夜の世界を照らす紅い光は、ファルシア大陸より遥か北に位置するユーシア大陸北部にもその姿を現していた。

 栗毛の少女が見たその月は、クリムゾンシティーと呼ばれる赤光に覆われた都市をさらに朱に染めている。

「……ルディア、議会を直接叩くって言っても、結構広い街よね?」

 少女たちは、街の北側の一角にある狭い裏路地に入り込んで、互いに視線を交わしていた。その中心になっているのは、ユーシアの黒騎士ルディアであったが、彼女は君主からかけられた言葉に応えあぐねて首を傾げている。

「堕落した民主主義と言っても、議会の構成員は自らが危機に立たされていると感じれば、仕事をしてみせますよ。議事堂がたくさんあるって話も、まんざらじゃないんでしょうね」

 アルスの言葉だった。いつもなら、すぐに首根っこを捕まえられるような言いまわしであったが、今宵は月の移ろいもあってなのか、彼の上官は何も言わず、そのセリフを泳がせていた。

「アルスは、この街の事を知っているようだけど?」

「住んでいたとか言うんじゃないんですけどね」

 狭い路地から、赤い光に彩られた路地に顔を出すと、アルスは周囲に視線を配って王女に応える。

 深夜であるはずなのだが、路地に人が多い事に、眉を潜めるアルス。彼は、幾分か視線を強くすると、眉間を抑えて首を横に振っていたルディアに言う。

「隊長、鎧を脱ぎましょう」

 ガツンッ

 アルスの言葉が空に舞う暇も与えず、鬱憤を晴らすかのようなルディアの鉄拳がその顔面を捉える。――無言の、強烈な一撃だった。

「な、なにするんですか〜」

 アルスは目から涙を零して、鼻を押さえる。哀れその頬は真っ赤に染まっていて、今にも本当に泣き出しそうであった。

「可愛い……」

 ルディアの鉄拳を静止する間も無かったセシリアは、そんなアルスの表情を見て嬉しそうに微笑む――。敵地の真中にいるはずなのに、彼女には微笑むだけの余裕があった。 

 危機などという言葉は、切実に意味を知りたいとは思わなかったし、そう感じた事もなかったのが、セシリアなのだ。なんとかなってしまうだろうと、そう思うのである。

 ――それに不思議とした安堵感を彼女に与えていたが、スターと呼ばれる浮遊している赤い宝玉であって、それは彼女のペットのように、その傍を四六時中付いて回っている。父が母に贈った指輪、ルフェンテが、それを制御しているであろうという事はセシリアも知っていた。だから、指輪を摩って、王女としての言葉を紡ぎ出す。

「ルディア、仲間割れはダメです」

「こいつが悪いんですっ、敵陣の真中で人を口説く馬鹿がどこに……」

 ルディアは、そこまで言い掛けて、首を傾げる。自分がちょっとした勘違いをしている事に気づいたのだ。

「ぼ、僕は隊長を口説いたわけじゃないでしょう……」

 ガツンッ

「ったぁ〜。ひ、酷いですよっ」

 アルスは、次の一撃もあえて顔面で受け止めると、抗議のうめき声をあげる。

「二人とも、漫才やってる場合じゃないわよ?」

「……そうですよね。見ての通り、この辺は繁華街みたいですから、鎧を脱いじゃえば僕達でも民間人として堂々と歩けそうです。まず、クリムゾンシティーは、誰の意思で動いているのか、それを調べましょう」

