その日は、珍しく天空に聳え立つ王城を厚い雲が覆っていた。

 周囲を取り巻く、積乱雲――。

 巨大な山脈のようにも見えるそれは、決して地上からでは垣間見ることの出来ない神々しい姿。

 その様を玉座から果てなき空を彩るものとしれ見つめるのは、ティア=エレナ=ファルシア。先帝の親類にあたる姫である。

「なんだか、絵を見ているようでもあります……フィア?」

 肌寒い、という程ではないが、直径5メートルほどある玉座の吹き抜けは蒼から発せられる風をそのまま、城の中へ通していた。

 黒いコートを羽織ったエレナは、傍に控えて視界を共有している若い女騎士に声を掛ける。

「……そうでしょうが。このような雲というのは、北極圏にいては見ることはできませんので」

 神々しい、白い竜のようにも見えるそれを呆然と見つめていたフィアは、はっとして主君の言葉に耳を貸す。

「地上に居ては……という方が正しいのでしょうね」

 視線は動かさず、ため息に交えてエレナは言葉を綴る。

「……はい」

 エレナの言葉が冷めていたように感じられた騎士は、主君を気遣うような色合いを持った音を唇で奏でる。

「私はティアとファルシアの名を戴いたときに、地上を捨てたのです」

 人であることを捨てた。という風にその言葉を聞き取ったフィアは繭を潜めて、玉座に座っている主君の瞳に視線を向ける。

「おかしいでしょう。私の言っていることは」

 作るべき表情を見つけることが出来なかった女騎士に微笑で応えるエレナ。彼女の微笑が悲しそうでもあったので、フィアは軽く首を横にふって言葉を続ける。

「いえ……。おっしゃっている事、感覚的には分かります。ですが殿下には、姫様が必要だと……」

 互いの視線がぶつかった時、フィアはここに呼ばれた意味を理解して足早に言葉を並べる。

「あなたは、レファンス王子の姉として、騎士としてここまで来てくれました」

「……それが何か?」







 王子となったレファンス=フィールド=ファルシアという少年に与えられた部屋は、広々とした清潔感のある空間であり、彼から掃除や洗濯といった日常を奪う場所でもあった。

 王族に相応しい煌びやかな調度品に彩られたその部屋のベットに横たわっている少年。

 彼は瞳から零れてくる涙を脱ぐって肩を小刻みに震わせていた。涙の向こうの天蓋さえもその肩に合わせて震えているようでもある。

 ガタンッ

 押し殺された泣き声だけが木霊していた部屋の白い壁に、外気が当てられる。

「……」

 ベットの上のレファンスは、その音に敏感に反応して体を弾ませる。

「何日、引き篭もっているか……ご自分で分かっているのでしょうか」

 薄ぐらい部屋にため息をつくと、どこに視線をやるわけでもなくエレナは言葉を綴る。

「……分からない」

「手術、にしても早くしなければ、命に関わる。そう言ったわね」

 部屋のドアを閉めて、密室を作り出すとエレナは、口調を強めて言う。

「手術は嫌だ……痛いのも怖いのも嫌なんだ!」

 毛布を被っている、レファンスは消えいりそうな声で応える。

「……」

 エレナは何も応えなかった。が、軽く舌打ちをする音がレファンスの耳に聞こえてくる。

「ぁ……」

 怒られる、そう思ったレファンスは、ベットの上で身を凍ばらせる。

 ふぁさっ

 毛布越しに伝わってくる感覚。ぬくもりとも言えるそれが、涙を溜めていた少年の瞳を見開かせる。

「ぁぅ……」

 うめき声のような少年の声。戸惑いの色が滲んだそれが部屋の壁に跳ねる。

「ほら……怖くないでしょ?」

 くすん

 鼻を鳴らして、抱きかかえられるまま体の力を抜くレファンス。

 ――そのぬくもりは、セシリみたいだと思った。だから、力を抜く気にもなれた。

「……あの。姉さんも、皆もだけど、スターレイクに居た時とは感じが違うんだ」

「ここは、王城で彼等は騎士、あなたは王子だから、そう感じるのね」

 エレナは毛布から顔を出して、不安げな瞳を自分に寄せる少年を諭す。

「帰りたいよ……怖いのは嫌だ。なんか、どこに居ても指してくるような視線が、ここにはある」

 エレナの胸に抱きついて、消え入りそうな声で呟くレファンス。

「手を切断しなければ、やがて体中に腐敗が進んであなたは死ぬの」

 そんな王子の様に、内心頭を抱えつつエレナは言葉を続ける。

