セシリア=ユーシアとその騎士が案内されたのは、街の広場の一角にある古ぼけた屋敷であった。
ユーシアの盟主たる王女は、大きく息を吸うと、薄暗い廊下を抜けてその部屋の戸に手をかける。ノブの鈍い感覚と同時に、光がその瞳を包む。
「……アルス。罠ではないのよね?」
「2対10だったんです。彼等が敵であるなら、あの広場で殺られていました。」
小声で耳打ちしてきたセシリアの質問に、アルスは心にも無い返答をする。それは、王女ではなくここへ案内をして来た一団への返答であった。広場で見せた緊張の表情は、戦いへの準備ではなく、王女に惨劇を見せてしまうという懸念でしかなく、彼等の戦力がどの程度であろうと、確実にそれを撃退し、姫を護る自信があった。撃退できる、と言った点では、ルフェンテを持った王女も同じ想いだったかもしれない。
「そう……そうよね」
セシリアは、作り笑いをすると、応接間に設けられた円卓の席に座る。中央に置かれたランプの灯りのみに照らされた薄暗い部屋であったが、部屋全体が白地の広々としたものであったので、それほど少女に嫌悪感は抱かせなかった。
「街中で堂々と僕達と同じユーシアの紋章を付けた剣を持ち歩いている人達なんです、心配要りません」
これは王女の隣に座った騎士が優しく奏でた言葉だった。半分は本心で、半分は嘘であったが、彼等の持つ剣に旧王国の紋章が掲げられている様を見れば、王女に信頼を取りつける口実にはなると思えた。
「さて、まずは陛下、とお呼びしたらよろしいか」
王女達が席に着く前に、円卓の場には3人の老人が待機していた。その中の一人は、先程広場で王女達が見ている男だ。
「いえ、最初にどうして僕達に接触できたのか、それをお話願いしましょうか」
「と言いますと」
「城塞都市……と言っても、クリムゾンは10万都市です。都合良くコンタクトが取れるのは不自然でしょう」
アルスは、周囲に目を配りながら、先程とは打って変わって和やかな言葉を紡ぐ。それを唖然として見ているしかなかったのはセシリアだが、ここで自分が喋るのはアルスの邪魔になると思ったので、彼女はお姫様をする事にする。
「ですから、この巡り合わせを神に感謝すると……」
「ユーシア騎士団に貴方達の回し者がいた、そう考えるしかないのですが」
広場で出会った男の言葉に、素直な笑顔で応えるアルスは、自分の推論を言う。
「さすがアルレード王子、と言うべきでありますか」
老人はその笑みに促されるように、騎士の推測を認める。その声は何処か歓喜の色に近い物を孕んでいた。
「アルレード王子? 残念ながら人違いですね」
アルスは目を細めると、男の言葉に応える。
「ははは、まずこちらから名乗るべきでしたな。私はクリムゾンの太守を務めておりましたボルアスと申します」
ボルアスと名乗った男は、アルスが未だ自分達に疑惑を持っていると感じて、自らの名を名乗る。先に名乗るのが礼儀だ、とはアルスの口から発せられなかったが、そうする事で彼の信頼を少しでも得られると思ったのだ。
「貴方達を信用していないわけではないんです。本当に僕は……」
そのボルアスの想いを見透かしたアルスは、申し訳なさそうに言葉を続ける。
「どんなに隠されてもその相貌は、獅子王陛下に瓜二つ」
「……まさか」
「若いお妃様は、ルフェンテをされておられる」
「なぁっ!?」
次のセリフの文末には、「ですわ」、か、「ますわ」、をつけようと心に決めていたセシリアの口から、驚愕の、いや、怒りに似た声が漏れる。セシリ、という言葉を先程聞いていた以上、彼女はセシリ=コーネリアである可能性が高い事はボルアスも知っていた。しかし、獅子王の生き写しとも思える少年も、少女も自らの名を名乗ろうとしないのだ。だから、ボルアスの口からそういう言葉が出た。彼女の口から、それを否定する言葉が出ることを期待して。
「騎士団に内通者が居たのでしょ? どうしてワケの分からない事を言うんです?」
わなわなと、膝の上に置いた拳を震わせているセシリアに気を遣いながら、アルスはなるだけ動じないように応える。一方の姫は、うふふ、と作り笑いをして首を傾げているのであるが、それが余計騎士の恐怖感を掻きたてることとなった。
「まず第一に、クリムゾンシティーは情報操作に包囲されて、外部からの正確な情報が入って参りませぬ。第二に、王子の言われる通り、確かに我々の仲間が、外部からの情報を収集しています、が、つい先程を除けば、最後に情報が入ったのが3ヶ月前」