「我々は潜入しているのだ、夜が明ける前に蹴りをつけなればならないんだぞ」

「でも、このまま黒い鎧の一団が、大通りに出たらそれこそ袋叩きですよ?」

「だから、隠れているんだろうが」

「最悪、多数ある議事堂のいくつかを候補に絞って隊を分けるってのはどうです?」

「それは私の考える事だ。新入り」

 ルディアは、その襟首を持ち上げる事で、アルスの言葉を封じると視線で王女に次の言葉を促す。

「あたし、賛成」

 セシリアは、にこっと笑って、右手をちょこんと上げて見せる。

「……」

 それを見たルディアは、肩を落として猫のように持ち上げていたアルスを地面に戻してやる。

「それじゃ、あたしはアルスと行くわ。皆も、5,6つに分かれて行動するの」

 セシリアは、アルスの袖をぎゅっと掴むと、狭い路地に縦長に並んでいる20名ほどの騎士達に告げる。 

皆、騎士団の精鋭であるのだ、2,3人で行動するにしても、十分成果は出せると王女は考えたし、アルスの意図もそんな処だったのであろう。

「なんでコイツと行くんです?」

 心底不満そうにアルスを睨んでいるルディアが言う。

「頼りになるからよ」

 微笑みを灯した王女の即答に、ルディアはアルスをより強い視線で睨みつける。

「それなら、私も姫様に同行致します」

「ダメ。ルディアとあたしで二つ指揮系統を作るんだから、一緒に行動したら意味ないでしょ」

 追い縋るように言葉を続けるルディアの双眸の前に、人差し指を出すと、それを横にふってセシリアは応える。 

要するに、頭となる人間が二人居たほうが、合流する際には便利という事なのだ。それは、姫の信頼の証であるはずなのだが、騎士は不満らしく舌打ちする。

「キサマ、覚えていろ」

 うっすらとした笑いを浮かべて、アルスに鼻が接触するほど顔を近づけると、ルディアは小さく囀る。内容は嫉妬のこもった恨みそのものだった。

「隊長に嫌われちゃったかな……」

 それを聞いたアルスは、セシリアの影に隠れるようにして、苦笑しながらそうつぶやいた。



















第13話「獅子王の帰還」






















 アルスとセシリアが、赤い街灯に照らされた大通りを歩きだして、数十分が経とうとしていた。深夜であるというのに、この通りには多くの人の姿があり、その流れに乗る形で二人は周囲に溶け込んでいる。

「ねえ、アルスって何者なの?」

「はい?」

 肩を並べて歩いていた二人は、騒々しい人の流れの中で目を合わせる。アルスは、姫の質問にカクンと首を倒して、愛想笑いで応える。

「どう見ても、ただの新兵って感じじゃないのよね。あたしと同い年くらいなのに、騎士団の入団試験も合格しちゃったんでしょ?」

「こんなご時世ですから……人手が要る時は、軍隊の門は広がります」

 アルスは、笑って応えるが、セシリアは憮然としない様子で言葉を続ける。

「でもっ、ルディアも知らないことを色々知っているじゃない」

「……ここでそういう話は無しです」

 食いかかってくるセシリアの口元に人差し指を当てて静止すると、アルスは彼女の視線を周囲に向けるよう促す。

「……ふんだ」

 ――ここは大通りの真中で、周囲には目と耳があった。それを改めて確認した王女は、あからさまに表情を曇らせて、ぷいっとそっぽを向く。

「……セシリア様」

 刹那――アルスの声を鋭くさせたのは、背筋に感じた冷たいフィーリングだった。彼は振り向くことはせずに、視線すらも動かさないまま、隣でしかめっ面をしている王女の名を呼ぶ。

 アルスは、騎士という立場であったが、ここで彼女の事を姫様とは言えなかった。周囲の人ごみが他人の言葉に敏感になるとは思えなかったが、セシリア様であれば、自分は彼女の従者であるという印象のみで通ることができると考えたので、あえてそういう呼び方をしてみせたのだ。

「なによ?」

 先ほど、話を巧く逸らされたセシリアは、多少不機嫌でこの声に応じる。

「この先は、視線を前に向けたままで応えてください……走れますか?」

「馬鹿にしないで」

 なんの事かは分からなかったが、セシリアは緊迫したアルスの声に全く動揺せずに、長いスカートの裾をまくる。

「あ”っ」

 視線はそのままに、と言ったアルスが、王女の予想外の仕草に驚いてその場に立ち止まり、目を剥いてしまった。

「走るんでしょ?」

「そ、そうですけど、は、はしたないですよ……」

「じゃあ、どうしろっていうのよ? このドレス走りにくいの」

 鎧の下に着込んでいたドレスは裾の長い代物であった。決して豪華なドレスではないが、大衆の手に入るような品でもなかった。故に一般生活における機能において、極端に使い勝手が悪かったのだ。

