海岸を臨む公女の生まれた部屋は、うっすらとした赤い光に支配された世界にあって、蒼く輝きを放つ粒子に包まれていた。

 先日、砂漠で見た時のように、人の世界を全て覆う程の輝きをその粒子の源たる剣は放ってはいない。が、その光の粒は傷ついた少年の首筋を労わるように、その肌に触れて輝やいていた。剣を持つ少年を守る為ではない。

 人を傷つける事で自らの心を痛める少女の為に、その剣は小さな輝きを放っているのだ。

「カミュッ」

 その光は、窓の外に浮かぶ異形の表情を映し出していた。悲鳴に近い叫び声を蒼い目の少女にあげさせるそれは、酷く機械的な微笑みを携えている。化粧をしたような白い肌に、チリチリの無機質な短い髪、そして特徴的な真っ赤な裂けたように細長い唇、脳裏に浮かぶ悪魔という言葉に相応しい相貌のそれは、窓にかけた手の反動を利用して部屋の中に身を躍らせてくる。

 カミュは、背後に音もなく忍び寄るそれの気配に気づかなかったわけではなかった。

 だが、今まで遭遇したどの圧迫感とも違う異形の生き物の放つそれは、カミュに気配を悟らせまいとするかのように、静かに鋭く彼の死角へと飛び込んできた。突然に状況が変化し、極端に反応が遅れたカミュ。

 最悪、少女の声と同時に彼のアクションはスタートしたといっても過言ではなかった。自らのミスに顔を顰めるカミュは、レティシアの足元に転がって先ほど自分の手から離れた剣に手を伸ばす。そして、体の回転を利用して手の内にあるナイフを異様な殺気を支配するモノに投げ放つ。体の振りで加速をかけたそのナイフは、的確に異形の笑みを崩さないモノの胴体めがけトレースする。

「っ」

 しかし、その異形のモノは、足よりも長いであろうぐったりと地面に垂らした手で、そのナイフを弾く。素手で、あるはずなのだ。カミュは、舌打ちして手元の剣に一瞬視線を配り、輝きを放っている事を確認すると、立ちがり剣を構えようとする。

 が、薄い色素で染められたような、異形のモノの赤い眼球は、カミュの鼻先まで距離を縮めてきていた。吐息や鼓動をカミュに感じさせる事なく、それは鋭い爪を振りかざしてくる。

 息を荒げる事もなく、無機質な眼球に殺意を灯す事もなく、だ。

 カニの足のように、長い手は中央の関節で二分されていて、それ自体が鋭利な刃物であるかのように、カミュの目には映った。振り下ろされる一撃目は、ふいをつかれたカミュであっても、十分に剣で受け止める事ができる程度の速度でしかなかった。

「……ちぃ」

 が、ドシリという感覚、アンチ・レティシアに切り裂かれた肩口の傷が再び裂ける衝撃。それは、カミュの剣を通して体中を駆ける。細い腕からの一撃は考えられない程の、とてつもない質量を持っていた。カミュは、苦し紛れに声をあげると、異形の姿を持つそれとの間合い取るべく、無防備なその腹口をつま先で蹴り上げる。

「逃げろっ」

 カミュは目を見開いて、その化け物が微動だにせず、今の一撃を馬鹿にするような笑みを浮かべた様を見ると、背にいるレティシアに叫ぶ。

 一瞬の事に、見ていることしか出来なかったレティシアは、慌てて首を振り、カミュを見捨てていけない、という意思表示をするが、声に出さない限り、彼女の意思をカミュが汲み取る事はできない。

 視線をその暗い笑みから離す事ができなかったから。

 自分が傷ついていなくても、決して分のある勝負ではないと思えた。

 睨みつける対象は、何も二人に語る事はなく、ただ首をタラリ、と横に傾げて、裂けた口元に笑みをこぼすだけであった。レティシアの気配がそこで立ち竦んでいる事を感じて、カミュは標的を倒さなければ、と思う。少なくてもレティシアは守るべき対象ではない筈であった。が、レティシアの前に平伏した彼の蒼い剣が、それをさせているようでもある。

