「夜とは言え抵抗が少ないわね」

「少ない、というのか……巡視兵の一人も居ないというのは」

「罠かしら?」

「それは考え難いですよ……」

 漆黒の闇の中、クリムゾンシティーを取り巻く厚い針葉樹林の中を進んできた、ユーシア王国騎士団。

 月の光は僅かに存在しては居た。だが、背の高い森の中にまでその光は及ぶことは無く、一向の視界は小さな松明で確立されているに過ぎなかった。

 その松明の向こう、月の光を受けて漆黒の森を裂く様に浮遊しているモノ。

 王女の指輪によって制御されている蝶のような姿を取っている星の蒼と言う宝玉。

「……ちっ、これでは姫様に、危険ですから、と言って帰って頂く計画がパアだ」

 松明を新卒に持たせて、王女の後ろを歩いていた騎士隊長が、静けさが立ち込める森の中に音を流す。

「口に出したら、お終いですよね。それ」

 松明を持って、王女の足場を確保するように枝を踏み潰して歩いていたアルスは、振り向きもせずに、予め決めてあった計画を暴露した隊長に言葉を返す。

 ゴチンッ

 ルディアの高速拳がアルスの頭に落ちる。

「な、なにするんですかぁ」

「お前は黙って歩いていろっ」

「ひ、酷いな……もうっ」

「せんにゅう作戦って言っても、やってる事はいつもと変わんないじゃない?」

 そんな二人のやり取りを見ていたセシリアは、目を細めてぼそっと言う。

 その言葉を聞いて、従事して来た20人の騎士に小さな笑いが広がった。




 支配の偶像とも呼べる赤光の都市の外壁は、王女の前に高く聳え立っていた。

「南に向いている街道沿いの門が正門だとすれば、ここは北、裏門よね?」

「いえ、裏門と言うには、あまりにも規模小さすぎます。見張りも一人も居ないし、明かりすら灯っていない。おそらく狩人や木こりが使う、勝手口でしょうね」

「じゃあ、潜入しやすいって事ね?」

「軍隊が通れる場所ではないですからね?」

 アルスとセシリアは、互いに首を傾げて疑問符を付けたような言葉を交わしていた。

 闇の中に立ちはだかるその門の横には小さい木製の扉があり、アルスはそれに手を掛ける。

 がちゃがちゃ

 取っ手を掴み、押したり引いたりしてみるが、カギが掛かっているようで、それは乾いた音を紡ぐ事しかしない。

「中からしか開かないようになっているか、カギが掛かっているようですね。どうします?」

 アルスは、肩を竦めて振り返り、隊長に視線を向けて言う。

「工作員、頼めるか?」

 ルディアの声に従い、2人の女性工作員が、そのドアの前に屈み込み、カギ穴を覗く。

「カギが掛かっているだけなら、なんとかできます。けど、見たところ、これは随分使われていない戸ですね、錆で鍵穴が馬鹿になって……」

「ちょっと退いてみて」

 その言葉を聞き終わる前に、王女は二人の工作員をドアの前から退かせる。

 ガツ……

 バキィィィィッ

 ……バタンッ

 ルディアといわず、騎士団の面々、特に王女のプライベートに接している者達は、このアクションを想像する事はできた。

 だが目の前で、王女に蹴り飛ばされ、無残に粉砕されたドアを見ては、固まるしか無かった。「どうしたの? 行くわよ?」

 セシリアは、何度もドアを蹴り破った事があったし、今度もそうできるという確信に近いものを持っていたので、当然のようにそれをやって、けろっとした態度で、部下達に言葉を続ける事ができた。

『カミュは、起動したルフェンテがプレートを呼んだせいで、暗殺は失敗したと言っていた。けど、ルフェンテっていうのは女の子にこんな力を発揮させるものじゃないはずだ。力でねじ伏せられた……と考えるべきなのかな」