「……消えてくれたのか……?」

 あげくに裾を破ろうとしている王女の手を掴んで静止すると、アルスは後方の人ごみの中、数分ほど自分たちの後をつけていた気配が無くなっている事に気づく。

「アルス、説明して。なんだったの?」

 セシリアは、アルスの視線を追って周囲を見渡してみるが、人の壁があるだけで特に目立つものは何も見つけられなかった。騎士の話がちんぷんかんぷんなので、セシリアはその瞳を直視して尋ねる。

「いえ、つけられていると思ったんですが……僕の気のせいだったようです」

 アルスは、苦笑すると肩を竦めてセシリアに応える。

「ほら」

 セシリアは、アルスの頭の上にポンと手をやって微笑む。

「はい?」

「……やっぱり、ただの新兵じゃないのね」

 可愛らしい笑みを意地悪なそれに変えて、王女は言葉を続けた。アルスは、どうやって話をはぐらかすべきか考えて、頭を抱える。



 ――――街の中央に近づくにつれ、次第に人の流れが緩やかになっていた。





 王女達の前に、数人の男達が立ちはだかったのは、それから小一時間ほど経ってからであった。

 街の中央の広場の真中に作られた巨大な火時計の針は、3時を指している。さすがに、周囲には他に人の姿はなく、夏場であるとはいえ、彼女達を覆う空気は冷やりとしたものに変わっていた。

 そしてそれは、セシリアの視界の中にいる人間達の持つ瞳と同様の温度であった。

「なるほど、先程退いてくれたと思っていたのは、甘かったようだね」

 今までにないアルスの声と双眸の色。それは酷く冷徹に見えて、決して主君に向けるモノではない。だが、それはセシリアを護る為に彼が選んだ色であった。

 街の住人と変わらない質素な茶色の服を着たセシリアの騎士は、見通しの効く広い場を見渡し、人気が無い事を確認すると、服の中に忍ばせていた短剣の鞘に手をかけて、待ち伏せていたであろう武装した集団に言葉を向ける。

「アハトの言う通り、獅子王陛下がお戻りになったと言いたいところじゃが」

 アルスの声に応じて口を開いたのは、10名ほどの集団の中央にいた白髪の初老の男であった。

「獅子王?」

 アルスとセシリアの声が重なる。獅子王と呼ばれていた王は、コーネリア王国の先王ラインハルトであり、それはユーシア王国の先王といっても良いセシリアの父なのである。

「あれから15年、いや16年経っておる、王が生きていれば40歳を過ぎているはず、確かに生き写しのようではある、が、他人の空似と言うところか?」

 白髪の男は目を細めると、その隣の筋肉質な剣士に告げる。

「いえ……宰相、あの少女の手にあるのはルフェンテとスターライトでしょう?」

「? 王女の証の指輪……か」

 白髪の男は、小さく囀ると、一歩足を踏み出してアルスの影に隠れている少女の薬指に目をやる。

「アルス、なんなのこの人達」

 アルスの右手にしがみ付くようにして、セシリアはお姫様を演じて見せる。別に恐怖を感じたわけではなかった。だが、アルスが別の一面を見せてくれそうであるので、あえて自分で殴りに行くのをやめたのである。

「……思いの他、話が通じそうではあります、が。セシリア様は何も御答えになりませんよう……」

 扇状に展開していく一団を鋭い視線で追いながらアルスは応える。話の筋から言えば、こちらの正体はバレているようでもあったので、姫様と呼んでも構わなかったかもしれない。

「セシリ=コーネリアと言ったか?」

「……?」

「どう考えても、獅子王陛下に似ているのは……そういう事か」

 王女の指輪を確認すると、男は深く頷いて後ろで待機している集団に手で合図する。そうすると、剣を帯びていた一団はそれを地面に捨てて、自らも膝をつき礼をする。

「貴方達は何者だ? 僕達の事を詮索するのならば、まずそちらの正体を明かしてもらおう」

「神の存在があるとすれば、このめぐり合わせに感謝致しましょう。私達はコーネリア王国騎士団、獅子王陛下、あなたの帰還をお待ちしておりました」



 ――――強い鼓動が街を駆けた



















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