アースラム城から数キロ離れた場所にあるレティシア=フィリアードの花園は、主を失うことで美しい色彩をも失おうとしていた。そこに咲き開く蒼い花々も、その多くが茶色に変色を始めていて、茎は地面へと項垂れている。
フィード=フィールド=フィリアードが、その花園を訪れるのは珍しいことではないのであるが、手入れの仕方すら分からない彼の手にあっては、この花園は死に向かって行くほかないのである。
フィードが、花園に通う理由。彼自身にそれを問い掛けても応えは返ってこないのであろうが、そこに娘の影を見ているわけではない。動機、というものを考えるのであれば、雑草に侵食されていく花壇というものが、彼の感性を強く刺激して、誘い込んでいるようにも感じられる。
「お兄様、ここの水はもう止めています。後は焼き払うだけというのに」
そんなフィードの感性を酷く気にしているのが、妹のカタリーナという女性であり、それはフィリアードの公主として、大陸の動乱時代を戦い、生き残っていた彼女の不安でもあるのだ。
「……レティシアが恋しいのさ」
花園に設けられた海と空を一望できるテラスから、天を見上げていたフィード。ふいに送られた言葉に、驚くわけでもなく、少し返す言葉を考えてから、それを音にしてみせる。
「嘘ばっかり」
「どうしてそう思う? 俺がここに足を運ぶ理由も、お前は知っているんじゃないのか?」
「お兄様が、ご自分の足でここへ参られているのです。違いますか?」
「それはそうだ」
「ほら」
「レティシアが、ファルシアの高官に嫁いだというのに、カタリーナはファルシアと戦争をしようとしている。この花園が俺を呼んでいるのは、そんなのが理由なんじゃないのか」
「あら、皮肉ですの。レティシアの失踪をファルシア側の拉致、と考えるから、公主として戦うと言っているのです」
「長年のケリ、か」
「それもありますわね。クラカ=テレフォニアを倒した後、大陸を統一できなかったのは私の不徳でもあります」
テラスで身を翻した公主は、そう言って兄の元を後にする。
そんな妹の姿を追うでもなく、空をさまようフィードの視線。
――世界は、完全なブルーに支配されている。花園に咲き開く蒼い花々が朽ちようとも、フィリアード公国の空と海は、不可侵を誇る永遠の蒼を輝かせつづけているのであった。
窓越しにある赤茶げた大地は、彼女視界の彼方に小さく映るだけとなっている。赤道直下のフィリアード公国に比べれば、このファルシアとの国境にあるオアシスという場所も、そこに立つ粗末な小屋という建物も公女には肌寒いようにすら感じられた。だが、目の前の少年がシベリアで育ったという話を聞けば、そんな事も気にはならなくなるのがレティシアなのだ。
「白き詩の王女?」
「ああ」
ナンバー1と教会で呼ばれていた少年は、公女に屈服したわけでもないし、忠誠を誓ったわけでもなかった。
今、こうして彼女の真向かいで、瞳を合わせて言葉を交わしている、と言うのは、生まれた時から、自分を護ってくれて、戦場では鋭いフィーリングを自分に授けてくれる蒼がレティシアを護る、という意思を示した事がきっかけとなっているのである。
「わたくしが、白き詩の王女だというから、カミュはフィリアードに来たのだと、そういう話になりますわね?」
暗殺者と対峙している公女のクリーム色に近い黄金の髪は、ばっさりと切られている。昨日、腰まであったそれは、今は肩口までの長さとなっていて、切り落とした美しい糸は、荒野に立てた多くの墓前に平等に手向けられていた。
死ななければならない自分が生き残ってしまった、その罪を背負うのだと、言葉そのものは受け売りくさくあるが、それは彼女の唇が奏で出したのである。
「そうだ。だとすれば、お前が俺のブルーから新しいブルーを作り出した事も、神父が俺をここへ送った事も頷ける」
声や表情からカミュの機嫌を識別する事などできなかった。狭い小屋の中で、彼は淡々と言葉を続けていて、レティシアは静かにそれに応えているだけである。決して嫌気がさしていたわけではないのだが、レティシアは軽い眠気を覚えている。
「レティシア、ブルーとはなんだ? お前はそんなものを作り出すことができて、それを使いこなしてもみせた」
「……あなたのブルーは、あなたにしか分からないのです。カミュ」
「そんな事は」
「分かろうともしなかったし、聞こうともしなかったのではないですか?」
座り込んでいたレティシアは、にこりと笑ってそう言うと、立ちあがり部屋の窓を開ける。
「……そうなのか」
「フィリアードを離れても、ディーテと離れ離れになっても、ああして蒼くあるのが空です」