 肩に熱がこもり、次第に指先の感覚が失われていく、左の腕を垂らしたまま、残った右腕でカミュは剣を構える。が、正眼に構えたそれは、光の粒子を発する事をやめ、また輝きも小さく弱々しいものへと変わっていた。

「聞こえないのか、逃げろっ」

 再度カミュは、声を荒げる。

 連続する瞬間において、次の殺意はレティシアに向けられている事に気づいたからだ。この状況を楽しんでいるようである化け物の垂らされた手は、再び意思を宿し、今度は、硬直して状況を見守る事しか出来ないレティシアを狙う。

「あっ」

 本能的に殺される事を悟ったレティシアは、震える事もなく涙を流す間さえ与えられないまま、ただその空間を見つめるだけでいた。あまりも突然に少女を襲った感覚は、彼女に恐怖を感じさせず、ただカミュに言われた「お人形」という言葉のみが、脳裏に色を塗った。

 異様に細い縞模様の右腕の先、鋭利な赤い爪がレティシア捉えようとする。カミュは、とっさにその腕を剣で打ち上げて、一撃をなんとか逸らす。だが、レティシアと視線を交わしたカミュに伸ばされた続け様の一撃は、それを捉える間もなく少年の腹を貫いていた。

「ガッ……」

 その時に遊ばれているのだと、カミュは気づいた。道化の笑みを浮かべる化け物は、最初から、自分が迷うのを待っていたのだと。喉からこみ上げてくる血の味を感じながらも、腹を貫いている化け物の左腕を剣で切り落とそうとする。それが、最後の一撃になる事を覚悟して。

 ガリッ

 貫かれたわき腹に強烈な痛みを伴う渾身の一撃だった。

 ズシンと、手に浸ってくる感覚。これには覚えがあった、剣が折れる時の感覚だ。刀身に亀裂が入り、強度はそれで失われ、次の一撃で砕かれる。そう、教会での訓練で何度も経験した感覚であった。カミュは、酷くそこが懐かしいと感じ、口から血を吐いて膝をつく。

 体を貫いている腕が抜かれる時、貫通された時と同様の痛みがわき腹に走る。蒼い剣の刃こぼれは、その凶器に幾らかのダメージを当たえる結果となったのだろう。だが、切り落とせていたとしても、これで終わりだった。カミュに次の手は残されていない。

 勝利を確信へと誘い込んだ道化は、観衆に応えるかのように、レティシアにお辞儀をして、カミュの元へゆっくりと足を進める。

「ダメ……」

 再び涙が瞳から零れた。砂漠での体験と同じ、自分は何も出来ず、理不尽に傷つけられる、という思い。レティシアは、泣きじゃくるようにカミュを抱きしめて、言葉を紡ぎだした。この少年もまた彼女の友人、ディーテのように殺されると分かったから。

 道化の態度は、傷ついたカミュを馬鹿にするものであり、その行為はレティシアの心を傷つけるものであった。だから――、白き詩の奏でられた部屋にあっても、激情を司る赤い目のレティシアは、再びその姿を見せるのである。



 ――――蒼い光はすでにその部屋にはなかった















18話「シーンオブブルー」
















 北極圏に輝く星々は、その光を強める時間にあって、赤き巨星の支配にある夜空に希望を届けていた。星の明かりによって照らされている教会の礼拝堂には、白い神官衣を着た男が静寂に身を委ねていた。天井まで二十メートルはある吹きぬけから夜空を見上げている彼は、赤い巨星がゆらり、と澄んだ空気の向こうで揺らいだ様を見て目を細める。

 拳を握りしめてため息を吐く、男は2,3度首を横に振ると、その唇から音を紡ぎ出す。

「ナンバー1をフィリアードに送ったのは失敗だったか」

「カミュが、玩具共に翻弄されるとは思えないな」

 男は、はっとして広い礼拝堂の中で、自分の言葉に答えを返した主を探す。金色の長い髪を持った少女は、長椅子に身を凭れ掛けて、神父たる主に視線を向けていた。酷く冷たい視線だ。