 ドアばかりか、石の壁に溶接してあった鉄具までも吹き飛ばした様を見て、アルスは漆黒の天を仰ぎ、同僚の言葉を思い出すと苦笑した。






「くすん……」

「フィリアードに着く前に死ぬつもりだったのか?」

 現実の風景から遠く逸脱したような場所で、公女は頬を赤く染め、泣き声に近い音を奏でていた。

 彼女の視界とその周囲には、赤茶げた大地に覆われた巨大な渓谷が広がっている。

 木々の姿はなく、地上に蒼の根源となる息吹すら存在しないそこで、公女は周囲の岩の印象を携えたような無機質な言葉を背中に受けた。

「カミュ……」

 その黒髪の端正な顔立ちをした少年は、日の光を背に纏い小高い岩の上から言葉を向けてきていた。

「フィリアードまで徒歩で行く、という事自体、お前には無理だ」

「わたくし、こう見えても、とても丈夫なんです」

 ぎこちない足取りで歩いていたレティシア。美しい装飾のなされた革靴もボロボロに綻びている。おそらく足を痛めているのだということは、遠目で見ていたカミュにも察することができた。

 そして、公女の言葉が強がりなのだとも。

「どうしたら、そんな強がりが言える? 深窓のお姫様」

「強がりじゃありません」

 小さい頃から野山を駆け回り、フィリアードでは水泳を父から習っていた公女は、カミュの言葉に反論する根拠があった。

 だが、実際に足がまともに機能しなくなっている現実をみれば、カミュの言葉は間違ってはいないと言える。一人で弱音を吐いていた公女もカミュの言葉を聞いて不安な思いが消えたのだ。

「……」

 カミュは、レティシアに告げる言葉を失って目を細めると、ため息に似た吐息をつく。

「……ごめんなさい。一人でとても寂しかったです」

 そんな少年の仕草を見て、公女は素直に頭を下げて、丁寧に謝罪する。どうして、カミュの言葉に意固地なってしまったのか、と彼女は考えてみる。

「……どうして戻ってきたのですか?」

 続けられたレティシアの言葉。公女と少年は3日前に別れていた。シベリアに戻ったはずの、カミュが再び自分の前に姿をあらわた事の理由。それを遠慮がちに尋ねてみる。

「一方的に人の心を覗いたのはお前の方だ。言葉に出して言う必要があるのか?」

「……わたくしが、蒼い光の中で見たあなたの心」

 レティシアは俯くと、先日、蒼い光の渦の中で刻んだ記憶を呼び起こす。

 ――冷たかった。光の中で気を失っていた少年の頬に手を当てれば、そこに温もりは存在していたのだ。だが、光の向こう。透過した彼の魂のようなモノの輝きは酷く冷たく、そして悲しげなモノであると、感じられた。

 ――だから、なのだろう。

「あなたが、わたくしを置いて行ってしまって。それで、わたくしは苛立っていたのでしょうか?」

 カミュの声を聞いて安堵の感情を覚えたと同時に、意固地な気持ちを出してしまった、という事への自問自答。その答えがこの言葉だった。だが、その台詞すらも自問自答帯びていて、それが尚更、二人の会話にノイズを入れる結果となった。

「俺の知ったことか」

 表情も変えずに少年が奏でた冷たい言葉は、もっともであった。彼に、レティシアの想いが分かる訳も無いのだ。

「ごめんなさい……」

 それ以上どう説明して言いか分からなかった。口先だけで、無理やり理由を説明するとするならば、父親に似ている秀麗な瞳が、レティシアに自分を助けてくれるのは当然であると感じさせていたようでもあるのだ。

「あの……わたくしと一緒に来てくださるのですか?」

「違う」

「え……?」

「お前が、これから何をするのか。それを見届ける。遺憾に思えば、俺は再び暗殺者に戻る」

 脅し、脅迫。そういった類の言葉である事は間違いなかった。が、それを告げる声に鋭利なものはなく、それはレティシアを無言で頷かせるものとなった。

「わたくしが、人の道に背く事をしようとしたら、この命、あなたに差し上げますわ。カミュ」

 次にやるべき事を見出せない少年が、自分を道標に使うのだと、レティシアは勝手に解釈をして納得する。従者達の死で、錯乱していた自分と同様に、この少年も外見ほどの強さは持ち合わせていないのだ、と。この暗殺者だった少年も、一人で歩き出す事に、恐怖を覚える子供なのだ。