レティシアは地上に差しこむ光の源を見上げると、カミュの視線も自分のそれを追った事を感じて言う。
「……」
カミュは、レティシアの言葉に口を噤む。その意味すら分からなかったのだ。
「シベリアは、あまり晴れないのでしょう?」
「ああ」
「有史以来、赤道直下の温暖な地域では、戦争がほとんど無かった、というのも、そういう事なのだと思います」
「……あのブルーと、この剣は同じものだというのか」
カミュは、レティシアの言葉の意味自体を悟ることで、それを奏でる。
「そうであるようですから、わたくしは国へ帰ってみます」
「それでどうする?」
「お父様に、お話があるのです」
――――大陸に流れる詩は南の風に乗って
第10話「フィアナの王女」
軋んだ音を鳴らして椅子に腰を沈めた男は、その手摺を撫でることで、薄暗い部屋に明かりを灯した。
それは火のぬくもりによって表現された明るさではない。一瞬で部屋を包んだその光は、酷く無機質なもので、不自然な色を放っている。
「神父、ナンバー1がセシリア暗殺に失敗と聞いたが」
オレンジに近い色の明かりが灯された部屋の中、襟をきつく絞めた礼服を着た男は、机を挟んで正面に立っている神父と呼んだ男に、強い口調で言う。
「申し訳ありません。ユーシアが国として成立する以前に消しおくべきでした」
そんな口調に動じるわけでもなく、神父と呼ばれた男は応える。彼が言いたいのは、姫となった女性を一暗殺者が殺す事の難しさ、なのであるが、それはナンバー1と呼ばれた暗殺者を擁護する意味合いを含んではいない。
「ナンバー1ほどの戦士が、ブルー・ナイトをもってしても失敗した、とすれば、セシリ=コーネリアが白き詩の王女、というのは間違いないようでもある」
「死海文書には、なんとあります?」
周囲を照らすオレンジ色の明かりは、次第にその癖を弱め、太陽の明かりに近い色へとその姿を変えている。目を守るために、こうした趣向がこなされているのであるが、神父と呼ばれた客が、そこまで気づいたかは分からない。彼は、次第にくっきりと浮かび上がる白髪の老人の姿を見て、古文書に似た書の話題を持ち出しただけだ。
「二つ……」
うっすらとした笑みを表情に灯す老人は、右手の指で数を表現して言葉を続ける。
「は?」
「この世界の死海文書には、ティア=フィアナ=ファルシアによって、シベリアの遺跡は浮上する、とある」
「ファルシアの姫君、彼女が白き詩の王女であったというのは、間違いないのでしょう」」
「そうであるが。白き詩の祈り、というものをティア=フィアナ=ファルシアが残したらしい。というから、死海文書は二つ存在すると、我々は考えている」
「二つ、ですか」
漆黒のコートを着た中年の神父は、多少表情を崩して、その言葉を受ける。
「つまり、白き詩の王女が今現在も、この世界に居るという保証はないのだよ」
「は」
同意する神父自身、告げられる言葉自体に納得したわけではなかった。
ただ、死海文書という予言書のようなものを全面的に信頼するのは危険だ、と考えていたので、口を噤んでいたのである。
「そうであるから、だ」
神父を見ている限りは、従順であるようなのだが、その反応が希薄であったので、漆黒の礼服を着た老人は、部屋の天井に目をやり本題へと言葉を進めた。
「白き詩の王女を見つけ出すのが不可能なら」
神父は苦笑して、続けられる言葉の羅列を自ら予想して述べる。
「そう、炙り出すのだ」
机に両肘を立てた老人は、にやり、と頬を歪めて言う。
「……」
神父は後ずさりをしたい気概に捕らわれながらも、似合いもしない笑みを浮かべた老人の次の言葉を、沈黙をもって待つ事にした。
「多少危険ではある、だがこれ以上は待つことはできん」
神父は全身の産毛が逆立つのを感じた。脳裏には、15年前の惨劇の光景が浮かび上がってくる。それが、彼の歯に音を出させて、その表情を曇らせる。
「何をしようというのです。こうして委員会が復活できたのは、幸運によるところが大きかった、そう申し上げたはずですが」
「君に言われなくても、それは分かる」
椅子に座っている老人は、襟を広げて首を振ると、神父を睨んで頷く。
「それならば……」
視線の矛先にある神父は、それを直視して、肩を竦める。
「その為のナンバー1プロジェクトと教会の子なのだ。我々には強力なロストウェポンもある、すべてにおいて15年前とは違っている」
「……どうしろというのですか」
「それ以上のことは、今はいえない。まだ数人目覚めていない者達がいる」
――――シベリアの空に風が流れた
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