「僕が王子じゃなければ、こんな目に合わずに済んだんだ」

「……」

「あいつらさえやってこなきゃ、セシリとだって離れ離れにならなくて……」

「……」

「ずっと幸せに……」

 そこまで声を奏でて、回りの空気が固まっている事に少年は気づく。

「ずっと幸せに?」

 エレナは、色彩のない声で尋ねる。

「……ぅ」

 レファンスは口を噤んだ。どの道、生きていくなら辛い事は避けられない。そう彼女から聞いていたからだ。

「……うん?」

 エレナは、視線を緩めて首を担げる。それは、レファンスに告げられた無言の言葉。

「スターレイクは、嫌な事も無いし、将来の心配もしなくて良い場所だった。北極のそばだけど温かい場所だった。でも、この世の中ってのは違うの?」

「未来を思って人々が希望を持てる世の中、というのは人の歴史の中でもわずかな期間しかなかったでしょうね」

「…………王城の中、周囲の人達は平気で、陰口を叩いたり罵り合ったりしてる。殺伐としているというのかな。子供達だって蹴落としあっている様で到底理解できるものじゃない」

「人はそうやって歴史を作ってきたの。弱いものは罵られ、蹴落とされて、世間を這って生きていかなければならないの。だから、貴族の親達は子供に学問と武術を習わせて、あなたに取り入ろうとするのね」

 レファンスに与えられた取り巻きの子供達。貴族のそれであるのだが、彼が互いに牽制し合っているような様をエレナも見ていた。

 王子に取り入ろうとする貴族の子弟の思惑は分かるし、別に彼女が制する必要のある事でもなかった。

 それは彼等の問題であるからだ。しかし、そういった状況に一番傷ついたのは、レファンスで彼は引き篭もるようになっていた。

「そ、そういう人達を護れないのかな?」

 言葉の意図自体は、自分を護ってくれる世の中は作れないのかな?という風なものであり、それを理解したエレナは絶望に捕らわれて言葉を返すしかなかった。

「建前上は、強者は弱者を護ろうとするけど、それは自己満足や啓蒙主義的な建前から来るもので、差し迫った状況を迎えれば見捨てるでしょうね。エゴというのは恐ろしいものだから、制御するのも他人のそれを理解するのも困難なのね。」

「ぼ、僕、自信ないよ……。みんな自信に満ち溢れててさ……。勉強も彼等みたいにはできないし、剣を握ることももうできないよ……」

「……わたしが、あなたの手の代わりになって、あなたを護って生きていけばいいのかしら?」

「ぼ、ぼく……」

 戸惑ったような、脅えたようなレファンスの声。ため息をつきたい衝動にかられながらもエレナは言葉を続ける。

「わたしの言う通りになさい……。まずは手術を受けるの、ね?」

 薄い微笑を、涙の頬に当てるとエレナは、震える声で言う。

「う、腕が無くなるくらいなら死んだ方がましだよっ」

 パンッ

 彼の母が捨てた王城の中であった。

 だから、レファンスはこうして震えているのである。





 ――――窓の外には天空が広がっていた



















第11話「王都の空に」



















 大きな戦いとなってしまっていた。

 ユーシア大陸中央部。街中が真っ赤な壁によって彩られているクリムゾンシティー郊外。

 数千と数千、そういう数の人間が戦える広さを持った場所であった事がこの不幸を呼んでいた。

「これが……クリムゾンシティーの民主主義、というものですかね」

 視界の彼方に血によってその色を強めているクリムゾンシティーを見て、アルスは沈鐘な声を奏でる。

「アルス、ルディア共に無事で良かったわよ?」

 街の城壁から数キロ離れた場所に陣を構えていたユーシア王国軍。

 青い鎧の上に纏ったマントを翻して、盟主の証であるティアラをその髪に掲げたセシリアは、刃こぼれした騎士たちの剣を辛そうに見るとそう言う。

 ガンッ

 広々としたテントの中に怒りを帯びた音が響く。

 ルディアが、木製の椅子を蹴飛ばした音だ。

「あの肉の壁を作っているのは人間で、そうさせて居る奴等も人間なんだろう? 話は簡単ではないか!」

 ユーシア軍は、予想以上の抵抗に苦戦を強いられていた。ルディアが怒声をあげるのも、そんな事が理由であったが、主君の前で椅子を蹴り飛ばすような真似をしたのは、それが起因ではない。