 カミュに接する際に感じていた恐怖はすでにない。彼の蒼い剣は、彼自身の希望のようなものを灯していて、その剣がレティシアに助けを求めたのだ。

 そして、その希望が自分に新しい希望を作り出させたのだと、そう感じたから微笑みにその言葉を携える事ができた。

「……フィリアードまでは、エスコートしてやる。もっとも方向は110度ほど違う。行くぞ」

 凍り付いて、その氷を壁にして傷つくのを恐れているようでもあった少年の心。

 人の心を覗く、心を触れ合わせるといったフィーリングは、公女が少年と共有したものであったが、一方的に自分だけがそれを見たようであった。という事が、彼女の他人に対する考え方というモノを変えつつあった。

 お人形と言われて否定する事が精一杯だった自分。しかし――。

 弱いのは自分だけでないのだと。彼のような力を持つ少年でも、心を閉ざしているのだと、そう知ることができたのだ。

 天空の彼方には、太陽に混じりもう一つの星が、目に付くようになっている。



 ――――第二の月から再び悪夢が舞い降りようとしていた



















第12話「悪魔達の鼓動」



















 藍色の濃い神官服の上にコートを纏った男は、風音が久しく聞けなくなった夜の空を眺めていた。

 時折、流れ星が彼の視界の中を駆ける。頬を歪めてその光を追っている男。彼は、背後に気配を感じて、雪原に置いた両足を軽く動かしてみせる。

「神父、あなたも見えているはずだ。間違いなくあれは、第二の月の輝きだろう? 日に日に大きくなっているのが分かる」

 影を伴った神父と呼ばれた男の表情は、背中に触れた声によって、さらに曇らされた。頬を僅かに震わせて、苦笑して空から地上へ視線を返すと、神父は首を傾げる。そこに立っていたのは、黒いコートを纏った少女である。

「委員会から報告は受けている。リリスを再び起動させるらしい」

 星の明かりに照らされた雪原。その遥か上空で、赤茶げた月が、輝きを強めていた。冷たい空気が、よりその星の異様な明かりを強く見るものに伝えていた。

 神父はその輝きの下で、静かな語調を音にして少女に告げる。

「どうするつもりなのだ?」

「ふ……。私に何ができるというのだ?」

 神父は、再び天を仰ぎ瞳に光を灯すと、自嘲気味に笑ってみせる。

「あなたは、この時の為にその法衣を着たのだろう? 現にカミュやアルスは戦いに赴いている」

「まだだ。私の動く時も、君の出番も。だ」

「私は、カミュの所へ行く」

 続けられる言葉を受けると、漆黒の衣に身を包んだ少女は踵を返して言う。

「心配しなくても、彼等は巧くやるさ」

「でも……」

「エリス。君はまだ教会の子だ。私の命令に従ってもらう」

「……っ」

 強要を促す文字列を奏でる神父の声は、静かなものであった。が、エリスと呼ばれた少女は、舌打ちし進めようとした足を凍りつかせる。その言葉を受け入れたのだ。

 それを見ると、神父は安堵ともため息とも付かない仕草をして、僅かに息のある雪原の風に身を凭れ掛けた。




 ファルシア大陸南部には巨大な渓谷が広がっていた。この渓谷の成因は、大陸に天使が降臨した『終わりの3日間』に帰するものであって、大地に深々と刻まれた鳥の爪のような幾多の谷が、その時に動いた力の凄まじさを物語っていた。