「何時からそこに居た?」

「心配するな、神父の愚痴はいつも聞いている」

 少女は、表情を凍りつかせたまま、冷たい笑みを口元に浮かべて言う。

「盗み聞きか、感心できないな」

 少女の姿を確認すると、神父と呼ばれた男は再び視線を天空にやって言葉を続ける。

「ふふ、いつまでも私に留守番をさせておく神父様だ。そのくらいの覚悟はもって頂かなくては」

「リリスの事もどこまでか知っているような口ぶりだな」

「赤い月。あれも……ロストウェポンの一つなのだろ?」

「……」

「しかし、委員会の行動は理解できない。フィリアードの死債と呼ばれた日と、今回、どう違うのだ?」

 金色の髪の少女は神父が言葉を返すのを数秒待って、自らの言葉を続ける。

「ふぅ……。そこまで調べたのか」

「アルスが口を割った」

 少女の言葉に神父は、がくりと首を項垂れる。

「――前回の起動は失敗したのだよ」

「失敗?」

「そう、道化達を乗せた星の海を渡る船は、フィリアードの南、永劫に続く浅瀬の海に落ちた」

「なるほどな、巨大が津波が街を襲った……と」

 少女は、椅子から立ちあがり、星を見上げている神父の元へ足を進める。

「実際、地上に船が降りていれば、ファルシア大陸は壊滅していただろうな。当時の人の武器は、あまりにも幼すぎた」

「今ならば、なんとかなると言うのか?」

「クラカ=テレフォニアが、大量に発掘したロストウェポンは、人の手に余るものであった、が、同時に人の手に追えない魔物達を排除するには有効な武器になりえる」

「魔物達か……委員会の連中が言っている『悪魔』というのは、リリスの悪魔達の事か?」

「いいや、我々の死海文書の中で言う『悪魔』とは、あのような玩具の事ではないよ」

 神父は、苦笑いをすると、自分の側で空を見上げている少女の瞳を覗き込む。

「それならば『天使』という表記についても、同様なのか?」

 神父と視線を合わせた少女は、首を傾げ聞く。

「その通りだ、巨兵の墓に眠っていた『天使』は、リリスの悪魔と対になるものに過ぎない」

「神父、委員会すらも怯えさせる『悪魔』とはなんなのだ?」

「それは、お前が知る必要はない」

「実際、神父も知らないのではないのか? 委員会のメンツも、まだ不完全なのだろう?」

「直接にそれを知る者は、委員会にもいるとは思えないな」

「委員会にもいない?」

「語り継がれているレベルでは、最初に文明を築いた人も、2番目に文明を築いた人も、その魔物達に滅ぼされているという事だ。姿形にしても、教会のステンドグラスにあるような悪魔の姿を取っているのかすら我々には分かっていない」

「確か核兵器とか言ったか、アメリアで5年前に暴発して、北アメリア大陸と南アメリア大陸の中央に巨大な海峡を作ったとかいう兵器」

「……エリスの言いたいことは分かる。最強にして最悪の兵器は、人の有史にあって間違いなくそれだろう。充分に悪魔と成り得るものだ」

「核が量産された時代があったなら、それで人の世が滅びた、というのではないのか?」

「面白い洞察だ、だがそれでは、人は自らを悪魔と称した事になるな。ふっ……。とても教会で語れる内容ではない」

「神父、神などはいない。神が居るならば、人の世を2度も滅ぼした悪魔の存在を放っておかれるわけがない」

「人自身が悪魔になりうる、というエリスの発想があれば、そうじゃないだろう」

 神父は、僅かに言葉を茶化して言う。

「くっ……私の憶測をそれらしく弄んでみて……。結局、話すつもりはないと言う事か」

 エリスは、眉をひそめると、神父の視線から逃げるように身を翻して、光の舞い降りる場所から離れる。

「ああ、エリスの知るべきことではない」

 神父は肩を竦めて、エリスの背中に言う。

「アルスには話したのだろう?」

 これは、エリス独り言だった。結局、アルスも、肝心な部分はエリスに話していなかったのだ。気分を害したエリスは、床を蹴り飛ばして、勇み足で礼拝堂から去る。

「……アルスは宿命を背負っているんだ。だから、苦しんで……そして、生きてもらわなければ」

 エリスの気配が礼拝堂から消えた事を確認して、神父は言う。



 静かな鐘の音が澄んだ空気に響く



 ――――風の奏でる優しい歌が礼拝堂を包み込んだ















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