「それはそうでしょうけど、その為には、あの街の内部に侵入して議会を潰す必要があります」

 運びこまれた優美な椅子に座るセシリア姫の傍に控えていたアルスは、首を傾げて黒騎士の長の言葉に応える。

「構わん、ロンバルディアがあれば局地的な戦いでの負けはない」

 ルディアの言葉に繭を潜めるアルス。複雑な表情でそれを受けたのだが、彼女の自信事態は根拠のあるものである思えた。

 すでに交戦が始まって3日経つが、黒騎士率いる部隊は、ほとんど被害を受けておらず、敵師団を3つ壊滅させているのだ。

 空気中の水分を凍結させるロンバルディアと言う剣。その力の恩恵を受けている、それが勝因とも言えなくはないが、この騎士の隊長であらんとする戦い方は、純粋に強いものであると見て取る事ができたのである。

「アルス、都市民主主義って言うのは?」

「都市民主主義、というのは、自衛都市で運用されている民主主義ですね。国民が中間選挙人を選ぶ国家単位の民主主義というものに対して、直接行政執行人を選べる、と言った点で、ミクロな政治制度としては優れた……」

「えと……。あたしが聞いているのは、どうしてその優れた民主主義を運営している政治家が、市民を壁にしているのか、という話」

 セシリアは、自分の言葉には、すべての騎士や従者達が耳を貸している、という事を感じながらアルスに尋ねる。

「……」

 アルスは、繭をひそめて返答に迷った。応えるべき内容にではない。応えるべきか、という点でだ。

 この少女、短い付き合いだが、おてんばなお姫様であると分かった。そして、その目は汚れを知らないようであるのだ。アスエルが象徴として使うだけの娘なら、このまま美しい瞳を持ちつづけてもらいたいものだと。そういう気持ち秀麗な彼の顔を悩ませた。

「アルスゥ? わかんないならいいのよ?」

「い、いえ……」

 アルスが戸惑っている様に、首を傾げたセシリアは、彼を気遣う言葉を綴る。

 なにやら、目を細めてぶつぶつと文句を言っていたルディアは、そんなアルスの首根っこを掴みあげると、にんまりと微笑んで見せる。

「あ……あの?」

 その微笑の毒に冷や汗を覚えたアルスは、上擦った声で隊長に問う。しかし、その内容は誰にもわからなかった。

 ガシッ

 バチンッ

「アルスッ、貴様は姫様にべったりで、何時の間にか側近気取りだ! だが、お前の仕事は、他にあるだろ?」

 胸倉を掴んで、黒い礼服の襟にあるボタンを弾き飛ばすと、ルディアは青筋を有した微笑を向ける。

「べ、別の仕事?」

「新人はお茶を組んでいれば良い」

 アルスの半分浮いた体を地面に戻してやると黒騎士は続ける。

「やめてルディア。アルスを苛めないでよ」

 セシリアに、他意は無かった。

「どうしてこいつを庇うんですっ?」

 それが分からないルディアではないのだが、よほど腹の虫が悪いのか、普段大人しく引き下がるルディアは声を荒げてセシリアに視線を向ける。

「ル・ディ・ア」

 睨み合いに近くなったが、セシリアは怯むことなく不適に微笑んで、ゆっくりと彼女の名を呼ぶ。

「……分かりました」

「えっとね。あたし決めた」

「は?」

 ルディアは、なんの事か分からず、曖昧な音を返す。

「あたし、クリムゾンに潜入して議会を直接叩く事にするわ!」

 セシリアは、椅子から立ちあがると、マントについた誇りをパタパタと払って嬉しそうに宣言する。

「……は?」

 目が点になっているアルスの間の抜けた言葉。

「というわけで、潜入部隊を組織して」

「……いえ、ですから何故姫様が……」

「だって」

「……?」

「皆に護られて、護られて、っていうのも辛いものなの」

 セシリアは、しおらしく理由を述べてみるが、拳を鳴らしながらでは説得力は無かった。

「姫様を護るのは、騎士の使命……か」

 ルディアに至っては、潜入して議会を潰すという方法は、自分の頭の中で大きくなりつつあるものだったので、首を振って主君の意見に反対するという事はしなかった。姫を言い聞かせて、精鋭のみを送り込むのであれば、良い作戦だと思ったのだ。

『……ルフェンテが起動状態にあるのなら、人の手で姫様を傷つける事は難しい。危険なのは、むしろ一緒に行く騎士たちの方か』

 アルスは、そう思ったので、肩を竦めて隊長の方へ目をやるだけで、何も言おうとはせず、セシリアから受け取った微笑を返すだけでいた。



 ――――赤光の都市に風が舞う



















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