主様らしからぬところだな」

「スカイレイクの連中は平和ボケして、軍隊すらまともに編成していない事を知っていらしたら、そうは言わなかっただろう?」

「……将軍、傭兵の連中は、レファンスとかいう少年を見つけたところで生け捕りにするでしょうか?」

「殺しても良いと言うのなら、女子供を残してあとは死体の確認をさせれば良い。小さい島とはいえ、子供一人を炙り出すとなれば骨も折れる」

 無機質な声をテントの中で続ける男達――。

「俺は略奪行為は止めさせるべきだと思います。無抵抗な住民まで……」

 しかし、この遠征が初陣となる若いその男だけは、周囲で行われていることに対し、難色を示していた。

「……若いな、やはり」

「……はい?」

「誰でも、直に慣れるって事だよ」

 応答する男の声には、半ば呆れた色が滲んでいた。

 略奪が軍の指揮を維持する為に、いかに重要な事であるかなどは、新兵である男に分かるはずも無かったが、それはいずれ嫌でも知らなければならなくなる。

 叙事詩のような華やかな戦いなどは空想のものであるし、優れた軍人になる事がいかに難しいかもいずれ分かるであろう。

 この戦場において、優れた軍人という意味が何を指すか、それを見出す事こそが難しいと知るのである。







 雨が激しく降り始め、それが雪に変わりだしたのは、レファンスの左腕の傷の鈍い痛みが、寒さの為になくなり始めた頃であった。

 うっすらと地面に張り詰められた純白の絨毯――。

 宙に舞うそれが人の視界を遮り、少年に動きだす決意を与えるのにはそう時間は掛からなかった。

「……動くなら今しかない!」

 レファンスは、小さくそう自分に言い聞かせて頷くと、広場の回りに立ち並ぶ家の一角から飛び出して、身を屈めたまま、足早に広場を横断する――。

 吹雪きだしたせいなのか、それともすでにそこには命が存在していないのか、街を覆っていた人の叫び声は少年の耳に届かないようになっていた。

 だからこそ少年は、左手の感覚そのものがなくなり始めているにも関わらず、勇気を振り絞って広場に飛び出すこともできたようなのである。





 広場自体は街の規模からしてもさほど広いものではなく、16歳の誕生日を迎えた少年の足ならば、数分で通りぬけられる程度の距離でしかなかった。

 だから、金色の髪を白く染め上げたレファンスが、目的のニナの家についたのは、それから間もなくのことであった。しかし、少年は広場に面したそこに正面玄関から入ることは出来ず、家の裏にあったはずの勝手口から中の様子を伺ってみる事にして、その家の裏に回る。

「……っ!?」

 唾を飲む音なのか、それは無機質な絶句――。

 続けて、少年を襲うのは胸を締め付けてくるような吐き気。

 ――少年は、勝手口からその家の中の壁に血が描かれている様を見ても、自分の判断は間違っていなかったという事を実感する事は、できなくなっていた。

「……ぁ」

 声になどならなかった。

 裏戸から覗いた台所の汚れた床には、栗色の長い髪が散乱していたのだ。

 栗色の髪……パン屋夫妻の髪は、娘のニナやセシリと同じ栗色であるが、これほど長くはないはずであった。

 驚愕……ではない、その無機質なモノは慣れない『怒り』という感情に明確に変わっていく事を少年は感じとっていた。

 バタンッ

 レファンスは、半ば我を忘れて裏戸を蹴り破り、パン屋の工房になっている台所から、壁が赤く染まっていたリビングに駆け込む――。

 今しがた間接的に見た嫌な光景は、確かにそこにあった……。それに少年は立ち竦みを覚えた。昨日までとは違いすぎる現実が、少年にそうさせるのだ。

 虚ろな意識……自覚としては半分はそうである、だが同時に感じる感情の浮き沈みは少年の胸を残酷に締めつづける。

 怒りが高まったかと思うと、次の瞬間に異形のモノによってそれがすぐにかき消されてしまう――それの繰り返し。

 裏戸から台所に飛び込んで敵意のある人間が居ない事を確認した後、リビングに剣を抜いて駆け込んだ少年の視線に飛び込んで来たモノ――。

頭全体に物凄い火傷をして、涙のようなモノで顔を濡らしていた……体の防衛機能が働いて、こうなっているのかもしれないが、その蹲って宙をもがいている女の子がニナだと分かった時に、レファンスは背筋を凍らせて青ざめる。

「……ニナッ……」

 とっさにそう声は出た――。

 だが、台所に散乱していた髪は熱湯か油を頭にかけられて、その火傷した肌が吐き出したモノだと想像すると、それ以上何を言ったらいいのかなど少年に分かるはずもなかった。





 ――――空に舞う雪は、次第にその激しさを増していた。

















当小説は著作権を放棄しておりません。
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