「それならば、ユーシア王国の事は知らないわけですか」
「では、今この街を包囲している軍というのは」
ボルアスを始め、円卓を囲んでいた3人の男の表情が歓喜に震える。そして、彼等は懐から銀製の短剣を取り出すと、それを円卓の上に置いてアルスの瞳を見る。
「誤解の無いよう、申し上げておきますが、僕はアルス、ユーシア王国の騎士です。王国軍が来ているにしても王子自ら、潜入するわけがないでしょう」
アルスは、差し出された短剣に一瞬視線を配ると、言葉を続ける。
「……ルフェンテの説明はどう致します」
アルスとボルアス、互いの瞳を直視したままに言葉は交わされたが、初老の男は差し出した短剣について、何も言及しようとしない。
「……この短剣は」
「我々の命です。ラインハルト陛下より託された短剣であり、ルフェンテを守護するものであります。この短剣に誓い、我々は16年間、レジスタンスとして議会と戦って参りました」
この男の言葉に嘘が無いとアルスは思った。隣に座っていたセシリアも、彼の膝の上に置かれた手をその両手で握り締める。『信じてあげて』という意思表示なのだろう。アルスがセシリアの方へ緯線を向けると、小さな王女はコクンと頷いてみせる。
『……これは……プレートか?』
アルスは短剣を手にとって、その柄に描かれている特徴的な文字を見る。
「それで深夜に、このように……ですか。しかし、レジスタンスというのは? 帝政の終焉を人々は喜び、クリムゾンは民主主義に移行したのでしょう?」
「帝政の終焉は、新たなる支配者による民主主義の擁立でありました」
「確かに、僕自信、古代に全盛を迎えたという民主主義自体に多々疑問はあります。自ら勝ち取ったのではなく、支配者によって与えられた民主主義は、違う形の帝政であるでしょう。市民の意識革命に順応した帝政であると」
「ふ、獅子王陛下もアルス様と一言一句違わず同じ事を申しておりました。今クリムゾンを仕切っている者達も、終わりの3日間の後、混乱に乗じてクリムゾンを閉鎖した旧王国の貴族が中心であります。本来ならば、王国の再建時にはこの街も王家に返還するべきでありましょう」
「民衆が許さないというのであれば、それは結構なのでは?」
「クリムゾンの軍隊を見られたでしょうか? 彼等は意に反して借り出され人の壁とされています、彼等を動かしている頭は、財産を取りまとめて国外脱出、または講和をするつもりなのです」
「講和をするのなら、それも良し、と考えますが」
「民衆の創意などは、中間地点で打ち切られ、実質は上院の独断で政治が行われるクリムゾンなのです。実際、幾万と居る人間のエゴを取りまとめる事が可能とお考えか?」
ゆっくりとした口調で話していたボルアスのそれが、厳しいものへと変わる。言葉を受けるアルスの方も、悠長な微笑みを浮かべているわけにはいかず、口元を引き締める。
「不可能でしょう。可能性があるとすれば、間引きをするか、徹底した情報操作をするかですね。ですが、啓蒙思想とやらに基づいた民主主義とは相反するものなので、これらが共存することはあり得ないでしょうが」
アルスは、冷めた声で淡々と、自分が知る範囲の市民革命によらない民主主義に予想できる末路を述べる。
「それが共存しているからこそ、我々がいるのです。王子」
ボルアスは、ため息ともつかない深い息を吐き終えると、両脇に座っていた老人達と視線を交わすだけで意思疎通をし、表情を和やかなそれに変えて、主君として望んでいた弁論ができた少年に軽く礼をする。
「貴方達の事は理解するつもりです。ですから、僕がただの騎士という立場である事もご理解ください」
アルスが、頷いて短剣を円卓に戻した時。
「わたくしが、セシリ=コーネリア、いえ、今はユーシアの盟主としてセシリア=ユーシアと名乗っておりますが、貴方達には大変なご苦労をかけたようです」
ふいに声を発したのは、今まで押し黙っていたセシリアだった。
おお……、とボルアスの脇に座っていた老人が感嘆の声を漏らす。その凛とした瞳は、同じく獅子王を思い起こさせるものであり、同様に良く響く声は、王女としての才覚を彼等に期待させるものであったのだ。
カーンカーン
ふいに応接間の柱時計の音が響く。
――――まだ、クリムゾンの夜明けまでには時間が残っていた
第14話「赤い光の中で」