「カミュは、色々な事を知っているのですね」

 今日、何度目かになる愛らしい公女の感嘆の声が響く。

「俺は自炊一つできないで、フィリアードまで帰るつもりだった、お前の無知に感心する」

 カミュは、茶色いフードをレティシアに被せて、先日通ったオアシスで調達した馬を引いていた。カミュは、背後から掛かる公女の声に、逐一知識を披露する羽目になっていたのだが、彼女の美しい唇は、何時までも言葉を止めようとしないようでもあったので、それを封じようと、冷たい言葉を告げる。

「カミュは、すごくいぢわるだと思います」

 馬の鞍の上で、風に揺られていた公女は、声のトーンを普段のそれと幾分か変えて、思った事を遠慮なく声にして奏でる。

 それは、悲しげな表情に携えられたものではなかったが、彼女にとってみれば抵抗の言葉だったのかもしれない。

「ああ」

 その公女の声に、全く興味を示さず適当な返答を返すカミュ。視線は常に進むべき前を向いているだけで、レティシアのそれと合わせようとはしない。

「……」

 そこでレティシアの言葉は詰まってしまう。会話をするという際に、必死に話題を考えている点で、自分はおしゃべりには不向きなのだと思い、レティシアは少し表情を曇らせ俯いてしまう。

「……」

 無言の時間。馬の歪めの音と、風の鳴る音のみに支配された空間。フィリアードまでは、もう数日という距離まで迫っている。しかし、それは彼女にとっては、多少長い距離となりそうであった。









 王都の空に映った月の邪悪さは、そこに住む人々に畏怖の念を抱かせていた。

 本来ならば、第一の月よりも幾分か小さくあって、白銀の光を発しているそれ。赤茶げた色というのは、ファルシアにあって縁起のよいものではなく、多くの民はそれを見て、16年程前の惨事を思い起こしたのである。

 ただ、具体的にに16年前に何が起こったのか。それを知っている人間はごく僅かである。多くの人間は、その際に神懸り的な恐ろしい力が、人の世を焼き尽くしたという暫定的な事実しか知らないのだ。

「エレナ姫、リュビン=ラルラスです。」

 巨大な窓の外には天空が聳える玉座において、帰国以来、軍備の再編成に追われていたリュビン=ラルラスは主君であるエレナに一礼し、その場に膝をつく。その顔や白髪の混じった髪は、玉座に控えていた旧王国時代の高官に時の流れというものを感じさせた。

「リュビン卿。あなたならば、天空に異形な姿を浮かべているあの月の事を知っているのではありませんか? ティア=フィアナ王女の信頼を受け、フィリアードの死債にも立ち会ったと聞きます」

「確かにティア=フィアナ姫は、月の悪魔や大地に眠っていた天使の事をいくらは知っていたようです。が、テレフォニアによって王都が陥落した際に、それに関する記述と研究内容を保持する人間を失ってしまい……、私とて姫様に説明するほどの知識を持っているわけでもないのです」

「クラカ=テレフォニアの罪は、巨兵の墓を掘り起こし、先帝を殺害しただけではないと言うことですか」

 玉座、美しい装飾のなされた椅子に背を持たれ掛けて、エレナは騎士の言葉が終わる前に応える。

「少なくとも我々の進めている軍備の増強は、大陸統一以外にも有効に使えると、姫様にもご理解願えれば……」

 老練の騎士は、恙無い微笑を王女の顔を直視して言う。

「リュビン殿、エレナ様は、姫王という呼称を宣言された」

 その騎士の言葉を聞いた高官の一人が、エレナが反応する前に、言葉を返す。

「姫王? 王はレファンス王子一人であるはずでしょう?」

 レファンス=フィールド=ファルシアは、この高齢となっている騎士が若き日に娘と共に、戦乱の煙の届かない地へ逃がした王子なのだ。

 故に、訴えるような眼差しを王女に向ける。

「……リュビン卿は、しばらく殿下に会っていないのですね?」

 ため息を交えたエレナの声。

「しばらく地上に降りていましたので」

「そうですか……それならば、大陸を統一する王は、神経衰弱に陥った王子ではなくこの私なのだと。今ここで知っておいて欲しいのです」





 ――――月の赤い光が、地上を血の色に染めていた



















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