第二の月が怪しげな光を放つ夜。クリムゾンシティーの一角。
「アルスが、あたしのお父様なの?」
「……ふぇ?」
朝日を迎える前の赤光の都市で、本来ここを統治するべき正当なる王女は、騎士に小さく耳打ちをしていた。そのぶっとんだ質問に声を濁したのは彼女の騎士、アルスである。
「そうなのね?」
北国の明け方というのは、真に暗き時間であるとセシリアは知っていて、都市の中心部へと向かう裏道を歩いていた。無論、二人で当ても無い場所に向かっているわけではなかった。二人の後ろには旧コーネリア王国軍30人が列を連ねている。
「ち、違いますよ」
アルスは、背筋に寒気を感じて、隣を歩いている王女に目をやる。
「じゃあさ♪ あたしのお父様になってくれる?」
「……はひ?」
終始小声で、にこにこと笑いながら話すセシリア。さすがにこの会話を周囲に聞かれるのはマズイと思っているのだろう。が、その表情にはイタズラな微笑があふれていた。
「ね?」
セシリアは、アルスの右腕を抱くと、顔を覗き込んで言葉を続ける。
「そ、そんな事」
アルスは、口をもぐもぐと動かして適当な言葉を捜す。
「ほらほら、仲良し姉弟を演じるんでしょ? アルスもじゃれなきゃダメじゃない」
本気で焦っているアルスを見て、セシリアはその表情を覗き込んだまま軽くウィンクをする。
「……仲良し姉弟って……姫様までワケの分からない事を言わないでくださいよ」
「アルレード君? 姉上とお呼びなさい?」
声は取り繕った姫君のモノだったが、騎士の顔を覗きこむその表情は、朗らかに融解していた。
「……僕がその王子じゃなかったからと言って、コーネリア騎士団の人達には姫様に忠誠を誓ってもらえばいいでしょう?」
「あなたがお父様に似ているというのなら、議事堂に着いた時、この街を治めている人達と武力を用いずに和解できるかもしれないでしょ?」
アルスはセシリアの言葉に首を傾げて内心苦笑する。彼自身、姫が修羅場を知らないとは思っていたものの、こんなに楽観的な発言をするとは思わなかったのだ。
「姫様の父上を裏切った人たちかもしれないんです」
「そんなのわかんないじゃない」
「ああまでして、ユーシア軍と戦うのは、そう考えるしかないでしょう。姫様が挙兵したのは、大陸中に知れ渡っているはずです」
アルスが、その言葉を発すると同時に彼の瞳は色が強い色へと変わった。
ガツッ
アルスに突き飛ばされる形となったセシリアは、狭い路地の壁に背を当てて、息を呑む。
「なにっ?」
セシリアの目の前を銀色の閃光が駆けたのは、その言葉と同時だった。
「まだ、夜は明けていない、ラルロという男がいる議事堂が近いにしても……嵌められたか」
すでに腰の鞘から短剣引き抜いているアルスの表情には、うっすらとした微笑が宿っていた。彼は、背後に付いてきた協力者達の数が減っている事に気づく。
「アルレード殿下、我々は本当にっ」
振り返ったアルスと視線が合った男は、必死にそう口を動かすし、現状について自らの潔白を示そうとする。が、次の瞬間、闇を裂いた閃光がその男の胸を貫く。
――血吹雪が狭い路地を赤く染める。男は無言で膝をついて、左胸に刺さっている矢を抜こうとするが、その表情は苦悶に歪み、腕は震えるだけで力を示そうとはしない。
「……2、3、状況は考えられるが、僕の事をアルレードと呼び、姫様の騎士となる人達だ、失うわけにはいかない……。姫様は伏せていてくださいっ」
アルスは、引き抜いた短剣を正眼に構えると、次に来た無数の矢の大半をそれで叩き落す。
「皆さんは、下がって、この路地では不利……」
アルスは、身を屈めて後ろを振り向き声を失う。背後にもまた、銀色の矢に身を貫かれている騎士の姿があったのだ。
「くっ、挟み撃ちか」
アルスは、路地の壁が民家のそれだと気づき、小さく苦悶の声をあげながらも、それに短剣を付きつける。
ガツンッ
――短剣の刃がその一撃で破壊される。が、レンガ作りの壁にも一筋の傷を作ることとなった。
「そんなに厚くないようだし、古い壁だ……これなら」
アルスは、そう言うと短剣の柄にある宝玉を親指で回す。
シュッ ブゥゥンッ
何かが焼け焦げる嫌な匂いと共に、その音は響いた。
赤い都市の空に光が映る。
――朝焼けはまだ遠い時刻だった。
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